第一部

尸解仙 巽総司

巽総司(その一)

 新宿歌舞伎町の外れ、繁華街のネオンもまばらになる薄暗い路地を神渡しんとビルへ向かって歩いていた。日も暮れて街灯の灯りで照らされる路地は、終業時間をだいぶ過ぎていて人の通りはない。だが、八月の東京はもうすぐ二十二時になろうというこの時間でもまだ暑苦しい。

 暑さは感じるが、尸解仙しかいせんの俺は汗をかくことはない。仙人というのは身体の作りは人と似ていても、細かいところは異なる。人の身体を捨てて仙人になったのだから、それも当然か。


 今日は特別な客の依頼で出張したが、ビルに戻れば次がまだ待っている。

 

「次の仕事は、氷雨ひさめさんの治療です」


 俺の後ろに従い、この糞暑いのに濃紺のスーツ上下をビシッと着ている朝凪あさなぎがスマホを手に予定を知らせてきた。まぁ、仙人ではないが、朝凪も人じゃないから汗をかくわけじゃない。


 妖狐の朝凪は俺のマネージャーというわけではない。単なる野狐やこから地狐ちこになり、人に変化できるようになったばかりで、現世の人間社会に不慣れなこいつは、一人で外出するのを不安がっていた。


「東京は人が多すぎて怖いっす。でも出かけたいんっす。総司さんとなら安心できるんでお願いっす」


 ペコペコと頭を下げて言うので、素直に指示に従う約束をして連れている。


 一見すると社会人一年目のような着慣れていないスーツ姿で若い風貌の朝凪だが、実際は二百歳を越えている。だが妖狐としてはまだまだ若手。地狐ちこなどヒヨッコと言ってもいい。人間に変化するのも通常は三百歳を越えないとできない。そう考えると凄いようだが、霊気が強い神渡ビルで生活しているせいで二百歳そこそこで可能になっだけのヒヨッコだ。


 そんな朝凪ヒヨッコだが、美人に弱く惚れっぽいのが欠点。だけど、真面目で良い奴だ。いつもは善狐としての務めをしっかり果たしている。実年齢三十歳の俺と比べたら、全然年上なのだが、俺が尸解仙しかいせんだからなのか兄貴分のように慕ってくれる可愛い奴だ。


「氷雨さんか、また熱中症かな?」


 霊力が濃い神渡ビルに住むあやかし達には労働義務がある。仕事は何でも良いが、ビルのため、利用客のために働かなければ、ビルのオーナーであり、妲己だっきの長女である空狐くうこ玖音くおんから叱られ追い出されてしまう。


 氷雨は神渡ビルで働く雪女の一人。ビルには空調が完備されていて、氷雨は空調管理の仕事を担っている。真夏の新宿は、雪女の体調を維持するには暑すぎるようで、人間向けの温度では熱中症にかかることもある。

 俺は人間向けにはフィジカルトレーナー、あやかし向けにメディカルトレーナーをしている。神渡ビルで働くあやかし達の治療もしていた。


「どうやらそのようっすね。蝶子ちょうこさんから予約が入ったとメールが来ているっす」


 スクエア型で黒く細いフレームの伊達眼鏡をクイッとあげてスマホを再びのぞき込み、朝凪が確認している。俺に向ける黒い瞳がキラリと光り、仕草だけはやり手のマネージャーっぽい。単に生真面目に仕事しているだけなのだが、稲荷の仕事の合間に、最上階に住む者達の家政婦として俺や妖狐達の給仕をしていることを思い出し、そのギャップについ笑ってしまった。

 そもそも、伊達眼鏡だてめがねをしている理由が朝凪らしい。「眼鏡萌えする女性にモテたいんっす」と最近購入したとのこと。眼鏡萌えする女性が、眼鏡男性の誰にでも萌えるわけではないと思うが、嬉しそうに話してるから黙っている。

 クスっと笑ったのが気になったのか、朝凪がキョトンとして訊いてくる。


「どうかしましたっすか?」

「いや、何でもない。さっさと帰ろう」


 俺達が意識を帰路に向けた時、細い脇道から人が慌てて駆けてきた。


「助けて! お願い助けてください!」


 必死の様子で朝凪の背後に隠れたその女性は、路地の方を向いて怯えている。


「な、なんすか!?」


 ギュッと紺のスーツを掴まれて驚いた朝凪は背後を振り向く。

 派手目の衣服から風俗系のお店で働く女性のようだ。この辺りでは珍しくもない格好。

 声を聞く限り若いのは確か。マジマジと見たわけではないからはっきりとはしないけれど、なかなか可愛らしい子のようにも見える。


 続いて、「そいつを渡せ!」と怒声をあげ、体格の良い、黒のスーツ姿の男達が四人路地から現れた。

 まぁ何にせよ、女性に助けを求められたのだ。このまま黙って渡すことはしない。

 俺は朝凪と男達の間に入り声をかける。


「女性は優しく扱えってお母さんから教えられなかったのか?」


 事情は判らないが、何かの理由で店から逃げた女性を連れ帰ろうというのだろう。理由次第では言う通りにしてもいいけれど、何も知らないままでは渡せない。

 朝凪と違い白い半袖シャツとジーンズ姿で男達を見回す。


「痛い目に遭いたくなければ黙って渡せ!」


 ガタイの良い男が四人。その中では一番細い男が凄みをきかせて俺を睨む。

 だが、台詞がベタだ。捻りが感じられない台詞を吐く男に好意を持てる状況ではない。


「俺が誰か知って脅してるのかい?」


 男達にも外見が見えるよう一歩前に出た。

 この辺で神渡ビルの巽総司たつみそうじを知っているなら、手は出してこない。危ない組織の方々ですら、散々痛い目に遭っているから交渉で済まそうとする。俺の外見は画像で出回っているらしいから、この辺の荒っぽい連中なら判るはずだ。


「……おい、たつみだ」


 中の一人は俺の顔を知っているようで、他の三人に注意を促した。

 これで大人しくなってくれるだろうと思ったのだが、先ほど脅しをかけてきた男は収まりがつかないようだ。

 恐れも知らずに近づいてくる。


「巽だか何だか知らないが、このまま大人しく引き下がれるか!」


 「やめてください! 手は出さないほうが!」という仲間の忠告に耳を貸さず、麻のジャケットから拳銃を出して俺に向けてきた。

 どこで手に入れたのか知らないが、物騒なものを出して脅せば言うことを聞くと思っているようだ。

 しかしこの新宿には、拳銃ごときじゃ言うことを聞かせられない種類の生き物が居るということを教えてやらねばなるまい。


「それが答えか。いいだろう。ちょっとだけ相手してやるよ」


 拳銃は気にせず、笑みを返して一歩前に脚を出す。

 昨夜観た香港映画に出てきた主人公の真似をして腰を落とし、手の甲を男に向けて伸ばした。


「ふざけやがって!」

 

 笑われていると理解したらしく、顔色を変えて銃を構えた。


 拳銃の扱いは慣れているみたいで、狙いをサクッとつけて引き金を引いた。

 ダンッ!と銃声が鳴るが、俺の身体には傷もつかない。

 避けたわけじゃない。

 俺の身体の数ミリ前で銃弾は止まり、ポトリと地面へ落ちる。

 

 何が起きたか判らない男は驚いているが、それでも続けて引き金を引く。

 ダンツ! ダンツ! ダンツ! ダンツ!

 狙いは間違っていない。実に正確だ。

 俺の身体に全弾向かってきた。

 だが全て同じように地面に落ちる。


「な、何をしやがった!」


 銃が役に立たないと知った男は、目に焦りを見せて後ずさる。

 驚くのも無理はない。今まで俺に銃を向けてきた奴らは皆同じ反応だった。防弾チョッキを着ていても、着弾すれば衝撃で後ずさったり倒れる。少なくとも衝撃によるダメージを受けた様子は見せる。

 しかし、俺にはそのような反応はない。ダメージなど受けていないのだから、見せる必要もない。


「企業秘密って奴でね。さて、少し怖い目を見せておかなきゃな」


 何が起きているのか理解できずに戸惑っている男にニヤリと笑みを見せる。次に、男に向かって地面を蹴る。手を伸ばせば触れるところまで一瞬で距離を縮め、男の両肩にポンッと手を当てた。続けて、股関節にも同じように素早く手を当て、そして周囲の男達に視線をくれる。

 銃を撃った男は、その場でドンと後ろ向きに倒れた。


「な、何をしやがった……」


 両腕と両足を動かせない男は、顔だけを俺に向けた。その表情には焦りと恐れが感じられる。

 まぁそうだろうな。

 関節を外したり外傷を負わせたわけではないから痛みはない。

 ただ、気の流れを霊気で遮断しただけだ。


 だが、気の循環を阻害された人体は人形と同じで自力では動かせない。

 神経の情報伝達を霊気で邪魔しているのだ。血流も遅くなる。その気になれば血流も止められるが、そこまでは滅多にしない。男の両腕と両足は動かせないのは確かだ。

 

「早く治療しないと、命を取り留めても一生そのままになるぜ?」


 今回与えた霊気は神経に作用しているが、時間が経つと血流も邪魔をするようになる。

 そのように加減して霊気を打ち込んだのだ。


 血が通わない手足がそのままでいるとどうなるか?

 それは想像に任せよう。

 とにかく早く治療しないと命を落とすかもしれないし、少なくともダルマ状態で一生過ごすことになる。


 仰向けで頭だけを動かしている男を他の三人が抱きかかえようとしている。

 フゥウと息を吐き奴らに背を向けた。

 さて帰ろうと朝凪と女性に近づいた俺に誰かが声をかけてきた。

 

「ほう、霊気功を使うのですか……」

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