あやかしメディカルトレーナー(その二)

「熱くないですか?」


 霊気功で霊気を正していくと、熱を感じることがある。気功を強めると感じる熱もあがる。雪女以外ならば多少熱いが心地良いと感じる温度も、氷雨にとってはかなり熱いと感じてしまうこともある。火傷を負わせるような温度ではないけれど、不快に感じさせるのも避けたいんで確認した。


「はい、この程度でしたら大丈夫でぇす」


 徐々に霊気の流れが正常に戻り気持ち良くなってきたのだろう。氷雨のおっとりとした返事を聞いて、施術を続ける。


「やはり夏場は夜間にシフトしてはどうですか? 夜でも暑いですし……。何なら玖音くおんさんへは私から言ってもいいですよ?」


 このビルのオーナーであり、妖狐のリーダーでもある玖音くおんが許せば、あやかしの仕事のシフトなどどうとでもなる。そう考えて意見した。


「お気遣いありがとうございます。でも、今年はこのまま頑張ってみます。来年は……シフト変えていただくかもしれませんが……」

「そうですか、玖音さんはああ見えてとても優しい御方ですので、いつでも言ってくださいよ? 身体を壊しちゃ損ですから」


 俺は霊気の乱れを再び探す。

 

 (この氷雨さんもだけど、雪女が変化すると北欧系女性のようになるが、どうしてなんだろう?)


 治療を続けながらこのビルで働いているあやかしについて考えていた。


 玖音が地脈を読んで、霊気が集まりやすい場所にこのビルは建てられている。そして玖音の通力つうりきに拠って霊気は集められているので、世界でも有数の霊場となっていた。霊気の強い場所ではあやかしの力は増して、本来は変化できない種類のあやかしでもこのビル内では変化が可能になる。人間も、ちょっとした霊障なら数時間も滞在すれば自然と祓われるほど。


 河童や垢舐めあかなめなどは日本人の外見に、もともと霊力が高い天狗や鬼は自由自在に、雪女は北欧系女性にと変化へんげしている。このビルに住むあやかしのうち、非日本人の外見に変化へんげするのは今のところ雪女だけ。だが、これから他の種類のあやかしが住んだ場合、雪女のようなタイプが居てもおかしくはない。


 このビルで過ごしているだけで、少しずつだがあやかしの霊力もあがる。朝凪のような妖狐や蝶子のようにもともとの霊力が高めの夜叉ヤクシーだと、このビルの外でも変化へんげしていられるほどにまで霊力があがることもある。


 (まぁ、蝶子の場合は、男漁りに使っているから変化へんげできないようにした方がいいんだろうけど)


 治療を続けながら、蝶子のさきほどの妖しい様子を思い出して苦笑する。


「雪女が人化すると北欧系の女性の姿になるのはどうしてなんですか?」


 何か理由があれば知りたいと訊いた。


「流行ですよ? 私達雪女は変化しても肌だけは極度に真っ白で、日本人っぽくはなりません。それで似合う外見を探していろいろと試したところ、北欧系の女性の外見と私達の肌の色がフィットするので……」

「……あ、流行でしたか」


 深読みした俺が間違っていた。考えてみると、希望する容姿に変化できるんだから当たり前。

 なんか照れくさくなって、その気持ちを誤魔化すように施術に集中した。

 

 このビルに集まる霊気は相当濃い。濃いだけでなく、悪しき意識は取り除かれた清らかな霊気だから、現世の生き物に与える影響も良い方向に強い。


 六階に動物病院があり、七階は患者さん用のペットホテルなのだが、一晩でも泊ったペットはみんな元気になる。皮膚病や軽めの病はもちろん、重篤な状態でも施術を終えた数日後には飼い主を見つけると大騒ぎする程にまでになる。獣医は人だが、看護士は変化した妖狐で、通力も使って介護しているという点も超回復する理由だが……。


 これが巷ではちょっとした有名な話になっていて、動物病院は患者さんでいつも混雑している。そして一晩でいいから泊めてくれとどの飼い主も願うらしく、空きがあれば可能な限り泊めている。


 神渡ビルは、新宿の片隅にある知る人ぞ知るパワースポットとなっていた。


 一時間ほど治療し、氷雨の身体のどこにも霊気の乱れが感じられなくなったのを確認し声をかける。


「どうですか? まだ辛いところありますか?」


 身体を起こしてベッドに座り、あちこちを手で触れ、身体を捻ったりと、氷雨は確認している。


「ありがとうございます。おかげさまでどこも問題はないようです」


 品のある北欧美人風の顔を崩しニコッと笑う氷雨を見て、俺も笑顔を返す。


「では、九階のプールに浸かって、身体をじっくりと休めてくださいね」


 このビルのプールに使われている水にも弱い霊気が含まれている。自室で休むだけより水に触れている方が霊力の回復は早い。ビル内に与えられて居る自室も空調は効いているが、氷雨もそのことを理解しているので、微笑んだまま頷いた。

 ベッドから立ち上がった氷雨は、着替えるために更衣室へ向かう。

 氷雨を見送ってから受け付けの蝶子のところへ戻る。


「氷雨さんの治療終わったよ」


 俺を見つけた蝶子は、満面の笑みを浮かべ受け付けから立ち上がって近づいてくる。


「お疲れさまぁ。それで、総司さんの今夜のご予定はぁ?」


 俺のカンフー着の袖をまた掴んで身体を寄せてくる。「あやかしの客をとらないと伝えたのだから、用があると判ってるだろに……困った人だ」とつぶやいて一歩後ろに離れた。


「すまないね。今夜はまだ用事があるんだ」

「あらぁ、私との甘い時間のために他のお客様をとらないのかと思っていましたのにぃ」


 上目遣いでわざとらしく残念そうに言うけれど、蝶子はここでしつこく身を寄せようとはしない。相手にその気がないと判ると引き下がる。男遊びするにも、相手の同意なしにはしない。騙したり力尽くで……などとしようものなら、玖音にこっぴどく叱られる。

 蝶子は、次回もまた同じことを繰り返し機会を探す。毎回繰り返されるルーチンワークだと諦めている。


「そのうちね」

「それじゃぁ、私との愛をじっくり確かめられるくらいの時間を……」

「おい、誰との愛だ」

「フフッ……ではまた明日……」


 俺の返事など意に介さず、蠱惑的な笑顔を蝶子は浮かべて受け付けへ戻った。

 サロンを出てエレベータのボタンを押した。

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