決断

 ぬえ騒動から続いたゴタゴタを片付け終え、日常が戻ってきた。


 ここのところ続いたゴタゴタの最中、葉風と共に仕事する機会が増えたために、二人一緒に過ごすのが当たり前という空気が俺の周囲に満ちている。

 この空気を無視しているのは、フィジカルサロンの受付け嬢の蝶子とムジナ事務所の水冥の二人だけ。

 そしてこの二名は、単に尸解仙の霊気や精気を欲しいだけだから、別の意味で困る。


 葉風によるは功を奏していると言わねばなるまい。


 嫌ならはっきり言え! と風香は匂わせる。

 諦めた方が気持ちが楽になるわよと風凪は目で訴えてくる。

 玖音に至っては、早く正式に認めろとプレッシャーをかけてくる。

 そして神渡ビルで働くあやかし達は、「葉風さんといつ式をあげるんですか?」と訊いてくる始末。


 独身ひとりみで居られる時間もあとわずかなんだなと、この状況を自然に受け入れている時もあり、もう決めちゃおうか、葉風となら上手くやっていけそうだしという気分になる。だが、不老不死の二人が……と考えると、やはりもっと慎重にならねばと気持ちを引き締める。


 ゴタゴタがあればあったで落ち着かないし、平穏なら平穏で別の意味で落ち着かない。

 早朝や深夜に修練していても、いろいろ考えてしまって気が散る機会が増えた。


 トレーナーとしての仕事のサポートを始めてから、葉風は自分の気持ちを言葉と態度でしっかりと伝えてくるようになった。それなのに俺はと言えば、何もしていない。好意に甘えてるだけじゃ卑怯だ。


 よし!


「葉風! すまないが、明日の日の出に合せて富士山に連れて行ってくれないか?」


 いつの間にか洗濯し乾燥を終えた俺のカンフー着をハンガーにかけている葉風に頼む。

 もう、妻も同然の状態な葉風を見て、更に決意が固まった。


 (明日、はっきりさせる!)


「別にいいですけれど、急にどうしたのですか?」

「雲海に輝く太陽を見たくなったんだ」


・・・・・

・・・


 九尾を持つ白狐となった葉風の背に乗り、富士山に来た。

 人間ならば、防寒具等の装備も身につけずに頂上で過ごすことなどできない。あやかしでも、霊力の低い者なら体調を崩すだろう。霊気功術を身につけた尸解仙の俺と霊力の高い葉風だから、苛酷な環境でも普段と同じような格好で過ごすことができる。


 (そうなんだよな。一緒に歩いて行けるってことにはこういうことも含まれるんだ)


 徐々に明るくなっていく空は、雲間から見える水平線に近くなるほど赤く、上空は青い。高い山から見る日の出は、崑崙で毎日のように早朝の修行時に見た。

 赤と青の境目の不安定さ、俺は日の出を見るといつもそこに惹かれる。

 人ではなく魂だけの存在でもない、仙人やあやかしを現わしているようで惹かれるんだ。普通ならば、人でも獣でも赤から青へと移動してしまうところを、俺達はその境目に留まり続けて生きている。

 ……そんな気がする。


 赤でもない、青でもない、かといって混じり合った紫というわけでもない。その二種が同時に存在し、不安定な帯びを作り上げている。そして不安定なのに、意地を張っているかのように、存在し維持している。

 その景色を見ると、俺は残り続けてやる、そして残し続けてやると思う。


 葉風と自分を見つめ直すには、この景色が必要な気がしたのさ。


「なぁ葉風、まだ俺へ償おうとか考えていたりするか?」


 黒い革のジャケット姿の葉風はやや目を伏せる。

 

「うん、まだね。だって殺生石が身近にあると、総司はまだあの時のトラウマでいつもの自分で居られないでしょ?」

「……そうだな」

「それを知っているから、やはり考えちゃいます」


 殺生石に命が吸い取られていくという体験は、十歳のただの人間の子どもだった俺にはとてつもない恐怖だった。身動きできず、抗うこともできずに死んでいく時間、そして状態……。それらを実感などしなければ、あの時感じたような恐怖を覚えてはいないのかもしれない。

 だが、俺は覚えている。

 身体が一部分ずつ消えていき、自分という存在が失われていく自覚を覚えている。

 殺生石の波動を感じるとあの時をリアルに思い出させられる。


 尸解仙となり、霊気功を身につけた今の俺に、殺生石はどのような影響も与えられないと判っている。

 判っていてもなお恐ろしい。

 だが、それは……。


「すまんな。俺が乗り越えられずにいるからだな」


 俺の目の前に殺生石を落としてしまったのは葉風かもしれない。

 だが、今も恐怖を克服できないのは俺だけの問題のはずだ。


「なあ? 俺がそばに居ると辛くないか?」

「……最初は辛かった。罪もないのに私が失わせかけた命。そして人間としての存在を失わせた尸解仙。自分の罪がそこにあると感じていたから。だけど、今はそうは思いません。逆に感謝します」

「感謝?」


 気持ちをどのように切り替えられたのか知りたかった。

 俺のトラウマを乗り越えるために必要な何かが、葉風の言葉の中にあるのかもしれない。


「そばに居るのだから、殺生石のトラウマで苦しんでいる総司を助けてあげられる。私にはあなたにしてあげられることがある。それが嬉しい。……私は殺生石を回収し、姉さんが浄化する。いつかは全ての殺生石を無くしてみせる。それに、総司は私達やビルのみんなを助けているでしょう? そんなに強くなってくれてありがとうって思えるようになって、そばにいてくれてありがとうと」

「そっか」


 葉風もきっと悩みながら俺と接していて、苦しみながらも気持ちを変えていった。

 では俺はどうだ?


「だから、トラウマを抱えている総司を支えて、いつか殺生石の影響など感じられなくなるようになったら……」

「なったら?」

「……私は遠慮無く総司あなたを愛してしまうでしょう」


 当たり前のこととでも言うかのような葉風の自然な口調がおかしい。

 心の中の何かを埋めるための恋ならまだしも、何が足りなくても想い続ける……誰かが誰かを愛するなんて簡単なことじゃない。それなのに、当たり前のことのように言えるのだから、葉風には勝てそうにないな。


「あっはっは、じゃあ、今は遠慮しつつ……なのか?」

「そう。それでもきっと形が違うだけで同じ」

「形が違うだけ……か……」


 納得できた。そうだ、そうなんだよな。形は一つでなければならないなんてことはない。愛情という中身が変わらなければいいんだ。長い時を共に歩いて行く中で、形を変えていっても失わなければそれでいいんだ。

 ……決まった。


「俺の連れ合いになってくれるか?」


 ここで言わなきゃこれからも言えない。そう思えたから、朝日を浴びてキラキラしている横顔を見ながら、迷いが晴れた今の素直な気持ちを伝えた。


「それ、私に訊くのですか?」

「ああ、そうだな。ずっとそばに居て支えてくれ」

「それもちょっと違うように思いますけど、答えは最初から決まってますからね」


 コクリと頷いた葉風の肩を抱いて引き寄せ、ふっくらと柔らかい唇に唇を重ねる。

 気恥ずかしさと安らぎを同時に感じた。そして顔を離すと、葉風が微笑んでいた。


「何か、勝ったって気がします」

「勝った?」

「そう。総司からキスさせたから、私の勝ちです」


 ドヤ顔というほどではないが、誇らしそうな表情をしている、


「自分からするつもりだったとか?」

「そうですよ。蝶子や水冥に奪われる前にチャンスを作らなきゃと考えてましたね」


 チャンスを作るも何も、最近の葉風ならいつでもできだろうに。

 俺は押されっぱなしだったのにと何か可笑しかった。


「……式もあげなきゃな」

「んー、式はどうでもいいですよ」


 喜んでくれるかと思ったが、予想外の返答。


「え? どうしてさ」

「和泉ちゃんやお父さん達を呼べないじゃないですか? ……あやかしの結婚式には」

「あ、ああ、そうか」


 霊気の強い神渡ビルだからどのあやかしも人化しているけれど、宴などで酔っ払ってしまうと人化を解いてしまう者も出てくる。そんなところに人間を呼ぶのは難しい。だったら……ということか。


宇迦之御魂神うかのみたまのかみ様、泰山娘娘様、そして玖音姉さんにはしきたりに従った報告をするけど、あとは特別なことしなくていいです」

「……葉風がそれでいいなら。……よし、戻ろうか? 玖音に報告しよう」


 「ええ」と答える笑顔の葉風。

 一面明るくなった雲海の上を、神渡ビル目指して気持ち良く進んでいった。

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