あやかし喰い
紫灯が来てから半年ほどが過ぎた。毎朝霊気を調整し、彼の癖が表に出ないようにしていたためか、特に問題なく過ごしているようだ。
最初は、恐る恐る接していた葉風も最近は朝風や他のあやかしと接している時と変わらない。
紫灯からも、お尻の匂いをかぎたくなる回数も減ってきたと聞く。
うん、良い感じだ。
紫灯は変な癖さえ出なければ、とても良い家政夫だ。
掃除はやり過ぎなくらい徹底しているし、洗濯も丁寧で、勉強中だという料理もレパートリーこそ少ないが満足できる内容。
修行と仕事、そして霊格を上げるためにあちらこちらへと赴いては、あやかしや人のトラブルを解決して歩き、忙しく過ごしている俺と葉風の留守を安心して任せられる。
毎月、何度か来る泰山娘娘用のスイーツの買い出しもやってくれて、俺はとにかく助かっている。
元が樹木の精なためか、ニセウは木々の茂っている場所へ行きたがる。
それも公園では落ち着かないらしく、長い年月を経ている森林へ行きたがる。
ビルでは、人にもあやかしにも可愛がられているので、不満があるわけではないようだが、やはり元が元だからね。だから、だいたい十日に一度くらいの頻度で、紫灯と共に東京近隣の山へ遊びに行っている。
移動用のケージで電車に乗って移動するのだが、窓から見える世間が興味深いそうだ。
姿こそ黒ブチの子猫だが、中身は数百年以上生きている精霊。
だが、摩周湖湖畔で見聞きしたこと以外はまったく判らない。
紫灯とともに、現世社会を勉強している。
五月、出かけた先の森でナラの木から伝えられた情報をニセウは持ち帰ってきた。
「……今日は高尾山に行ってきたのですが、そこでニセウが……」
夕食を終えた後、居間で紫灯が口を開いた。
葉風の膝に乗るニセウが顔を上げて俺を見る。
『あそこでもあやかしが喰われているらしい。摩周湖と同じように……』
どうやら動物系のあやかしを喰うあやかしが東京近辺にも居るとのこと。
高尾山の樹木によると、毎夜やってきて餌を探し回っているようだ。
「実は僕も玖音様を頼ったのは、同じ理由からなんです」
紫灯は秋田県にある山で生活していたらしいのだが、やはりあやかし喰いが現れたので逃げて来たのだという。
以前から神渡ビルのことは耳にしていて、この際だからと玖音を頼って新宿まで出てきたとのこと。
「……そうか。この分だと日本中で出現してるのかもしれないな」
ニセウと紫灯の話から、あやかし喰いは動物系のあやかしを喰っているのは確かだ。
植物系の精霊は、樹齢が数百年の樹木であれば生じる可能性が高い。しかし、通常数十年の命しかもたない動物であやかしになるのは圧倒的に少ない。
以前に玖音と話したことがあるのだが、全てのあやかしを数えても日本全国で十万は居ないだろう。その中には天狗や河童などの人間系が多く含まれ、樹木系も居る。動物系となるとそんなに多いはずはない。
その動物系を狙って喰っているのだから、各地を回っているのだろう。
では何故動物系だけを喰っているのかだ。
そういう嗜好のあやかしなのかもしれないし、他に理由があるのかもしれない。
ニセウと紫灯の話からは、あやかし喰いがどのようなあやかしなのかまでは判らない。
「対応するには難しい話ですね。動物系のあやかしを捕食するあやかしが生まれたのだとすると、一概に問題視もできません。食用動物を食べる人間みたいなものですから」
紫灯の淹れてくれたお茶を口にしながら、葉風は神妙な面持ちをする。
確かに、食物連鎖の一枠だと考えれば、あやかし喰いを問題視しては危険だ。
人間もあやかしも、他者の命を取り入れる生命だ。そのことを悪とするなら、この世の生き物の多くが悪とされなければならなくなる。
だが、このペースであやかしを喰っていったら、もともと数が多くない動物系のあやかしは日本から消えるだろう。
その場合、その後はどうするのか?
他の国へ渡っていくのか?
人間や別種のあやかしまで喰おうとするのか?
喰わなければ命を失うのか?
いろいろと考え、眉間に皺を寄せている俺を葉風も紫灯達もジッと見ている。
ニセウは身を固めて、紫灯は不安げな表情で、葉風は困っているようにに見ている。
あ、心配させてしまったか。
これはまずい。
「今すぐどうこうできることはないな。でも、あやかしの社会が壊れるようなら何とかしなくてはならないだろう。玖音に相談してみるか……といっても、既に何か考えているんだろうが」
嫁があやかしだから無関係とは思わないが、やはり俺は仙人だ。部外者ではないとしても、命に関することだから容易く関与できない。俺一人の考えで動くには難しい。
無論、神渡ビルの仲間に危害が加えられそうなら話は別だ。
家族や仲間にリスクがある状態が続くなど耐えられそうもない。
あやかしと仙人という違いなどどうでもよいからな。
「お前達に危険が迫りそうなら、玖音様が何も指示してこなくても俺は出る。心配するな」
ニッコリと笑顔を作り、できるだけ柔らかい物言いに努めた。
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