朝凪の失敗

 蝶子の誘いを再びかわし十四階に戻る。

 葉風と朝凪、そして葉風に借りたであろう真っ白なシャツとジーンズに着替えた女の子が居た。


「あれ? 風香と風凪は?」


 お茶を飲みながら談笑している葉風に訊く。


「風香がこの……中野友里乃なかのゆりのさんと朝凪をくっつけようとするものだから、風凪が怒って連れて行ったわ」


 よくよく見ると朝凪は、ロープで椅子に縛られている。葉風と風凪にやられたなと察した。


「朝凪……またやったのか?」

「だって、本当に好みの女性なんっすよ」


 その言葉を信じていないわけではない。朝凪は一旦惚れたらとことん一途なのも知っている。惚れた相手に恋人ができたらきっぱり諦めるが、それまでは突進していくのだ。これまでずっとそうだったから、態度を見れば朝凪が真剣なのは判る。だが……。


「玖音さんに言っておくからな? それとも俺が……」

「いやいやいやいや、告白しただけで罰をうけるなんて酷すぎるっす」


 縛られた椅子ごとジタバタと朝凪は騒ぐ。落ち着きを取り戻し、余裕が出たのか朝凪の様子に苦笑する中野友里乃と、我関せずとお茶をすする葉風。


「あのな? 時と場所も考えず、その上しつこけりゃハラスメントなんだぞ。とにかくだ。中野さんに告白するにしても、せいぜい半年に一度くらいにしとけ」

「げぇえ……そ、そんなぁ、チャンスを見つけたら攻めて攻めて攻めまくれと風香さんは……」

「おまえのその……傷つくことを恐れない姿勢には毎回敬意を表するがな。いい加減、風香の暇つぶしにされていると気付け」


 ガーンという音が聞こえそうなほど目を見開いて驚き、朝凪は項垂れた。そしてガバッと顔をあげて叫んだ。


「!? 暇つぶしだなんて……風香さん……酷いっす……。これだから泰山娘娘たいざんにゃんにゃん様といい風香さんといい、おっぱいのでかい女の人は信用できないっすぅう!」

「それもハラスメントだからな。俺と二人だけの時は見逃してやるが、女性が居る場では控えろよ」


 「……素直な気持ちも言えないこんな社会よのなかは嫌っす……」とブツブツ言い、俺達の視線を気にしてハッとした表情を見せたあと朝凪は黙った。

 朝凪が黙ったところで、俺は中野友里乃に向き合う。


「高木とは話をつけてきた。荷物と給料は受け取ったから……」


 「危ないモノが入っていないか、中は確認させて貰った。すまないな」と付け加え、私物が入ってるボストンバッグを彼女の隣の椅子に置き、ハンドバックから札束を二つテーブルの上に置いた。

 俺は治療費も詫び料も要らない。そもそも金には困っていない。出張する特別な仕事が入れば、数十万はすぐに稼げる。

 仕事を探したりとこれから物入りになるだろう彼女に全額渡した方がきっと良い。

 テーブルに置かれた二百万を見て、中野友里乃は「こんなに?」と不審げに俺を見て訊いた。


「ああ、奴らは粗相したからな。いいさ、全部貰っておきなよ」

「総司。あのね?」


 葉風がお茶をテーブルに置いて、彼女の事情を話し始めた。


 実家で義父からDVを受け、バイトで貯めていた預金を全部引き落とし、二月前ふたつきまえに新宿に逃げてきた。しかし、保証人が居ないのでアパート借りられずに困っていたところ、住居も用意するからと高木の店で働くことになった。


「……そうか、じゃあ、アパートの荷物も持ってこさせた方がいいな」


 俺がつぶやくと彼女は首を振った。


「私服が二~三着あるだけで、他に私物はないんです」


 そうか。ならば、今回貰った金で新品を購入したほうがいいだろう。

 俺と彼女の話が終わったところで葉風が再び話を続けた。


 高木の店でのホステスが客と店の外で会うアフターは、性的サービス込み。これまでは何だかんだと断ってきた。しかし、今日の客はお店の大のお得意さんで、店長……高木郷太が無理にでも付き合えと強いてきた。そこで、客がトイレに行った瞬間を狙って逃げたとのこと。


「なるほどな。ここらではよくある話だ。それで、これからどうする? 関わったからには、落ち着くまで面倒見るけど?」

「……どうしよう」


 確かに、保証人が居ないとアパートなどに入居するのは難しい。そういったところが日本は面倒だ。借り手に優しくない制度や因習がまだまだ多く残っている。


「どうせ仕事も探すんでしょ? だったらうちのビルで働いて暮らせば良いわ」


 葉風があっさりと言い、それを聞いた朝凪は高速で首を縦に振る。


「……えっと……それは待てよ」


 神渡ビルには居住階がここ十四階の他に十三階もある。部屋もまだ空いているのも知っている。俺も彼女の身の上を聞いて一瞬考えた。

 だが、このビルの居住者は尸解仙の俺を除くと全員あやかしだ。

 人間の中野友里乃を住まわせると何かと問題が生じるのではないだろうか?

 そう考えて、俺は自分の中で却下した。


 仕事はいい。確か、地下の図書館でも人手が欲しいと言っていたし、二階から五階にある商業施設でも従業員が足りないと聞いている。週休二日完全保証、社会保障完備で、給与もここらでは高めのはず。彼女が望むなら仕事はいくらでもある。あやかし達も職場では人間と変わらないから問題ない。

 だが、住居は……。


「ああ、あやかしのことを心配してるのね?」

「おいおい!」


 人に害を為すと考えられることが多いから、あやかしの存在は公には秘匿すべきこと。だからこのビルのあやかし達は人の姿に変化して暮らしている。


「話したわ」

「は、話したぁあ?」


 食事のメニューを変えた程度のようにあっさりと言う葉風を驚きつつ凝視した。葉風はチラッと中野友里乃と朝凪の方へ視線を動かす。


「うん、変化へんげを解いて……バレちゃったの……だから説明したの……」


 俺は中野友里乃が緊張気味に笑うのを見逃さなかった。


「えーとぉ、中野さん?」

「先ほど、朝凪さんが……」

「おい! 朝凪、まさか……」


 やっぱりお前かぁああああ! 

 朝凪ぃいいい!

 椅子に縛られ逃げられない朝凪は、俺の怒りを恐れてペコリペコリと頭を下げる。


「すみませんっす! この部屋では仕事していない時は変化を解いているのでつい……なんっす」

「つい……なんす、じゃねぇ!」


 朝凪の朝凪による朝凪らしい、周囲の迷惑を顧みない失敗に脱力してしまった。

 ……だが、知られてしまったのなら仕方がない。大事なのはこれからどうするかだ。しかし、どうすればいい……。

 中野友里乃を見ている俺の視線はキョロキョロ動いて怪しかったに違いない。


「それで、そのぉ……驚いたでしょう?」

「はい、とても驚きました。まだ信じられないような気もするんですけど、でも……」

「でも?」


 チラチラと朝凪や葉風を見てから、俺を見つめた。


「巽さんは助けてくれましたし、朝凪さんも、他のみなさんも優しくて……」

「騙されているかもと思わないの?」


 伝承されてるあやかしの話を思えば、そう簡単に信用できるとは思わない。


「正直まだ不安です。だけど、人間だって騙します。良い人も居れば悪い人もいます。だったら、皆さんは良いあやかしかもしれないと考えたいんです」


 まぁそりゃそうなんだけど、確かにそうなんだけど、それでも現代ではおとぎ話の中の存在でしかないあやかしを簡単に信じることはできないんじゃないだろうか?

 危害を加えられるかもと不安を消しきれないんじゃないだろうか?


「……そうかぁ。じゃあ、朝凪! 彼女の安全はお前が守れ。惚れた女を守るなんて名誉なことだろ?」

「……告白抜きっすよね……」


 告白は半年に一度程度にと俺から言われたことを根に持っている。俺に向けられているジト目がウザイ。


 それどころじゃないだろ? と思うのだが、朝凪の中では告白の優先順位は相当高いようだから叱らないでおく。


「当然だ。不埒なことをするようなお前じゃないが、告白も自重したら、きっと中野さんと友達にはなれるぞ」

「ハッ! そういうことっすか! 最初は友達からって奴っすね?」


 ハッ! じゃねぇんだよとか、友達から先はきっとないだろうとかツッコんでやりたいところだが、ここは黙っておく。


「まぁ、おまえの気持ちがどこまで受け入れて貰えるかは判らん。何せ、中野さんは人間なんだからな」

「……わかったっす。そこそこおっぱい大きい葉風さんはともかく、胸筋だけの総司さんの言うこと信じるっす」


 お前の信用基準はおっぱいかよ! と言いたくなった。だが、それでいいなら良しとしよう。


「うむ。俺を信じろ。今まで騙したことはないだろう?」

「そうっすね。中野さんを守るっす。でも、具体的にはどうすればいいんっすか?」

「そうだなぁ、彼女の部屋が決まったら……部屋の外で寝て、他のあやかし達が間違って彼女の部屋に入らないようにしろ。いつも狐の姿で寝てるからいいだろ? ……それくらいでいいか……実際のところ、このビルに住むあやかしが悪さするとは思えないしな」


 人間に悪さしないように玖音から厳しく戒められているから、このビルのあやかし達については心配していない。言いつけに背いたら、このビルから追い出されるか、事実として消されてしまうからな。そんな無謀なことをするあやかしは居ない。

 だが、信頼関係を築くまでは、彼女を驚かすような事態にならないようにしておきたいんだ。

 

「了解っす!」


 両手が自由だったら敬礼しそうな勢いでコクコクと頷いた。

 話はまとまったと感じた葉風が、にこやかに口を開く。


「じゃあ、明日はビル内の仕事を見て貰いましょう。その上で決めればいいでしょ?」

「そうだな。それでいいかい? 中野さん」

「はい、宜しくお願いします」


 真面目な顔で礼をする中野友里乃。でもだいぶリラックスしているようにも見える。

 これは、朝凪のおかしさが彼女の気持ちを和らげたのかもしれない。……多分だけどな。


 とにかく今夜は葉風の部屋で休んで貰おう。仕事だけじゃなく部屋も、明日決めればいい。あやかし達へは玖音から伝えて貰えれば彼女の安全は保証される。


「じゃあ、葉風。今夜は彼女を頼む。それと玖音からみんなに伝えて貰えるように言っておいてくれるか?」

「ええいいわ」

「頼む」


 こうして神渡ビルの住人に人間が初めて加わった。

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