トラブル処理(その二)

 新宿区の外れにあるビルの二階に道求会の事務所はあり、表向きは消費者金融業者を装っていた。

 俺は階段を上って事務所に入る。内装は消費者金融の会社にありがちな……地方の小さな郵便局のような感じでお洒落さの欠片もない。かび臭さも少し感じる。

 従業員は受付けの女性の他に男性が二名。女性の雰囲気は一般の方のようだが、男達はスーツ姿だがゴツい感じで事務職には見えない。

 奥には扉があり、この営業スペースより広い部屋がありそうだなとあたりをつけた。


 受付けの五十代くらいの化粧が濃いおばさんへ、「田坂孝明たさかたかあきは居るかい?」と訊いた。田坂孝明は道求会のトップ。六十代後半で、若いときは武闘派で鳴らしたらしい。という名を聞いた受付けのおばさんは、眉をひそめて怪訝そうに聞き返してきた。


「どちら様でしょうか?」

「俺は巽総司。田坂に話があって来た。留守なら出直してくるから、戻る時間を教えてくれ」

「お名刺は御座いますでしょうか?」

「いや、持っていない。でも、なら俺の名前を知っているんじゃないかな」


 堅気かたぎなら俺の名前を知らないとしても全然おかしくない。知っている方が珍しい。

 だが、そのスジの者なら知らないはずはない。崑崙から新宿に移ってきた当時、喧嘩を売ってきたチンピラがきっかけでその手の事務所を二つほど潰した。そのせいで複数の組と争った時期がある。

 だが、神渡ビルに攻め込もうとしても玖音や葉風達の通力に阻まれ、その上、数人の幹部が俺の手で病院送りにされることとなった。命までは奪っていないけれど、最低でも入院が必要な程度に、俺の名前を忘れないよう痛い目に遭わせた。

 それ以来、神渡ビル関係者と俺に手を出してくる輩はほとんど居なくなった。今では、俺が関わっていると知ると大概の組は手を引く。


 俺のことを胡散臭そうに見て、おばさんは後ろに居る男達のところへ歩いて行く。そして俺をチラチラと見ながら説明しているようだった。

 一人の男が奥の扉から消え、もう一人が近づいてきた。

 そしてカウンター越しに俺を睨む。


「巽総司で間違いないんだな?」

「ここで証明してもいいぜ? あんた、しばらく病院の世話になるが、それでいいかい?」


 今日の俺は、カンフー着ではなく白い綿のシャツに黒いジャケットを羽織ったジーンズ姿。判りやすくカンフー着で来るべきだったか。ここらでカンフー着で歩いているのは、コスプレ趣味の人か俺くらい。その上、このような事務所で啖呵を切るとなれば、俺しか居ないだろう。


「おい! こちらに」


 奥の扉から出てきた男が、目の前の男に声をかけた。

 俺は促されるままに奥の扉へ向かい、中へ入る。


 人相の悪い奴らが数人座るソファが幾つか置かれた部屋を通り過ぎ、頑丈そうな机が奥にある部屋に入る。

 俺を先導していた男が、「連れてきました」と一人用ソファに座る六十代後半程度の男に伝えた。

 ツカツカとその男の前に立ち、「あんたが田坂かい?」と訊く。


「ああ、そうだ。噂の巽総司が何の用で?」


 田坂は背もたれから身体を起こし、目の前にあるソファへ座るよう手を差し出した。ドカッと座って、田坂の様子を確認する。茶系の……多分、イギリス系ブランドのスーツを着こなしていて貫禄はある。やや白髪が交じっているが短めに整えられている頭髪。そして眼光は鋭く、隙はない。うちのあやかし達や俺以外ならビビっても仕方のない迫力もある。

 なるほど、事務所を構えているだけのことはある。

 

「手っ取り早く話す」


 俺は彩雲から聞いた話をざっくりと話した。そして、最後に要求を伝える。


「……手を出している男の……彼女への謝罪と、引っ越しや求職活動中の生活費に慰謝料込みで一千万。謝罪は今日中、金は明日までに」

「断ったら?」


 まぁここで、はいそうですかとは進むわけはない。要求も飲みがたい内容なのは判っている。だが、懐が痛む程度じゃないと思い知らないからな。恨みを買う可能性もあるが、俺に向けてのものなら気にしない。


「簡単なことさ、事務所は潰す。そしてあんた達の社会で生きられないようにもしてやろう」

「でかいことを言う。事務所は潰せるかもしれん。だが……」


 でかい口をきく奴だと思ったのだろう。これも当然だ。だが……。


島克明しまかつあきを知ってるか?」

「!? 何故、その名を気安く……」


 島克明は、道求会を傘下としている広域暴力団のTOP。加入している組織の頭の名をいきなり耳にして、田坂は怒っているような、戸惑っているような表情をしている。


「島には娘が居る。知っているか? 彼女は特殊な……珍しい難病に罹っているんだ。診察したどの医師も原因を特定できずに諦められていたが俺が治療している。だが、再発する可能性があってだな……」


 島の娘が罹っているのは、霊障の一種が引き起こす病。身体中を時折激痛が襲い、放置しているといずれ死に至る。噂を聞いて俺のところに来たときには、症状が出てから二ヶ月ということらしいがかなり末期で、娘の精神は壊れる一歩手前だった。

 その霊障は島を恨む誰かがかけたが引き起こしている。呪術師を特定し、呪い自体を止めない限り再発する可能性がある。だから今でも定期的に診ているし、何か異常が見られたらいつでもいいから来るよう伝えてある。

 島克明の関係する組織なら、ある程度融通が利く。事前に話を通しておけば、傘下の新しい小さな事務所一つ潰しても大きなトラブルにはならないだろう。……なってもいいけどな。


「ちょっと待て」


 そう言って、テーブルの上からスマホを取り電話をかける。俺の話の信憑性を確かめるために島へ電話しているのだろう。田坂は耳にスマホをあてながら隣の部屋行った。そして五分もしないうちに戻ってきて。目の前に再び座る。

 その表情からはさきほどの怒りは消え、ため息でもつきそうな納得があった。

 

「……嘘じゃないようだな。おい! 山本を呼んでこい!」


 田坂は扉のところに立つ男の一人に指示し、もう一人の男に「飲み物を何か」と伝えた。俺は、男達が出て行く様子を背もたれに頭を乗せて見送る。知らない奴が見たら、俺の方が悪党に思われるかもしれない。

 お世辞にも態度はいいとは言えないし、権威を笠に着て言うことを聞かせようとしているのだから間違っていない。


「金は明日までに用意する。あとはどうすればいい?」

「あとで、俺の仲間が来る。……今回の件の男をそいつに預け、被害に遭ってる女性に謝罪に行かせろ。金も俺の仲間に渡してくれ」

 

 (よし、俺の仕事はここまでだ。あとは彩雲にやらせればいいだろう)


 彩雲は霊気防壁を使えると言った。ならば、呪術を使えない人間では彼女を傷つけることはできない。田坂はこの件を早く終わらせてしまいたいだろうし、手を出してくるようなことはないだろう。だが、チンピラは何をしでかすか判らない。彩雲にはしっかりと霊気防壁を張っておくよう伝えておこう。


 加害者を被害者の女性のところへ連れて行き謝らせ、翌日、金も渡してそれでおしまいだ。被害者の女性は彩雲に感謝するだろうし、今回の件での評価もあがる。風香にも良い報告ができるだろう。


「連れてきました」


 先ほど扉のところに居た男が、見た目はインテリっぽい男を連れて戻ってきた。


「おい、山本。おめえが手を出してる女に頭下げてこい。そして手を引け」


 ソファ前まで来た山本と呼ばれた男に、田坂はきつい視線を向ける。


「お言葉ですが、なんでですか? もうちょっとだというのに……」

「関わっちゃいけねぇ話になったんだ。黙って言うことを聞け」

「ですが! ……この野郎ですか? 親父に変なこと吹き込んだのは」


 納得できないせいか、ソファに座り状況を見守っていた俺に身体を向けて胸から銃を出した。


 (こいつらはいつも同じだ。銃を向けさえすれば思い通りになるとおもってやがる)


 世界が狭いのだ。人間は人間の力の及ぶところでしか物事を考えられない。その外に居る者達が居るということを知らないから判断を誤る。

 俺は冷静に山本を観察する。


 (こいつ銃を使ったことないな) 


 激情に任せて銃を取り出したのはいいけれど、銃口が俺の頭を狙っている所を見ると場数が少ないと判る。最初は避けにくい場所を狙って相手の動きを鈍らせ、頭などの急所を狙うのはその後だ。


「この山本とかいう男に思い知らせていいのか?」


 「親父の前だ、やめろ!」と他の男達が叫ぶが、山本は数歩下がって、俺に向けた銃を下ろそうとはしない。

 俺は山本をチラッとだけ見て田坂に訊く。

 田坂は、さすがに場数を踏んでいるようで、動揺した様子は見られない。


「好きにしろ」


 許可は貰ったとソファから立ち上がった俺に向けて銃が声をあげた。ダンッ! と鳴りひびく。鋭敏な俺の鼻に硝煙の匂いがうっすらと漂う。弾は俺に向かってきたのは間違いない。だが、身体の数ミリ手前で止まり、床に落ちた。


 山本へ一歩踏み出した。

 ダンッ! ダンッ! と断続的に銃声が響くが足を止めるつもりはない。


「な、何故だぁ!」


 錯乱しているかのような裏返った声で、恐ろしい者を見るように血走った目を見開いている。

 俺は腰を回して横蹴りを出し、山本の手から銃を弾き飛ばした。そして、手を押さえる奴の顎に掌底をぶつけた。続けざまに、ドンッと後ろにひっくり返った山本の足首目がけて足刀そくとうを落とす。「グワァ!」と顔をしかめ、ジタバタと感じている痛みを身体全体で床の上で表現していた。……骨も折れたかもしれないが知らん。今回は、生きて謝罪して貰わなきゃいけないから、物理的なダメージはあるだろうが、霊気による攻撃はかなり手加減している。


「な、何者……」


 背後で男の声が聞こえた。

 その声には反応を見せず、呻きながら足首を押さえる山本を背に田坂に向き合う。


「こいつは数日自力で動けん。せいぜい面倒を見てやってくれ。……じゃあ、あとで仲間が来るから、よろしくな」


 ソファに座る田坂の顔と身体が強ばっている。

 山本に当てた掌底と足刀で、気の流れを乱しておいた。自然に治る程度だが、時間はかかる。完治するのは一週間か十日、少なくとも最初の二~三日は立ち上がれず、一人で食事も用を足すこともできないだろう。


「優しいんだな」

「ん?」


 立ち去ろうとしたところへ、気を取り直した田坂が声をかけてきた。


「あんたほどの腕があれば、この先ずっと残る障害を与えることも、殺すことも簡単だろう。後顧の憂いを断つために、何故そうしない?」


 田坂の表情に笑みはなく、不思議で仕方ないという不審さを感じている様子だ。


「つまらんからだ」

「つまらん?」

「ああ、クズはいくら消してもまた出てくる。やり過ぎたクズが目に入れば掃除はするが、いちいち殺していたらキリがないだろう?」

「それで?」


 クズと呼ばれても雑魚チンピラとは違い、田坂はいきり立ったりはしない。抱えた疑問を解消しようとしている。


「クズと言っても命はある。掃除のたびに命を奪って罪を背負うなどつまらん」


 (罪を祓うために必要な行事をこなす方が大変なんだよ)


 口にはしない本音にため息をつく。「無闇に殺すなよ」と俺を戒めた、今は崑崙に居るはずの峰霊ほうれい師父の厳しい顔を思い出していた。


「だが、相手が生きていれば恨みはかうだろう?」

「好きにさせるさ。……相手がこの山本だろうと、田坂あんただろうと、向かってきたらまた潰すだけだ」


 両手を肩まであげて田坂は苦笑する。


「面倒な話だな」

「そう思うなら、せいぜい俺の目に入らないようにしてくれよ」


 田坂に背中越しに手を振って、まだビビっている男達の間を通り俺は部屋を出た。


◇ ◇ ◇


「助かったよ。ありがとうな」


 二日後、風香が彩雲を連れて俺の部屋に来た。

 風香はもちろん、彩雲の表情も明るく、例の件が片付いたことを知った。

 あの日の夜、彩雲が山本を連れて……と言っても、介助役の男が二名付き添ったらしいが……被害者の女性のところへ謝罪に行き、翌日には、嫌がらせした会社を回って山本に謝罪させ、彼女へ慰謝料等込みの一千万円を渡した。お金を渡した時に、彩雲のことなどはオフレコにすることを約束させたという。

 

 最初から口止め料も込みの金額だから、彩雲の行動は当然だろう。


 さすがに一千万は……と、被害者の女性は受け取るのを躊躇ったようだ。だが、山本の口から「是非、受け取って欲しい、頼む」と涙ながらに言われ、それを聞いた彼女はやっと受け取ったという。


 一通り報告を聞いたあと、彩雲は「ありがとうございました」と礼をし、俺は手を振って気にしないでと態度で表した。


「たまにはお店にもおいでよ。葉風姉さんが一緒じゃないときは彩雲に付いてもらうからさ」


 そして「サービスして貰えるよ? イヒヒ」と笑う風香。

 「BAR薫風くんぷう」はいつからその手の店になったんだ? と言い返したいが、何を言ってもめげずにからかってくるだろうと自重する。

 風香の言葉に彩雲は笑い、「ええ、もちろんです」と答えた。

 俺は苦笑し、「空いている時にでも顔を出させて貰うよ」とだけ返事する。

 そんなことはきっと無いと、この場の誰もが思っているのだが……。

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