二つの事件
出勤した和泉に気を感じるための練習方法を伝える。
自分の身体の中で動く気配をまず感じることが第一。血管を通る血液の流れを感じられるようにならないと、気を感じることなど無理だ。集中力とイメージ、そして繊細な感覚が求められる。
客が居ないときはプールに行って、冷えた身体がどのように温まっていくのかを詳細に感じられるようになりなさいという俺の指示に素直に和泉は頷いた。
客が居るときは、と言っても、俺のところへ来る客は、あやかしを除くとそのほとんどがアスリートで、リハビリだ。あやかしは深夜に来るから、和泉の居る時間には来ない。仕事を覚え、さらには気の使い方を覚えるまでは、リハビリのサポートを務めてもらう。歩いたり、腕を使う時などの介助がメインになるだろう。
これなら自身でも経験あるから、客の気持ちに寄り添った対応が可能だろうと思うんだ。
「気を感じるまででも相当な時間がかかる。下手すれば数年かかるものだと理解して、焦らずに毎日続けて欲しい」
あとは、葉風が和泉のサポートしてくれるだろう。女性同士だと相談しやすい面もあるんじゃないかと思うしねぇ。
肩を壊したピッチャーが今日のお客。
手術は成功したのだが、動かすと引っかかるような感じがするという。一度壊したこともあり、違和感を感じると怖くて思い切り腕を振れないとのこと。
気の流れを追って調べてみたところ、おかしいところは全くなかった。手術が成功したというのは本当だろう。
では、何故違和感を感じてしまうのか?
これは稀にあるのだが、筋肉が怪我をした時点の記憶を持ったままなことに原因がある。思い切り腕を振ろうとすると、筋肉が痛みを思い出して自然に萎縮してしまう。萎縮の程度はわずかなのだが、その感覚が違和感として伝わっているのだ。
これはわざわざ俺のところで治療しなくても、時間が解決する症状だ。俺の料金はお高いしね。
ゆっくりと投げ続け、徐々に思い切り投げるようにしていけば良いだけだ。他のところでも、そのように診断されたらしい。
だが、チーム内での競争が激しく、シーズンが始まる前に復調したところを監督やコーチに見せたいのだという。
その気持ちは判る。
だが、筋肉が覚えた記憶を無理矢理消すことは俺でもできない。
ではどうするか?
方法はある。思い切り振った方が気持ち良いのだと筋肉に勘違いさせればいい。
ということで、腕を振る前に気を送り、筋肉を活性化しておく。運動選手なら判るはずだが、思い通りに身体が動く、想像以上に動くというのは気持ち良い。その経験を重ねさせるのだ。
一度活性化したら十回程度は気持ち良く振れる。
予約時間内、肩の状態を慎重に確かめながら、選手には腕を振って貰う。
やはり気持ち良いようで、徐々にだが腕の振りが鋭くなっていった。
思い切り振るというところまでは至れなかったが、自信を取り戻したようである。
また明日来るというので、受付けで予約をお願いし、和泉に付き添いと見送りをお願いした。
「やっぱり凄いですよねぇ」
戻ってきた和泉が感心している。
「何が?」
「最初はとても不安そうに腕を振っていたのに、帰り間際には、腕を振るのが楽しくて仕方ない感じでした」
俺を見る目に憧れを感じる。だけど、そんな浮ついた気持ちでいて貰っては困るんだ。
……ちょっと嬉しいけどね。
「気の使い方を覚えると、こういうこともできる。それを覚えておいてくれればいいさ。さ、これで予約客はいない。飛び込み客が来たらアナウンスで呼ぶからプールへ行っておいで。地味なトレーニングだけど、気の流れを感じるのは基礎中の基礎だから、わずかな時間でもやって欲しい」
真剣な表情で和泉は頷く。そして着替えを持って、施術室を出て行った。
受付けで蝶子に、客が来たら和泉を呼び出してくれと伝えた。
「わかりました。そ・れ・でぇ~、今夜のご予定なんですけれど……」
これももうお約束だな……って、俺の胸に指をあてて丸を書くのは止めて貰おう。
客が帰った頃を見計らって、そろそろ葉風が降りてくる。そうなったら蝶子と視線をぶつけ合って険悪な空気が蔓延しお客が入って来づらくなる。営業的に宜しくない。
「じらしてばかり……いけずなんだからぁ」と言う蝶子から離れる。
「そろそろ葉風が来る。ここで言い争わないでくれよ」
「私と葉風さん、どっちが大事なんですかぁ?」
どこかで見たようなお約束の台詞が来たが、こんなもんに答えるつもりはない。まともに答えたら負けな質問だからな。「そんなの決まってるだろう、……俺だ」とはぐらかして施術室に戻る。
施術室の椅子に座り待っていると、葉風がやってきた。俺の予想より遅かったのは、十一階で降り風香と風凪にも弦左から聞いた話を確認していたからという。
「それで風香達は何か知っていたの?」
「いえ、その代り別の話が入ってきました」
「そうか、まずは、弦左の話を聞かせてくれるか?」
弦左が聞いたのは、家出少女を集めて営業している風俗店の話だった。それだけならよくある話なのだが、いわゆる本番営業もさせる店で、少女達が逃げないようにアキレス腱を切っているのだという。
「許せないな」
「ええ、でも、まだあるんです」
葉風は話を続けた。
その店舗には中華系のマフィアが出入りしていて、少女をどこかへ売り飛ばしているらしいという。
「海外?」
「多分、そうでしょうね」
「判った。事実関係を調べて早めに何とかしよう。それでもう一つというのは?」
毎日のように酔っ払い親父を騙して金を巻き上げているらしいのだが、誘い役の女性も、脅し役の男達も、毎回別人だというのだ。被害者の証言を突き合わせると、女性は二十人、男性は四十人以上いる計算になる。
それだけの規模のグループが荒稼ぎしているとなれば、当然目立つ。しかし、そのグループのことはどこにも情報が入ってこないというのだ。
「これ、あやかしじゃないの?」
「ええ、私も風香達も同じ意見ね。神渡ビル周辺なら霊気は強いし、もともと
先に聞いた件と比べると、深刻な問題ではない。だが、先ほどの話は人間でも解決できそうだが、こちらは俺達が対処しないと解決しないだろう。俺達の想像が当たっているなら犯行時と逃走時も外見を大きく変えられる。背格好だけでなく性別だって変えようと思えば変えられるのだから、見た目で追っても捕まえられないに違いない。
所持品で確認できればいいだろうが、逃走時に捨ててしまえばやはり判断できないだろう。指紋や声だって
玖音が希望するあやかしと人間が共存する社会にとって、この手のあやかしは迷惑でしかない。捕まえてきっちり教え込まなければならないだろうな。
「
中華系マフィアが絡んだ話は、シマを荒らされておもしろくないと感じる連中がいる。なおかつ、ある程度俺がコントロールできる組織なら望ましい。そろそろ広域暴力団のトップ
少女達の治療はしてあげなければならないし、その後のこともあるから俺達が身柄を救出し、店の問題は……あちらの考え次第で決めよう。マフィア相手だろうと敵が人間なら、葉風達の誰かが居ればどうとでもなる。
さて、あやかしの方だが、こちらもそう難しくはない。あやかしは身に纏っている霊気で見分けられる。色や量、雰囲気が個別に異なるから、外見が違おうと惑わされることはない。離れていても見分けられるから、霊気を纏っていない人間よりも見つけやすい。これは今夜にでも何とかできそうだ。
「美人局の件、BAR薫風で誰か担当しているのか?」
「ううん、うちのお客で被害に遭った人いないらしいから」
「そうか。じゃあ、葉風、今夜二人で街に出よう。そこで……」
「痛い目を見せるのね?」
俺は頷き、顔を見合わせて悪い顔をしてクスリと笑う。
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