総司の日常

葉風

 中野友里乃が神渡ビルで暮らし働くようになってひと月が過ぎた。

 彼女は十三階に部屋を借り、地下にある図書館で働いている。護衛役の朝凪は、彼女の仕事が終わると狐の姿で十三階の廊下をうろつき、そして寝るようになった。中野友里乃との会話も増えたようで、朝凪やつは嬉しそうに毎日過ごしている。中野友里乃も明るく過ごしているようだし良いことだ。


 俺の生活に少しだけ変化へんかが起きた。

 これまで朝凪がやっていた朝食と夕食の準備を葉風がするようになったのだ。「自分でできるからいいよ」と言ったのだが、葉風は悲しげな上目使いで「私が用意するのではお口に合いませんか?」と返してきた。そう言われてしまうと断りづらく、お願いすることになった。


 葉風は、俺に対して負い目を感じている。

 口や態度には出さないが俺には判るんだ。


 理由は、二十年前に俺が尸解仙になったときにある。


 殺生石せっしょうせきという石がある。強い霊力を持つあやかしが恨みを残して死んだ時に石に変わったものだ。

 有名なのは、九尾の狐にまでなるほど霊力が強かった妲己が日本へ渡って玉藻前たまものまえとなり、そして僧侶等に殺され殺生石になったという話だ。


 殺生石は、近づく人間に毒や呪いを与え、最悪は死に至らせる。

 玖音等は、崑崙こんろんにいる天女の泰山娘娘たいざんにゃんにゃんから命を受けて、日本で殺生石を回収し浄化している。親の不始末を子供が正している格好だ。


 長女の玖音は、妖狐としての最高位空狐となるほどの霊力の持ち主で、地脈を読んで霊気が集まりやすい場所を選んで神渡ビルを建てた。屋上には稲荷神社があり、彼女は回収された殺生石をそこで浄化している。


 次女の葉風は、天狐。泰山娘娘の指示により、以前は宇迦之御魂神うかのみたまのかみの下で氏子うじこに家内安全と商売繁盛の加護を与える務めを果たしていた。だが、殺生石が見つかるとその回収も行っている。


 二十年前、家族と北海道を旅行していた俺は、上空から落ちてきた石に触れて重症に陥った。回収した殺生石を葉風が落としてしまったのが原因。


 自分の責任で瀕死の状況に陥らせたと、葉風は玖音に願って俺の命を救おうとしてくれた。まだ十歳の俺には、殺生石の毒に対抗するだけの体力も、もちろん霊力などもなく、治療してもとの人間としての生活には戻れそうもなかったらしい。そこで、俺の身体を使って仙人にする手段を玖音は選んだ。

 尸解しかいだ。

 修行を積んで仙人に至らせるのではなく、身体から魂魄を取り出す尸解という手段で俺を仙人にしたのだ。ちなみに、仙人になる際に元の身体は消えている。

 家族にとっては謎の失踪者となったわけだ。


 尸解仙となると、現世との繋がりは切られる。

 俺は崑崙へ送られて、神仙を目指す仙人としての修行を行うこととなった。


 霊気功の創始者でもある神仙霊峰れいほうの下で気功術の習得と霊力を高めるための修行を十五年行い、五年前に玖音達を手伝えと命じられてこの神渡ビルへやってきた。


 死を回避するためとはいえ尸解仙にして家族との縁も失わせたと、葉風は責任を感じている。

 事あるごとに気を遣うので俺はそう感じていた。


 正直なところ、今では全く気にしていない。

 そりゃ、突然尸解仙になって、現世の人間同様に勉強もして、きつい修行もして、崑崙の神々の世話も焼いてという生活を、両親から離れて送るようになり「どうして俺が……」と不満を感じたことはある。

 だけど今では、不老不死になったし、一般の人間では体験できないことを数多く経験できるようになったと思っている。


 あやかしにも良い奴も居れば悪い奴も居る。だが、それは人間も一緒だから気にすることもない。妖狐達含めて、あやかしにも面白い奴らはたくさんいて、今では仲間だ。せっかく命を失わずに済んだのだから、楽しんで生活しなくちゃ損だ。

 だから、もう気にする必要はないと何度も言ってきたのだ。だけど、葉風は気にしている。


 それにだ。葉風はちょっとやり過ぎるところがある。サービス過剰という奴だ。

 朝食なのにステーキやすき焼きが出てきたり、夕食も高級食材を世界中から集めてきて毎日のように贅沢なメニュー。 

 崑崙で質素な生活を送ってきた俺には持て余す。

 しかし、これが葉風の企みだとは俺も気付いていなかった。

 メニューをもっと質素なものへ変えてくれるよう頼んだのだが、これが目的だったらしい。


「ウフフフ、それでは総司の好みを教えて下さいね?」


 希望に沿った食事を用意するというのだ。俺のことを気遣う葉風のことだからと最初は不思議に感じなかった。そして希望を聞いては楽しそうに食事を用意するようになり、俺も葉風もウィンウィンだとばかり思っていたのだ。

 だが、それはある日風香の一言で「なんと!」と驚くこととなる。


「総司。あなた葉風姉さんを専用メイドにしたって?」


 冷たい光を瞳にたたえ、俺を射貫くように見た。怒っているようではなかった。だが、嘘や誤魔化しを許さない圧力はあった。しかし、葉風をメイド扱いした覚えはまったくない。


「はぁ? どうしてそんな話が」

「姉さんが嬉しそうに話してたわよ。総司の専用メイドに昇格したって、次は妻の座だって……」

「つ、妻ぁああ?」

「ええそうよ。知ってるでしょ? 尸解仙のあなたは貴重なの。霊気が清くて濃いからね。あやかしの私達には、神仙はさすがに高嶺の花過ぎて手が届かないし」


 十階の受付嬢、夜叉ヤクシーの蝶子が俺の愛人になりたがる理由でもあるので知っている。修行中のあやかしにとって、霊力をあげるために必要な清らかな霊気を濃く持っている仙人は垂涎の的なのだという。


「……それは以前に玖音さんから聞いたけれど」

「それに葉風姉さんは、あなたを気遣っている内に惚れちゃったみたいだし」

「ま、マジで?」

「姉さんに不満があるの?」


 うーん、困った。

 この風香もだけど、妖狐やあやかしは変化へんげする。霊力が強いあやかしは変化したまま生活している。寝ているときもだ。だからあやかしの外見は宛てにならない。外見が好みだと多少のことは許せるという人間のスケベ心は利用されるだけなのだ。蝶子など、ターゲットの男の好みが判れば、それに合せて変化へんげして遊び倒すだろう。


 どのような関係でも付き合って行くには性格等の相性が一番大事になる。それは当たり前と言われるかもしれない。だが、あやかしでは人間よりも重要なのだ。

 

 あやかしは長命で、不老不死同士でとなれば相性はさらに重要になる。

 美人は三日で飽きるという言葉があるように、見た目というのは長期間で見ると慣れによって長所ではなくなる。だから、あやかしとの付き合いでは、外見への評価は最小限にして、その他の面を重視しなくてはならない。


 葉風の外見は他の妖狐同様に美しい。清楚な和風美人という表現が当てはまる。

 あと、いつも尽くしてくれるしとても優しいけれど、それは俺を気遣ってのものだと思っていた。だから夫婦の相手としてだなんて考えたこともなかった。


 その葉風が俺に惚れている?

 気楽な相手だし、一緒に過ごしていて気持ちもいい。

 だけど……。


「不満はないけれど、そういう対象として見たことはなかった」

「まぁいいわ。夫婦になる気がないなら、傷が深くなる前にちゃんと言いなさいよ。姉さんを傷つけたらきっちりお仕置きしてあげるから」

「ちょ!」

「接近戦ではあなたにお仕置きはできないけれど、通力使えば痛い目に遭わせるくらいできるんだからね」


 風香は真面目に修行してこなかったらしく、葉風と同じ年齢のはずだけど仙狐だ。のんびり修行している風凪も仙狐だけど、もうじき天狐になれそうという。

 天狐ほどではないとしても仙狐の通力も強力で、雷を落とすくらいのことはしてきそうだ。

 尸解仙の俺は雷が落ちてこようと死にはしない。だけどダメージはくらう。

 風香のお仕置きとなると、ちょっとやそっとでは許して貰えそうにはない。


「それは判ってる。でもだな?」

「ああ、いいからいいから。姉さんを振っても、私や風凪、蝶子や他のあやかしも居るなんて考えていなければいいの」

「んな馬鹿なこと考えるわけはないだろう」


 するとニヤリと悪い顔をして風香が顔を寄せてきた。


「修行の一貫として、房中術の体交法を試したくなったら、姉さんでも私達でも、ちゃんと言うのよ?」


 体交法というのは、男女で身体を交接しつつ精を発しないで気の交換をする修行法。要は、子作りしない夫婦の夜の営みと言えばいいだろうか。

 葉風との行為をつい想像して恥ずかしくなった。


「うわ、珍しく赤くなった。ククククク、これは脈ありとみた! 姉さんに教えてこよう~」

「や、やめろ! おい! 風香ぉおおおおおお!」


 ダダダッと急いで部屋から出て行く風香に手を伸ばしたが、さすがは仙狐の逃げ足は並みではない。

 追いかけても逃げられるだけだろうと俺は諦めた。


 しかし、葉風が俺に惚れてるって? と、ちょっとニヤついてしまった。

 特別な好意を持たれるのは嬉しいからな。


 だが、気を引き締めなくてはいけない。俺はまだ修行中の身。浮かれているわけにはいかない。仙人は結婚してはいけないというのではない。異性との付き合いもやましい気持ちがなければいい。


 尸解仙の俺がまず目指すのは地仙。そしていずれ神仙へと至るように修行を重ねる。確かに俺は仙人だが、まだまだヒヨッコなのだ。


 現代日本を学ぶために読んだ本の中に、童貞のまま三十歳を向かえると魔法使いになるなどという記述があったが、俺は既に尸解仙で人間のことわりの外にある。

 そんな心配する必要はない。


 フッと息を吐き、馬鹿なことを考えずに仕事しようと、俺は十階へ向かった。

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