第二部

再始動する双方

鎌倉、芦屋家

 鎌倉の芦屋家、和風の広い居間で、長男の猛と栄の二人が杯を片手に話し合っている。


「巽総司のことは私に任せ、兄上は計画を急がねばなりません」


 周囲に十人は座れそうな座卓に杯を置き、白い陶磁でできた急須のような酒器しゅきから、栄は自分と猛の杯に酒を注ぐ。


「そうだな。しかし、無念だ。強の仇を討ってやれなかったか……」


 猛は苦苦しく吐く。


「ええ、ですが、藍睨果らんげいかも、巽総司の師父である峰霊とは顔を合せたくはないとのこと。こちらが不利なのは否めません」


 栄も悔しそうに唇を噛んだ。


「……その藍睨果だが、相変わらずなのか?」


 藍睨果という名を聞いた猛は、あきれ顔に変わる。


「ええ、仕方ありませんよ。情報を貰うかわりに日本では好きにしてよいという約束ですので」


 栄は兄に苦笑する。


「しかし、見境なく女をはべらせて酒を飲んでいるだけというではないか」

「その性格だからこそ、やっと気仙にまでなったのに神仙への道を諦めて崑崙から出たのです。おかげでこちらは巽総司の情報を手に入れられた。彼が居なければ、打つ手を考えることもできませんでした」


 諦めた表情で栄は杯を口に運んだ。


「だがな、芦屋の名で遊び歩いていることは、本家の耳にもいずれ入る」


 猛は手にした杯を睨む。


「本家など、我らの計画が上手くいきさえすれば口出しなどせぬでしょう」

「だがな? 美味しいところを持って行かれぬようにせねばならん。そのために、口を挟んでこられぬようにしておかねばならん」

「今や名ばかりで力も持たぬ本家に、そこまで気を使う必要などありますまい。兄上は堅いのです。本家の持つコネは手に入れたのですから、いっそのこと……」

「栄! 今はまだ抑えよ」


 栄を睨む猛が下ろした杯が座卓を叩く音が響く。


「申し訳ありません。少し酔いが回ったようで、口が滑りました」


 栄はハッと我に返り、猛に頭を下げた。


「気をつけよ。藍睨果と巽総司はおまえに任せる」

「はい。それで兄上のほうは?」


 酒器から酒を注いだ杯を猛は口に運ぶ。


「こちらは順調だ。ぬえを失ったのは痛かった。だが、邪妖じゃようどもに弱いあやかしを喰わせ、それなりに育ってきている。この分ならばあと二年もすれば良い手駒となろう」

「邪妖は何体?」

「悪狐二体、犬神三体というところだな」

「悪狐二体はともかく、犬神三体は多いのではないですか?」


 悪狐は通力を使い、破壊に利用する。同じことは陰陽師が使う呪術でもできる。だから二体で構わない。

 一方の犬神は、人に憑依して心身の病を引き起こす。陰陽師や術師が犬神を祓って治す。憑依した犬神の霊力が弱ければ、芦屋の者でなくとも祓える。それを防ぐために猛が育てている。


 だが、契約で使役できる悪狐と異なり、犬神は幽のあやかしで、猛の式神として使役しなければならない。

 強い力を持つ幽のあやかしを式神とするには、術者にも強い霊力が必要となる。強い式神を複数抱えるとなれば、高い霊力が求められる。


 霊力を高めるために、猛が厳しい修行を当主となった今も続けていることは栄も知っている。しかし、強い力を持つ式神を常時複数抱えるなら、安倍晴明や芦屋道満とまではいかなくても相当高い能力が必要だ。


 兄弟でもっとも霊力の高い栄でも三体の力ある犬神を抱えるのは少しキツい。猛は無理をしていると栄は感じた。


「なにも問題はない。三体同時に動かすのはキツいが一体ずつ動かすからな」

「ならば、一体だけでも良いではないですか?」

「鵺のことがあるからな。一体を失ってから次を育てるのは時間がかかりすぎる」

「それはそうですが、ご無理をなさらぬように」


 (国の中枢を思うがままに操れるようになるまでは、兄上に頑張っていただかなくてはならんからな)


 国を動かす影響力を裏の世界から持つ。

 それが猛と栄の目的。

 その目的が達成されるまでは、兄弟で力を合わせる。


 だが、どのように影響力を行使するかについては、栄の考えは猛とは異なる。

 猛は、芦屋家の力を裏の世界に認めさせれば良い。


 しかし栄は、日本の体制そのものを変えるつもりでいる。

 金と権力を持つ者が、我が物顔に大きな顔をしている体制を変えるつもりでいる。

 

 幼き頃、事故に巻き込まれて母を失った。

 その事故は、体制側の利権構造によるものだった。


 利権のために、能力のない企業が談合受注した工事による事故。

 後の生活は保障された上で、スケープゴートにされた中堅職員。

 失った者に見合わない賠償。


 こんなことが許される体制など壊してやると、成人し、事故の裏を調べた栄は誓った。


 さほど裕福ではない家の活動資金を集めるため、非合法な手段も使う。

 大いなる目的のためにと、汚い仕事も請け負う。

 そうして猛が各界に入り込むためのコネを作り、栄は家人や式神を育ててきた。 


 中枢周辺には影響力を持つことができた。そろそろ次の段階に移ろうとしている。

 ここで猛を失うわけにはいかない。

 そのためには……。


 (やはり巽総司を何とかしなくてはいけないようですね)


 神渡ビルも目障りだ。

 だが、巽総司が居なければ、栄は無視できる。

 藍睨果によると、玖音の目的は殺生石の回収と浄化だという。

 二次的な目的で、玖音を頼ってきたあやかしの生活を守っている。


 たまに栄の仕事の邪魔になることはあっても、大きな問題ではない。

 つよしを失ったときのように、巽総司が問題だ。

 猛が育てているあやかしを退治されては困る。

 栄の式神を失うのは大問題だ。


 (殺生石が弱みだとしても、こちらも集めようとすれば、ぶつかる機会が増える。巽総司は藍睨果に相手させたほうが良いでしょう。気仙の藍睨果ならば勝てる。それはそれで苦労しそうですが……)


 今もどこかで酒を浴び、お気に入りの女をはべらせて悦にいっているだろう気仙の顔を思い出し、栄はどう動かせば良いのか考えていた。

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