第11話


──煙で燻し光を遮り、砕けない鏡面として水面を使い姿を隠す。


リオンの考えた単純な作戦だが効果は大きい。爆風は炎のみを消し飛ばし噴煙染みた土煙を残したし、水上に敢えて炎を残した事で暗い水面はマジックミラーの役割を果たした。


(……リオン)


息を吐いてすらいけない。

およそ4分が湖底ですぎていた。リオンはもはやほとんど酸素を必要としなくなっているようだ。だから直接ミコトに酸素を渡してくれた。口付けなので気恥ずかしかったけれど。

ふと、湖面に人影が現れた。俄かに緊張感が湖底に満ちる。リオンが指をさした。小さく頷く。

ミコトは魔術を放った。湖のほとんどの水を持ち上げて今度こそ本当に津波となってカリヴァーンに押し寄せた。

それを苦もなくカリヴァーンは処理して、そして、吹き飛んだ。


「ぶはっ、リオ、ン……ッ」

「ミコト怪我はどうだ?無理をさせて済まないが……」


右腕はほとんど動かないので脱いだ白衣で無理やり固定している。頭の包帯もその切れ端だ。加えて水の中に入って少し痛みが増した。意識すると重い拍動のような痛みが脳髄まで響いている。だが無理を押さなければ勝てる相手ではない。


「だい、じょうぶ。それより、"爆発した"?」


ミコト自身の魔術もほとんど大爆発に近い事と水の中にいた事もあってよく分からなかったが、確かに強い閃光が走っていた。


「ああ。奴が水を跳ねのけようとして咄嗟に光で攻撃したせいだ。分解する際に水素と酸素。まあオゾンや何かも幾らか発生しそれが爆発した。水素爆鳴気反応の応用だな」

「ね、狙い通りなの……?」

「以前、僅かにオゾンの特異臭がしたのを覚えていた。この"鼻"でようやくわかる程度だがな」


この泉は4,5mほどの深さがあったが、既に水は膝ほどまでしか残っていない。リオンはざぶざぶと岸に上がる。岸に上がると、爆発の凄まじさが分かった。木々は根っこから吹き飛ばされ地面も大きく抉れている。間違いなくダメージはあるはずだ。


「だが、倒せたとは思えない。様子を見てくる。リズ」

「……私は"あっち"に」

「ああ、頼む」


切断能力を持つ光。いくらリオンでもそんなものを想定して実験などやれる訳がない。土煙すら限定的に分解できてしまったら。マジックミラー越しでも居場所が筒抜けだったら。水を素粒子まで分解して再結合すらさせなかったら。どれもあり得た話。全てが即興の賭けだった。5割以上の成功を望めていたとは思うが、それでも賭けはオールベット。外せば死ぬ。だけどだからこそ、この賭けに勝ったのは大きい。


「あ」


気付けばリオンはリズを連れて森に消えていて、慌ててミコトも岸に上がった。目的地は先程の岩宿だ。あの場所に──。


「……え?」


違和感に思わず足を止めていた。一見して分かるはずのそれがあまりにありえない事で、状況を飲み込むのに一瞬の自失を要する。しかし半ば無理やり頭はそれを理解して意識が追いつく前にリオンの名を叫ぶ──その直前に声がした。


「──静かにしろ」


それは、その人形は、びしょ濡れになった上着を脱ぎ捨てながら木の傍にある石に腰かけていた。"爆発の余波など何処にもない静かな森"の傍で。それは小さく息を吐く。吐息の端に極光が漏れている。


「君か。リオンの良人は。写真の通りだな」

「……何、で」


恐怖よりも焦りよりもまず、なんて精巧な人形なのだと思わされた。


「カリヴァーン……っ」


ミコトだから──"神の指先"だからこそより深くその造形に驚かされる。編み込まれた魔術の精緻さ、魔力循環の滑らかさ、動きの再現。兵器であり、隣人であり、芸術品だ。


「あの津波の様な魔術を幾つもかましてくれたのも君だな。全く、手を焼いたよ」

「……爆発で、吹き飛んだはずじゃ」

「生憎〝私もリオンを買っていてね〝。これぐらいはやるだろうと思っていた」


ため息交じりに裾を絞りながら淡々とカリヴァーンは言った。濡れている、という事は水を光で迎撃しなかったのだ。そしてどうやってか爆発を演出して偽装した。駄目だ、前提が間違っていた。この男、大人げないほどに油断が無い。


(どうする……)


暢気な会話に応じて忘れる事は許されない。彼の正面に立っている。腕も、足も、指も、胸も腹も、目も鼻も唇も。彼の刃の切っ先が当てられているのだ。下手を打とうものなら、文字通り全て塵に変えられる。


(どうする──!)


思考はまとまらない。カリヴァーンの動きに注視していたせいか、その口が開いただけでミコトは身構えた。


「恋人か?」

「……は?」

「リオンの奴の」


思わずカリヴァーンの顔を覗き込むと、驚くほど穏やかな視線と目が合った。


「違うのか?」

「い、いや。その別に、私としては、その、いや、……違う? うん、違う、かな」

「なんだ、違うのか」

「……ふ、夫婦だから」


きょとんとカリヴァーンが表情を落っことした。ミコトを眺めていた呆けた目がゆっくりとミコトの下腹部に移動する。


「……避妊しなかったのか?」

「できてない!」

「何だ、なら遊びか何かか」

「まあそうだね、でも」


──きっと、あまりにも彼の問いが真剣だったからだ。この時はなぜそこまで真剣に問うてきたのかに思考を回す余裕がなかったが、自然とミコトも自分の中の真摯な答えを探して胸に手を当てていた。


「私だって、リオンと離れたくない」


思い浮かぶのは最初リオンを見つけた事。この幻想的な森も相まって物語の一幕のように思った。自分の考えた格言を自慢げに披露したり、人の下着を振り回しておかしな流派を騙ったり、授業ごっこをしてみたり。馬鹿な事に怒って笑った。


「真剣に、自由に、誰に気兼ねすることなく、二人で遊ぶんだ」


夢のような毎日と、馬鹿みたいな思い出と、胸が高鳴る冒険と戦いと、皮肉で痛快な世界の終わりを。踊るように過ごしてみせよう。ああほらそう思うと、こんなにもうずうずしてドキドキして、穏やかなのに晴れやかだ。


「……リオンが、そう言ったのか?」


少しばかり赤面するほどの台詞を頑張って口にしたつもりだったが、彼は別の所に意識を奪われた様だった。見れば驚いたように目を瞠っている。


「"私も"と」

「いや、まあ。多分そう言う感じのニュアンスだったかと……。た、たぶん……」

「……そうか」


カリヴァーンはそう零して、しばらく沈黙が続いた。ミコトは動けない。カリヴァーンがこちらを攻撃しないのはこちらが大人しくしているからだ。殺されはしない。だが敵意を見せればその瞬間に体の一部が斬り落とされるぐらいの事にはなるだろう。彼は何かを考えている──いや、何かを思っている様だったがやがて小さく息を吐くと立ち上がった。


「不思議と、疑わしくはないな」

「そ、そうだろう?」

「では、聞いたか。奴の事を」

「体の事?」

「違う。"傷付いたら変質する事を"だ」

「……何が違う?」

「……なに、すぐに分かるさ。愚者は失敗を教訓としたまえ」


カリヴァーンはじっとこちらを見た。その無機質な目から感情を読み取る事は出来ない。


「名は?」

「……八王子命」

「ではハチオウジ夫人。君はどうやらあらゆる意味で特別なようだ。リオンにとっても、世界にとっても、そして私にとっても」

「貴方にとっても……?」

「君は何だ? 何かは分からない。ただ"何か"であると私に訴える。捕縛など止め今すぐ殺せと訴えてくる。これは焦りか? それとも恐怖か?」


自分を見ていない。ミコトはその視線にすぐに気付いた。覚えがある。あの人間至上主義(バカ)共に近い。ミコトの"ガワ"を見る目。だか人間至上主義の連中とは本質が違う。もっと恐ろしく、冷たく、掴みどころがない。


「ああ、まあ、いい。あまり、怪我はさせたくなかったが」


ジャリ、という音だった。

一瞬何の音か判断が付かなかったが、砂利を踏み締めた音に似ていると思ったぐらいで、それがまさか自分のふくらはぎが蒸発した音だと気付かなかったし、カリヴァーンの明らかな殺意に反応して距離を取ろうとしてスッ転んだのも仕方がないだろう。


「え」

「人間(きみたち)はすぐに死ぬからな。止血をしよう」


無い。両の足の脛から先が無い。激痛はあったのだろう。自分の絶叫が聞こえている。吐き気も酷い。叫んで、吐いて、息を吸ってまた嘔吐した。ただもっと酷かったのは喪失感だ。足が無い。指を動かせない。だってもうないから。無い。立ち上がれない。歩けない。もう走れない。靴を履けない。冷えたフローリングを踏む感触も木に登る達成感も、もう取り戻せない。あんな一瞬で、人生の一部をこそげ落とされた──。


(だから、なんだ……っ)


瞬間。何かどろりとしたものが辺り一帯を沈めた。


「舐めるな」

「む──っ」


それは膨大なミコトの魔力。まるで半分固まった油の塊が空を満たしたかのような圧迫感は、カリヴァーンにさえも一瞬の金縛りを強要する。


「──:Blast!」


ただ魔力を放つだけの"一の魔導"。それが生み出す手の平が地面を向いている事も構わずに、ミコトは術式を開放した。至近距離でその煽りを受け、カリヴァーンは吹き飛んだ。ミコトが近かったため闇雲に力を使う訳にもいかなかったのだろうが、それでも器用に爆風と破片を切り刻み、傷一つなく着地するだろう。

ミコトは"立ち上がる"と"走り出した"。


(僅かだが感触が違う……)


裸足のせいか砂利や木の破片が痛い。"足の裏"のブヨブヨした感触が気色悪い。喉までせり上がってきた胃の中身を飲み下して、ミコトは走った。今の爆発と悲鳴でリオンは絶対に近くまで戻ってきてくれている。


「──ミコト!」

(ほら)


安堵が体から力を抜けさせた。バランスを崩した体をリオンが抱きとめる。巻き起こる粉塵の中、しっかりとその感触を確かめる。ああ、これは幻影ではない。


「ミコト。どこか怪我を……っ!」

「大丈夫……」

「しかしさっきの悲鳴は……」

「まあちょっと痛い事はされたけど、ほら、"五体満足"だ」


強がってはみたが、顔は青ざめ息も乱れている。言葉通りに受け取ってはくれないだろう。でもそんな事分かった上で言っている事をリオンは分かってくれると、私は知っている。


「……すまない」

「ううん」


短い言葉で信頼と必要な感情を交わした。


「何か分かったのか」


カリヴァーンが使用した能力は強力で、思い返せば自然と答えに辿り着いた。


「──たぶん。幻覚だ。光の屈折や反射を操ってる」

「光の変質が第二権能か。禁忌人形の癖に、糞ったれめ……」

「禁忌人形?」

「一人でに動く人形"をそう総称する。世間じゃ都市伝説扱いだが」


言いながらリオンはミコトの体を抱き上げた。素早く離脱しなければならない。だが世界に光が満ちる夜明けも近い。決着を早めなければならない。


「──ミコト、こっちに」


どちらにしろ、ミコトも本来の動きは出来そうにない。それに背を向けて逃げ出すにはあまりに敵が近すぎる。大きめの木の影にウロを見つけた。そこにミコトを押し込む。


「出て来いリオン。終わりにしよう」


声が近い。心臓が早鐘を打ち始める。目を瞑って深く息を吐く。覚悟を決めて目を開けた。


「待て、カリヴァーン」

「リ──……」


リオンはミコトの口を押え、立ち上がって月明かりの下に姿をさらした。



リオンが木の影から出てくると血の水溜まりが足に跳ねた。ここはミコトが人間至上主義の連中を殲滅した場所。血の池はある程度地面に浸み込み、死体とそれが用いていた機工人形の残骸が転がっている。ぐしゃりと、無感動にその破片を踏み潰してカリヴァーンはこちらに歩き出した。


「もう動くなよ。これ以上手を焼かせるな」

「カリ──」

「黙れ」


もううんざりだと、ため息交じりにこちらを睨み付けた瞬間、かッと体が燃えるように熱くなる。細胞を切り分けられるような激痛。高濃度の放射線をまた叩き込まれた。遅行性の毒でしかないそれが、リオンにはさらに効果的だ。内臓が不規則に痙攣し細胞が破れて血が滲む。気付けばまた地面を舐めていた。だが、不思議と一度目の時ほど痛みはなかった。血塗れの地面を握り込むように腕に力を入れ、上半身を上げると睨み付けた。


「……随分と、耐えれるようになったな」


リオンを見下ろす双眼はいつも冷たく光が無い。──いや、無かった。無かったのだ、これまでは。ただよく見れば今は違う。ほんの少し、不快そうに眉根を寄せている。


「──なあ、リオン」


たまたま"それ"と瞬きが重なった。

瞼が一度降りて上がる間に、彼に触れた無数の光が矢となり槍となり刃となり辺りを蹂躙した。20m半径の森が消えている。一瞬でどこか別の場所に移動したかのような錯覚に陥って、びくりと体が震えた。単純なその威嚇に、眩暈がするほどの恐怖を覚えた。だが、もう膝を抱えて蹲る事などしない。そうだ。今は──。


(っミコト──!)


我に返り振り向くと、たった一本だけ残された木の幹が見えた。ミコトが隠れている一本だ。ほ、と胸をなでおろす。


「大事か、あの女は」

「当たり前だ……」


言うと、カリヴァーンは眉根の皺をわずかに深くした。


「怪我も死も恐れず、身を犠牲にしても誰かを守る、か」

「何が言いたい」

「自分で考えろ。そんな事よりだ」


答える必要などない。どうも奴は時間を稼いでいる。どんな目的かはこの際考えない。窮地だ、賭けに出る。ナイフを抜き放ち投擲した。


「リオン。お前は俺がお前達を殺さない事ぐらい分かっているはずだ。なのに、投降しようとしないな。何故だ」


ナイフはざらりと砂になって消えた。しかしやはり駄目だ。視覚では幻か否か見極めきれない。目を瞑った。眼球など彼の前では、何より信用ならない裏切り者だ。


「何故だ?好戦的な主人の意向にただ忠実なのか?それとも――」

「……ッ」

「――そこの女の得体を知れば、俺が必ず殺そうすると考えているのか?」


拙い――! カリヴァーンの言葉を聞くが早いか、リオンは立ち上がって叫んだ。


「ミコト、走れ!」


奴の幻覚は見破れるものではない。だが音は聞こえる。臭いはそこにある。相性はいいはずだ。時間を稼いでいたのはこちらも同じ。カリヴァーンが、ミコトを確保しようと回りこみ、そこに足を踏み入れるその瞬間を待っていた。


「頼む――!」


それは水面越しの月の加護。触れられずを許さぬ。空を踏み、魔法を踏み砕く左足が振るわれた。光も幻覚も、それが手で掬えない物ならばこの足をはそれを捕え打ち砕く。それが例え、魔法や幻覚だったとしても。


「な」


驚いた顔が想定通りの場所に現れた。しかしそれも一瞬、すぐにこちらの足でも落とそうと能力を行使しようとして。


「ジョータロー!」


──だから、足元にずっと打ち捨てられていたそいつに気付かない。

恥知らずなこの命令を、それでも彼は迷う事なく遂行してくれる。足を掴み、驚くカリヴァーンを構う事なく、振りかぶって思い切り地面に叩きつけると、地面にバウンドしたその体を思い切り蹴りつけた。


途轍もないパワーにリオンすらも驚いて目を瞠る。蹴られたカリヴァーンの体は矢のように吹き飛び、地面をバウンドしながら森に突っ込み木々を薙ぎ倒して視界から消える。


「リオン!」

「待て。ジョータローを──」

「いいんだ」


ミコトの悲痛な声を聞いてから、やはり悲痛なその視線に気づいてそれを追った。そこでは、丁度がしゃりとジョータローが崩れ落ちていた。文字通り、崩れて落ちていた。カリヴァーンを掴んでいた右腕、そして蹴り付けた左足がそれぞれ胸と腹の半分ほどを巻き込んで消失している。


「……っくそ!」


ミコトを抱え上げて、カリヴァーンが吹き飛んだ方向とは逆の森に入って駆け出した。


「カリヴァーンは爆発を演出した。ならば君の魔術をまともにくらったという事だ。それにジョータローの攻撃も間違いなく効いている。済まない事には、なったが」

「……うん」

「しかし、今は──」


──それは、丁度あの岩宿の傍を通りかかった時だった。唐突に視界が消えた。

まるでいきなり目を塞がれたかのように暗闇が訪れた。


「な」


咄嗟に体が動いた。逃げようとしたのかその逆か、考えての行動ではなかった。

するとふと、闇の中で極光を見た。



カリヴァーンが元の場所に戻る頃には、服の埃はすっかり落ちていた。

先程の人形の攻撃を防御した右腕の挙動が少し遅い。あとは先程の池で敢えて受けた攻撃が平衡機能にズレを生じさせている。とは言え後者は微々たる物だ。問題は右腕、──いや問題と言うよりは疑問か。何故機工人形の攻撃がこれ程の力を発揮したのか。

その人形の体は撫でるような攻撃で脆くも半分ほどが壊れた。脆さも外見も機工人形に違いはない。だがカリヴァーンは、得体の知れない薄ら寒さや焦り、おそましさを覚える。


(恐怖)


それがそう言う名の感情だとカリヴァーンが気付いたのと同時に、"べちゃり"と人形が更に崩れ落ちた。それは人形の胸から毀れた物の音だった。それを見て、カリヴァーンは硬直して言葉を失った。

驚きに一秒、困惑に一秒、思考に一秒、理解に一秒、そして理解と同時に決断する。

見ているだけで吐きそうな壊れかけの人形に向かって振り払うように手を振った。走る光の刃はまずジョータローを跡形もなく消し去った。それは今までの音すらない攻撃とは違う。放射状に地面ごと消し飛び深く大きく抉れ、底の見えない谷が地平線まで伸びている。


カリヴァーンの足取りは、どこか重い。


「”神の指先”、か……」


彼は騎士ではない。紳士的ではある。人間ではない。でも感情が無い訳じゃない。ただ人形はやはり感情に振り回される事はない。


「ならもう、殺すしかないか……」


両眼を押さえて天を仰ぎ、唸り声じみた音を漏らす。それは昂りで高揚で緊張で決意だ。び、と汗を拭うように顔から手をどけた。そこには既に先程と同じカリヴァーンが戻っている。彼は変わらずゆっくりと歩く。歩きながら腕を体の真横に持ち上げた。


「──"究極機構(アルテマ・アート)・極光剣"」


すると、辺り一帯からすべての光が消えた。半径数㎞にわたり、全ての生き物の視界が奪われた。村も家も山も人も森も木も雲も人も虫も何もかもがとぷりと闇に浸かった。それは副次効果だ。全ての光は彼の元に集った。


「光よ集え。地に満ちよ」


闇の中。彼は一人、腕を横に無造作に払う。闇は終わり光は戻り、しかしやはり消えている。村も家も山も人も森も木も雲人も虫も何もかも。今度こそこの世から消失していた。

そしてまっ平らになった焦土で、彼は憂鬱な歩を緩めない。



闇が訪れて、そして晴れた。ミコトが抱いた感想はその程度が限界だった。いやというよりはあまりに一瞬過ぎて、無意識に瞬きをしたかと思う程度だった。

気付けばリオンの胸の中に居た。痛いほどに抱きしめられていて、鼻も口もリオンの胸板で潰されそうだ。水面から出た時の様に顔を上げると、目が合った。


「ミコト」


リオンと、そしてその背に広がるものに目を奪われる。

羽根だ。翼と言うにはあまりに無機質で薄い。翼を模しただけの平べったい板の群れだ。それは自在に伸び縮みをし、岩を持ち上げ盾のように地面に突き立てていた。岩の苔むし方に見覚えがある。あの岩宿の物だ。何でこんな所にあるのだろう。


「怪我はないか……?」

「う、うん」

「よし、なら、聞いてくれ……」

「え、え?」


滔々と話しはじめるリオンに対して、ミコトは慌てふためく。何かがおかしい。何か、取り返しのつかない事が起こっている。すぐに気付く。当たり前だ、気付かない筈がない。攻撃されたのだ。そして、それによって──。

──リオンの体の後ろ半分が無くなっている。


「リ──!」

「ミコト、別行動だ。状況が変わった。どういう訳か、あれは究極機構をも使えるらしい」


究極機構。人形の持つ最強の能力。ただ、今はそんな事より──。


「……大丈夫だよ。ミコト」


はっと顔を上げた。リオンの声だった。こちらの意を汲み取って感謝を伝えてくれる優しい声色だ。体の後ろ半分。両足と、右の下顎から目を通って眉間まで。辺りを包む羽は彼の背から出てきた物。ああ、きっともう“リオンは幾許も無い“。だから、優しく頬に当てられた皮手袋の感触に縋るようにミコトは己の手を重ねた。


「リオン、ダメだ、逃げよう、早く……!」

「大丈夫だよ、ミコト。大丈夫」


今や残っているのは、腕と顔と内臓の半分ほどだ。頬を撫でる手と、声や表情から溢れるような情感が最後の灯のように思えてならない。


「奴は私達二人を捕獲すると言う目的から一つ妥協し、目的を変えた。君の排除だ。恐らくジョータローの残骸から察したのだろう」

「そんな、そんな事より……っ」

「もう隠れても意味が無い。木に隠れれば木ごと、街に隠れれば街ごと、地下に潜ろうものならこの辺り一帯の地面が無くなるだろう。とは言え恐らく第三権能・究極技巧(アルテマアート)だ。主がいない状況で使用した事だけでも考えられないが、誰かが近くで奴の意識を奪っていれば流石に使えまい。と言うより、そう願うしかない」


リオンはほんの僅かに遠くを見て、何事かに思い耽る表情を見せた。反射的にその視線を追ってようやくミコトは周りの状況に気が付いた。


「……嘘」


何もない。起伏のあった丘陵地帯は草の根から砂の一粒に至るまで。遠くにあった山々はそこに住んでいた虫も動物も落ち葉一つさえ残さず。そして確かにあった小さな集落と、そこに住んでいた人達も。もうどこにもない。


あるのは地面と夜空との地平線だけ。びょう、と伸び伸びと荒野を行く乾いた風の音がした。ぼとりと何かが落ちてきた。体の斜め半分が無くなった鳥の死骸。どろりと傷口から血と内臓が零れた。ひ、と小さく悲鳴が漏れる。無惨なその姿がリオンと重なってしまう。


「ダメ、ダメだよリオン。逃げよう……!」


リオンは小さく首を振る。

逃げては駄目だと。今度は"人間至上主義"の連中に加えて"人形至上主義"の奴等もミコト達を付け狙う事になると。何の警告前触れもも無しにこんな力が振るわれればどうしようもないと。

分水嶺は過ぎ去った。何があっても必ず、息の根を止めなければならなくなったのだと。

戦って、勝って、手に入れる。


「そんな事よりミコト。どうだ。君を守ってみせたぞ。手は、離していないよな?」

「……うん。ありがとう」


壊れかけの体で、リオンは言う。ぐじ、とミコトは目尻に浮かんだ涙をぬぐった。


「時間を稼ぐ。ここはまだ私たちの世界の果てじゃない」

「ω作戦?」

「ああ、覚えているな?」


リオンの声と表情には、色濃い溢れる様な強い感情があった。恐怖とそれより少し多い勇気と、喜びとほんの少しの寂しさと、そして多分、これはちょっと自惚れかもしれないけれど。私(ミコト)に対する愛おしさと。


「……リオン=アルファルド。私の人形、私の僕、私の剣、私の盾」


彼のその燃えて燃えて燃え上がる様な感情に当てられて、頬が熱くなるのを感じる。照れて俯きそうになるが耐えて、リオンの顔を見つめた。


「そして、私の大事な人」

「ああ」

「負けないで」

「おうとも」


ほとんど唯一、人としての体温が残っているリオンの両手をミコトは離した。名残惜しく、彼の燃え尽きそうな感情の名残を手の中に閉じ込めるよう、拳を握って別れた。


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