玖音、動く

 葉風は荼枳尼を連れて戻ってきた。

 

「契約による縛りを抑えることは姉さんにもできるけど、契約解除は荼枳尼様の分野だというので」


 が得意な荼枳尼は、主従関係契約の解除も得意ということか。

 早朝にも関わらず、わざわざ来てくれた荼枳尼に感謝しないといけないな。


「おはようございます。早朝でまだお休みでしたでしょうに申し訳ありません」


 感謝と謝意を伝えると、荼枳尼はニッコリと笑った。


「気を遣わなくてもいいの。このビルでの仕事はそう多くないの。できることは手伝うから」


 俺に向けて手を横に振ったあと、「荼枳尼様、おはようございますっす」と深々と頭を下げる朝凪の肩に手を置き、「お手柄だったようね。偉いわ」と目を細めて褒めた。


「その子達ね」


 加耶の隣に奏を連れてきて並べていた。

 ロープに縛られたままの二匹をじっくりと眺めたあと、まず加耶の、次に奏の頭にふわりと手を置いた。


「これで契約は解除できたわ。でも、しばらくはこのビルの中で軟禁しておいた方がいいわよ」


 俺と葉風に交互に笑顔を向ける。


「契約解除したのにですか?」

「そうよ。この子達は無理矢理契約させられたわけじゃないでしょう? 条件を出され、それを飲んで契約したはず。そういった場合は、契約がなくても心理的な圧力がこの子達に生じる」

「心理的圧力とは……」

「簡単よ。約束を守れなかったら、あなたも気持ち良くないでしょう?」

「ああ、なるほど」


 「あなたはこの件が落ち着くまで総司さん達を手伝うのよ?」と朝凪の頭を嬉しそうに撫でたあと、俺達に手を振って荼枳尼は部屋へ戻っていった。


「さすがはブリリアント巨乳おっぱいの持ち主っす。荼枳尼様は最高っすねぇ」


 ブリリアント巨乳おっぱいってなんだよ。

 どうせ荼枳尼に騙されているんだろうけど、ま、朝凪ほんにんがそれで納得しているようだし、その件はスルーしておこう。


 荼枳尼を褒める朝凪の言葉はどうかと思うが、それでもさすがに女神なだけはある。

 術者との契約は、そう簡単に解除できるものではない。

 無理に解除しようとすると、契約している妖狐か、解除しようとした者に何らかの害が生じる。

 命を落とすこともあるのだから、契約の解除は慎重にならざるをえない難しい行為だ。

 神に近い力を持つ空狐の玖音でもできない解除を簡単に行えるのだから、率直にその力を認めるしかない。


 解呪系は荼枳尼の得意分野だからなのかもしれないけれど、それでもね。


 さて、これで加耶と奏をどうするかを決められる。

 契約に縛られたままなら、監視を厳しくしてどこかの部屋へ拘束するしかなかった。

 荼枳尼の忠告に従って当面は軟禁するが、芦屋猛を倒したあとは自由にさせてもいい。


「朝凪、紫灯。加耶と奏を五階にある警備保安室で軟禁しておいてくれ。担当には俺からと伝えてくれれば良い。特に紫灯は、食事など身の回りの世話もよろしくな」

「判ったっす」

「承知しました、お任せ下さい」


 妖狐達を二人に任せ、俺と葉風は玖音のところへ行き、今後の相談することとした。


・・・・・

・・・


 部屋が寒い。

 富士山の頂上でも少し寒いな程度にしか感じない尸解仙の俺が、これはキツいと感じるほどだ。

 冷房機器など動いていないというのに、いや、冷凍機器を動かさない限りこんなに寒いなんてありえない。

 五月の東京にこんなに冷え冷えとした部屋があるとは誰も信じないだろう。


 この寒さの原因は正面に座っている玖音。

 怒りのあまりに熱くなりすぎた自分を、冷気を発して冷やしているのだ。

 だが、やり過ぎている自覚がないんだろう。

 

 このままでは、玖音のためにと花瓶に挿された花もじきに砕けてしまうし、そろそろ落ち着いて欲しいところだ。


「……姉さん、これまでに説明した理由で、芦屋を潰そうと考えています」


 島克明へあやかしを使ってトラブルを起こしていた件について、正座して説明を続けてきた葉風は、身体を起こして玖音の返事を待つ。


「判りました」


 そう言った玖音は、瞳を閉じて気持ちを抑えようと深く深呼吸する。

 体内から漏れる霊力で、長い銀髪が揺れていた。


 そしてゆっくりと金色の瞳を開き、抑えるような声で驚くことを言う。


「これまではあなた達に任せてきました。ですが、この件は私も動きましょう」

「え? 玖音様が?」

「姉さん?」


 神渡ビルへ悪しき気を除いた霊気を集めるため、ビルから離れようとしなかった玖音が動く。

 俺が日本に来てから初めてのことだ。

 俺よりもずっと長く一緒に過ごしてきた葉風も驚いているのだから、異例な事態なのは間違いないだろう。


「この地に来てから数十年、地脈から霊気を導いてきました。今では霊気の流れも落ち着いています。私が多少離れたところで問題はないでしょう」

「ですが、陰陽師相手では……」


 あやかしなどの人外退治を生業にしてきた陰陽師を相手にするのは、いくら玖音でも危険ではないのか?

 そう考えたし、やはり相性の良い仙人の俺が動くべきだろう。


「総司。心配してくれるのはありがたいですが無用です。このビルに集まる霊気を最も濃く多く浴びてきたのは私なのですよ?」

「それは判りますが」


 玖音が導き集めているのだから、玖音に向けて霊気が集中する。

 それは判る。だから、玖音も成長し力を増していることだろう。

 だが……。


「あやかしは霊気を操る仙人や陰陽術を使う者に弱い。それは確かです。ですが、生まれてから3000年余、この玖音が対策を考えてこなかったと思いますか?」

「……それはズルイ物言いですよ」


 俺や葉風よりも力も格も上の玖音が、自らの弱点を克服してこなかったなどとは言いづらい。

 

「すまぬ、確かにズルイな。では言い直そう。この玖音を害しうるのは神々の頂まで至った者だけなのです。もっとも相性の悪い仙人でも、霊峰師父のような神仙でもなければ私を傷つけることなどできません。ましてや陰陽師ごときに……」

「ですが、玖音様は神渡ビルのかなめです。何かあってからでは……」


 発せられていた冷気が止まり、玖音の表情も和らいでいる。

 口元の笑みが正直怖いけれど、涼やかな瞳はいつもの玖音だ。


「心配はいりません。それに芦屋の者がしでかしたことは、見過ごすことはできないのです……」


 人間は異質なモノを遠ざける傾向がある。

 人間同士の間でさえ、慣れない者を差別してそれまでの状況を維持しようとする。

 人間はとても保守的な生き物だ。


 変化していない状態の外見はもちろん、通力を持つあやかしは必ず危険視される。

 そして恐れて排除しようとするだろう。


 しかし、あやかしも居住空間や食べ物は必要だから、人間と同じ世界で生きていく必要がある。

 昔は、社会は一緒でなくても良かったが、今は違う。

 獣にしても魚にしても穀物にしても、それらを手に入れる際に人間の目を気にせずにはいられない時代になった。

 

 姿を晒して一緒に生きていられる状況ではない。

 将来は判らないが今はまだそんな環境はない。


 人間とあやかしが衝突したとして、最初は通力のおかげで負けることはないだろう。

 だが、圧倒的に数に優り技術進歩してきた人間が、あやかしと対等に対峙しうる日がいずれ来るだろう。

 それ以前に、人間を庇護している神々が許さないだろう。


 人間を刺激せずに一緒の社会で平和に生きていくためには、衝突はもちろん恐れられないようにしなければならない。

 だから姿を知らせない。

 正体を知られないようにしなければならない。


 人間社会のルールに沿って生きるために神渡ビルはある。

 殺生石を浄化するための霊気を集めるためだけにあるわけではないのだ。


 芦屋のようにあやかしの力を利用してトラブルを生じさせる行為は、あやかしが平和に生きていくすべを失わせることになるだろう。現世で生まれたのに、崑崙や高天原で生活する選択しかなくなるだろう。


 だから玖音は見逃すことはできない。

 あやかしを利用しようとする者を許さない。


「……総司や葉風を信用していないということではないのです。この神渡ビルで生活しているあやかし達を、私を頼ってきたあやかし達を守るために、ここに居れば大丈夫だと示すために私が率先して動かねばならないのです。それでこそ皆を安心させられるのです」


 優しくもキッとした瞳と玖音の毅然とした態度に、決意の強さを感じる。


「わかりました。では、私達もお供致します」


 葉風と一緒に頭を下げ、俺は説得を諦めた。

 説得できないなら同行して手助けしたほうが良い。 


「芦屋猛と栄の居場所は悌雲に聞けば良い。ぬえの件があってから芦屋家について調べさせていたのですぐ判るはずです」

「猛と栄、二人ともお相手なさるのですか?」

「どちらも殺生石をまた利用している可能性もあります。対抗できるよう総司が修行しているのはよく知っています。ですから任せていようと思ってましたが、向こうがあやかしを利用してきたからにはもはや我慢できません」


 「四姉妹で姉さんが一番短気なんですよ……」と葉風が耳元でささやいた。

 いつもは自室で瞑想状態だったから気付かなかったが、どうやらそのようだ。

 だいぶ落ち着いたとは言え、まだ怒りの気配を玖音は感じさせている。


「判りました。では、猛達の居場所がわかり次第動くとしましょう」

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