最終日前夜

 道南、道央と有名観光地を少し観ただけでレンタカーで通過する。

 四日ほどで回り、道東へ向かった。


 道東へは鉄道を利用しての旅。

 車窓から見える初冬の景色は、広葉樹の葉もだいぶ落ち少し寂しい感じを受けた。だが、澄んだ空気のおかげで清々しい空を広く見渡せ、これはこれで落ち着いた気持ちになる。


 葉風が行きたかったのは摩周湖だったから、宿泊は屈斜路湖と摩周湖の間にある温泉旅館に決めた。


「神の子池を観てみたかったの」


 この池は、アイヌ語で神の湖を意味する名の摩周湖カムイトーからの伏流水が溜まってできたと言われていた。しかし最近の調査の結果、水源は摩周湖からのものではないと判っている。


 そう考えると夢のない話と思われるかもしれない。

 だが、そうではない。


 南東には神の山の意味を持つカムイヌプリがあり、この辺りは聖なる地域とアイヌには考えられていたように思う。

 そのような話を知らなくても、周辺にある展望台を一通り巡り、カルデラ湖であるため山々に囲まれた湖や、摩周ブルーと呼ばれる独特の青い湖水を眺めていると、不思議と厳かな気持ちになる。


 このような雰囲気のある地域に、冷たい水を溜めたコバルトブルーで静かな湖面の美しい池があるのだ。

 摩周湖の水を水源にしていないとしても、神の子池の神秘性が損なわれることはない。


 最寄りの駅からは十キロ少々離れたところにあり、十月を過ぎると車での出入りは禁止されているという。もう十一月になるから徒歩で行くしかない。

 だが、俺と葉風にとっては何ということもない距離だ。十キロちょっとなら、一般的に、徒歩でも三時間もかからずに行ける。俺達なら二時間くらいというところか。人間には寒い時期だろうが俺達には関係ない。周囲の目があるから、一応防寒着は着ているけどな。

 だから、景色を楽しみながらのんびりと向かえばいい。

 

 到着した日は展望台の一つから摩周湖を観て、翌日、朝から神の子池へ向かうことにした。


「どうして神の子池を観たいんだ?」


 広葉樹はほとんど落ち、残った葉も茶色く変わっていた。針葉樹の濃い緑と、木々の合間から見えるまだ茶色の地肌。三日月が細く光り、遠くには摩周湖外縁の山々の影が見える。

 夕食を終え温泉に入ったあと、窓際のスペース……広縁ひろえんに置かれたテーブルを挟んで椅子に座り、冬が近づいた緊張感ある景色を観ていた。 


「私達は日本と中国の神様と付き合いがあるでしょ?」

「そこそこの……だけどね」


 白地が多い浴衣姿で湯飲みを片手に窓の外を葉風は眺めていた。湯上がりで艶があるブラウンの長い髪を肩から前に流している。まだ蒸気している表情は落ち着いていた。


「北海道にも神様が居る」

「アイヌの神様……カムイだったかな?」


 観光ガイドで覚えた知識で答えた。


「そう。神の子池に行けば会えるわけじゃないけれど、霊力は感じることはできそうな気がして」

「ふむ」

「殺生石を回収するために北海道へ来ることもあるでしょ?」

「可能性はあるね」


 そりゃあるだろう。殺生石の回収にきた葉風と初めて会ったのも北海道だ。これから新たな石が見つからないとは限らない。


「その時のために、”騒がしいこともあるかもしれないけれど”とアイヌの神様にもお許しを願っておこうと思ってね」

「それだけか?」


 窓から俺に視線を移した。そして


「私達の安全もお願いするの」

「……まだトラウマから脱していない俺が言うのもなんだけど……心配するな。神渡ビルへ戻ったら、葉風にも協力して貰うことになるが、地仙を目指して修行するから」

「修行?」 

「ああ、トラウマはともかく、身体が動けなくなるほどの症状が、二十年過ぎても残っているのは不思議だった。だから、師父に相談したんだ」


 人間ならばPTSD症状が残ることもあるだろう。だが、人間でも数ヶ月で多くの場合は症状が軽くなる。なのに何故、仙人となった俺に症状が軽くもならずに残っているのか? 

 それが不思議だったのだ。


「それで、峰霊師父はなんと?」

「仙人になるための修行など全然積んでいなかったから、尸解では本来は残す遺体を霊気化して、玖音は俺を尸解仙にした」

「ええ、総司の霊気は乏しかったから、玖音姉さんが通力で尸解させるにはどうしても遺体が必要だった」

「そうだ。その普通とは異なる尸解のおかげで、俺は仙人になれた。だけど同時に、遺体が持つ情報も仙人になったあとの俺に残った」


 仙人の成長は霊力と霊格を高めていく。だが。霊格があがるまで身体は成長しない。尸解仙になったときのままだ。だから身体を変えろと霊峰師父は言った。


「どうにかできるの?」

「格があがる際、仙人はその身体を構成する霊気の純度が高くなる。つまり、尸解仙の時の身体とは異なる」

「霊力だけが強くなるあやかしとは違うのね」

「そうだ。師父は、尸解仙になる際に生まれた身体を変えろと……早く地仙になれと言われた」

「時間がかかりそうね」


 そう。霊格は霊力をあげるよりずっと時間がかかる。


「今までのままならな」

「何をするつもりなの?」


 心配というほどではないが、葉風の黒い瞳に疑問の色が浮かんでいる。


「師父は、地仙になるために必要な霊力は既にあると言われた。霊格もさほど時間かからないだろうと。だから……」

「だから?」

「新宿でのトラブル処理だけでなく、日本の各地で起きている霊障やあやかしによる被害を解決する」

「これまで以上に積極的に善行を積むのね」


 大きく頷いて話を続ける。


「そういうことだ。神仙の師父が言うのだから、そう時間かからずに地仙になれるさ。しばらくは霊格をあげることに集中する。……だから心配するな」

「わかったわ。どこへでも一緒に行くから……」

「頼む。力を貸してくれ」


 葉風の通力は、俺にできない多くのことを可能にする。移動一つにしても、日本全国を考えると、空歩術を使える葉風が居なければ不便。

 あやかしの退治でもそうだ。近距離での戦いなら俺で対応はできるだろうが、通力を使ってくるあやかし相手なら葉風に頼らなければならない機会が増えるだろう。

 そして、気持ちを強くもって事に当たらなければならないときは、葉風の存在が俺の支えになる。


「もちろんよ。私を妻にしたことを幸運だと思い知るわよ」

「あっはっは、もう思ってるさ」

「もっとよ。天狐の葉風を妻に持って誇りに感じてね」

「判ってるよ」


 胸を張って自慢げな様子に苦笑した。


「さ、それじゃそろそろ寝ましょうか。旅行最後の夜ですからね……」


 椅子から立ち上がり、俺に手を差し出してきた。

 心強い妻の手を握って「お手柔らかに」と言い、既に敷かれた布団へ並んで向かった。


 妖狐と仙人だけど新婚らしくイチャラブして過ごしてもいいよな?



 

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