紫灯の癖

 新たな部屋への引っ越し準備していると、紫灯しとうがやってきた。

 

「はじめまして。紫灯と言います。玖音様から総司様と葉風様のお手伝いするよう言いつかって参りました」


 紫灯について語ったとき玖音の様子はおかしかった。だから構えていたのだが、見たところ特におかしな様子はない。朝凪のように「っす」などという語尾もなく、ごく普通に話す。中肉中背で髪はやや茶が入っている。だが、派手さも違和感もない。幼さがやや残る二十代前半の男性といった外見で、態度も真面目そうだ。


「ああ、玖音様から聞いている。これから宜しく頼む」

「紫灯、宜しくね」


 俺と葉風はにこやかに挨拶した。紫灯は近づいてきて俺達それぞれと笑顔で握手する。

 しかし、あの玖音が言いづらそうにしていた何かがあるはずだ。

 微笑みながらも注意深く紫灯を観察する。


 だが、やはり問題があるようには見えない。

 ……ということは、キャラに問題があるのか?


「俺達は、引っ越しの準備をしているんだ。手伝ってくれるか?」

「はい、もちろんです」

「じゃあ、この階の端南側の部屋へ、この辺りの荷物を運んでくれ」


 まとめ終えた荷物を指さして頼んだ。

 紫灯は早速、荷物をもって部屋を出て行った。


「おかしなところはないよな?」

「ええ、でも、姉さんが……」

「……そうだな」


 葉風の目にも不安が感じられる。

 俺と同じく玖音の態度を思い出しているのだろう。

 

「……とにかく、今は荷物をまとめよう。今日中に済ませてしまいたいからな」


 「そうね」と返事し、葉風は自室へ戻った。

 男の俺の荷物などたかが知れている。

 女の葉風の方が多くの荷物がある。

 紫灯を見るために俺の部屋に居たが、これから本格的に自分の引っ越し準備を始めるのだ。


・・・・・

・・・


 葉風と俺の新たな部屋へ荷物を運び終え、あとは毎日少しずつ片付ければいいだろうと、紫灯を入れた三名で夕食へ行った。神渡ビルで働く者は、あやかしでも人間でも十二階にある社員用食堂で格安で食事できる。ラーメンやカレーなら二百円以内で、百五十グラムのステーキでも六百円程度で食べられる。


 社食以外で食べても良かったのだが、十一階の飲食階は一般客でいつも混んでいる。引っ越し程度で疲れているわけじゃなかったが、のんびり食べるなら社食の方がいいということになったんだ。


 食事を終えて、荷物を運び入れた部屋へ三名で戻り、今日のところはお疲れ様と紫灯と別れ、俺と葉風も早めに眠りに就いた。


 翌朝、意識はあるが、まだ目を閉じたままベッドでグダグダしていた。

 

「キャッ!」


 葉風の驚いた声に、ベッドから抜け出して声のした風呂場の方へ向かう。


「どうした?」


 脱衣場の片隅に置かれた洗濯機の前には、紫灯が居た。葉風は紫灯を見て固まった様子。


 休みじゃなければ、既に朝食を済ませて仕事の準備をしていてもおかしくない時刻。

 以前の朝凪もそうだったが、家政夫役を務めてくれる者が仕事のために俺達の部屋に居てもおかしくない。

 葉風もそれはよく判っているはずだから、紫灯が居ても驚くはずはない。


 では何に驚いたのか? 

 紫灯から目を離さず無言のままの葉風に訊くより、本人に聞いたほうがいいだろう。


「紫灯、何かあったのか?」


 困った表情の紫灯が背後に回していた手を前に出す。


「ん? 下着……洗濯しようとしていたのか?」


 下着を持った手を降ろし、気まずそうに上目使いで紫灯は答えた。


「ええ、そうなんですけど……」

「パンツを顔に押しあててたの……」

「はぁ?」


 紫灯に続いた葉風の言葉に俺は驚いた。


「あの……すみません……」


 紫灯はしょげている。

 

 んー、紫灯は使用済み下着フェチか何かの変態さんなのか?


 いや、変態さんなら、玖音が怒るだろうし紹介もしないだろう。

 言いづらそうではあったが、紫灯を紹介した時の玖音には、ちょっと困ったところがある程度の空気しかなかった。


「何をしようとしていたのか、きちんと説明してくれるか?」


 とりあえず手にした下着を洗濯槽に入れさせ、居間で説明を聞くことにした。


 狐だった時、紫灯は親や兄弟と離れて犬と一緒に育ったのだそうだ。

 犬は親しい相手のお尻の匂いを嗅いで、相手の情報を知ろうとする。犬のお尻には肛門腺こうもんせんという分泌組織があり、そこの匂いを嗅いで相手を特定したり、体調を知る。


 紫灯も一緒に暮らした犬と同じように匂いを嗅ぐ習慣を身につけたとのこと。

 その習慣というか癖は妖狐になった今もあり、治っていないという。


 さすがに、俺や葉風のお尻に顔を直接あてるわけにもいかず、下着の匂いをつい嗅いでしまったということらしい。  


「なぁ? もしかして、玖音様のところでもそれやったのか?」

「……はい」


 これで玖音のちょっと挙動不審めいた態度の理由が判った。

 紫灯の癖を聞いて叱っただろうが、忙しい玖音は身近にずっと置いて躾けるわけにもいかない。

 そこで俺達のところで躾けさせようというのだろう。


「やったら叱られるというのは判ってるんだな?」

「……はい……」

「それでも我慢できずにやってしまうと?」

「……ごめんなさい」

「治そうという気持ちはあるのか?」

「……あります……でも落ち着かなくなってしまって、つい……」


 かなりしょげている態度から、治そうと思っているのは伝わってくる。


 気持ちは悪いが、匂いを嗅ぐだけだからなぁ。

 んー、葉風のは絶対に止めさせて、俺のだけで我慢させる?

 いやいや、俺だって嫌だ。


 横の葉風を見ると、複雑な表情をしている。

 怒っているところと、恥ずかしがってるところが表に出ている。


 まぁ、そうだろうな。

 さて、どうしたものか……。

 玖音から預けられたのだから、気持ち悪いからもう来るなとは言いづらい。


「本気で治したいんだな?」

「……できることなら治したいんです」

「判った。じゃあ、匂いを嗅ぎたくなったら、俺のところへ来い。おまえの霊気の流れを滞らせる」


 紫灯は恐る恐る訊いてくる。


「そうするとどうなるんですか?」

「一時的だが気力と体力が一気に減る。あやかしならそうならざるを得ない」

「匂いを嗅ぐ力がなくなるということでしょうか?」

「まぁそうなるだろうな。それを繰り返して、おまえの癖を治していこう」


 習慣には習慣で対抗しようと思ったのだ。

 匂いを嗅ぐと安心するなら、匂いを嗅ごうとすると心身ともに疲労するようになれば、多少は改善されるのではないだろうか?


「判りました。宜しくお願いします」

「ああ、気長に治していこう。葉風もそれでいいか?」


 横を見ると、いつの間にかニセウを膝に置き、その背を撫でながら気を落ち着かせようとしている。


「姉さんから預かったんだもの、できるだけのことはしなくちゃいけないわね」


 まだ嫌そうな空気を感じるけれど、葉風も俺同様に玖音から頼まれたのだからと諦めていそうだ。


「しばらく様子を見てみよう。俺にできることはやるからさ?」


 家政夫役の患者が増えた。

 まぁ毎朝、葉風の機嫌が悪くならないようにするためでもある。

 ……仕方ないよな。

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