藍睨果(らんげいか)

 山中湖から富士山の反対側の奥へ入ったところに、芦屋家が購入した一軒の家がある。

 跡継ぎが居なくて廃業した小さな旅館。

 そこに藍睨果は滞在している。

 人間かあやかしかは問わず綺麗どころを三~四人はべらせて、毎夜宴会を楽しんでいた。


 一見すると、金持ちの日本人男性が羽振りよく騒いでいるようにしか見えない。

 だが、その瞳には特徴がある。

 銀色なのだ。

 

 笑みを途絶えさせない銀の瞳は、酒を注ぎ、しなだれかかる女性に向けられている。

 

「はっはっは、やはり現世はいい。仙人となり不老不死となろうとも、崑崙で修行に明け暮れる日々では何を楽しみにすれば良いというのか」


 藍睨果の腕を抱き、肩に頬寄せていた若い女性が顔をあげ、キョトンとした表情で訊く。


「睨果さま、どういうことですの?」


 女性の上げられた頭を抱きニヤリと笑う。


「独り言だ、気にしなくて良い。それよりもっと歌え、騒げ、酒を注げ!」


 元は宴会場だった広間の上座で胡座をかき、藍睨果は隣の女性から杯に酒を注がれながら叫ぶ。


「今夜もお楽しみのようですね」


 襖をスッとあけて芦屋栄が微笑みながら入ってきた。


「おお、栄さんか、よく来たな。どうだ、共に飲み明かさぬか?」


 栄は誘いには応えず、苦笑しながら眼前に正座した。

 藍睨果は栄の態度に首を横に振り、隣の女性に杯を渡すよう伝える。

 杯を受け取った栄に、二合徳利を差し出し傾けて酒を注いだ。


「相変わらず堅いなぁ。もっと人生を楽しまねば損だぞ?」

「性分なので、いかんともし難いのですよ」


 酒が注がれた杯を口に寄せつつ栄は答える。


「それで今日は何か用で来たのだろう?」

「ええ、巽総司を討っていただきたい」

「……それは最初に断ったはずだ」


 藍睨果から笑みが消える。そして女性達に別室で待つよう伝えた。

 言われたとおりに女性達が一人また一人と立ち去る。

 微笑みを絶やさずに栄はその様子を見送った。


「今日は夜叉ヤクシーが一人、人間が三名ですか」

「ああ、あやかしは仙人の精気が目的でな。こちらから誘わなくてもねやを共にできる。それではつまらんではないか」


 視線を藍睨果へ戻し、栄は杯に口をつける。


「それでも一人は置いている」

「独り寝は寂しいだろう? 人間の女性達に振られた時の保険だよ」


 藍睨果は手酌で杯に酒を注いだ。

 そのままグイッと飲み干し、銀の瞳を栄に移す。


「何度言われても、直接は動かないぞ」

「崑崙へ連絡をつける手段がある……と言ってもですか?」

「……ほう。俺を売ろうというのか?」

「残念ながら、私どもでは巽総司を倒せそうもありません。しかし、彼は邪魔なのですよ」


 視線を合わせたまま藍睨果は表情を変えない。


「……霊峰が出てきたら、いや、泰山娘娘が出てきてもだが、俺の力など役にたたんぞ」

「そうならないよう、こちらも手を打ちますよ」

「どうやってだ?」


 杯を目の前のテーブルに置き、藍は首を傾げて栄に訊いた。


「大陸で揉め事を起こします。あやかしを使えば、崑崙は動くでしょう?」

「考えたな。……崑崙の膝元であやかしが騒動を起こせば……」

「ええ、泰山娘娘はこちらへ来られない。騒ぎが大きくなれば霊峰も向こうから離れられないでしょう」


 藍は視線を宙に射し、少しの間唇を堅く閉める。その後、蔑みを乗せた言葉を放つ。


「ふん! 俺を崑崙へ売ると脅す奴が、崑崙の事情を利用するのか。これだから人という奴は……」

「使えるモノは何でも利用しませんとね。弱者は知恵を使って動くのですよ」

「……だが、お前達の仕業だとバレたら、崑崙から報復されるが……それはいいのか? 俺は逃げるだけだが」


 「巽総司などよりも強い仙人が来るだろうよ」と藍は付け加える。


「崑崙は、明確な証拠がなければ人間相手に動かないと聞きます」

「証拠を残すようなヘマはしないということか」

「ええ、相手は崑崙です。私どもだけでなく……邪魔に感じている組織は多いですしね」


 栄は藍から視線を外さずに口の端を片側あげる。


「……」

「短い間とはいえ、共に修行した巽を殺すのは抵抗がありますか?」

「……」

「お気持ちが判らないわけではありませんが、あなたもそろそろ覚悟されたら宜しいかと」

「どういう意味だ」

 

 どのように変化へんげしても変わらない銀の瞳に鋭さを増した視線を栄に向けた。


「巽総司の情報を私達に伝えた事実がある以上、単なる崑崙からの脱落者のままではいられない」

「!?」

「神渡ビルでも崑崙でもどこでも構いませんが、あなたの行動を伝えた時点で追われるのですよ」

「……最初から取り込むつもりであったか」


 藍は杯を持つ手を膝上に置き、眉間に皺を寄せ険しい表情に変わった。


「本来なら巽総司相手ではなく、崑崙の横やりに対抗するためでしたがね。もったいない駒ですが、仕方ありません」

「おまえを殺し、逃げるという手もあるのだが……。ふん、他からも情報が流れれば同じということか……」

「当然です。何も対抗手段を用意せずに一人でここに来るような真似はしません」


 再び、杯に口をつけグイッと飲み干し、テーブルにタンっと置く。


「おまえのことだ。俺が引き受けなくとも、崑崙から抜けた仙人を他にも……」

「交渉中です。駒は多い方がよいですから」


 さも当然と言わんばかりに栄は微笑む。


「……そんなことをしていると、崑崙だけでなく……」

「まだお判りにならないか? 私どもだけで動いているわけではないのですよ」

「……そうか、大陸で騒動を起こせるのだから……」

「ご理解いただけたようでありがたい」


 藍睨果の逃げ道を防いだ栄は杯から酒を口に含む。


「一つ言っておく。巽総司にはあいつならではの弱点もあるが、他の仙人にはない強みもある。仙としての格が上の俺でも必ず倒せるとは思わんことだ」

「随分弱気ですね」

「通常、人としての限界を知り、人を捨てて仙となる。その後に仙としての修行で力と格を高める。だが、巽総司は違う」

「それは?」

「捨てるはずの肉体を霊気に変えて霊核を作り尸解したせいで、あいつの弱点はいまだに解消されていない。それはあいつの今の限界を決めているものだ。だが同時に、人の持つ可能性があいつの霊核には刻まれているのだ」

「よく判りませんね」

「いいか? 多くのことを積み重ねなければ仙人は上へは行けない。仙人の力に上限はないが、急に強くなるものではない」

「あなたが崑崙から逃げた理由ですものね」


 栄の皮肉に一瞬顔を曇らせる。フッと息を吐き続いて口を開いた。


「だが、人は違う。きっかけ一つで急激な変化が生じることがある」

「その可能性が巽に?」

「あいつの師父が……霊峰が言っていたよ。成長速度が並みではないと。その理由は霊核にあるとな」


 藍睨果の話は好ましくない情報と知り、栄の表情から浮ついた様子が消える。


「そういうことでしたら、なおさら早めに倒しておかないといけませんね」

「とにかくだ。あいつを舐めないことだ。……どうやら逃げ道は塞がれているようだから、仕事は引き受けてやろう。もう一度言っておくが、必ず倒せるわけではない。成功しそうになければ逃げる。どのみち俺の存在が向こうに知られるのだから、崑崙を相手にするのは決まったようなものだしな。……覚えておけ」

「判りました。では、決行日は後日お伝えしますので、宜しくお願いいたします」


 杯をテーブルに置き、栄は立ち上がる。


「仕事しやすい状況を用意しておいてくれ」

「ええ、あなたを失わないようにしますよ。……仙人のあてはありますが、多くはないのでね」


 無礼と感じさせる横柄な態度で藍睨果を見下ろす。

 杯を口に運び、上目遣いで面白く無さそうに藍は口端をあげた。


 栄が去ると、別室に居た女性達が戻ってきた。

 笑顔を作り、女性の一人を抱きかかえる。


 (巽総司か……こんなことになろうとはな……)

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