あやかしメディカルトレーナー(その一)


 神渡ビルは歌舞伎町のネオン街から少し離れたところにある、地上十四階、地下三階の商業ビル。

 ビルのオーナーは神渡玖音しんとくおん。悪女で有名な妲己だっきの娘で、妖狐の中でも最高位の空狐くうこ。地脈を読んで神渡ビルに霊気を集める通力の持ち主だ。

 妲己の娘は四人生き残っている。玖音は長女。そして俺の命の恩人でもある。


 神渡ビルの十階にはフィジカル・フィットネスサロンがあり、俺はそこで人間とあやかし両方のトレーナーをしている。


 俺や妖狐達が暮らしている十四階まで女性を送らせ、「彼女のことは葉風はかぜに頼んでくれ」と朝凪に言いつけておいた。これで、俺が戻るまでのことは葉風が何とかしてくれる。朝凪は惚れっぽいけれど、不埒なことをするような奴ではない。

 それに、不埒なことをしたら、玖音の怒りを呼んで妖狐としての修行を終わらせられる。せっかく地狐にまでなったのだ。一時の感情で百年以上の修行の成果をフイにはしないだろう。


 俺は二人をエレベータに残して十階で降りる。

 サロンの自動ドアが開き、受付けカウンターしかない入口で受付嬢の蝶子ちょうこが声をかけてきた。


「お帰りなさい。総司さぁん、お客様は……」


 カウンター前に立つと、一枚の縁が黒い施術カードを「はい、これ」と出してきた。カードには縁が白と黒の二種類ある。白は人間専用、黒はあやかし専用だ。つまりお客はあやかし。そして俺を指名してくるのは、このビルで働いているあやかしだ。


氷雨ひさめさんだったね。朝凪へ送られたメールで確認している」

「ええ、ずいぶんと辛そうですわぁ。可哀想ですよねぇ」


 カウンターを回って近寄ってきて、もたれかかるように身体を寄せて蝶子は俺の耳元で伝える。薄い眼鏡の奥で、誘うような笑みを浮かべている。わざと息があたるように囁く蝶子。毎回のことだが、まったく困ったもの。


「小声で伝えるのはいいけれど、そんなにくっつかなくてもいいじゃないか」

「あら、殿方は皆様喜んでくださるのにぃ」


 色気が可視化されるような妖気をまとう、いけないお姉さんという形容が似合う蝶子から離れた。女性の夜叉ヤクシーである蝶子は、男性の精気を好物にしている。気に入った男性を見つけると、満足するまで遊んで、相手が本気になると捨てるという、まさに名実ともに鬼と呼ばれるのが相応しい女性あやかし


 仕事はできるし、夜叉ヤクシーの力を持つので他の警備員が不要な上、玖音から怒られるほどのことはしないので、このビルで生活している。


 だが以前から、「尸解仙の精気を思う存分味わいたいわぁん」といい、いずれは俺の愛人になると公言している。本当に困ったお姉さんなんだ。


 蝶子は一応、実年齢三十歳ということになっている。

 だが、あやかしの年齢などてにならない。実年齢は知らないが、蝶子も数百年以上は生きているはず。


 この神渡ビルで暮らし働くあやかしはみんな人間の姿に変化へんげしている。霊力にも拠るけれど、ある程度自由に変化できるので見た目など全く宛てにならない。一応、意識して変化しない限り、元の姿が人に変わった程度に変化するのが普通だ。その方が変化に必要な霊力が少ない。


 俺にしても、人間だったのは十歳まで、以後の二十年は尸解仙として生きてきた。実年齢は三十歳と言ってもいい。現在は年相応の姿で、成長したままの外見だが、変えようと思えばいつでもできる。

 

 このビルに住む妖狐達は最低でも二百年は生きている。

 特に妲己の娘達は皆三千年以上生きてきた者達ばかり。狐で過ごした数十年より、人の姿で過ごした時間の方が圧倒的に長い。狐であることを誇りに思っているらしいが、狐に変化した姿など、殺生石の回収時以外では見たことがない。

 妖狐以外のあやかし達も最低でも数百年は生きてきた者ばかり。

 実年齢も容姿も、誰のも宛てにならないし気にしていられない。


「総司さぁんの好みの女になりますので、教えて下さいな」


 シャツの袖をつまんで、蝶子は上目遣いで言う。困ったお姉さんだ。だが、色気を振りまく彼女目当ての人間の男性客も多く、客寄せとしては適材なので無碍にできないのが辛いところだ。


「さて、仕事するかぁ」

「……お客様をあまりお待たせできませんわねぇ。これからだというのに残念ですわぁ」

「あ、ああ、それと、今日はあやかしのお客は止めておいてくれ」

「わかりましたわぁ」


 人間のお客なら、例外はあるけれど、俺以外のフィジカルトレーナーで対応できる。

 助けた女性から話をいろいろ聞きたいし、これからのことも相談しなくちゃいけない。予約が入っていた氷雨はともかく、他は断っておきたい。


 今日も俺を口説き落とせそうにない残念さを匂わせる蝶子の甘ったるい声を背に専用の施術室へ向かった。

 施術室の外にある更衣室で仕事用の白いカンフー服に着替え、薄い青のカーテンを開けて入る。施術用ベッドの他には事務机が一台、椅子が三脚あるだけの部屋。氷雨は既にベッドにうつ伏せで横になっている。

 

「いつもの熱中症ですか?」


 症状は既に聞いているが一応確認する。

 手を当てれば霊気の流れであやかしの症状は判るが、氷雨に限らず雪女は常連で、夏の暑い時期はほぼ熱中症。寒冷地の外での雪女は、体内の霊気が不安定になりがちなのだ。


 氷雨は雪女で、このビルの空調管理と製氷を担当している。地下三階にある空調室で各階の温度を確認しながら管理している。または、ビル内で営業しているお店用にと保冷器に氷を貯めている。

 氷雨は、空調管理と氷を製造し、このビルで暮らすことを許されていた。ちなみに、雪女はあと二名居る。空調関係の仕事は氷雨を加えた三名でこなしている。


「はい。真夏の地下三階はしんどくて……」


 施術の際に着替えて貰うスカイブルー無地の女性専用ワンピースを着て、うつ伏せのまま氷雨は答える。落ち着いた声なのだけど、ちょっと弱々しく感じるので相当辛いのかもしれない。


「判りました。では霊気の流れを整えますので、施術後は身体を冷やして十分に休んでください」


 熱中症と言っても、あやかしのは人間のものとは違う。雪女の熱中症とは、体内の霊気の流れが熱で乱れる症状のこと。放置していると霊力が弱まり、人間で言う貧血のように倒れてしまう。

 あやかしの熱中症は、人間のように身体を多少冷やしたり水分・塩分等を補給しても改善しない。一旦乱れるとなかなか自然治癒しないのが辛いところ。


 尸解仙となってから、神仙を目指すために崑崙で霊気功を修行してきた。その力を使って、人間相手にはフィジカルトレーナー、あやかし相手にはメディカルトレーナーを仕事にしている。


 尸解仙の俺には本当は必要ないけれど、現世で開業するには必要なので、人間の資格……柔道整復師・鍼灸師も専門学校へ通ったあと国家試験を受けて取得してある。


 十歳で尸解仙となり、人間社会と離れて崑崙こんろんで修行していた。だが、人間と同じように勉学もさせられた。現代の仙人は、勉強しなければならないことも多く、古い時代より大変なんだ。社会で必要となる知識や常識も教えられている。現世と違いゲームや娯楽があるわけではないので、勉強と修行しかすることがなかったな。


 頭部からつま先までを、氷雨には触れずに、薄い皮一枚程度の隙間をあけて手でなぞっていく。そして霊気の乱れを感じた箇所で手を止め、霊気功を使って正常な流れに丁寧に戻していった。

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