追い詰められた栄


「島克明のところへ送った妖狐が二匹とも戻ってこない」


 スマホを耳にした芦屋栄に、兄の声が届いた。

 広域暴力団組織のTOPである島克明を手駒に加えたいと芦屋猛から聞いたとき、栄は島の状況を調べた。

 そして娘の令華に霊障が生じ、その治療で巽総司が関わったと知り栄は反対した。


 あやかしや霊によるトラブルが生じたら、いずれ必ず巽へ依頼すると読んでいた。


「その件には、多分、巽総司か神渡ビルの連中が関わっています。ですから言ったじゃないですか。島と巽は繋がっているからと……」


 栄は不機嫌さを隠そうともしない。

 芦屋家当主でもあり、長兄でもある猛に不満をあらわにするのは栄にしては珍しい。


「すまん。しかし、裏で大きな組織を持つ島を押さえるのは必要だったのだ」


 猛の声は冷静だが、やはり悔しさも混じっていた。 


「それは判ります。それでもこちらの準備が整うまでは手を出してはいけなかったのです」


 瞳を細め、苛立ちを抑え、栄はいつものように落ち着いた声で猛に答えた。


芦屋こちらの動きは悟られるだろうか?」

「……おそらく」


 神渡ビルの面々は、同族のあやかしを簡単に滅ぼしたりはしない。

 栄は、そう読んでいた。

 だから妖狐等は捕らわれているはずで、芦屋猛に使われているあやかしだといずれバレるだろう。


 栄が調べた範囲で判ったことは、神渡ビルの玖音はあやかしが人間に迷惑をかけることを良しとしない。

 可能な範囲での共存を目指している。

 ならば、妖狐を使って人間に害を及ぼそうとした芦屋家を敵と見做すに違いないと確信している。


 (正直、困ったことになった。あいつらが手出ししようとしても困難な状況を作ってから……と考えていたのだが……)


 兄の猛が急いだ気持ちは栄には判る。

 島克明の組織を手足にしたかったのだ。

 ターゲットとする政財界のお歴々と芦屋家が、直接接触せずに済むようにしたかったのだ。

 

 だが、急ぎすぎた。

 栄が藍睨果を動かすために必要な環境を整えつつあった今は、まだ動いて欲しくなかった。

 ツテのある大陸側の組織があちらこちらで騒動を起こし、巽総司のそばから霊峰と泰山娘娘を切り離した。

 あとは巽総司を呼び出す餌を用意しようとしている段階なのだ。


 (あと一月ひとつき……いや、二週間あれば巽総司を消せるかもしれないというのに……)


 仙人の巽総司さえ居なくなれば、例え玖音と言えども、芦屋家の総力をもってすれば勝てずとも負けない自信がある。あやかし退治を得意とする芦屋家ならば、負けない戦いが可能だと考えている。

 だから、最大の障害となる巽総司を排除するために、栄は神渡ビルの内情を探っていた。

 そして、巽総司と親しい人間やあやかしをピックアップし、あとは誰かを攫って誘き出す餌としようとしていたのだ。


 こうなってしまった以上、芦屋猛を狙ってくる日は近いだろう。栄自身も狙われるに違いない。

 

「藍睨果を動かしますので、兄上は犬神達を失わぬよう、ご自身を守ってください」

「あやつは動くのか?」

「何とか致しますのでお任せ下さい」


 猛との通話を切り、続けて藍睨果へ連絡をとる。

 

「栄ですけど、準備は宜しいですか?」


 単刀直入に事務的な問いをした栄に、気が進まないのが判る声で返事がある。


「……ああ」

「では明後日十九時に、多摩川大橋の下……蒲田側の河川敷にて」


 無言で通話は切れたが、スマホをジャケットの内側へ仕舞う栄には、藍睨果が約束を守る確信があった。

 霊峰や泰山娘娘を日本から離し、彼の動きも制限されている。

 栄の思い通りに動くよう周囲も固めてある。


 力関係だけを考えるなら、藍睨果が巽総司に負けるはずはない。

 だが、万が一というものはいつも存在する。


 藍睨果が負けた時のことを考えておかなければならない。


 (私や兄上の命を保つだけなら逃げれば済むこと。

 大陸でも欧州でも国外へ逃亡すればいい。

 だがそれでは、芦屋家の……いや、私の目的を放棄することになる。

 どうする……)


 最も望ましいのは、神渡ビル……玖音と栄が手を結ぶことだ。

 だが、それはまったく期待できない。


 あやかしの力を利用して権力を握ろうとしている芦屋家と、あやかしが人間に害を為さずに生きていけるように生活手段を提供している玖音とでは、あやかしの人間社会への接し方が全く異なる。


 力はとことん利用すべきと考える芦屋家と、共存に邪魔な力は使うべきではないと考える玖音。


 権力を掴んだら、あやかしの生活空間を用意すると交渉しても無駄だろう。

 人間は異質な存在を恐れる。その恐れを利用しようとしているのが芦屋家で、恐れられないようにと隠して慎重に力を使用する玖音。

 人間との軋轢が生じない環境が必要と考えている玖音にとって、あやかしだとバレなければ生活空間は既にあるのだ。


 いっそのこと、神渡ビルの面々はあやかしや仙人という人外ばかりと世間に知らしめると脅すか?


 いや、それも無駄だろう。

 人外の存在が、今の日本で現実的と受け入れられるとは思えない。

 せいぜい、ネット上のネタ程度でおしまい。

 そして話を流した側が変人扱いされる。

 もしも芦屋に関係しているという噂でも流れれば、数多くのネタウォッチャーに監視されてこちらの動きが制限される。

 

 そんなものたかが知れているのだから無視すればよい。

 そう考えたいところが、実際はそうはいかない。

 表向きの権力を握る者は、人気商売でもあるために芦屋家を遠ざけたがるだろう。

 芦屋家と対抗する手段を探すに決まっているのだ。

 日本国内国外問わず、芦屋家が作った権力へのルートを乗っ取ろうとする組織はある。

 それらといちいち対抗していては、頭数に不安が残る芦屋家という欠点が消耗につながる。


 やはり目的を果たすまでは、神渡ビル以外に面倒を抱えてはいられない。


 (今は、巽総司の排除だけを考えましょう。もうそれしかないのです)


 マンションの自室を出て、駐車場へ栄は歩き出した。

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