和泉の相談
施術室へ入ると、和泉はいつものコーチやトレーナーとではなく、やや高齢の男女と一緒で、まちがいなく両親だ。
父は、俺が六十代になったらこんな顔になるのではないだろうかと思わせる顔をしていた。中肉で百七十五センチくらいで、若いときは運動もしていたらしいが、今はそこいらに居るおじさんとの違いを見つけることはできない。建築設計関係の仕事をしていると和泉から聞いている。
和泉とそっくりの母は、目元の小じわが温和に見える。父の肩くらいの小さな身体を震わせて、俺をマジマジと見ていた。
多分、葉風も父の顔を見て俺の両親だと確信したのか、キュッと身体が強ばるのを感じた。
「巽総司です。はじめまして」
内心の動揺を表に出さぬよう会釈する。
「巽さん、私の両親です」
和泉が紹介したので、「よろしく」と、まず父親と続いて母親と握手した。
二人とも俺の顔から目を離さない。だが、和泉から「余計なことは言わないように」とでも言われているのか挨拶の他は口に出さなかった。
「それで相談があるとのことですが、どのようなお話でしょうか?」
感傷的になりそうな気持ちを抑えて、あくまでも和泉のフィジカルトレーナーとしての態度で接しようと心がけた。
「はい、実は、残念ながらオリンピック代表になれませんでした」
(ああ、知っている。本当なら……)
やや俯きながら話す和泉を見ていると、抑えている怒りが音を立てて俺の中で湧き上がってくる。
「ショックでしたし、落ち込んでいたんです。けれど、結果が出た以上、そのことをいつまでも考えても仕方ないので……」
(そうか、強いな)
顔をあげて真っ直ぐに俺を見る。瞳にはまだ躊躇いは見える。しかし、それを強い気持ちで抑えているのが判る。頼もしい姿に、内心ウルッとなった。
「次のオリンピックを目指そうか考えていたんです」
「はい。それで?」
(ちくしょう、もっと違う言い様はないのか)
日常が日常だからか、ぶっきらぼうな返答しかできない自分に苛ついた。
「でも、コーチやトレーナーとも相談したんですが、競技生活から引退すると決めました」
「どうして……、まだ若いのに……いや、考えた結果なんですね」
もったいない、俺がもっと協力すれば次こそは代表になれるだろう。だが、和泉なりに考えに考えて決めたことだ。俺がどうこう言うことではない。
「はい。それで、フィジカルトレーナーを目指そうと決めました。私のように怪我で苦しい競技生活を送っている人は大勢います。その人達のお手伝いをしたいんです」
「なるほど。で、私に相談とは……」
嫌な予感がしている。俺の所で勉強したいと言いそうだ。
「巽先生に診て貰うまでは、痛みが全くないなんて日はなかったんです。それで、是非、先生に教えていただきたいと……お願いに来ました」
やはりな。だが、俺の施術は霊気功を使う特殊なもので簡単に学べるようなものではない。人が霊気を扱うのは無理だ。せいぜい気功を使ってというのであれば、修練次第でなんとかなるだろう。だが、それでも習得するには毎日訓練しても十年以上かかる。気功を身につけるのは簡単ではないんだ。
アスリートとして厳しいトレーニングを積んできた和泉ならいずれは……と思う。だが、そのうち結婚し子供を持つとすれば、難しいんじゃないだろうか。
「……ですが、トレーナーに必要な資格はいくつもありますよ?」
「はい。まず大学に通い直します。その後は、必要な資格に合せて専門学校などに通うつもりです」
大学や専門学校、資格によっては海外で取得しなくてはいけないものもある。
「でしたら、そちらで専門知識を身につけ資格を取得してから……」
「現場のことを先生のそばで学びたいんです」
弱ったな。できるだけのことはしてあげたい。俺と同じことはできなくても、気功を利用してのケアは有効だろう。だがなぁ……。
「総司、教えてあげてください」
唐突に背後から葉風が言う。俺は振り返り、顔を向き合わせた。
「おい、そうは言っても……」
「判っています。総司と同じことは誰もできない。でも、ここでは他のところでは学べないことを伝えることはできます」
「うーん、だがなぁ……かなり大変なのは判ってるだろ?」
「和泉さんが指導についてこれないならそこまでです。ですが、チャンスはあってもいいんじゃないですか?」
葉風が味方についたと感じた和泉と両親は、ここぞとばかりに「お願いします」とプレッシャーをかけてくる。「それに身近に置いておけば、陰陽師からの……」と耳元に口を寄せて葉風が囁いた。
陰陽師から再び狙われたとしても守ってやれると言いたいらしい。それはそうだが、神渡ビルで働いていれば別の危険もある。俺の敵から狙われる可能性がある。
それにだ。俺の素性を知られずに元家族と過ごすのは気を遣って疲れそうだ。これまでは和泉のリハビリの時だけだった。だが、これからは一緒に過ごす時間が増えてしまう。両親とも顔を合せる機会増えそうだし。
しかし、これは家族への孝行だとも言える。俺には縁のないものと考えていたことができる。間接的にだが、親孝行にもなるだろう。うーん……。
「……葉風……いろいろと協力してもらうからな」
「ええ、任せて下さい」
渋々に近い口調で言うと、葉風はニッコリと笑う。
「では、バイトという形で来て下さい。教えるとは言え、無料で働いて貰うわけにはいきませんから」
「じゃあ!」
明るく目を大きく開いて和泉は喜びを現わしている。
「ええ、ですが、最初に言っておきます。私と同じ技術は身につきません。私のは特殊で人を選ぶのです。しかし、近いことは可能です。それでも毎日のトレーニングは必要ですし、資格取得のために通学する必要もある。本当に大変ですよ? 覚悟してくださいね?」
ため息交じりに和泉に伝え、両親にも念押しするように視線をくれる。
「はい、宜しくお願いします」
和泉が嬉しそうに頭を下げる。だが、下げたまま頭をあげずに「痛い……」と膝あたりを押さえた。
押さえている箇所は、式神が当たったところ。
「ちょっと見せて!」
葉風が身体を抱えて和泉をベッドに座らせる。俺はしゃがんで和泉が痛がる箇所に手を当てた。
(気が乱れている……とにかく、正しい流れに……)
霊気を使って、乱れている気を正しい流れに戻す。しかし、すぐにまた乱れる。
(これは……呪い? でも、精霊タイプの式神にそこまでのことはできないはず。とすれば……)
「葉風、外からの
式神がマーキングした箇所に、呪術による何らかの症状が発症しているのだろう。霊力の強い天狐の葉風に、怨気が和泉に届かないよう霊気のシールドを張って貰うことにした。残念だが、他人の体外に霊気を張ることは俺にはできない。
「判ったわ」
俺と場所を入れ替わり、葉風は和泉の膝に手を当てる。
葉風の手から霊気が流れ出し、和泉の膝から身体全体へと徐々に覆っていく。これは霊気を見ることができない者には判らない。だが、俺にははっきりと判る。
そして淡い桃色のような光が身体全体を覆うと、和泉は痛がるのを止める。
「ありがとうございます、痛くなくなりました。……何だったんですか?」
「悪い気が流れ込んでいたんだ。それを止めたからもう痛まないよ」
正確なことは説明しても仕方ない。俺は嘘にならない程度に誤魔化した。
「こういうことはまた起きるんでしょうか?」
心配そうな和泉に葉風が安心させるように微笑む。
「しばらくは大丈夫だけど、また起きるかもしれない。でもうちに通ってくるんだから、その時に同じように処置してあげる。そしていずれ必ず……そう遠くないうちに完治するわ」
膝をさする和泉の手を葉風は力強く握った。
「これからのことだけど、学校のこともあるから、当面は土日の午後十三時から十七時まで通ってきて欲しい。バイトとして、俺達の仕事を手伝って貰う。時給は当面千五百円だけど、それでいいかな?」
俺は内心、玖音に報告へ行き、早く対応したい気持ちでいた。その焦りを出さぬように、この場を終えるつもりで今後の話をした。
「はい。判りました」
「和泉のこと宜しくお願いします」
和泉と両親が礼をする。和泉には「本当に大変だからね?」と俺は苦笑して念をおした。
「それでは次の土曜日に」と和泉が言う。そして三人は施術室を出て行き、俺と葉風はサロンの出口で彼らを見送り、三人がエレベータに消えるのを確認した。
「葉風、悠長なことしていられなくなった。玖音のところへ行くぞ」
「ええ、今度は姉さんもダメとは言わないわ」
頷き合って、俺達は十四階へ向かった。
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