巽総司(その二)

 振り向くと、和服姿の男が路地の向こうから近づいてきた。逃げてきた女性を追いかけてきた男達と違い、うっすらと霊気を纏っている。あやかしほどの量ではないが、俺はその霊気に嫌なものを感じて警戒した。


「へぇ、霊気功を知ってるとは……あんた誰だい?」


 いつでも動けるようリラックスし、その男が近づくのを見守っていた。

 「お前達では相手になりません。戻りなさい」と男達に声をかけ、一人で近づいてくる。


「お初にお目にかかります。私は芦屋栄あしやさかえと言います」


 首をかしげて斜に構え、俺を観察している。

 

 (……芦屋という名字には聞き覚えがある)


 陰陽師として有名な安倍晴明のライバルだった芦屋道満。 

 栄がその芦屋家の血筋ならば修行しているかもしれず、薄いとはいえ霊気を纏っているのも判る。


「それで芦屋さん。何かご用で?」


 先ほどまでの使い走りとは違う栄が来たのには理由があるだろう。助けた女性に理由があるのだろうが、今は確認できない。

 それに黙って観察されているのも面白くない。こちらからもつついて、情報を引き出しておきたいと口を開こうとしたところへ話しかけてきた。


「その娘さん。こちらに渡してくれませんかねぇ?」


 警戒しているわけでもないだろうが、俺に近づこうとはしない。腕を組んで袖に入れた手が気になる。銃を持っているようではない。そのような動きは男の筋肉の反応からは感じられない。それにここで争うような空気も感じられない。


「事情が判らないんでね。このままじゃ返すつもりはないよ」


 「でしょうね」と言い、フウっとため息を一つついたあと、栄は説明を始めた。

 栄を雇い主が経営している店……キャバクラというかガールズバーの客の一人が、この女性を気に入っている。それで今夜はアフターに付き合わせようとしたところ、この女性はその客を嫌って断ったという。

 かなりお金を落とす常連なので、店としては手放したくない。無理にでも付き合わせようとしたところ、店から逃げ出して今に至る。


「……ということなので、まぁ、あなたには断られるでしょうけれど、私としては返していただけると助かる……というわけです」


 なるほどな。だが、そういう話なら返すわけにはいかない。栄も判っていることだし、お引き取り願うとするさ。


「察しがいいな。その理由じゃ返すつもりはない」

「ですよね。ここであなたと一戦するのは馬鹿らしいですし、何も準備もせずにでは負けるだけ。ここらで店を開いている以上、雇い主も有名なあなたのことは知っていることでしょう。仕方ありませんね、今日のところは手ぶらで帰りますよ」


 浅いため息をついて、クルリと背を向けて来た道を戻ろうとする。だが、言っておかなければならないことがある。 


「ちょい待ってくれ。このお嬢さんの荷物と今日までの給与、今夜のうちに神渡ビルの俺のところまで届けさせてくれ」

「そうしないと?」

「さぁな。そうだ、あんた霊気障害は治せるか?」

「障害を与えることはできるんですけどね」


 奴は立ち止まって振り向き、余裕ある態度で答えた。

 本当かどうかは判らないが、霊気が原因で生じた障害は治せないという。ならば、先ほどの男の治療はどうするのか。


「じゃあ、荷物と給与は俺に向かってきた男に持たせてくれ。あいつだけじゃ来られないから、付き添いも必要だろうが」

「自然治癒しない程度まで霊気で崩したのですか?」


 陰陽師らしくさすがに判っている。霊気障害は軽度なら数日もすれば自然に治癒する。だが、重度であれば治療しないと改善しない。

 地面に落ちている弾丸を拾って上着のポケットに入れる。


「ああ、銃を使ってきたからな。謝罪し、それなりの誠意を見せなければ、死んだとしても、一生動けないとしても罪悪感はない」

「そこまでの障害を術も使わずに与えられるとは……あなた……本当に人ですか?」


 その問いには答えてやる必要はないと、目を細めた笑みのみで知らせる。栄は俺を見て、それまで浮かべていた笑みを消した。


「……仙……ですか……そうですか……判りました。雇い主には、あなたに手を出さぬよう伝えておきましょう」

「それが賢いね」


 栄は再び路地の奥へ歩き出す。その姿が消えるのを見送り、俺は朝凪と女性に向けて帰ろうと伝えようとした。

 そこで予想内というか、やはり予想外の行動を目にする。


「……好きです。付き合ってください」


 朝凪が片膝をつき、恍惚とした表情で女性に両手を差し出して告白している。

 紳士か!


 (はぁ? いつもながら、何考えてんだこいつ)


 両手を胸の前で組んでいる女性も困惑した表情で朝凪と俺を交互に見る。

 この状況で告白するか? それも初めて会ったばかりの女性にだ。

 こいつの惚れっぽいのにも困ったものだ。……良い奴なんだけどな。


「おい、朝凪。お嬢さん困っているぞ」


 コツンと頭を叩く。痛っと言った後、朝凪は我を取り戻したように立ち上がる。


「で、でも、総司さん。ものすっごく好みのタイプなんっすよ」


 切実な瞳で訴えてくる。

 だが知らん。


 ああ、確かに綺麗な女性だ。それに女性らしい部分が適度に強調されてて、朝凪が好きそうなスタイルの持ち主なのも認めよう。

 しかしだ。

 ウブな男の誘いなどホステスなら簡単にあしらえるはずなのに、そんな彼女でも返す言葉に困るような状況でだ。

 これまでの流れから、断ったらどうなるのか彼女は不安だろう。

 まして、何も知らない男からのいきなりの告白を受け入れるはずもない。

 どう返事しろと言うんだと言いたい。……あとで説教かましてやろう……。


「ああ、判った、判ったから、とりあえずビルに戻ってお嬢さんが落ち着いてからにしろ」


 「はいっす」と残念そうに答え、「いきなり申し訳なかったっす」と女性にペコリと頭を下げた。

 朝凪は素直だ。良い奴だと知っている。


 ただ、自分の感情に素直すぎてなぁ。


「すまないね。朝凪こいつは悪い奴じゃないんだ。安全は約束するから、とりあえずうちのビルまで来てくれ。……あんたも、ここで別れて一人になるのは不安だろ?」


 どうしようか迷っているようだった。それは当然だ。俺のことを知っているホステスも居るけれど、このは知らないようだし。

 助けを求めたとは言っても、俺達が何者かも判らないままではな。


 少しの間を置いて、彼女はコクリと頷いた。

 

 「ジャケットを着せてやれ」と朝凪に言う。胸元が大きく開いた仕事着のままで、ネオン街を離れて歩いていたらかなり目立つ。通りに通行人はいないが、商業施設のあるビルに近づけば人の目はある。

 ビルに戻れば、妖狐の誰かから服を借りられるだろう。それまでの一時しのぎでいい。


 朝凪が紺のジャケットを脱いで女性に渡すのを見守る。

 「いえ、大丈夫です」と彼女は断ろうとしたが、「すぐそこまでっすから」と朝凪が人懐っこそうな笑顔を見せると、「ありがとうございます」と言いおずおずとジャケットを羽織った。

 朝凪はイケメンではないが、優しい顔をしているからそんなに怖がられることはないだろう。


「よし、氷雨さんが待っている。帰るぞ」

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