稲荷の協力

 稲荷神社。宇迦之御魂神うかのみたまのかみの配下、地狐のうち善狐が稲荷神として祀られている。商売繁盛、家内安全の神とされる稲荷は、屋敷内で祀られているものや小さな祠までを含めると、数万ですまない膨大な数が日本国内にある。


 これら稲荷に祀られている善狐をネットワークとして、玖音は日本全国の情報を集めていた。集めている情報は殺生石についてが主だ。生き物が近づくと内に秘めた霊力を使って毒や呪いを与える殺生石は、生き物が近づかないとただの石。根拠不明な毒に冒された人や、突然、呪いらしき霊障を被った人の情報、それらを集めて殺生石を探し回収し浄化している。


 この稲荷のネットワークは、必要があれば別の情報を集める際にも利用することもある。それを知る俺は玖音に頼んで式神を使う陰陽師の情報を集めて貰うことにした。

 玖音の部屋へ行き、いつも精神を集中して通力を使用している和室に入る。神渡ビルに霊気を集め、そして悪しき気を除いているので、邪魔にならぬよう部屋の隅で座り、部屋の中央で正座し瞑目している玖音が瞳を開くのを待つ。


 しばらく……三十分ほども呼吸音しか聞こえない静かな時間が続いた。

 やがて玖音が目を開け、俺に顔を向けたのでお辞儀をして話しかけた。


「玖音様、お願いがあります」


 正座を解きゆっくりと立ち上がった玖音は、俺を連れて隣室へ行く。置かれている座卓の座布団が敷かれている一箇所に玖音は座り、その正面に俺は座った。


「妹さんの件ですね? 話は葉風から聞いています」


 金色の瞳からキリッとした涼やかな視線が向けられた。俺はその視線を受け止め頷く。


「情報を集めるのは構いませんが、報復は許しません」

「何故でしょうか?」

「将来の悪行を止めるために、危険性ある陰陽師を見つけておくことは有益です。ですが、今回の件での報復は、単にあなたの私怨を晴らすためだけのもので無益です」

 

 無益ですと言い切った玖音の表情は固く、強い意志が感じられる。

 私怨と言われれば確かに私怨だ。俺は言葉に詰まってしまう。


「葉風も、風香と風凪も、あなたの報復を認めてあげてくれと頼みに来ました。それも別々に。……フフフ、あなたはもう家族だからと言って、できるだけの協力をとね。あの子達ったら……」


 一瞬、玖音から感じる空気が和らぎ、妹思いの姉の表情を見せた。


「あいつらが……」


 葉風達は何も言わないから、いつの間に頼んだのか知らない。俺のためにありがたいとその気持ちに感謝した。


「現在苦しんでいる人を助けるために、悪行を為している者を罰するのはいいでしょう。ですが、過ぎ去った過去にまで手を出すのは認められません。私達は、人間社会の警察や裁判所ではないのです」


 俺達は人間社会の法の外にいる。通力や霊力を使って行っていることの中には、人間社会では違法とされることもある。霊気功を使った体術で病院送りにしたことも、法で言えばもちろん傷害だ。

 こちら側にはこちら側の……人間社会とは異なるルールがあり、それを守らねばならない。それを守っている限り、俺達は助け合いかばい合える。

 こちら側のルールを守らないと、こちら側の社会から弾かねばならないと、玖音はそれを言っている。


 判っている。十分に判っている。だがそれでも……。


「ですが……」

「落ち着きなさい。陰陽師は呪法を生業なりわいにしています。つまり……」


 玖音の言葉で俺は気付いた。そうか、今回の無念を、こちら側のルールを破ってまですぐ晴らす必要はない。


「……呪法でまたなにか仕出かそうとするでしょう」

「そうです。次回を防ぎなさい。そしてその時は、遠慮せずとも良いです」


 深々と頭を下げ、俺は玖音に礼を言う。


「判りました。ありがとうございます」

「陰陽師の情報は悌雲ていうんに集めさせておきます。何かあれば葉風に伝わるようにしておきましょう」

「感謝いたします」


 悌雲とは、殺生石に関する情報が入った際、その真偽を確かめている気狐。日本全国を飛び回っていて、各地の稲荷との繋がりも密だ。真面目で仕事も丁寧な悌雲が協力してくれるのは心強い。

 彼が手伝ってくれるなら問題の陰陽師がどこに居るかわからないが、日本にいる限りいずれ判明する。

 俺は再度頭を下げた。


「……葉風のこと……宜しくね」

「えっ?」


 玖音が小さくつぶやいたが俺は聞き取れなかった。

 微笑んだまま玖音は俺を見つめている。


「いえ、いいのです。では、情報が入るまで、いつものようにお仕事をこなして下さい」

「はい!」


 いつもの毅然とした様子に戻った玖音の部屋を出て自室に戻った。


 部屋に戻ると、葉風が来ていた。ソファに座り、勝手知ったる部屋という感じで、自分で紅茶を淹れて飲んでいる。その様子にまったく違和感を感じていないことに俺はつい笑みをこぼしてしまう。


 (身近に居るのが当たり前になってしまったな)


 崑崙からここへ来て五年が経つ。

 生活に早く慣れるようにと、葉風は俺の身の回りの世話を焼きたがった。

 葉風は回収中に殺生石を落とし、それに俺が触れたから命の危機に堕ち、それを回避するために玖音に頼んで俺を尸解仙にした。その責任を感じているのは、ここに来てよく判った。

 だが、尸解仙となり元の家族と離れたけれど、寂しいと感じることは少ない。崑崙でもここでも、誰も俺を一人にしようとはしないから、寂しいと感じる機会はほとんどない。


 そりゃあ、和泉に会って、兄貴としての愛情や責任感を感じた。でもお互い大人で、血縁という特別感はあっても、人間の家族のようか生活を一緒に送ろうとは思わない。


 そもそも俺は人間じゃない。生きている世界が違う。そう考えているから、尸解仙となってからの二十年で、葉風へのわだかまりなど感じたことは一度もないんだ。


 だけど、葉風は気にしている。正直なところ困ったなと思っているくらいだ。葉風への愛情はある。優しく気遣いしてくれる真面目な葉風は好きだ。まぁ、風香や風凪へも愛情はある。今感じている感情が、家族愛なのか、それとも異性への愛情なのかは判らない。


 葉風の俺への愛情は義務感から来ているようでなぁ。

 俺がここのところ悩んでいるのはここなんだ。

 

 愛情なのか?

 義務感なのか?

 いずれにしても距離を縮めたら必ず受け入れてくれるだろう。

 

 だけど、曖昧なままでいいのだろうか?

 俺自身もそうだが、葉風もだ。


 (崑崙での女性はみんな母や姉のようで、恋愛対象ではなかった。俺にはそっち方面の経験が圧倒的に足りん)


 どうしたらいいんだろうな。


 狐は、つがいで子育てするけれど、子供が独り立ちする頃にはつがいを解消する。そのことを風香に以前話したら、かなり怒っていた。妖狐と狐を同じレベルで語るなと、凄い勢いで怒ったな。

 そうは言っても、元が狐じゃないかと言うと、じゃあ、人間はどうなんだ? と問い詰められ、ああ、なるほどなと納得したものだ。


 でもな、不老不死なんだよ、尸解仙も気狐以上の妖狐もさ?

 永遠に一緒と考えると重い。俺もだけど、葉風もそうだろうと思うのさ。


 こんなことを紅茶を飲んでる葉風を見て考えていた。


「どうしたの? 座らないの?」


 カップを片手に不思議そうな表情で、隣に座れと手で招く。


「ああ、玖音様に頼んでくれたんだってな? ありがとう。あとで風香と風凪にも礼をいわなくちゃ」

「……ダメって言われたでしょ? 姉さん堅いからねぇ」


 ちょっと照れ、そして玖音を説得できなかったことを申し訳ないとでも思っているのか、ごめんねと言った。俺は首を横に振る。


「まあね。でも、俺の気が済む方策を教えてくれたよ」

「へぇ、私達にはダメとしか言わなかったのに……、どんな策を?」


 陰陽師を探すことと、悌雲と協力できること、見つけ出して……呪法を使っているようだったら、その時は遠慮しなくていいこと。

 葉風は俺の説明を興味深そうに聞いていた。


「姉さんも怒ってるのね」

「多分ね」


 平時の玖音は、このビルに住むあやかし達のリーダーとしての厳しい態度で俺達に接する。だけど、今回の件でもそうだが、俺達のことを思いやってくれているのをいつも感じる。深い愛情を持っているのを感じるから俺達は玖音に従う。絶大な力を持っているだけでは、本来、気儘に生きるあやかしは付いてこない。


「……そっか。総司が納得しているようだから良かった。それじゃ悌雲は私へ連絡してくるのね?」

「そういうこと。連絡が来たら二人で調査して、その上で……な? それまでは日常業務をこなしているさ」

「任せて。総司の妹は私の妹と同じ。絶対に許さないわ」

「ん?」

「何かおかしいこと言ったかしら?」


 和泉を家族同様に大切に考えてくれるのはありがたい。だが、どうしてそう考えているのか聞くのが怖い。

 これはあれだ……プロジェクト「なし崩し」だな。だが、嫌ではないし、近いうちに俺達は落ち着くところへ落ち着くのかもなと自然に思えた。


 キョトンとしている葉風の瞳が可愛らしい。 


「いや、別にたいしたことじゃない」


 そう答えて、俺も紅茶を淹れようかと立ち上がったとき、ポケットの中のスマホが震えた。発信者を確認せずに耳に当てる。


「ああ巽だけど?」


 電話は蝶子からだった。


「巽和泉さんが受付けに来ています。治療ではなく、ご相談があるというので」


 和泉が俺の妹だということも、今回起きた事情も、何かあったときのためにと俺が伝えたから蝶子は知っている。言葉は淡々と事務的だったが、同情的な空気が電話越しに伝わってきた。


「俺の施術室へ通してくれ。すぐに行く」


 スマホを切って、俺は葉風に「和泉が来たらしいんだ」と伝え、二人で部屋を出た。

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