芦屋家

 平安時代から陰陽師を営む芦屋家は、安倍晴明のライバルとされた芦屋道満の子孫である。本家は兵庫県にあり、芦屋栄の分家は神奈川県の鎌倉にあった。山間に並ぶ古い屋敷の一つに芦屋家の分家宅がある。


 板張りの修行場で正座する栄は、当主である兄のたけるを待っていた。

 秋も深まり、火の気配がない修行場は染み入るような寒さだ。だが、幼い頃から修練してきた栄にとっては何ということもない。目を閉じて、ただじっと座っている。


「栄、待たせたな。すまん、クライアントとの契約が長引いてな」


 猛は上座に胡座で座り、身体を傾けて栄に問うた。


「で、滅多に家に戻らないお前が来た理由は?」


 当主の立場を尊重し、栄は恭しく一礼したあと口を開いた。


「兄上、つよしの計画をすぐに中止させてください」

 

 栄の涼やかな瞳には強い意志があり、猛は姿勢を正して聞き返す。


「その理由は?」

「この計画は失敗します。そしてつよしに危険が迫っています」


 栄は、巽総司と神渡ビルについて説明した。その戦闘力と芦屋家にとっての危険性をゆっくりと丁寧に伝える。そして、強が放った式神の影響を受けた人間が神渡ビルの者によって助けられたことを知り、このままでは近いうちに強を襲撃するのは確実と考え、当主の猛に止めて貰おうと願いに来た。


 言い終えると、栄は猛から視線を外さずに姿勢を正した。


「……神渡ビルの妖狐達と巽総司というのは、強の呪術と鵺では敵わない相手だと?」

「我ら芦屋の力を結集しても、今のままではけっして勝てませぬ」

「……まさか……」


 芦屋の力を結集してもと栄は言う。それは猛が当主を務める分家だけでなく本家も加えてということ。芦屋猛は芦屋家の持つ力に自信を持っていた。だが、兄弟のうちで最も冷静で判断力のある栄は、勝てないと言う。その事実を認めたくない気持ちと、おとうとへの信頼との間で揺らいでいた。


「神渡ビルの妖狐には、野狐や地狐だけでなく、空狐、天狐、仙狐がおります。そして巽総司は霊気功の達人。我らととても相性が悪い相手なのです」

「……見たのか?」


 芦屋家が使役しているあやかしにも妖狐は居る。だが、稲荷としての仕事をしていないため、野狐や悪狐と呼ばれ、気狐やそれ以上の妖狐に至るための霊格資格が与えられない。妲己のみが、地狐でありながらも九尾を持つレベルまで霊力を高められた。仙狐や天狐の持つ通力は、あやかしに優位に立つ陰陽師といえど侮れない。ましてや空狐となると、神仙と呼ばれる神と同じ力を持つのだから敵対すべきではない。そのような相手が敵に居るとなれば、栄の発言に説得力が生まれる。

 だが、猛はまだ認めたくはなかった。


「巽総司の力は確認しました。妖狐の方は確認してはいませんが、様々な情報を総合すると間違いありません。とても危険な相手です」

「そうか」


 栄は猛が感情と理性の間で揺らいでいると感じていた。それは分家と言っても芦屋家当主として当然の反応だろう。

 安倍晴明を輩出した安倍家が、古から今日まで光を浴びている中、芦屋家はずっと陰であり悪だった。しかし、悪と呼ばれようとも、芦屋家の持つ術や力は安倍家に劣るものではないと信じ、歴史の流れに沿って力を継承してきた。そして現在、安倍家に英傑が生まれていない。しかし芦屋家は力を備え続け、安倍家の陰で過ごす必要はないと、日本で権力を握りうると固く信じてきた。


 今、強が行っていることは、芦屋家が日本の権力を陰から握るための手段。握ったあかつきには、陰陽師の頂点として名を馳せるつもりであった。

 着々と準備を積み重ねてきた実行段階でその野望が躓こうとしている。


 猛の立場と気持ちを考えると、決断を悩む態度に栄は呆れることはできなかった。


「……だがな、強と連絡はとれんのだ」


 腕を組み天井を仰ぐ猛はつぶやいた。


「どうしてでございますか?」

「電波を辿って追いかけられては困ると、千葉のどこかで隠れて作業を続けているのだ」

「兄上も場所は判らない?」

「そうだ」


 電波の届かない場所に限定して、式神を飛ばして探せば……巽達に発見される前に見つけられるかもしれない。


「判りました。私も早速千葉へ向かいます。兄上、強を見つけ次第連れ戻して宜しいですね?」

「ああ、頼む」


 (くそ! 巽の過去を調べていなければ、もっと早くあやつ等の動きを察知できたかもしれんのに……)


 栄は、一礼して素早く修行場を出た。

 

 (だが、巽に勝てる可能性が見つかったのだ。その準備が整うまでは……。強、下手に立ち向かうんじゃないぞ)


 神渡ビルの妖狐達は恐ろしい。だが、接近戦に弱いという弱点がある。それは空狐であっても同じ。物理的な攻撃なら接近戦でも妖狐達にまともな傷を与えられない。だが、呪術を併用すれば……。

 栄にとって敵でもっとも怖いのは巽総司。まともに相手する敵ではないし、避けるべきと考えている。

 霊気功には呪術による攻撃であろうと通じない。妖狐達の通力なら大概何とかなる。だが、陰陽師が使う術は霊気功とは相性が悪い。

 だから相手にしなければならないのなら、それ相応の準備が必要になる。

 巽を倒せる可能性がやっと見えてきたこの時に、末弟の強を失うわけにはいかない。 


 (……頼む、逃げてくれ)


 乗り込んだ車のキーを回し、栄は千葉に向けて走らせた。

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