霊気酔い

 受付けで蝶子とスケジュールを確認していると、葉風が慌てて施術室から出てきた。


「どうした?」


 総司の問いにサロンの出口で葉風は立ち止まる。


「風凪から電話があって……」

「ああ」

「朝凪に何かあったみたいなの」

「そうか、次の客まで時間があるから一緒に行こう」


 具体的なことは葉風も判らないようだ。朝凪のことなら俺も気になる。最近は顔を合せる時間が減って、あまり話していないけれど、俺に懐いてくれる朝凪だからな。

 蝶子のいつもの誘いをスルーして、葉風と一緒にエレベータに向かった。


 十四階で降り共用スペースにある食堂に入ると、テーブルを囲んで風香、風凪、そして朝凪が座っていた。

 窓からの日射しが強く、朝凪の表情は逆光でよく判らない。俺と葉風の姿を確認した風凪が、招くように手を動かした。


「どうかしたのか?」


 風凪の横に座ると、耳元に口を寄せてきて


「中野友里乃さんにフラれたらしいんだけど……」


 やはり朝凪こいつは我慢できなかったか。ま、予想範囲で驚きはない。


「そうか、早かったな」


 葉風も俺の横に座り、聞き耳を立てている。 


「それで目覚めちゃったみたいなの」

「何に?」

「……マゾに」


 マゾという言葉を口に出したとき、風凪の朝凪を見る目には嫌悪感があった。


「は? 訳わかんないんだけど」


 俺は葉風と顔を見合わせたあと、風香と何やら話している朝凪に視線を移した。


「……巨乳には、フラれても貶されても響くものがまったく無いっすよ」

「何よそれ。貶した相手が私じゃ物足りないって言うの?」

「最初から論外っすから」


 うん、安定の巨乳嫌いだ。マゾになってもそれは変わらないらしい。

 それにしても、堂々と風香に言い返している朝凪が……男らしく見えるのは新鮮だ。

 だが、よくよく考えたら、マゾ心に刺さってこないという話なわけで、男らしさとは関係ないな。

 ……前言は撤回させてもらおう。


「おーい、朝凪ぃ~どうしたんだぁ?」


 プリプリと怒る風香から俺に朝凪は視線を移す。少し悲しい表情をしているが、それはフラれたためだろう。


「あ、総司さん。……中野さんにフラれちゃったんっす」


 過去に何度も聞いた台詞。さすがに大げさに心配することはなくなったが、やはり可哀想だ。


「そっか、それは残念だったな」

「ええ、とても残念っす。でも、一夏ひとなつの美しい恋は失ったんすけど、新たな能力を手に入れたんっす」


 悲しそうな表情から少し明るい表情へと変わった。


「ほう、それは何だ?」

「フラれたダメージを快感に変えられる能力っす」


 うん、マゾだ。間違いない。

 朝凪よ、そっちに成長してしまったか。


「具体的に教えてくれ」

「判りましたっす。では風凪さん、またフッてくださいっす」


 ワクワクと期待している空気が朝凪から感じる。

 ……というか、今現在恋してもいない風凪に言われても快感を感じるのか?

 器用だな、朝凪このヘンタイ


「ええ~、気持ち悪いぃ~」


 風凪が顔をしかめて拒否感全開でこの場から逃げようとする。


 うん、確かに気持ち悪いな。俺もそう思うよ。


「そんなこと言わないでくださいっす。総司さんに見せなきゃいけないんすから」

「風凪、すまんが一度だけ頼む」


 風凪に頼むと、まだ嫌そうな顔をしている。

 ……まぁ当然だよなぁ。


「……仕方ないわね。ではいくわよ。……朝凪、あんたの気持ちには応えられないわ」

「くうぅううう! 来たぁあっす。うほぉー気持ちいいっすねぇ。ゾクゾクするっすぅ~」


 宙のどこかを見ている瞳が危ない。ウヘヘヘとでも言いそうな表情で喜んでいる。


「ね? 気持ち悪いでしょ? 総司、アレ何とかならない?」


 顔を背け、指だけを朝凪へ向けて風凪が訊く。


「どれ、気の流れがどうなっているのか見てみる」


 サディスティックな行動を好むあやかしは居る。例えば、蝶子にはその気がある。しかし、あやかしでマゾというのは俺も初めてだ。正直興味がないと言えば嘘になる。

 俺は席を立ち、朝凪の背後に移って首から背中にかけて手を当てて霊気の流れを確認した。

 特におかしいところも、霊気が活発になっている箇所もない。


「すまない。風凪、もう一度フってやってくれ」

「えぇええええ! もう嫌だよ。葉風姉さんやってよ」


 風凪は首を横に振り、葉風に向いて口を尖らせている。


「え? 朝凪、私でもいいの?」


 突然、自分に役割を振られた葉風は朝凪に確認するだけ。

 俺としては、確実に反応する風凪にやって欲しかったが、強いることはできない。


「うーん、風凪さんのほうがおっぱい小さいんで好みですが、葉風さんくらいなら守備範囲っす」


 妖狐に限らず、あやかしが人化した際のスタイルというのは、意識しなければ元々の体型に準拠する。

 風香は巨乳で、風凪がツルペッタンという違いはそこから生まれる。葉風は、風香と風凪の中間体型で、朝凪にとっては守備範囲らしい。 


 一丁前にというか、偉そうに言う朝凪に「この野郎」とイラッとした。だが、萎縮させては失敗してしまうかもと黙っておく。

 風凪は気に入らなそうな表情を朝凪に向ける。


「おっぱい小さい、小さいって、朝凪、覚えていなさいよ」


 あとでどんなお仕置きされるか期待している風すら表情に浮かべている朝凪は、まさにマゾとしか言えない。


「しょうがないわね。じゃあ、いくよ。……朝凪となんか付き合えないわ」

「うっほぉ~~~! クフフフフフ……いいっす、いいっすよぉ~」


 しかし、この程度の、それも芝居だと判っている言葉でもなお喜ぶ朝凪は観ているだけで確かに気持ち悪い。朝凪こいつのスイッチは超ソフトタッチで起動するのか。いつでもどこでもオンになりそうでヤバイな。


 怪しく喜ぶ朝凪の霊気を確認すると、通常の流れとは異なる動きを発見した。

 だが、一度では確信できない。


「葉風、もう一度だけ頼む」

「え、もう一度?」

「ああ、そうだ。霊気の乱れを見つけた。次は乱れないように流れを無理矢理固定する。その結果、朝凪がどう反応するか知りたいんだ」


 「ご褒美、ご褒美っすぅ」とニヤつく朝凪を放置して、葉風に頼んだ。

 俺が頼めそうな女性の中で、蝶子のようなサド気がある女性なら気にもしないでやってくれるのだろう。だが、朝凪は巨乳が嫌いで、蝶子は風香に近いほど胸が大きい。風凪同様に嫌そうな顔をしているけれど、ここは葉風に頼むしかない。 

 

「これで最後よ? じゃあ……朝凪、私変態は嫌いよ」


 俺は朝凪の首元からの霊気の流れを固定した。先ほどはここでパンッと破裂するように身体全体へ霊気が発散した。その動きが起きないようにしたのだ。

 すると……、


「げぇえ、ちっとも気持ちよくないっす。それどころか葉風さんに嫌われて辛いっすぅ」


 霊気の通常とは異なる動きで生じていたマゾ症状だと判った。まだ純粋なマゾにまではなっていないようで少し安心したよ。……しかし、変態の自覚はあったのかよ。

 

 予想外の反応に朝凪は凹んでいるが、原因が判った俺はニンマリする。


「朝凪、立ってみろ」

「へ? すぐにっすか?」

「ああ、すぐにだ」


 俺に言われて朝凪は椅子から立ち上がろうとする。

 しかし、力が入らないようで、なかなか立ち上がれない。

 「あれ? あれ?」と首を傾げている。


「だろうな。お前のマゾ症状はだな。霊気酔いが原因だ」

「霊気酔い?」


 朝凪と葉風達が揃って疑問の声をあげる。


「そうだ。朝凪は心理的ダメージを受けると、首の辺りを流れる霊気が全身に一気に移動する。そして手足の末端までの霊気を集めて瞬時に頭へ戻るんだ。すると、通常では考えられない量の霊気が一気に集まり脳を刺激する。それで、多分だが、薬物で快感を感じる人間と同じような症状を引き起こしているんだ。だから首元の霊気が発散しないようにしておくと、マゾ症状は生じない。そして、手足に流れていた霊気が一時的に全て失われるので、動こうとしても動けなくなる」


 俺が説明を終えると、風香が悪い顔で笑う。さきほど朝凪から論外と言われたのを根に持っているようだ。


「クスッ、つまりマゾになったのではなくて霊気中毒患者ジャンキーというわけね?」

「まぁ、判りやすくいえばそうだな」

「それは治るの?」


 葉風が朝凪にぬるい視線を送りながら訊いた。


「治る。というより、治さないといけない。一時的とは言え、頭以外から霊気が失われるから、この状態がたびたび起きると霊気が正しく流れなくなる可能性が高い」

「えぇえええええ! するとどうなるんすか?」


 症状がどうなるかはまだ判らないだろうが、霊気が正しく流れないと訊いて朝凪は慌てた。霊気の乱れはあやかしにとってトラブルを意味しているから当然といえば当然だ。


「死にはしないが、手足はうまく動かなくなるだろうな」

「そ、そんなの嫌っすぅうう!」

「問題はだ。この症状が失恋などの心理的ダメージで生じるようだということだ。言葉責め以外だと、どのような状況でダメージをうけるのか判らないから困る。だが方法はある」

「な、なんっすかぁ? 何でもいいから治して欲しいっすぅ」


 目に涙を溜めて朝凪は騒ぎ出した。


「霊気のコルセットを本来あるべき流れに沿って体内に設置するんだ。これで霊気の発散は生じなくなる。しかし……」

「まだ何かあるんすか?」

「感情が大きく揺さぶられると、ズキッと痛むだろうな。まぁ治るまでは仕方ない」

「……簡単に言わないで欲しいっす」


 惚れっぽく感情的になりやすい朝凪には辛い事実だろう。だが、治るまでの我慢だ。手足が動かなくなるよりはマシではないか。


「んじゃ、治療やめるか?」

「いえ! やってくださいっす」


 その言葉を聞いて、俺は朝凪の背の中心に手を当てた。朝凪の霊気の流れが束になっている箇所を中心にして、流れの束を包むように霊気を送り、そして固定する。再度、背中全体の気の流れを確認し手を離した。


「これで大丈夫だ。この状態のままで生活を続けていけば、心理的なダメージを受けても、霊気が発散することはなくなる。……だいたい一年くらいで治るだろうな」

「判りました。一年っすね」


 朝凪はホッとした表情で頭を下げた。

 その様子を見て、風香と風凪が優しい表情で笑う。何だかんだ言っても、同じ妖狐の朝凪のことが大事なのだ。特に風凪は、妖狐になるとき凪の一字を名に与えたらしいから尚更だろう。


 俺もにこやかに皆の様子を眺めていた。同時に、霊気の発散という状態を霊気功術に利用することを思いつく。人間相手にはさほど意味は無い。だが、相手があやかしならば、痛みを与えずに無力化できる。更に……。


 (理屈は判った。あとは修練だな)


 「しばらく大人しくしてるっす」と、頭を掻きながら言う朝凪を、葉風達はからかっていた。この和やかな雰囲気を俺も楽しんでいた。

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