玖音からの依頼

 妲己の長女である玖音は、地脈を読み霊気を集めている。その主な目的は、殺生石を浄化する際に必要になる霊気を、神渡ビル屋上にある稲荷神社に集めること。その結果、神渡ビルには大量の霊気が常時流れ込み、あやかしにはエネルギーを与え、人間に対しても影響を与えている。


 あやかしや俺にとって大切なことは、霊力と霊格。

 霊格は善行を積み重ねなければなかなか上がらない。霊気が大量にある神渡ビルに居ても霊格はほとんど上がらない。

 妖狐で言えば、野狐から地狐へ昇格する際には善行など必要ない。だが、気狐以上に霊格をあげようとするなら善行は必要になる。


 霊力を上げるには、修業して自身が貯えられる霊気の量を増やし、質を向上させる必要がある。だが、神渡ビルに居るだけで、地脈から集められた良質の霊気を常時取り込める。そもそも、魂を核として霊気が物体化した存在が仙人であり、あやかしだ。霊気に囲まれているだけで個々の力は向上する。

 神渡ビルは、仙人やあやかしにとってこの上なく最適な生活空間なんだ。


 だが、霊気には人にとって害になる性質のものもある。悪意と結びついた霊気は、人間には毒になり、呪いをかけられることもある。悪意が濃い霊気だと人は死に至る。

 では、あやかしなら悪意を含んだ霊気に触れても問題はないかというとそんなことはない。

 霊格が低い、霊力の弱いあやかしは迷いやすい。悪意に多く触れると清らかさを失い、悪行を働くことを喜ぶようになる。妖狐なら悪狐へ堕ちやすくなる。他のあやかしも悪しきあやかしとなりやすくなる。


 玖音は、悪意と結びついた霊気が流れ込んでこないように、空狐の絶大な通力を使って調整している。

 神渡ビルにとって玖音は中心であり、絶対的な支配者である理由だ。


 その玖音の自室じゃなく、屋上の神社前に呼び出され叱られている。神社前に呼び出されたのは不思議だったが、玖音には何か理由があるのだろう。それは俺が気にするようなことではない。


 九兵衛の件もあるが、和泉のリハビリに集中しすぎて、俺が浮ついていることをここまで注意されていた。俺はコンクリートの床に正座し大人しく聞いている。


「……妹さんの件は事情を理解したから、他の仕事をキャンセルすることも許可しました。ですが、それは他のあやかしと遊んでいて良いということじゃない。判りますよね?」


 神社を背に立ち、屋上に吹くやや強い風に腰までの長い黒髪をなびかせ、スッとしている切れ長の金色の瞳にきつく冷たい空気を感じさせていた。品が良く言葉使いが丁寧なだけに、玖音の言葉は胸に突き刺さる。玖音と葉風達は同じ年齢で三千歳以上。葉風達とは年齢差など気にせずに接していられるが、格の違いを感じさせる玖音には頭が上がらない。


 和泉の回復が想定していた以上に順調で、今思うと確かに俺は浮ついていた。叱られても仕方ないと素直に謝罪する。


「申し訳ありませんでした。仰る通り、浮ついていたと思います」


 頭を下げた俺にひと息抜くように息をフゥと吐き、言葉を続ける


「今後、気をつけるように。……それで、ここに呼び出したのには訳がある」


 そうだろうなと顔を上げて玖音を見る。表情は和らいでいたのでホッとした。


泰山娘娘たいざんにゃんにゃん様がもうじき来る。総司。おまえには娘娘様のお相手を頼みたい。ああ、妹さんのリハビリに支障のない範囲で構わんからな」

「泰山娘娘様が? どのような目的でいらっしゃるのでしょうか?」


 泰山娘娘は崑崙に住む、最古の天女の一人。妖狐を束ねていて、昇格の試験を行う天女だ。近々、風凪が天狐への昇格試験を受けるとは聞いている。だが、それはまだ少し先のはず。


 崑崙が誕生したときから今の姿で、何千年何万年生きているのか判らない。俺が崑崙で修業している時には、宴の時くらいしか会うことはなかった。背も低く幼女のような童顔で、現代日本で通じる判りやすい表現だと

 顔を合せるとイジられる朝凪は「巨乳の熟未通女じゅくおぼこ」と呼んでいる。妖狐の風香とともに、朝凪の天敵のような天女だ。あいつは抜けているところがあるから、イジられやすいんだよ。


 崑崙では話したことはなかった。日本に来てから多少付き合うようになり、かなりマイペースな天女だったのだなという印象を持っている。


「……観光……だそうだ」

「はぁ? 観光でですか?」


 自然しかない崑崙に住んでいる娘娘が、用事を理由に巷に降りてきて市井を見て回ることもあるのかもしれない。きっと大陸でもしているのだろう。だが、これまでに何度も東京には来ているはずで今更感はある。


「ああ、前回いらっしゃった折に、甘味をいくつか食されて大層お気に召したようなのだ」

「はぁ……」


 スイーツ巡りに来るのかよ!!


「金銭をお預けするのは一向に差し支えないのだが、あのお姿であろう?」

「ええ、まぁ、判ります」


 小学生低学年くらいにしか見えないからな。一人で新宿をぶらついていたら補導されても不思議じゃない。入れる場所も限られるだろう。


「日本での常識も判らぬから、総司が付いていてくれると助かるのだ」

「えーと、葉風達は? いえ、嫌だというわけではありません。ただ……」


 妖狐にとって社長のような存在なのだから、妖狐が面倒を見た方が良いのでは? 特に、修行を怠けがちな風香はポイントを稼ぐ良い機会なのではないか。


「……妹達は逃げた……」


 まぁ社長のお供なんて、気を遣うし疲れるから嫌なのは判る。俺も峰霊ほうれい師父とは修行以外で過ごすのは気疲れする。

 なるほど。そこで部下には当たらない俺に面倒を見させた方が楽だろうと玖音は考えたのか。


「葉風達の気持ちは判ります」


 いいさ。ケーキバイキングやってるホテル連れて行って、その他は有名どころを二~三箇所回れば気が済むだろう。午前中に和泉のリハビリを終えれば、あとは空いているからその程度は何とかなる。


「今日一日だけだ。宜しく頼むぞ」

「判りました」


 さすがの玖音でも泰山娘娘には気を遣わなければならないのだろう。先ほどとは打って変わって、しおらしいというか、申し訳なさそうというか、そんな空気で頼んできた。

 いつもは畏れ多くてこんなこと考えることはないのだけれど……「玖音、ちょっと可愛い」。

 キッと締まった表情で和服を優美に着こなしている玖音が、小さくなって俺に頼んでいる。こんな姿は二度と見られないかもしれない。日頃お世話になっているし、今回も迷惑をかけたのだ。一日くらい泰山娘娘のお世話するさ。

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