第14話

「おおおお、マジかよ。勝ちやがった」

「そう」

「へぇ、驚かねぇのな」


ワルドの言葉に、奏は静かに立ち上がった。無造作に腕を伸ばしてワルドの背に触れる。瞬間景色が切り替わった。急に変わる足場にも慣れたものだ。眼前には数百メートル規模の巨大なクレーター。対岸のその中腹辺りに目的の二人がいる事を肉眼で確認する。


再び瞬間移動の準備をする為に背後のワルドへ向き直る。カリヴァーンを手中に入れられる前に行動を起こすべきだった。ただその瞬間、奏は弾かれるように視線を戻した。見据えるのは目的の二人。何の変化もない。ただ何か本能的な胸騒ぎがする。


「ワルド。急ぐわよ」

「待て、奏」


ワルドも同じものを感じ取った。

この人形から笑みが掻き消えている。滅多にない事だ。ただ目を見開いて、アレを凝視している。どういう時にそうなるのか、長年共に居る奏ですら見た事がない表情だ。


(ああ、いや……)


きっと"死ぬかと思った時"この人形はこんな表情をするのだろう。


「あっ、ははは──!」


そして、込み上げるように破顔した。文字通り破滅的な表情だった。


「奏……」

「なに?」

「もう少し、待とう。見ていよう。まだ終わってない。いや──」


ワルドは視線を動かさぬままその場に座り込んだ。奏もまたその場に留まることで、言外に肯定を示す。


「──始まるぞ」


きしり、と何かが軋む音がした。



死んだ。壊れて機能を失うのではない。静かに魂が消え物言わぬ塊になる姿が、ミコトには人間の死に近しいものに見えた。


「……っ」


一瞬だけその後の行動を躊躇う。しかしすぐにミコトは動き出した。一本髪の毛を抜いて、呪文を紡ぐ。


「起きて、カリヴァーン」


祝詞の最後に手から髪の毛を離すと、それはふわりと風に乗るように流れてカリヴァーンの体の中に入り込んだ。すぐに彼の目に光が戻り、きしりと体を軋ませて顔を上げた。辺りを見て、こちらの顔を確認しているうちに見る見るうちに体が修復されていく。


「……物凄い魔力だな、八王子命」


名前を呼ばれた事に驚いた。彼は間違いなく死んだはずだからだ。


「……っどうして」

「どうして?……ああ、記憶か?もちろん残っている。いや、よく私を倒せたな」


ミコトは、後ずさるように警戒する。対してカリヴァーンは落ち着いたまま言葉を続けた。


「魔工人形の死に様は初めてか?我等は契約が終わると記憶を記録として整理する」

「……何が違うんだ?」

「箇条書きにされた情報を叩き込まれたようなものだよ。感情など伴わない」


そう言ってカリヴァーンは立ち上がると、喪服の上着を脱いで放り捨てた。それは確かにボロボロで服として機能していないものだったが、彼がそれを着ていた意味を考えると、どうしても目で追ってしまって──。


「──それで、私は後ろのそれを消し飛ばせばいいのかね」


──目の端に映った何かに、言い様のない感情が噴き上がった。弾かれるように、そちらを見る。


きしり


乾いた音。

金と銀の糸で吊られたその人形は、俯いていてこちらを見ない。



リオンは目を開けた。いや、目を瞑っていた訳ではない。ただ瞬きしただけだ。何を思っていたのだったか。醒めてしまった夢の様に、記憶は薄れて消えた。


「どうした、ミコト」

「え、あ、いや……?」


突如弾かれるように自分の方を向いたミコトに、リオンは声を掛けた。


「終わったのなら移動した方が良いな。歩く事になってしまうが。お腹も空いただろう?」


ガリガリと首の後ろを掻きながらリオンは眉をひそませるミコトに近付いて、そのまま先導するようにクレーターの縁に向かう。


「……待って、リオン。それ……」

「ん?」


ミコトが指したのは首を掻いていたリオンの手。リオンもその指先に血が付いている事に気付いた。もう一度首に触れてまた指を見る。少しだけ血が増えている。


「ああ、ここだけ肉の部分が残っていたのか。痒い訳だ」

「だ、大丈夫……?」


ミコトの声に一瞬だけキョトンとした後、リオンは可笑しそうに笑い声を出した。


「安心してくれ。妙な素材の繊維だがちゃんと髪も復活するぞ。禿げ知らずだ」


表情が凝り固まっている。笑い声が出ているだけだ。その顔は治るのか。その人間の体とは思えないか細いブリキの体は害の無いものなのか。

ミコトがその問いをぶつける事を躊躇ったのは本能的にそのブリキの造りがどういったものなのかを悟って恐怖したからか。今はただ、目の前を通り過ぎるリオンの姿を不安げに見上げるだけだ。


「ありがとう、ミコト」

「え……?」

「君のお蔭で戦えた。君のお蔭で変われた。君のお蔭で勝てたんだ」

「リ、リオン……! それよりさ、その」

「ん?」

「か、体は? 大丈夫、なの……?」


ミコトの声の言葉尻が震えていた。リオンはそれを感じ取ったのか、安心させるようにミコトの頭に手を置いた。


「思ったよりは平気だったようだ。ずっと怖かったが、今となってはそうでもない」

「でも……」


ミコトは頭の上に乗ったリオンの手を両手で包んで顔の前に持ってくる。そして昨日までの物とはあまりに違うその感触に今にも泣きそうなほど表情を歪ませる。リオンの体からほとんど人の部分は無くなっている。恐らく"足の機能"が加わる事を疎ましく思ったカリヴァーンが意図的に攻撃を避けていた右足に所々残っている程度。

斑に残った肉体部分が機能するはずもなく、きっとそこももう一日と持ちはしない。


「でも、でも……っ」

「大丈夫だよ、ほら。どうせこうだ」


リオンはズボンのポケットから手袋を取り出して手に付けるとミコトの手の平に、自分の手の平を重ねた。


「……革手袋の感触がする」

「そりゃあまあ人の体は無くなったが、死んではいない。予備の体があると考えれば、運が良かったのさ」

「で、でも……っ」

「それにきっと、世界を滅ぼすのならこちらの方が君の役に立てる」

「……どうやら、まだ自我は保っているようだな」


2人の会話にカリヴァーンが割り込んできた。先ほどまでの警戒は取れていて、歩みもどこか親しげだ。


「……お前の方は、完全に死んだようだな」

「ああ。哀れな1500年の妄執も何もかも。哀れ過ぎるから伝えておくが、私はどうもお前をずっと気にかけてたようだぞ」

「そうか。そうかもしれんな」

「はっは、哀れ。哀れ」


何だろう。

ミコトは言いようのない不安に息が詰まりそうで足を止めた。カリヴァーンは警戒を解いている。一度自我が消えたとは言え、彼は戦いの器。危機や脅威には敏感なはず。

だから大丈夫。この不安も気のせい。リオンの、――彼の手足が首が頬が背中があまりにも変わり果てていて、そう思うだけ。だから、大丈夫――。


「リオン、待って……」

「ああ。ほら、早くおいで」


ふと、リオンがこちらを見た。半身で振り向いて顔の半分が見えている。穴が空いたかのような真っ黒の眼球と無機質な表情がこちらを見下ろしている。


「――――あ……」


そして、リオンの変化に気が付いた。


「おい待て」


雰囲気から何かを察したのだろう。すかさずカリヴァーンが静止する声を掛けた。横目でミコトはカリヴァーンの表情を一瞥する。なるほど気付いていて、あえてそうしたのか。


「──マスター。刺激するな」

「うん。ごめん、黙って」


ぐ、と口を噤んでカリヴァーンは諦めたように息を吐くと一歩下がった。そして改めてミコトはリオンに向き直った。


「ミコト。私は何かおかしいのか?」

「……ううん、変じゃないよ」

「そうか」


ほっとしたような、そんな声だったと思う。だけどその表情と仕草があまりに無機質で不安になった。でもだからこそ、決意をする。


「……いつの間にか、ベッドで寝てたんだよね。机でうたた寝していたのに」


唐突に脈絡を失った言葉にリオンが首を傾げた。


「地下の冷室にさ、水を補充するのをよく忘れていたんだ。でも最近はいつも補充されていた。物置に雨漏れを直した跡を見つけた。雨漏りしていたのも気付かなかった。ニンジンだけ細かく刻んで食感が分からないようにしていたよね。カッコ悪いからばれないようにしていたのに、多分そんな事もばれていたんだなって今は思うよ。リオンの優しさに私はいつも遅れて気付いてた」

「……だから?」

「私はいつも君の優しさに気付けない。多分、今も君は普段通りであろうと振る舞ってくれているから。無意識かもしれないけど」

「そんなつもりは、ないんだがな。無論私が細部に渡り気遣いが行き届くナイスガイなのは否定しないがね」

「うん。変じゃない。リオンはね、もっと変なんだよ。変な奴なんだ」

「……まあ、多少変わりもするさ。劇的な夜だった」


ぎ、ぎ、と音を立ててリオンは手を開閉させて掌を眺めた。ミコトはその指の動きの滑らかさに寒気を覚える。


「ああ。この手だってそうだ。確かに怖かったけれど。言っただろう、君と共にあると誓った。その時から──」

「うん。その時から?」

「ああ、いや、違うか。この手を裂く直前まで怖くて怖くて、出来ないんじゃないかって不安、で? あー、と、あ? そう、ああ、でも、しかしそもそも、あれ」


するりとそれは抜け落ちた。きっと無意識のうちに、リオンが必死に握りしめていたもの。


言葉尻から表情から雰囲気から仕草から、ほどけて落ちるように感情というものの一切が抜け落ちた。


「──何が、そんなに怖かったんだっけ」


ぽつりとリオンがそう零した瞬間だった。



「離れろ──ッ!」


リオンの左目からするりと最後の糸が滑り落ちた。

いや、それだけではない。"その糸"が要となっていたかのように、次々と解けていく。

するり、するりと。地面や、空や、雲や、空気や、景色がだ。するりするりと解けてそして裂けていく。薄ぼんやりとその裂け目の奥には金色と銀色が渦巻いていた。


「なに、これ……」


その裂け目はとても大きいように見える。いや、遠いのだろうか。ああ分からない。あの裂け目は数百メートルを飲み込んでいるのか、それとも目の前で大口を開けているのか。


「離れ、ろ──っ」


がしゃんと背後から力ない音がミコトの鼓膜を打った。振り返るとカリヴァーンが虚ろな表情で両膝をついている。


「カリヴァーン!」

「離れ、ろッ!」

「いやだ!」

「糞ガキめ!」


乱暴な言葉とは裏腹にカリヴァーンはまた力無く崩れ落ちて地に手を付く。その背後ではまた大きな裂け目が広がっている。

素早くカリヴァーンに近寄って抱き留めると、地面に向かって手の平を向ける。


「ち、着地よろしく!」

「な──」


カリヴァーンの返事を待たずに一の魔導を放つ。爆風で体は浮き器用に裂け目の間を通り抜けて、十数メートルを移動する。カリヴァーンがミコトを抱き留め背中から着地した。


「ありがと」

「ああ、糞ガキ。こちらこそ」


端的に言葉を交わして、二人はリオンに向き直った。離れて分かった事。どうもあの裂け目はリオンの周りから広がっている様だ。しかし一つまた一つと世界は解けていく。


「カリヴァーン、動ける?」

「行くつもりか。少しは悩め」

「リオンを迎えに行くのは、私の役目だ」


ち、と忌々し気にカリヴァーンは舌打ちをする。少しだけ羨ましげにも聞こえたのはきっと聞き間違いだろう。


「……あれは繋がりを断ち切るものだ。禁忌人形だった頃は一人だったが、今は君との契約が要だから近づけもしない」

「繋がりを、断つ……」

「人形にはそれぞれ役割があって作られる。戦う物、守る物、笑わせる物。あれは、"世界を終わらせる物"だ。知っていて言っていた訳ではなかったのか」

「知らない」

「だがまあ、世界の滅亡が目的だと言っていたな。おめでとう、と言った方が良いか?」


皮肉気に笑うカリヴァーンに構っている暇はない。ミコトは素早く算段を付けた。


「貴方は、近づけないんだね?」

「心臓で契約でもするなら別だろうがな。毛髪程度では目が合っただけで解けるだろう」

「じゃあ、離れて待ってて」

「いいじゃないか。世界が滅びるぞ」

「ダメだ」

「……全く、結局何がしたいんだ、君達は」


裂け目は他の裂け目に押し退けられ、混ざり移ろっている。その際にふと、隙間から見えた。──黒い孔。いやあれは確か、目だ。


じろりとこちらを睨んだ。崖下を覗き込んだような寒気がした。立っている場所が崩れてしまいそうな錯覚に陥る。そして事実、その予感は現実の物となる。ばつん、と目の前の風景が裂けた。伝播するように、ミコトの周囲に亀裂が広がり裂けていく。


「あれは、何だと思う?」

「あれって……?」

「リオン=アルファルドさ。あの哀れな存在をどう言い表す」

「どういう意味」

「不思議に思った事は無いか?あいつの知識や経験値の多さに。”失語郷”のせいでより浮き彫りになっていただろう?」


ある。リオンはあまりに奇天烈な人だったから、その違和感は埋没していたけれど、確かに一度、そう思った事がある。


「それはあいつが、あいつの前に作られた人形の経験と知識のみを転写されているからだ」

「でも、リオンはそんな事……」

「記憶喪失だと思っているのさ。エピソード記憶だけが残っていると思っている。しかし実際は違う。そもそもあれは長い時間を生きるように作られてはいない。遺憾だが、俺が種明かしをしよう」


つまらなそうに、カリヴァーンは鼻を鳴らして、言った。


「リオン=アルファルドは、世界を滅ぼす悪魔だ」


不思議は無い。目の前に広がる異様な光景はそれを予感させるのに十分なもので──。


「しかし放っておいても問題はない。ここら一帯は消滅するだろうが、あれは世界を滅ぼすまで体を保てない。そういう風に出来ている」

「え?」

「影響範囲を絞られた破滅の因子だ。恐らく誰かを誘き寄せて巻き添えにするだけが目的の。つまり簡単に言うと──」


吐き捨てるように、カリヴァーンはそれを口にした。


「あれは、使い捨ての爆弾だ」


ミコトは大きく目を見開いた。言葉も出ない。ただ、ひりひりと喉が渇いて、奥歯に罅が入るほど噛み締めていた。


「今回は恐らく不発だろうから、あれが崩壊した後、早晩次のリオン=アルファルドが現れるだろう。体の性質と、経験と、そしてあの黒い眼球を持つ全く別の誰かが──」


そこで、カリヴァーンは言葉を途切れさせた。がしゃりとその場に倒れ込んだ。


「ぐ……っ」


魔術契約が壊れかけている事に気付く。千切れる、というよりは知らぬまに解けているような。ミコトの魔術さえ軽く受け流す世界最高の人形が、息も絶え絶えに地面を舐めている。慌てて手を伸ばすと、触れた瞬間に息を吹き返したように生気を取り戻した。


「……おい、マスター!」

「な、なに?」

「行くんだろう!私が何を言っても!」

「そのつもりで言ったんでしょ?」


ふん、と返事の代わりにカリヴァーンは鼻を鳴らした。


「カリヴァーン、どうすればあれを止められる?」 

「破壊しろ。あのブリキの体がこの力の導火線だ。耐え切れずに崩壊すればそこでこの状況は終わる。あのブリキの体が導火線で、要だ。破壊すればそれで終わる」

「いやだ」


ふ、とカリヴァーンはミコトの答えに満足げに笑った。


「ならば勝手に何とかしろ」

「うん。カリヴァーンはどうする?」

「構わん、さっさと吹き飛ばせ。ここで契約を裂かれるよりは随分マシだ。役にも立てん」

「い、潔いね」


しかし確かにその通り。何より先程までの戦いで、彼のしぶとさは信頼している。


「ごめんね。リオンと一緒に迎えに来るよ」

「……本当に、糞ったれだ」


しかめっ面のまま、カリヴァーンは一の魔導でクレーターの先まで飛んでいった。最後までこちらを睨み付けていた表情にくすりと笑ってから、ミコトは振り向いた。

もうあの黒目が覗く隙間すらない。ばつん、ばつんと引き裂かれるように裂け目が広がっている。いやむしろもう、裂け目の方が辺りには多い。ミコトのいる世界の方が隙間の様に感じられた。


こうなってはもう避けては通れない。恐る恐る腕を伸ばすと、ふと裂け目の縁に指が触れてびくりとする。何しろ遠近感が分からない。ただ指は何ともないようだ。もう一度縁に外側から触れる。カーテンの様に退かせる事が出来た。


ミコトの存在など些末な事とばかりに、裂け目は外側へ外側へと侵略を続けていて、この辺りはむしろもう穏やかに裂け目同士が揺れているだけ。とにかくこれなら何とか進めそうだと当たりを付ける。器用に裂け目の間を進む。


何の障害もなく行き着いた。

距離にしてわずか十数メートルだから当たり前の事だったが、どこかとてつもなく遠い距離だと感じていた。最初に天まで伸びた大きな裂け目に視線を奪われる。他の物とは少し違うその裂け目。ぶれる事無く、じわりじわりと広がりを見せている。


その足元に、リオンはぽつりと立っていた。


そこでは金と銀の光が糸と為し、辺りは金と銀の稲穂が揺れているよう。


「──何がしたいのか、か……」


辺りに進路を塞ぐ亀裂はなく、ミコトはリオンのすぐ背後で足を止めた。


「私達は、ただ無意味に死ぬのが嫌で、消費されるのが嫌で、まあ他にも色々あるけどさ」


呟くような言葉は届いているだろうか。

静寂が広がるこの空間で、どこかリオンは遠い。


「でも結局、誰かに見つけて欲しかっただけなんだろうね」

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