夜風に吹かれて

 霊格が高いあやかしや俺のような仙人は、必ず睡眠をとらなければならないわけではない。特にこの神渡ビルのように常時濃い霊気が集まる場所では尚更だ。

 だが、みんな睡眠を取る。それは睡眠中は体内に取り込む霊気の量が増えるからだ。取り込む霊気の量が増えれば、少しずつだが霊力が強くなる。霊格をあげるためには、霊力の強さも重要だからみんな眠る。


 いつもなら、修練は早朝と空き時間にして深夜は俺も眠る。だが今日は、なんだか眠れない。特に何か理由があるわけではない。単にそういう日もあるというだけだ。


 こういう日は屋上へ行き、霊気功術の修練をして、眠れそうになるまで繰り返す。霊気功術の修練は、見た目には中国拳法の功夫クンフーの修練と変わらない。


 精神を集中し、足の運び、力のいれ具合、連続して繰り出す技の一つ一つを確認しながら、その精度を高めていく。クンフーと大きく違うのは、呼吸。

 霊気功術の達人である峰霊は、まだ人間だった頃にこの技を編み出したという。人間だった頃は、呼吸法にも特異なものがあったらしい。だが、仙人となり呼吸する必要が薄れると、呼吸法を無視した技となり、その代りに、霊気の使い方が重要になった。


 俺は尸解仙になってから教わったので、霊気の使い方を重視した技を学んだ。修練も、霊気を練り、身体のどこに配分すれば良いかを意識しながら行っている。


 技を繰り出すときに、ハッと息を強く吐く。だが、それも気と霊気の操作に便利なだけで、本当は発する必要はない。実際、師父からは「静止した状態から予備動作など全てを消して技を繰り出せ」と言われている。一応、呼吸も利用している俺の霊気功術に合格を出してくれたが、師父の目からはまだまだ未熟なのは判っている。


 一時間ほども修練しただろうか。

 そろそろ部屋に戻ろうとしていたところに、葉風がやってきた。淡いピンクの浴衣のような寝間着姿。風でめくれないよう手で押さえている。月明りに照らされ、いつもより可愛らしくてドキッとした。


「頑張っていたのね」

「眠れずにいたから、身体を動かそうと、ね」


 神社に向かって一礼し、階下へ向かおうとした。


「少し話さない?」


 葉風が微笑んで言う。玖音同様の腰近くまでの長い髪を夜風に揺らし、やしろの横に置かれた長椅子に座る。

 その横に座ると、俺の肩に頭を乗せてきた。


 「どうした?」と訊くと、「何も」とだけ答える。

 甘えたいだけなのかもとそのままで居ると、静かに話し始めた。


「ねえ? こうして二人きりで居るの……初めてだね」

「……そうだったかな」


 神渡ビルに来てから五年。

 頻繁に会っているが、言われてみれば朝凪が一緒だったり、風香達が居たかもしれない。


「そうよ。仕事のときは二人になることもあるけど、やっぱり仕事中だしね」

「まぁな」


 不老不死で尸解仙ということが理由にあるのかもしれないが、恋人や連れ合い、あと子どもが欲しいとかほとんど考えたことはない。仲間が居ればそれでいいし、このビルのあやかし達とは始終一緒に生活しているから家族のような感覚で、現状に不満はまったくない。


 朝凪のように恋人を猛烈に欲しがるのは、狐だったころの感覚から離れきっていないだけと考えていた。葉風が俺に惚れていると風香から聞いて驚いた。それは、三千年以上も生きてきた葉風までもが朝凪と同じなのかと、自分の考えに間違いがあったのだと思ったから。……朝凪のは、あいつの性格に依存しているだけと理解したよ。


 最近、仕事のパートナーになりつつある葉風と一緒に過ごしていて、二人で協力しあって生活するのもいいなと思うこともある。自分がそんな風に感じるなんて意外だった。もちろん葉風に好意はある。一緒に居ると落ち着く。今も、身体を寄せ合っていて悪い気はしていない。伝わる柔らかい温もりもとても心地良い。


「こんな時間がたくさんあるといいね」

「あはは、座敷童か玖音さまに怒られちゃうぜ」

「房中術で修行していますと言えば……」

「おいおい、蝶子のようなことをお前まで言うのかよ」


 房中術には、体交法と神交法の二つがある。性行為で気のみを交換するのが体交法で、身体を交わらせずに気を交換するのが神交法。神交法と言わずにわざわざ房中術と言うのは、俺の反応を確かめようとしていると感じた。

 その証拠に、微笑みつつもどのような反応も見逃すまいとする空気で、その落ち着いた視線を外そうとしない。


「嫌?」

「そんなことはないけれどもだな」

「フフフ、総司を困らせるの楽しい」


 柔らかい腕を胴に回し、ギュッと抱きしめてきた。


「ほんとに蝶子みたいだな」

 

 だが、蝶子にされそうになると逃げたくなるが、葉風に抱きしめられても嫌な気持ちはしない。

 いや、心地良い、な。

 玖音ほどではないが、堅いタイプだと思っていた葉風に悪女の素質を見た。俺はそう思った。


 俺が苦笑している横で、クスクスと葉風は笑い続けている。


「楽しそうで何より……だよ」

「うん、楽しい」

「……そうかよ」


 抱きついたまま揺さぶる葉風にされるがまま、俺は神社の上に輝く月を眺めた。満月にはまだ遠い、半月より少し育っている形がくっきりと見えている。


「今夜の月は綺麗だな」

「そうね。……部屋に戻ってお酒でも飲もうか?」

「酒かぁ、少しならいいかもな」


 アルコールの影響を意識して止めなければ、仙人やあやかしも酔う。


「じゃあ、総司の部屋で……ね?」

「そのまま朝まで居る気じゃないよな?」

「ちゃんと戻るよ?」


 またクスクスと笑って身体を離して立ち上がった。


「今のところは……なんだからね?」


 そう言って手を差し出す。

 葉風には勝てそうもないなと苦笑し、その手を握り椅子から立ち上がった。

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