風香の恋
「総司……助けて!!」
仕事を終えて俺の部屋に来た風香が珍しく深刻な表情をしている。BAR薫風での相談事だろうが、こんなに切実そうな様子は初めてだ。多少のことでは弱音を素振りも見せない風香でも、こんなに困った様子を見せることがあるのかと正直おどろいた。
とにかくソファに座らせ、葉風と顔を見合わせてから事情を訊く。
「最近、痴漢冤罪の被害に遭った男性を助けたの……」
桜井哲也という二十八歳の男性が、痴漢の疑いをかけられた。本人は身に覚えがないが、数百万の示談金を支払わないなら裁判に訴えると脅されているという。
このままでは会社にもいずれ知られるだろう。
痴漢などしていないのだからと言っても、この手の疑いをかけられたらなかなか信じて貰えない。
信じてはいるだろうけれど、社会からの軋轢を避けるために遠ざけられる。一般的には職を失い社会的制裁という形で公に非難される。
風香は調べてみたそうだ。
その結果、桜井を脅しているのは、示談金目当ての組織的な犯行グループだった。痴漢冤罪詐欺だけでなく、当たり屋のようなこともしているタチの悪いグループだと判った。
事情さえ判れば、風香は容赦しない。
調査の過程で手に入れた証拠を持って、グループのうちの数名を警察へ突き出した。
突き出す前に、自分がおかしくなったのではないかと怖くなるような幻覚も見せ、とことん精神的に追い詰めておいたそうだ。警察で自白しないと命に関わるという強迫観念を持たせたらしい。
おかげで桜井への疑いも晴れ、一件落着となった……のだが……。
「その桜井って勘の良い男で、トラブルが解決したのは私が動いたからだと気付いたようなの」
「だけど、知らぬ存ぜぬで済ませているんだろう?」
「それは当然そうなの。だけど、毎晩通ってきて感謝してくるし……今夜も来ていたわ……」
んー、なんか風香の歯切れが悪い。いつもの彼女なら、その程度の客あしらいくらいそんなに難しいものじゃないだろうに。
いったい何が問題なんだ?
「放っておけばいいじゃないか。証拠はないんだし、ありがたく感謝されていればいい」
「……どうやら私のこと好きになってしまったようなの……」
チロッと上目遣いで照れたように風香が口にする。
頬も少し赤いようだ。
なるほど。
今回の相手は、風香も悪い気はしていないというわけだ。
そうでなければ「ありがとう」程度の言葉でかわしているはず。
「なんだ、風香も気になってるのか」
「どうやらそうみたいでさ」
乙女状態の風香なんて初めて見た。
やや俯いて上目遣いで俺と葉風を交互に見ている。
俺達がどんな様子で聞いているのか気になっているようだ。
霊力が高いあやかしは自由に外見を変えられる。
だが、意識せずに変化すると、元の状態……狐なら狐としての美的状況が人の姿にも反映される。
妲己の娘達は玖音を筆頭に美人タイプだ。もちろんそれぞれ個性があり、玖音はキリッとした表情だし、葉風は柔らかい。風香は気の強さが現れていて、美人でも近寄りがたいキツさを感じる。風凪には幼さがあり、性格の生真面目さはあまり感じられない。
朝凪からは避けられるタイプだけれどスタイルも良いから、人化した風香が人間男性に好かれても違和感はない。
これまでにも風香を気に入った人間男性は居た。
しかし、不老不死だからこその悩みは風香にもある。同じ時間の流れを生きていけないというのは大きな問題なんだ。だから、これまでは早めに距離を置くようにしてきたはずだ。
風香にとって、桜井という男性はなかなか手放しがたい相手なんだろう。
「あなたはどうしたいの?」
俺がどうしたらいいものかと考えていると、葉風が風香に問いかけた。
「それが困っているのよ。自分でもどうしたらいいのか判らなくて……」
「私達の事情を話す?」
風香は深く俯いて無言になった。
静かに見守っていると、顔を上げて口を開いた。
彼女の瞳にうっすらと涙があり、俺は気の効いたことなど何も言えそうにない。
「でも、きっと……上手く行くわけはないもの」
「気持ちを切り替えられないんでしょ?」
「それでも……やっぱり……」
うん、乙女だ、乙女風香になってる。
俺はあやかしの葉風とですら連れ添うことを悩んだ。
相手が人間なのだから、風香の悩みは俺とは異なる。
でも、今の辛さが何となく伝わってくる気がした。
風香が俺を頼ったのも、その辺に同じ感覚があるからじゃないだろうか?
俺を頼っても答えは出ない。
だけど、気持ちは理解し合えるんじゃないかと考えたんじゃないだろうか?
こんなに凹んでる姿を朝凪が見たら、これまでの仕返しとばかりに「風香さんも女の子なんすね」とか言いそうだ。あいつに知られないように気をつけよう。
とりあえず、寂しそうな風香を一人で部屋へ戻すのは、今の俺には無しだ。
「今夜はうちに泊まっていけよ。葉風と一緒に寝たら良い。俺はソファで横になるからさ」
葉風は立ち上がり、風香の肩を抱いた。
「今夜は姉妹で話しましょ」
葉風の胸に頭を寄せて、「ごめんね」とつぶやく声が聞こえた。
俺は聞こえないフリをして、ツマミになりそうな何かを探すために冷蔵庫の扉を開いた。
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