芦屋栄

 「この馬鹿野郎! 巽総司たつみそうじに手を出したぁあ?」


 騒がしい音楽が遠くに聞こえる部屋で、総司に銃を撃った男は床に寝かされている。その頭上でやや不自然な……毛艶の良い箇所がわざとらしく存在する髪型の中年男性が怒鳴っていた。

 壁際には寝かされている男を運んできた仲間が硬直した表情で並んでいる。中年男性の背後には、芦屋栄が苦笑して様子を見守っていた。


「知らなかったんだ。許してくれよぉ、親父……何とかしてくれぇ」


 寝かされている男は顔だけを動かし、今にも泣きそうな声で中年男性に懇願している。


「芦屋さん、郷太ごうたを治せますか?」


 ストライプの入った濃い灰色のスーツ着た中年男性は、ジャケットのボタンを外しながら背後の栄に訊く。栄は軽くため息をつき、両手を肩の高さまであげて答えた。


「高木さん、私には無理ですね。治せるのは巽総司か、彼と同じくらい気功を使える者です。ですが、日本で彼ほどの者は居ないでしょう。中国か、インドか、あちらを探せば居るかもしれません。ですが、居たとしても日本まで来てくれるか……」


 気功術に優れている者なら、巽総司がしたようなことはできる。しかしその場合でも、今の郷太のように、手足が全く動かない状態になどならない。強く痺れて思うように動かしづらい程度。だが、郷太の手足はピクリとも動かせない。つまり、気の流れを阻害している霊気が常識外の強さだということを示している。強いだけでなく、何かしらの技の影響でもあるだろう。

 そこまでの気功を使える者など、芦屋栄も初めて見た。


 栄は現状を高木武久たかぎたけひさへ説明し、内心、困ったことになったと感じていた。


 (多分、彼は仙人の領域にあるでしょうね)


 巽総司をまともに相手してはいけないとは栄も聞いていたが、仙人レベルの霊気功師とは想像していなかった。気と霊気と自由自在に操る霊気功師は、霊気を術で操る陰陽師には相性最悪の相手。これからの仕事がやりづらくなるのを栄は覚悟していた。


 ジャケットを脱ぎ、黒いソファの背にかける高木武久たかぎたけひさ


「では、こいつは……」


 武久はソファに座り、床に転がる息子の郷太ごうたに目をやる。


「ええ、完全に元通りにとなると、巽総司に謝罪して治療して貰う必要があるでしょう。通常の医療では……そうですね……手足を切断して治療すれば命を落とすことはありません。ああ、そうだ。急がないと手足腐ってしまいますよ?」


 たいしたことではないかのように穏やかな口調で話す栄に、武久と郷太は目を見開く。


「死、死ぬ? 手足を切り落とす?」

「ど、どうにかしてくれ、親父ぃいい」


 焦り乱れた様子の二人に、栄は冷静に説明する。


「ええ、巽が使った技は霊気功と言いまして、身体に流れる気も操作できるのです。ほら、気功術って聞いたことありませんか? ちょっと詳しい人なら内気功とか外気功という言葉くらいは知っていますね」

「そ、そんなことはどうでもいい。巽総司にしか治せないんだな?」


 詳しく具体的な説明など聞くつもりもない武久は身体を乗り出して栄に訊く。


「ええ、私も術を使えば、気の流れを乱すことはできますが正しく治すことはできません。日本に居る他の気功師でも、手足の動きを完全に止めるほど気を乱され流れを阻害された状態を治すことはできないでしょう。治せるのは巽だけでしょうね」

「どうしたらいい?」


 バカには違いないが可愛がってる息子が死ぬかもしれない。そう思うと落ち着かない武久の言葉には切実さがある。


「巽の言う通りにするしかないでしょうね。あの娘の給料と荷物を持って謝罪することです。そして治療してくれるよう頼むのです。もちろん、詫び料も上乗せして娘に渡すほうがいいですね。それに治療費も請求されるでしょう……きっと高額ですよ。給料と詫び料で百万。治療費もそのくらいかかるんじゃないですか?」


 何と言うこともないという風に栄は話す。郷太の身がどうなろうと気にしていないのが伝わっていた。


「だが、そうしないと……」

「ええ、死ぬか、良くても手足切断ですね。まぁ、最近の義手義足は性能が良いそうですので、生活はできるでしょう」

「わ、わかった! と、とにかく、急ぎ神渡ビルまで連れて行かなければ……」


 これ以上聞いても、良い話は栄から聞けないと理解した武久は、壁際に立つ男の一人に、


「あの娘のロッカーから荷物を持ってこい! 丁寧に扱うんだぞ」


 と命令し、他の二人に郷太を運ぶよう伝える。

 武久が金庫から札束を取り出している様子を眺め、フッと笑って栄は話を続ける。


「高木さん。息子さんの身体も心配でしょうが、もう一つ心配すべきことがありますよ?」


 テーブルの上で札束をハンドバッグにしまう武久の前に座り、栄は膝の上に手を組んで真剣な表情で話し出す。


「な、なんだ」

「私が巽と出会ってしまったことです」


 バッグのジッパーを閉めた武久は、栄に視線を移す。


「それがどうしたというのだ」

「あれほどの霊気功の使い手です。私の素性もバレたと考えた方が良いでしょう」

「どういうことだ?」

「私がまとう霊気から、陰陽師だと知れたということです」

「もっと具体的に言ってくれ」


 栄の態度がそれまでと違って真剣なものに変わったので、話もしっかりと聞いておきたい。

 息子の身体を心配して気が気ではなく、頭がいつものように回らない。

 武久は苛立ちを隠そうともせずに栄に訊く。


「いいですか? ガールズパブの用心棒に陰陽師が居るのは不自然だと考えるでしょう?」

「……そうかもしれないな」

「確実に気付くでしょう。そして我々が何をしてきたかも、いずれ知られることになる」

「どうしてだ?」

「陰陽師が行うことを考えれば、祓いか呪いしかないだろうと察しがつくからです」


 芦屋栄が言わんとしているところに武久は気付き表情から苛立ちが消える。そして、少し考えたあと、口を開いた。


「……では、他店を術で呪って……」

「ええ、そうです。あなたに依頼されたように、他店の営業を邪魔してきました。事故や店長の突然死などでですね」


 (巽が仙人ならば、このような正道からはずれた行為を見逃すはずがない。神仙へ至るための修行をしているだろうからな)


 仙人ならば、神仙を目指して善行を積まねばならない。

 善行を積まない仙人は居る。いわゆる悪い仙人と言われる者だ。だが、神仙を目指さない仙人は崑崙から目をつけられ仙界に隔離される。仙界に捕えられずに済んだ仙人でも、人の社会で堂々と、それも巷から一目置かれるような態度をとっていられるわけはない。


 巽総司の気功術は、人間に可能なレベルを越えていた。どうして新宿で暮らしているのか事情は判らないが、仙人だろうと察しをつけている。先ほどの娘を助けた理由も善行の一つと考えての行動と栄は理解していた。


「だが、事業を手放すわけにはいかん」

「どうします? 別の土地へ事業を移すことをお勧めしますよ。私でも巽に勝てるかどうか判りません。できれば彼の相手はしたくないですし……」

「……少し考えさせてくれ。まずは、息子を治すのが先決だ」


 指示された通り、荷物をボストンバッグに入れてきた男が戻ってきたのを確認した武久は、話を止めて立ち上がる。そして郷太を連れていった男達の後を追いかけるように部屋を出た。

 その様子を見送った芦屋栄は、ソファに背を深く預けてつぶやく。


「仕方ありません。こちらも準備はしておきますか。例の仕事でもぶつかっているようですし……神渡ビル……目障りですね」

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