妲己の想い

 神渡ビルの屋上で、風香から殺生石を受け取った玖音は、神社の前に作られた簡易な祭壇に乗せた。


 疲れて屋上の端に座り込んでいる俺は、葉風の通力で怪我を治療して貰っている。傷口を通力を使って塞ぎ、霊気を送り込んでもらえば、あとは自力で回復する。今回は霊気が乱れている中での怪我だから、全快には二日ほどかかるだろう。気を練ることさえできれば、トレーナーの仕事はできるから問題はない。


 葉風から送られる霊気が優しくて温かく、とても気持ちがいい。

 しかし、結婚すると決めた日に連れ合いの世話になるとは不覚。

 それ以上に、葉風が見ている前で師父の世話になったのは痛恨の極みだ。

 やはり、好きな女の前では格好いい男でいたいからな。


 目を祭壇のほうに向けると、浄化の儀が行われている。


「葉風、そろそろあちらへ行こう」

「大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう。暴れなければ問題ないよ」


 俺達は立ち上がり、祭壇に両手を向け通力を使って殺生石を浄化している玖音の背後へと歩いて行った。


 殺生石の見た目は、やや緑がかっている緑色岩りょくしょくがんという石のよう。霊気を発していなければ、河原で見かけても特に違和感を感じるようなものではない。


 その殺生石が、玖音の通力によって祭壇の上で淡く光っている。

 殺生石に含まれる霊気を通力で吸いあげ、含まれている悪意を消し去るのが浄化だ。玖音によると、このお務めで使用する通力には大量の霊気、それも清い霊気が必要となるらしい。このために日頃から神渡ビル屋上の稲荷神社へ霊気を集めていると説明してくれた。


 通力を使う玖音の身体は強く輝いている。

 銀色の髪がユラユラと揺れ、しかと見据えられた金色の瞳は鋭く、身体全体から青白い光を強く放っていた。日頃から、霊格の違いを感じさせている玖音は波動を放ち、近寄りがたい厳かさを感じさせている。


 殺生石の光は徐々に強くなり、石の中から灰色の煙が宙に塊りだす。その塊は時間の経過と共に大きくなり霊気を吸われる殺生石の光は徐々に弱くなっていく。


 そして殺生石が光らなくなったとき、祭壇上で塊となった煙の中から声が聞こえた。女性の声、多分、殺生石となったあやかしの声。


『何故? 私の夫と子ども達が殺されなければならないの?』

『この子達だけは守らなければ……』


 玖音と葉風が「お母さま……」とつぶやき、風香と風凪は玖音のすぐ後ろまで近づきぺたんと腰を下ろす。

 どうやら玖音達の母、妲己の声だったようだ。


 その声は、夫である野狐と子ども達の半数を、毛並みが良いという理由で猟師に殺されたらしい様子を嘆いていた。残った子ども達とは玖音、葉風、風香、風凪の四匹の狐。まだ野狐に過ぎなかった妲己は、子ども達を守るために山奥へこもり、子ども達が自立できるまで育てようと誓いも語っていた。


 子ども達はそれぞれ一人で餌を取り、人から隠れて生きるすべを身につけた。子ども達の成長を喜ぶ親の気持ちを語った。だが、妲己は夫と子ども達を殺された恨みを忘れられずに苦しみ。その強い恨みが妲己の霊力を高め、地狐の霊格まで引き上げたことに戸惑っていた。


 地狐となり変化へんげできるようになった妲己は子ども達と別れを決めた。そして人を陥れ、襲い、殺し、恨みを晴らしたと、そして霊力を高めて九尾を持つまでなったと驚いていた。だが、殺しても殺しても妲己の恨みは晴れないまま……。


『人が楽しみのために生き物わたしたちを殺すというのなら、私も私の楽しみのために……』

 

 煙の中から聞こえた声は、この言葉を最後に止まる。そして煙は薄れていき、やがて空気に混ざって消えていった。

 俺もだが、玖音達も無言のまま静かにその様子を見守っているだけだった。



「どうやら今回の殺生石は妲己のものだったようだな」


 泰山娘娘の声。

 後ろを振り返ると、泰山娘娘、峰霊、荼枳尼、そして神渡ビルで働くあやかし達が並んでいた。妲己の声に聞きいっていて玖音でさえも気付かなかったようだ。


「はい、そのようです」


 玖音は少し寂しそうに答える。やや沈んだ表情からは、寂しさは感じ取れたがそれ以外の感情は読み取れなかった。


妲己あやつも最初から悪狐だったわけではない。だが、恨みが強すぎて引き返せないほどまでに深い闇へ堕ちてしまった」

「……はい」


 夫と子ども達への愛情が深すぎて、失った悲しみが強すぎて、生じた怨念は妲己自身で抑えることもできないほどに大きくなった。


 玖音達と別れてからの妲己は、悪行を楽しんだのだろうか?

 それとも苦しんでいたのだろうか?


 それは俺には判らない。知られている話からしか想像できない。


 どれほどの悪行を為したとしても玖音達には母でしかない。一般に知られている妲己と、玖音達にとっての妲己をきちんと分けて考えて受け取らなければと、隣で静かに寂しそうな目をしている葉風の肩を強く抱き、髪に頬をあてた。


「改めて言う。殺生石を全て浄化せよ。妲己のものにせよ、他のあやかしのものにせよ、これ以上悪事を起こさせてはならぬ。玖音、そして妹達、良いな?」


 無言で頷く玖音、そして葉風達。


「そういうことなら、総司不肖の弟子も何とかせにゃならんなぁ。もうちっとしっかりせんと、役に立たんぞ」


 げっ、しんみりといい感じでこの場は過ぎていきそうだというのに、峰霊師父め。

 だが、何を言われても今日は仕方ない。


「面目もありません」


 姿勢を正して跪き深く頭を下げる。


「峰霊師父! 総司を責めないであげてください! これから私が妻として支え、総司が成長するよう力を注ぎますゆえ」


 跪いた俺をかばうように肩を抱き、葉風は峰霊に訴えた。

 おい、まだ玖音に報告もしていないうちに……、それも大勢の前でなどと口に出したら……。

 言ってしまったものは仕方ない。ここはイジられるのも諦めるか。


「おや、連れ添いができたのか? まぁ良い。霊力は強くなっているようだが、それだけじゃ霊格はあがらんからな。連れ合いに助けて貰って修行に励め」

「はい」


 葉風と手を握り合って一緒に峰霊に返事した。

 だが、これでもこの場は収まらなかった。やはり予想していた危惧があたる。


「あら、総司様はついに葉風さんと……。でもこれで、やっと私の愛人計画も次の段階に進めますわぁ」

「愛人など作らねぇよ!」


 口に手を当て、クフッと笑みをこぼし、目を細める蝶子。

 俺は腰をあげ、これまでと違いきっちり反論する。いきなり夫婦喧嘩などしたくないからな。

 

「ほう、総司は……そうよな、我は連れ合いにはなれぬからのぉ。……そうか、我は憧れで……つまりアイドルということじゃな」


 ロリ巨乳天女が好き勝手な妄想を言い出した。こちらはちょっと立場的に反論しづらいんで黙っておく。


 (すまん、葉風。察してくれ)


 俺が皆からイジられているのを良い機会だと思ったのか、朝凪まで好き勝手なことを言い出す。


「総司さんも、しもべになるんっすね? 慣れればしもべもいいもんっす。ぜんぜん心配いらないっすよ。いろいろ教えてあげるっす」


 ……朝凪へんたいと同じにするんじゃねぇ。それに何だ、その先輩面は。俺はしもべにはならん。


「誰がしもべだ。それより、お前の巨乳嫌いはどうなった!」

「巨乳と荼枳尼様の尊いおっぱいは別ものっすよ。一緒にしちゃいけないんっす」


 昔の可愛い、巨乳嫌いで俺に懐いていた朝凪はもう居ない。いつの間にかどんどん変わってしまった。失恋して泣いて、そして復活しては同じことを繰り返しては俺達を呆れさせていたあの日々が懐かしいよ、ほんと。

 ……ちょっとは責任感じていたんだけど、もう反省しなくていいな。


「大きさだけでは判らない神秘がおっぱいにはあるんす。その神秘があるかないかが大事で、荼枳尼様はそれを教えて下さったんす。だから一生、しもべでいいんす」


 焦点があってるのか判らない瞳で、ブツブツと朝凪は意味不明なことをつぶやいている。

 朝凪の肩に手を置き、荼枳尼はニヤリと笑っている。

 ……そうか洗脳されてしまったんだな。朝凪おまえの未来に幸あれ。

 

「やっと落ち着いたか。ならば、早々に一緒に暮らせる部屋に移さねばならんな」


 朝凪を視界にいれないように、俺と葉風を見比べて微笑む玖音がそう言うと、


「そういうことなら、子どももすぐできるでしょうし、部屋数の多いところへ引っ越させた方が」


 風香がニヤニヤと意味ありげに俺達をチラ見した。


「子どもの話なんてまだ早いだろ」

「いえいえ、葉風姉さんならすぐにでも欲しがりますよ?」


 風凪までニヤついている。

 ……まったくこの姉妹ときたら。


 お前達は妲己の気持ちを聞いて、しんみりしてたじゃねぇかよ。立ち直りの早さを朝凪から学んだのか?

 変態の道に踏み入らないよう気をつけろよ!


「もちろん、すぐにでも……何人でも構いません。喜んで産みます……でもしばらくは二人きりで居たいです」

「ちょっ! 葉風」


 おいおい、顔を赤らめて、みんなが居るところで何を言い出すんだ。俺達をガン見している泰山娘娘ロリ天女の視線を感じ、葉風の口を慌てて手で押さえた。

 ……尸解仙と妖狐の子って、どちらに似て産まれるのだろう? それとも両方の性質を持ってるのか? 今は判らないがそのうち判るだろう。……まぁそんなのどうでもいいしな。 


 他のあやかし達も口々にお祝いやら、からかいやらの言葉を投げかけてきた。

 まぁ、何を言われても、今日だけはいいさ。


「めでたいことだが、浮かれてばかりじゃいられんぞ」


 みんなの間を割って目の前まで来た峰霊師父が、もっともなことを言う。

 今までよりは抗うことができたと言っても、俺のトラウマは治っていない。克服しなくては、次に芦屋栄が仕掛けてきたときには葉風達を守れない。


「はい、気持ちを新たに精進します」


 この仲間達との楽しい生活を続けるために。

 玖音と葉風達のために。

 何よりも、俺が……。


 ……この拳に誓おう。

 理不尽なことも、悲しいこともたくさんあるこの世界で、今は手の届かない全てを、いつか……いつか必ずこの手に掴んでみせる。

 俺は、不老不死の尸解仙だからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る