解呪

翌日十一時頃、扉をノックする音がする。開けると、そこに荼枳尼と朝凪の姿があった。

 ソファにスッと座った荼枳尼は肌のつやが昨日より増しているようで、朝凪はゲッソリした顔をしている。


「おはよう。たっぷり楽しませていただいたわ」


 満足げな笑みを浮かべ、横に座る朝凪を抱き寄せる。朝凪は抵抗する体力も気力も無さそうだ。「巨乳嫌い、巨乳恐ろしい、巨乳は敵っす」とつぶやいているが、荼枳尼には聞こえていないようだった。もちろん、俺にも聞こえない。


「それは良かったです」


 死に体の朝凪カエルをその尾でグルグルと巻いて、楽しそうに舌を出している荼枳尼ヘビとしか見えないのに、良かっただなんて俺もよく言うよ。


 部屋に入ってきた二人を座るように促し、冷蔵庫からジンジャーエールを出してグラスに入れ、荼枳尼と朝凪の前に出す。「坊や、口移しで飲みたい?」と荼枳尼が言うと、「自分で飲めるっす!」と朝凪は慌ててグラスを持った。その様子を見て「ウフフ、可愛いわぁ」と荼枳尼は朝凪の頬を撫でる。触れられた朝凪は、ビクッと身体を強ばらせた。


 (これは相当激しかったんだな)


 朝凪の怯えている様子は可哀想だと思った。本当に思ったのだが、これもいずみのためとスルーし、敢えて言葉をかけない。人権ならぬ狐権を蔑ろにしていると責められても仕方ない態度だな。


「それで、私にして欲しいことってなぁに?」


 グラスを片手に荼枳尼が微笑む。


「実は……」


 俺は和泉に起きていることを説明し、解呪して欲しい旨を伝えた。


「いいわよ。本人を見てみないとはっきりしたことは言えないけれど、多分、生気を吸ってるのね。そのくらいの呪いなら深いものではないし、簡単だと思うわ」


 精霊の式神がマーキングしたところから和泉の生気を吸い取って、どこかへ送っているのではないかという。生死に関わるような呪いではないが、吸われる時に痛みが生じるのと、とても疲れやすい状況になるという。


「人間の生気を吸ってどうしようというのでしょう?」


 俺は術者の目的を知りたい。和泉を苦しめようとしているのか、それとも他の目的に和泉の生気が利用されているのか。どちらにしても術者に痛い目を遭わせるのには変わりはないが、目的が判れば悌雲の調査に役立つのではないかと考えたんだ。


「んー、呪術を使って、あやかしをより強力な段階へ成長させようとするとき、霊気だけでなく人間の生気も与えるの。そういうことかもしれないわね」


 さすがお祓いのプロフェッショナル。少ない情報でも想定してくれる。


「あなたの妹さん、いつでも呼んでくれていいわよ。あと、このビルの一員になったことだし、気軽に声かけてねぇ。……坊やおもちゃも手に入れられたことだし、やっぱり来て良かったわぁ」


 気軽にと言われても、相手はの称号を与えられたこともある神。そうそう気軽にお願いできるわけはない。

 ……まぁ、朝凪を気に入ったみたいだし、たまにはお願いしてもいいかもしれないな。


 相変わらず身体を密着させて朝凪を撫でている。強ばっているがこいつは逃げようとはしない。


「なぁ、朝凪。俺と荼枳尼様との話に付き合わなくてもいいんだぞ?」


 俺は助け船を出したつもりだった。

 だが、朝凪はこの場から去ろうとしない。疲れ切った表情で、俺を恨めしく見ているだけ。


「ああ、知らないのね? 霊力が低い雄が女神と契るとしもべになるのよ? 夫として契れば別だけど、ね?」


 しもべにされた雄は、女神の許しがない限り自由に行動できないのだという。


 昨日、俺がお相手しなくてはいけなかったら、しもべにされていたということか。


 (あの時、朝凪が来てくれて良かった。ほんとありがとう朝凪僕らのヒーロー!)


 心の中で深々と頭を下げた。


「フフフ、坊やの精気と霊気の回復は、そうね、あとひと月ほどかかるわ。だから、来月まで、夜はのんびりしていていいのよ? 今のところ用もないことだし、遊んでらっしゃいな、朝凪ちゃん」


 荼枳尼がそう言うと朝凪はガバッと立ち上がり、「失礼するっす」とヨロヨロと部屋を出て行った。


「逃げられたりはしないんですか?」

「無理ね。呼べば、どこに居ようと私のもとへ急ぐわ」


 見事なまでの放し飼い。

 荼枳尼が朝凪に飽きるまでは解放されないのだろうなぁ。

 ……まぁ女神と肌を合わせた体交法ができる機会なんて、妖狐がどれほどたくさん居ようとも朝凪くらいだろう。修行して霊格を高めれば不老不死に至る。その長い命で考えれば、しもべの時期がどれほどだろうとも、良い経験だときっと思ってくれるに違いない。うん、きっとそうだ。

 

「じゃあ、妹さんが来たら教えてね? 私は宇迦之御魂神うかのみたまのかみに一言言っておかなければならないの。ここ、あの女神のテリトリーでしょ? 話を通しておかなければ後がうるさいの」


 荼枳尼も立ち上がり、長い黒髪を揺らして部屋を出て行った。


 見送った俺は和泉に早速電話する。

 そして十七時に俺の施術室でと約束した。


・・・・・

・・・


「専門の方に来て貰った」


 そう和泉に説明し、一応、白衣を着て貰って荼枳尼に診て貰った。


「これならすぐね」


 葉風が覆った霊気の膜も気にせずに和泉の膝に手を当てる。解呪の邪魔になるのではと心配していたが問題なさそうだ。その後、十数秒程度で手を離し、「これでいいわ」と微笑んだ。


 (さすがは女神だ)


「また何かあったら呼んでね」


 俺とすれ違うとき小声で「妹さんのことで話があるわ」と言った。

 そして頭を下げる俺に手を振りどこかへ去っていった。プールで遊びたいと言っていたから、九階へ降りたのだろう。もし違っても、このビルの中に居る限り、あやかし間の連絡網を使えばすぐ見つけ出せる。

 葉風が不要となった霊気の膜を取り去り、マーキングされた箇所を診る。


「ええ、怨気の気配はないわ」


 荼枳尼の仕事は完璧だったようで、葉風は和泉の膝に手を乗せて伝えた。

 俺は胸を撫で下ろす。


「今日はこれでおしまいです。きっちり食事してゆっくり休んで下さい」


 治療を終えて気楽になったのか、和泉はニヤッと笑う。


「巽先生の回りには綺麗な女性ばかりですね?」


 和泉が顔を合せたのは、葉風、蝶子、そして荼枳尼。言われてみれば、それぞれタイプは違うけれど綺麗どころと言えばその通りだ。


「ああ、そうだね」


 荼枳尼はともかく、他は狙って変化へんげしてるのだから、見た目は良いに決まっている。こういうのもあやかし達と暮らしてから気にすることはなくなっていた。そのことを和泉の一言で気付かされた。


「葉風さんとはどうなんですか?」


 恋バナが好きそうなところは、和泉もお年頃の女子だなぁ。


「いいじゃないか。さ、遅くならないうちに帰りなさい」

「子供じゃないんですからあ」


 ブツブツいいながらも、治療を終えた和泉は笑顔で帰っていった。


 俺は葉風と一緒に九階のプールへ向かい、予想通りに水に浮かび遊んでいる荼枳尼を見つける。


「話って何ですか?」

「妹さんの生気を吸っていたのは、ぬえよ。陰陽師は呪術でぬえを成長させようとしているの」

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