陰で蠢く者
選考会
そろそろ十月も半ばになる空は秋晴れ。ただじっと座っているだけだと少し寒いかもしれないが、身体を動かすにはちょうどいい。風も弱くて俺には絶好の選考会日和りに思えた。
この日のために高倍率九十倍ズーム、手ぶれ補正等が付く高機能ビデオカメラを購入してきた。ちなみに、二台。和泉の勇姿を葉風にも撮って貰うためだ。アナログ人間というわけじゃないが、撮影者が俺だけじゃ心配だ。撮り忘れとかあったら、あとで絶対に泣くだろうからな。
これから始まる八百メートル走に和泉はエントリしている。スタジアム上段のカメラを遮る物も人も居ない場所に陣取って、俺達はその時を待っていた。
葉風に「一緒に応援を頼むな」と微笑み、期待だけを胸にカメラのファインダーに目をあてた。
和泉は真剣な表情でトラックに立っている。瞳から察すると気力も充実しているようだ。準備運動する動きは、俺の目にはリラックスしているようにも見える。万全の体調でこの日を迎えられたんじゃないか?
係員がスターターピストルを上に上げる。和泉を含めた選手達は、スタートラインについて前後に足を開く。そして、やや腰を落としてスタンディングスタートの体勢をとる。選手達全員が合図を待って動きを止めた。
その様子を見ているだけなのに緊張でドキドキしている。ズームアップした和泉の視線はトラックを見据え鋭い。
(力を出し切れよ……和泉)
カメラを持つ手が汗をかいているんじゃと思えた。尸解仙の俺は汗などかかないというのに……。
パンッ!
スターターピストルが白い煙をあげて、スタートの合図を鳴らした。
本物の拳銃の音ではピクともしないのに、この時はドキッとする。
トラックを駆ける選手達のスピードが徐々にあがっていく。百メートル走のような爆発的な加速ではない。それでも先頭集団と後続との間隔が少しずつ開いていった。
八百メートル走は四百メートルのトラックを二周する。勝負は二周目。和泉は先頭から三人分ほど開けた三番目を駆けていた。ラスト一周で十分先頭に追いつける位置を走っている。
下馬評では、和泉のライバルは二人。
怪我などもあり、和泉のこれまでの成績は代表になるには微妙な位置という。この選考会でライバル二人より先着し一位通過しなければオリンピックの選手にはなれないらしい。
ラスト一周を伝える合図の鐘がカンカンカンカンと鳴る。
俺の緊張もマックス。
和泉等先頭を走る三人が少しスピードをあげ後ろの集団を離した。
「頑張れ! 和泉」
俺はカメラ越しに、まだ余力を残しているように見える和泉を応援する。
そしてラストスパートの直線。
和泉が二人に身体一つあけて先頭を走る。
「そのままだ! 行け! 行けぇえ!」
力強く腕を振り足を進める和泉はそのまま一位でゴールに飛び込むように見えた。
だが! あと十メートルほどというところで、トラック内に白い光が走る。
「!?」
その光は膝上あたりに当たり、和泉を転倒させた。和泉は即座に身体を起こしてゴールに駆けたが、七位だった。ゴールラインの向こうで膝に手をあて俯いている。俺の目には怪我をしているようには見えない。だが、視線を落とし、口を引き絞った表情は悔しそうだ。
「な、なんだあれ、葉風、見えたか?」
俺は怒りでワナワナと震えながら、カメラを目から離し、振り向いて葉風を見る。
「……式神」
カメラを降ろした葉風はつぶやく。彼女の厳しい瞳からも怒りを感じた。
「式神? なんだって? そんなものが和泉の邪魔を?」
何故だ? どうして……どうして……和泉が理不尽に夢を奪われなきゃいけないんだ!?
「判らない。だけど、あれは式神だった。精霊タイプの式神……普通は監視に使われるもので、さほど力は無い」
そりゃ力などさほど必要ないだろう。精霊タイプなら、人に見えないことが長所なだけの式神だ。
あの式神にできることは、ゴールを目指し懸命に駆けることに集中している和泉の足をもつれさせるだけだった。だが、たったそれだけのことが、和泉の努力を踏みにじり希望を奪ったんだ。
許せるか?
俺は許せない。
健闘したけれど力及ばすというのなら結果に納得し、「自分を誇れ」と言うこともできる。
「残念だったが立派だった」と称えることもできる。
だが、あれでは、何と言って慰めたら良いのか判らない。
ゴール先のトラックでは、コーチがタオルを手渡し、俯く和泉の肩を抱いていた。
(悔しいだろうなぁ)
目に映るその様子に再び怒りが湧いてくる。
「誰だ? 式神を使ったということは陰陽師か……」
「そうね。実行者は陰陽師。だけど……」
「ああ、依頼した者が居る」
「多分、和泉ちゃんのライバル二人のうちの関係者ね。でもどうするの?」
「どうするって、犯人を見つけ出し、思い知らせてやる」
「選手は関係ないかもしれないのよ?」
選ばれた代表選手が怪我でもしたら別かもしれないが、選考会で出た結果を覆す理由を示すことはできない以上、和泉の代表入りはない。依頼者が誰であろうと、選手には関係のないことかもしれない。他の選手も和泉同様にこれまで努力してきたはず。掴んだはずの夢を奪うにはそれなりの理由が必要だ。
それに結果は七位。何らかの理由で補欠が必要になっても和泉が繰り上がる可能性はかなり低い。
「!? そ、そうか……どうしたって和泉が選手に選ばれることはない」
「式神を使った陰陽師がここに居るとは限らないし……」
「それじゃあ、捕まえられないというのか?」
口調は冷静だが、葉風から感じる空気は俺同様に怒っている。失った家族を思い、俺のために心を痛めているのだから怒らないはずがない。今も何か手段はないかと考えてくれている。だから俺は、強力な通力を使える天狐である葉風が何か手段はないかと真剣に考えてくれていると信じている。
「そうは言ってない。うちの野狐達を使って陰陽師達を調べれば、選手達の関係者と接点を洗い出すことはできる。時間はかかるけれど、必ず見つけ出せる。でも……」
「でも?」
「証拠は見つけられないでしょうね。見つかっても状況証拠だけね」
「……それでもいいさ。怪しい奴を押さえておきたい。そして何かあったら、その時は今回の件も含めて思い知らせてやる」
トラックから出ていく和泉の姿を目に焼き付ける。
大切な
和泉を狙ったものではない可能性もある。無差別に式神を飛ばした結果、たまたま当たったのが和泉だったということも考えられる。だが、それでも俺の妹の夢を砕いた報いは必ずうけさせてやる。……必ずだ。
葉風が俺の肩を無言で抱いて慰めてくれる。
和泉のところへ行って、直接慰められない俺を気遣ってくれているんだろう。
ありがとう。
だが、顔を合せたりしたら、和泉が俺に気を遣うだろう。ここまで協力してくれたのにと申し訳なさそうに謝るだろう。近くでそんな和泉を見たら、俺はきっと我慢できなくなる。誰が何を言おうとも、俺は……。
だからこうして遠く離れている方がいいんだ。
葉風の優しさに感謝しながらも、今回の件は徹底的に調べ、何かの形で報復してやると誓っていた。それが、和泉にとっては意味のない行動だとしても、和泉が望まない行動だとしても……。
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