連絡
風香の気持ちを落ち着かせるためにも、芦屋栄には多少なりとも報復してやらねばと、葉風を残して玖音の部屋へ行く。和室で瞑想している最中のようで、俺は部屋の隅で正座して待つことにした。
瞳を閉じている玖音に、固体化するのではないかと感じるほどの濃い霊気が集まっていた。
先日、気仙の藍睨果すら圧倒した霊力は、こうして霊気を操作し続ける間に身につけたのだろう。
地脈から溢れる霊気は清いものもあれば穢れているものもある。それらから清い霊気だけを集めているのだが、言葉で言うほど簡単なことではない。霊気を乱さない繊細な技と、膨大な量の霊気を操作する力が必要だ。
しんと静まった部屋でジッと動かずに集中している玖音には畏れを感じさせる何かがある。
(これが格というものなのかもしれないな)
それにしても最近は、葉風や玖音、霊峰師父に助けられてばかり。栄に思い知らせて、この鬱憤を晴らしたいものだ。
とはいえ、殺生石を利用してくるようなら葉風の協力が必要だし、藍睨果のような格上の仙人を使ってきたら勝機は少ない。葉風に協力して貰って訓練してきたが、俺の実力はまだまだだとこのごろ痛感している。
いい加減、霊峰師父に認められるようにならなければ情け無い気もする。
(いや、焦るな。俺の実力で可能なことを模索し、それで勝機を掴む。今はそれでいい。師父も以前言っていたではないか。高みに登るには一歩一歩確実に歩みを進めるのが確実だと。修行は怠っていない。……焦ってもいいことはないんだ)
芦屋栄の薄笑いを思い出すと苛つくし、次はどんな手段を使ってくるのか想像すると、今の自分に足りないものが見えて焦る。だけど、冷静に、集中して相手しなければならない。
このことを肝に銘じて、玖音を見守っていた。
やがて、部屋に集まっている濃い霊気から冷たさが薄れた。
「待たせた。それでどのような用件か?」
その場で立ち上がって振り向き、凜としていながらも柔らかい笑みを浮かべて玖音が振り向いた。
俺は風香の様子と垢舐めの
「そうか。瓢の件は、皆に安心して貰えるよう改めて私が話そう。風香は……時間が必要だな」
正座して報告した俺の前まで近づき、宙を見つめて玖音はそう答えた。
その後俺を見下ろし、紅い唇を静かに開いた。
「それだけではあるまい。芦屋栄に思い知らせたい……その許可であろう?」
「その通りです」
そりゃあ判るよな。
俺とともに仕事し、そして風香の気持ちを慰めている葉風から聞けば良い話だ。風香については俺以上に突っ込んだ話も姉妹ならできる。その類いの話を、玖音の仕事が終わるまで俺が待って話す必要はない。
玖音と葉風は日に一度は必ず連絡を取り合っているから、その時でいいはずだからな。
「……芦屋本家の話が無ければ許したのだがな。今しばらく待て」
「何かご存じなのですか?」
玖音の表情は柔らかい。だが、きっぱりと待機を告げた口調には何か確信しているものがあるように感じた。
「監視していた稲荷からの報告があった。芦屋猛と栄は本家へ向かったという」
「藍睨果の話では、本家に隠して動いていたはず……」
背をピンと伸ばし玖音は正面に正座した。
「そうだな。そのような状況でも本家に頼らなければならないほど苦しいのだろう」
「栄にはまだ余裕があったように感じましたが」
式神を使って自分は隠れていたが、栄の言葉には追い詰められている空気は感じなかった。
「実際は違ったのだろうよ。藍睨果は切り札だったのかもしれぬ」
「ですが、風香の気持ちを考えますと、このまま何もしないというわけにも」
ゆっくりとまばたきしたあと玖音は頷き、判っていると伝えるように力強い瞳を向ける。
「案ずるな。今日明日……芦屋本家がまったく動かぬようなら、こちらから動く」
「乗り込む……のですか?」
「その手もあるが、呼び出す方が良いだろう。悌雲に準備させている」
「このビルへですか?」
「ああ、この件では先方に非がある。応じぬならば、こちらにも考えがあると伝える」
陰陽師の本来の仕事は祭祀を司ること。呪いをかける行為は本来の陰陽術師にとっては邪道な行為だ。式神やあやかしを使って人を害する行為などもっての他のはず。
芦屋家分家が行ったことは本家にとって許されぬことだろう。
特に、式神ではなくあやかしを使役して行おうとしたことは、世間に知られたくないはずだ。悪さをするあやかしを懲罰するのではなく、陰陽師の影響力を強めるために利用したなどと知られたら社会的に生きられなくなる。
「確かにそうですね。あやかしの存在を公にしたくないのはあちらも同じですし」
「それだがな。最近、このまま我々の存在を隠しておいて良いのだろうか? と思うこともある」
ジッと見る金色の瞳はやや力が無く確かに迷いが感じられた。
「人は異物には優しくありません。同じ人間同士ですら、人種や思想の違いで敵対し、排除しようとしますが」
「その通りだ。だが、あやかしなどの人外が存在しているのは事実。またこちらは友好的に共存を願っている。時間はかかるだろうが……。まぁ
たぶんだが、秘密の存在だからこそ好き勝手に利用しようとする者が出てくると玖音は考えたのではないか。世間に知られれば、警戒はされるだろうが、明確な対応を示すこともできるようになる。
あやかしの存在を公にするメリットは確かにある。
だが新宿で過ごし、弱者や少数者への人間の視線や態度を観ていると、特別優しくなくてもいいが、最低限持つべきではないかと思う……同じ人間への態度としての妥当な態度を持ち合わせていないのではないかと感じることがたびたびある。
同じ人間同士でさえ少数者への差別や偏見があるのに、異なる種族と言っても良いあやかしや仙人と同じ空間で暮らしていけるものなのだろうかと懐疑的になる。
例えば、神渡ビルは繁盛している。
人間とあやかしが頑張って働いている成果だが、稲荷神社と座敷童が持つ商売繁盛の効果がある点は否定できない。
この地域で働く他の人間がその事実を知ったら不公正だと言い出すだろう。
座敷童を寄こせと言い出すかもしれない。
稲荷神社の恩恵をうちにも寄こせと言い出すかもしれない。
いや、きっと言うだろう。
座敷童も稲荷も人外なのに、都合が良ければ利用しようとする。
しかし、他のあやかしが働き成果を出すのは、都合が悪いから排除しようとするだろう。
人間は公正さですら、不公正に利用する生き物だ。
だから、あやかしの存在を公にすべきではないと考える。
俺が考える程度のことはきっと判っていながら玖音は迷っている。
芦屋分家の者達に利用されたあやかし達のことを考えると、迷ってしまう気持ちは判らないではない。
だが、それはせめて人間同士で差別や偏見が無くなればという条件のクリアが必要だろう。
ま、事実上の拒否になるだろうけどな。
「
眉間に皺を寄せたまま玖音を観ていた俺から感じ取ったのだろう。
「はい。正直なところ、メリットを大きく上回るデメリットがあると思います」
俺の返事を聞いた後ちょっと苦笑し、そして陽の光が少し強くなってきた季節の窓の外に目をやる。
再び俺に目を向けたとき、玖音の表情にはどこか泣きそうな寂しそうな……そんな弱気な感じが見て取れた。
「きっと……総司が正しいのでしょうね。でも私は、それでも、何か……」
瞳は俺に向けているのに、俺じゃない何かを観ているような表情の玖音から続く言葉は出てこなかった。国内のあやかし達に頼られつつある立場、そしてその役割を果たそうと苦悩しているのが感じられる。そのプレッシャーに耐えている気持ちを思うと、俺も辛くなってくる。
「……話を戻します。芦屋本家にはこちらの言い分を強く伝えるつもりです。そして今回の件にケジメをつけ、共存できる態勢を整えなければなりません。芦屋家本家の姿勢が藍睨果の話の通り、欲望追求の糧にあやかしを利用しようとしないものならば、私達とは折り合いがつくはずです。ですが、あなたや風香には我慢して貰うこともあるかもしれません。その際は理解してくださいね」
「判りました」
一礼し立ち上がろうとしたとき、風凪が部屋へ入ってきた。
俺の横に正座し口を開く。
「姉さん、芦屋本家から連絡がありました。明日十時、こちらに伺うので宜しく……とのことです」
玖音の瞳が少し大きく開き、「想像していたより早く動いたな……」とつぶやいた。
「訪問者は?」
「芦屋家本家当主の芦屋隆造とのことです」
「ほう、当主自ら……。藍睨果の見立ては正しいのかもしれませんね」
「俺が出迎えましょう」
風凪から視線を俺へと移して玖音は頷く。
「丁重にね」
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