退治

 玖音に報告した二日後、悌雲から連絡があったと葉風が部屋に駆け込んできた。電話で連絡してくれればいいのにと、必死なのは判るんだけど、少し滑稽に見えて葉風の様子にクスッとした。


「風香と風凪には伝えたわ。二人は先に向かった。私はあなたを乗せて二人を追いかける。急いで!」


 その形相を見てはのんびりと着替えるわけにはいかない。言う通り急いで黒のカンフー着に着替えた。

 屋上に上ると、葉風は巨大な九尾の狐の姿になる。雪のように白い体毛を持つ葉風は、腰を沈めて俺が乗りやすい体勢をとった。


「じゃあ、頼む」


 白狐の背に跨がると、飛空歩という通力を使って空に駆け上がった。少し曇った空をぐんぐんと上昇し、一分一秒を惜しんでいるようだ。初めて乗った葉風の背は柔らかい体毛のおかげかとても温かい。飛行機が飛んでいてもおかしくない雲の上まで駆け上がると、南東目指して足を速めた。


 手で首元に掴まる俺は、振り落とされないよう力を込める。


 (白狐に乗って移動するだなんて、荼枳尼みたいだな)


 息をする必要がないから、この高度でも振り落とされないことだけを気にしていればいい。だが、呼吸が必要な人間ならこんな気持ちの良い移動はできないと思うと、尸解仙になって良かったのかもなと素直に思えた。


 葉風は、俺がこんなこと感じているだなんて思っていないだろう。敵の居るところへ一刻も早く到着することしか考えていないだろう。少し申し訳のない気持ちになる。

 だが、これから何が待ち受けているのか判らないが、緊張していても仕方ない。

 集中しながらもリラックスして、いつも通りの自分でいられることが大事だ。霊峰師父から散々言われたこと。和泉のため、風香達が助けた人達のため、そして俺自身のために敵を倒す。そのために必要なことを俺はやっているだけだ。

  

 冷たい空気を切り裂くように駆ける葉風の背を俺はほんの少しだけ撫で、知らず知らずのうちに逸ってしまう気持ちを落ち着けようと心がけていた。 


・・・・・

・・・


「あそこよ」


 白狐の姿になって初めて言葉を口にした葉風は、茶色の九尾の狐が二頭降りている場所へ向かった。

 山と山の間にあるちょっとした盆地。木々に囲まれたその空間に、術法で使われる式札しきふだが貼られた縄に囲まれた箇所がある。そこに葉風よりも大きな獣が座っている。


「あれが鵺か?」


 徐々に近づき、その姿がはっきりと視認できるようになる。頭は猿、体は狸で尾は蛇。そして手足は虎と言われる鵺からは、強い霊気が放たれていた。


 (まぁ強いには強いが、俺の相手ではないな)


 鵺からそう離れていない木々の合間に風香達が、人化して俺達の到着を待っている。着陸した俺は葉風から降りる。すると葉風も人化し、俺と共に風香達のもとへ歩いて行く。


「鵺しか見えないが、近くに必ず陰陽師がいるはずだ。まず俺が鵺を倒すから、三人は周囲に注意していてくれ。そして術師を見つけたら、遠距離から攪乱してくれ。決して接近するんじゃないぞ」


 妖狐達の通力がいくら強くても、呪術には不利になる場合がある。だからこそ陰陽師は退魔師として活躍できた。その程度のことは俺も知っている。葉風達に怪我を負わせるわけにはいかない。

 俺は三人に念を押して、鵺に向かって歩き出した。


 体内で気を練りながら近づいていくと、鵺は俺に気付いて「グゥルゥウ」とうなり声をあげた。

 鵺は式札の外へ出ないよう命令されているのか、その場から動かない。血走った視線を俺に向けて、唸っているだけだ。


 秋風にたなびく式札が貼られた縄を掴んで、強く引っ張る。

 縄を支えていた木の棒とともに、縄が地面に落ちた。


「グワァアア!」と叫び声をあげ、鵺はその巨大な身体を後ろ足で支えて立ち上がり、虎の腕を振り回した。鋭い爪が迫ってきたが、足を一歩退いて身体を半身にして避け、その太い腕に掌底をぶつけた。掌底を受けた鵺は身体を捻るようにして倒れる。

 

「臭い息をそんなに吐くもんじゃない。デートの相手に困ることになる」


 荒い息を更に荒くするようにガハァガハァと音をたて、口元から零れる涎が地面に滴る。

 四本の太い足を地面に刻み込むように四肢に力を入れている。そして体勢を一瞬低くしたかと思うと、飛び上がって襲ってきた。頭上を越えさせるようにしゃがみ、そして固めた拳を腹部へ突き上げた。


 横への慣性を失ったかのように真上に跳ね上がった鵺。落下してくるのを避け、着地の衝撃を和らげようとする曲げた前足に向けて、足刀そくとうを繰り出した。

 バキッと鈍い音をたてて、関節の動きとは逆向きに鵺の左足が曲がる。痛みを堪えて俺から離れていくが、地面を滑るように移動して再び腹部へ蹴り入れる。

 

 俺はダメージを与えながら、鵺の霊気の流れを乱してきた。あやかしは体内の霊気の流れが乱れると、その力を発揮できなくなる。霊気功による攻撃は見た目以上のダメージを鵺に与えている。


 巨大で強靱で、単純な身体能力だけならば、俺より鵺のほうが上かも知れない。だが、峰霊師父から合格貰った……霊気功を使いこなせる俺の敵になるにはまだまだだ。敵になるには俺から放たれている霊気功を防ぐ手段が必要だ。


 立っているのもキツそうにも関わらず、殺意が込められた鵺の目はまだ死んでいない。


「じゃあ、そろそろトドメを……」


 丹田に集めた気を練り、両の拳に伝わせる。腰を落として、身体から力を抜いて、鵺への攻撃の隙をうかがう。じりじりと足を滑らせて近づいていくと、鵺は俺が近づいた分だけ離れていく。

 

「ハッ!」


 気合を込めて地面を蹴り、鵺の懐に風のように滑り込む。そして霊気を込めた右拳を鵺の胸の辺り目がけて突き入れた。ズボッと埋まった右拳を引き、腰を捻って間髪置かずに左の拳で突くと、ビクビクッと痙攣し、口から涎を流して鵺は地面に崩れ落ちた。その瞳には光は感じられなくなった。


 この技は、朝凪の症状から編み出した。

 一撃目で敵の体内の霊気を発散させ、二撃目で手足から霊気が戻ってくるタイミングで俺の霊気もたたき込む。すると本来、鵺にとって必要な霊気が、俺の殺意がこもった霊気と一体となって鵺の頭部へ流れ込み、霊気を循環する組織を破壊する。

 あやかしならば、この技を食らって命を保っていられるはずはない。


 鵺を倒したと俺は確信していた。足下に転がる鵺の遺体は、あとで葉風達に焼却して貰う。


「おのれぇ! 誰だ!」


 背後で男の声がした。振り返ると、葉風達が通力で作り出した火球を避けつつ、こちらへ近づいてくる。

 顔がはっきりと見える距離になり、男が誰かと似ていることに気付いた。


「……芦屋栄」

 

 だが、目の前の男は芦屋栄ではない。兄弟? もしくは親類だろう。世に顔が似ている者が幾人か居るとしても、数が少ない陰陽師でとなると限られるはず。


「おい、お前は芦屋栄の関係者か」


 気を整え、力を抜いて、この先に起きるかもしれない戦いに備えた。

 俺との距離が縮まったので、葉風達からの攻撃は止まっている。もっとも、戦いの様子次第では再び別の形で参加してくるだろう。


「兄上を知っているとは……お前は誰だ?」


 接触する三メートルほどのところで止まり、グレーのジャケットの内側から、呪符か式札のような白い紙を数枚取り出し戦う準備している。鵺を倒されたせいか男は怒っている。


「そんなことはどうでもいいだろう? ただ、忠告しておく。芦屋栄は俺に手出ししようとはしなかったぜ」


 栄の名を聞いた男は一瞬顔色を変えた。だが、札を口の前に持って行き、何かをつぶやいたかと思うと投げつけてきた。


「そうーーかよ!」


 空を切り俺目がけて飛んできた札は呪符だったようで、目前でパッと炎の塊になり、そして弾けて降りかかってきた。


 (忠告してやったのに馬鹿な奴、いや、鵺を倒された怒りで我慢できなくなっているのか)


 霊気を濃く厚く身体に纏う霊気防壁なら、銃弾でも寄せ付けない。だが、呪術による攻撃は受けきれない。呪術はそもそも人やあやかしへの影響力ある術。霊気に弱いようならあやかしには影響を与えられず、討伐はもちろん操ることもできないだろう。


 だが俺が使う霊気功は霊気と気を同時に使って、空気や水なども利用する術。地上や空中なら空気を、水中ならば水をも攻撃や防御に利用する。だから、目の前の男が霊気を含んだ炎で俺を攻撃しようとしても、身体に当たりそうなところには真空状態の膜を作って霊気功で操作し、炎の力を消してしまえばいい。

 霊気功術が、自然を扱える仙人の武術と言われるのはこのため。

 人の身のまま霊気功を編み出して神仙になりえた師父の霊峰は、世紀の鬼才と評するしかない天才なんだ。その師父から尸解仙となった俺は霊気功を学び身につけた。

 俺を殺したければ原爆でも持ってこい!……ごめん、ちょっと調子に乗りました。


 降りかかってきた幾つもの小さな火球。まともに当たれば熱だけでなく、含まれた怨気で俺もダメージを受けるかもしれない。しかし、俺の身体に触れることはない。


 身体に接触することもなく、地面に落ちたり、消えていく火球。気にすることもなく男に向けて歩み出した。


「……霊気功……か……」


 術の破られ方を見て、男も悟った様子。


「そういうことだ。すぐに見破った栄は手出ししてこなかったぜ?」

 

 「さぁ、逝っちまいな」と映画に出てくる悪役チンピラのような台詞を口にして地面を蹴った。残念ながら、今の俺は正義のヒーローじゃないんでいいだろう。

 腰を低くし、直前で前脚に体重を乗せ、男の腹部目がけて肘を深々と入れる。ズンッという感触のあと、「グフッ」という声。パッと離れた俺の前で、腹を折って吐瀉物が男の口から零れる。


 一旦離れて様子を伺っていると、低く重苦しいエンジン音が聞こえ、ギャギャギャ……と地面を掻くような音をたてて、シルバーのセダンが横滑りして突っ込んできた。男の近くで止まったセダンから、芦屋栄が降りてきた。倒れている男のもとへ急いで駆け寄る。

 仰向けで抱きかかえ、男の表情を確認する。まだ微かに息はあるだろう。しかし、俺の肘から腹部へ送られた霊気功が内臓を破壊し、そのまま脳にまでダメージを与えたから意識はもうないはずだ。


 「……遅かったか……」と栄はつぶやき、そしてキツい光を瞳に浮かべ、前回会った時と同じように冷笑的に話し出す。


「巽さん、あなたのことだ、おとうとが手を出すまでは攻撃しなかったのでしょう。ですから、自業自得とは理解はしています。命のやり取りが生じる世界に身を置いていますし、あなたを責めはしません。……ですが、つよしはたった一人の弟。兄は一人いますがね。……理不尽な復讐というんですか? いずれそれを果たさせていただきます。遺体は私が持ち帰っても?」


 男の目を優しく閉じ、栄はそのあと立ち上がる。抱きかかえてセダンに近づいていく。鵺を強化して何を目論んでいたのか聞きたかったが、栄が話すとも思えなかった。それに、弟を殺した俺が、兄の栄に訊くのは気が引けた。


「好きにしろ」


 後部席に男を寝かせ、ドアを閉める。運転席側のドアを開き、俺に殺意ある視線を向けた。


「……近いうちに、また会いましょう」


 車に乗り込んでドンッとドアを閉じて走り出し、アクセルターンで車体の向きを変えて走り去っていった。


 いつの間にか葉風達が隣すぐ近くまで近づいてきていた。


「あの男は?」


 三人とも走り去った車を見送っている。風香が険のある声で訊いてきた。


「倒した男の兄で、俺を殺したいと思っている奴さ。芦屋栄、どうやら何か企んでいるようだな」


 葉風が俺の腕を抱きかかえた。


「何故、ここで倒さなかったの?」

「今の所、俺は栄から攻撃されていないからな」


 ニヤリと笑って葉風の腕を撫でた。


「相変わらず甘いわね」

「すまないな。あ、そこの鵺の遺体、残しておくわけにもいかないから焼いてくれよ」


 呆れている風の風凪に、鵺の処理を頼んだ。風凪が向けた手から炎が一直線に鵺を覆う。鼻に刺すような匂いを感じさせながら、鵺の遺体は燃え尽きていく。


 あいつは「近いうちに」と言った。その時は戦うことになるのだろう。

 正面から襲ってくることはなさそうだが。


 (面倒なことにならなければいいが)


 消えていく遺体を眺めつつ、復讐心を隠そうともしなかった栄の顔を思い出していた。

 だが、何かを計画している様子の芦屋家とぶつかるのは必然のように思え、どのみち戦わなければならない相手だと、今は考えないことにする。


「さぁ、帰ろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る