第10話
ワルドは空間に指を引っかけ穴を開けて、二人の様子を覗いていた。
「ワルド」
指を離してワルドは穴を閉じた。
「その傷、具合は?」
「ああ。ほっときゃ修復される程度の奴さ。ほんの一瞬だったからな」
「カリヴァーン、ね。どう?貴方から見て」
「世界最強だろ。ありゃあ、やべぇ。魔工人形(アンティーク)なんて大概やべェがな」
ワルドの顔の右半分が削り取られていた。ちらりと"穴"から覗いた瞬間に右目が吹き飛んだ。まるで見えなかった。いや、見えていたからこそ、分からなかった。
「そう」
「食いつき悪ィなぁ。世界最強だぜ。最強」
「じゃあ、"死ぬかと思ったの"?」
「種類が違ぇさ。まあ、思わなかったけど」
苛ついてるな、と口に出す代わりに口端を上げた。多分口に出せばぶっ飛ばされる。
「しょうがねぇだろ。あの女は本気でやるタイプだ」
ミコトは自分の胸に手を当てて魔法を行使した。ワルドが咄嗟に手を弾かなければ、腕ではなく心臓をぐちゃぐちゃにした事だろう。
『連れて行かなければ死ぬ。このまま日が昇っても死ぬ。私を気絶させようが後日改めて隙を見て死ぬ』
静かにそう言い放つミコトには有無を言わさぬ迫力があった。
「それで、どうすんの」
「どうもしない」
「無理矢理生かしておく事もできるだろう」
「あの男も保護しろと?」
「そうそう」
「敵が増えるわ。却下。男を隔離しておけばあの娘は逃げも死のうともしないでしょうけど、その場凌ぎよ」
そう、本当の失策はそこではない。一週間など言わずさっさと仲を引き裂くべきだった。いや、既にあの時ミコトは反抗の意を見せていた、手遅れか。ならば失策はミコトにあの男を近づけた事だ。しかし───。
「仕方なかったと、俺は思うがな」
奏の思考を悟ったワルドは肩を竦めて言った。
「考えてもみろよ。カザフスタンのクソ田舎の村の外れの森に隠されてた魔術の世界の中だ。これ以上隠しようがあったか?」
「……何が言いたいの?」
「それも、"神の指先"と"人外の化物"がだ。なぁ!こんな偶然あるか?本当に誰も仕組んでないんだろうな!だとしたらなあ!ワクワクしないか!ひひひッ!」
独りよがりな会話に非難の視線を向ける奏をそっちのけでワルドは大仰に手を広げて謳う。
「今夜生まれた怪物を、世界はまだ知らない。世界中が後悔に沈む今日と言う日を、俺達だけが知っている」
「随分大仰な台詞ね」
「おいおい俺は人形だぜ。劇的で何が悪い。ひっひ」
「確信しているのね」
「おうとも。間違いない。今この瞬間が、世界中にとって致命的だ」
「────……」
「世界はいつか思うだろうぜ。嗚呼なぜ、あの二人を出会わせてしまったのかと」
奏はひどく驚いていた。短くない付き合いである相棒が、これほど感情を真直ぐに出す所を見た事がなかった。いつもは何を考えているのか分からないこの人形が抱いている感情が今なら一言で表せる。──興奮だ。
「……根拠は?」
ひっひとワルドはやはり不快な声で笑った。
「そら、勘よ」
◆
「だが、復讐などに憑りつかれるはよしてくれよ」
「……どうして?」
じ、と縋るような視線でミコトはこちらを見た。残念ながらそんな大層な言葉は用意していない。肩を竦めて、言った。
「疲れるぞ、あれは」
ぴくんと揺れて、プルプルと震えて、くつくつと笑う。呆れた様な笑みでミコトはこちらを見上げる。
「……ふふ、うん。確かに、疲れるだろうね。とっても」
「そうだろう?」
「……でもじゃあ、どうして協力してくれるって?」
ぐ、と右手を開いた。きしりと音がする。見た目はまだ人の形を保っている指。鬱血して紫色。じくじくとした痛みはどこか遠くに感じる。
「誰かを恨んでいる人間は、その悪人に改心なんて望まない。君もまたそうであるように」
求められるのは惨めな死。志半ばで死にたくないと叫びながら踏み潰される最期だ。
「世界が私達に悪役を押し付けるのならば、それを全うし、その上でそんな配役を押し付けた世界を踏み潰す」
ごくり、と何やら迫力を感じ取ったのか、ミコトが喉を鳴らす。
「……と、言うのが建前で」
「ええ!?」
「疲れたからな、もう。誰かに怯えるのも、逃げるだけの毎日も、消費するだけの未来にも。だから、終わらせたい」
ずっと思っていた。きっと自覚も出来ていなかった馬鹿な願い。
「しがらみも憂いも無い、まっさらな世界を見たいんだ」
そんな馬鹿な願いを、ミコトは真剣な顔で受け止めて、それから、小さく笑う。
「……分かるよ、って言ったら怒る?」
「いや、分かってもらえると思って、話している」
「……うん」
「それに、君と悪だくみをするのは楽しそうだからな」
「悪だくみって」
「その程度の事だよ。これは悪戯だ。死にかけの世界を横取りするだけの、小さな悪だくみ」
「うん。いいね、それ。そうしよう」
口約束の様な契約だった。休日の前夜に、布団に入って、次の日にどこで遊ぶかを決めるような気軽さで、二人は世界を滅ぼす事を決めた。あまりにも粗末な決定に二人は思わず呆れて笑うが、こんな愚かな世界の終わり。その程度がふさわしい。
「〈契約)を」
二人共が自然とそう口にした。人形と主としての契約を結べないのは分かっていた。
だからこれはただの口約束。なんの縛りも無ければ強制力もない。だけど今から口にする誓いが何よりも強固であることをミコトとリオンは知っている。
「君の剣、君の盾、君の僕となる。君に仇名す者を皆殺し、君に牙向く者から守り、君と共に汚れよう」
「うん。私の夫で相棒で私の人形」
「怒りも悲しみも喜びも嘆きも、共に受けよう」
「うん。一緒にいよう。一緒に感じて、一緒に行こう」
リオンとミコトは自然と目を瞑った。静かで、暗くて、分かるのは体温だけだった。言葉は邪魔ですらあって、だから端的に。
「……リオン、最後まで傍にいてね」
「ああ」
「勝とうね」
「ああ」
「できるかな」
「出来るとも。私達は、私達ならきっと無敵だ」
「なら、リオンを傷つける奴なんて、皆、壊してあげる」
「ミコトを傷つける奴は、私が全て踏み潰そう」
「うん。全部だ。もう、逃げてなんてやるもんか。許せないものは許さない。諦められないものは、絶対に諦めない」
「ああ、世界中を驚かせてやろう」
「誰にケンカを売ったのか、思い知らせてやろう」
言葉は邪魔で、だけど想像すると楽しみで、どうしても口は余計に動いた。
「何を犠牲にしてもなんて息巻く正義漢も。世界を手中にしようなんて企む悪人も、大嫌いだ。潰してやる」
「何も知らずに幸せを貪る日和見達も。その次の瞬間には病で死にゆく人達も。みんな」
「ああ、全て綺麗に掃除しよう」
「鬱陶しいのは全部振り払って、縋るものは踏み潰して、全部。全部まっさらにして。呆気に取られる顔を笑ってやろう」
人形と魔術師の契約は叶わなかった。だからそれは本当に、本当に小さな口約束。誰も知らない世界の端っこで、静かに、しかし確かに。
「行こう。誰もいない、滅ぼしきった世界の果てまで、二人きりで」
世界は破滅へと動き出した。
◆
"嘗て王の剣だった物(エクスカリバー)"は目を瞑っていた。
それは辺り一帯の光の走行を監視するためのもの。故に、すぐに気づいた。
リオンだ。
目を開ける。す、と指を空中で薙いだ。それは虫を払うにも足らない動作で、しかしそれは既に800m先のリオンの左足を切り裂いている。
「……硬いな」
しかし足は落ちなかった。出来ればこちらを破壊して足を止めておきたかったが、少なくとも指先一つで破壊できる強度ではないようだ。両者の間にある木々が一瞬遅れて倒れていく。その程度には威力がある攻撃のはずだが。
夜に光を把握するのは難しい。目から別経由で入ってくる情報さえ邪魔なほどだ。
ただ居場所は割れた。傍で毛づくろいをしていた"ミミズク"に視線をやると素早く意図を把握し翼を広げた。飛び立つ瞬間に足を捕まえて空に飛んだ。森は火が広がりもうもうと煙が上がって光を遮っているが、可視光や赤外線、紫外線の量はそれを補って余りある。
これならただの望遠でもリオンを補足し続ける事も──。
──瞬間。
目の前に壁が出現した。いや、それは大別すれば土煙か。ただそれはほとんど引き剥がされた地面の塊だ。噴煙と土石流を足したような奔流である。
「ちっ……!」
エクスカリバーは目の前の土の波を細断した。砂よりも更に切られたそれは、しかし今度こそ明らかな土煙となって宙に撒き散らされた。
戦闘用の魔工人形であるカリヴァーンは土石流ごときでは傷付かない。海が押し寄せれば海を割り、火山が噴火すれば山を切り崩す。だが、煙は切れない。いくら細かく切ろうが更に宙を舞い光を遮断する。大出力で分解することは可能だが、そんな事をすれば”地面が無くなる”。
「……上空から見張れ。リオンを逃がすな」
機獣の足から手を離し煙の塊に飛び込んだ。事も無げに地面に降り立ち辺りを見渡す。問題は2つ。火が吹き飛び夜が深まったこと。火は消えた癖に煙だけは出続けていること。
(良い狙いだ)
炎を消し煙の壁を作っただけではない。リオンではあの爆発は起こせない。つまり何らかの協力者がいる。〝いるぞ〝と示したのだ。そうなれば彼女を追っているこちらは殺してしまう様な手を打てない。
しかしリオンが姿を現した時点で降伏か、あるいは逃走の為の布石かと考えていたが──。
(……驚いたな、戦う気か)
それを確定させたのは今まさに轟音と共に襲ってきた地面の津波。逃げるのならば今のところ煙幕は十分。攻撃は居場所が漏れるだけだ。
確かに常識外れの攻撃力。とは言え、リオンは相手がカリヴァーンだと分かっている。
(この程度の物が、勝てる算段になると思っているわけじゃないだろうが)
虫を払うような気軽さで手を払い津波を塵に帰す。そしてやはり狼狽える事もなくただ溜息を吐き、憂鬱そうに足を踏み出した。この煙でも光を把握し十数メートル程度ならば掌握する事は可能だ。加えて煙を維持する代わりに奴等は絶えずこの津波によって場所情報を漏らし続けなければならない。
リオン達の不利に変わりはない。朝が来ればどのみちこちらの勝ちなのだ。
進行方向の障害物が砂へと溶けていく。移動しながら辺りを光で把握するならば15mほどが良い。対物ライフル弾程度なら感知してから優に防げる。
(好都合だ)
リオン達の次の一撃に合わせて、カリヴァーンは飛び出した。
◆
『カリヴァーンは光を掌握し変質させる力を持っている。勘違いしてはいけないのは、光を放つ訳ではないという事だ』
『はい、分からないです』
木の棒でガリガリと地面に図を描く。しかしミコトはきりりと弱音を吐いた。
『……そうだな。光で攻撃と言うと、どういうイメージだ?』
『ビームとかかな。もしくはレーザーなんて言うとまあ少しはリアリティがある』
『そう。だがその印象を引きずってはいけない。彼は"彼を介した光を刃に変える"だけ。つまり光の性質を持った刃なのだ』
ふむ、とミコトは少しだけ言葉の意味を考える。
『それはつまり、見えているからこその不可視ってことか』
『ああ。"奴を視認できるという事は、既に奴の刃に晒されている"。普段の景色と奴の攻撃をより分ける事は出来ない。奴は奴を視認できる位置にある物を全て切り刻める事になる』
それは極小で無数の斬撃。DNAの塩基結合すら破壊してしまうそれは、対象を切断ではなくほぼほぼ分解してしまう。
『……怖すぎるんだけども』
『ああ。だが、逃げられない。奴は光の走行及び反射を把握し範囲内の構造物外観を把握できるこれはしかしどちらかと言えば波動の性質を用いた物だな幸いなのは広範囲を把握する際には動けなくなる事だ受信する側まで動いては内部計算量が跳ね上がるそれと奴はX線すら操ってみせた恐らく紫外線は操れるだが太陽が出ていなければ可視光より量は少なくなるだろう逆に赤外線だが恐らくラジオ波としての性質が強くなりすぎるせいか奴の制御下から外れるようだそもそも光と言うのは最初から切断能を保持していて奴が纏う極光はこれにより空気が励起して』
『意地悪』
『うむ』
『つまりは?』
『奴を直接見れば死ぬ。光の強い所に出れば死ぬ。朝が来れば可視光と紫外線が増えて隠れても見つかる。死ぬ』
『……誰だこんなの考えたのは』
『魔工人形だからウェイランド=サガ=マビノギオンだな。そしてミコト。問題は、これが奴の一番単純な能力でしかないという事だ』
魔工人形は捧げられる契約代償に応じてその能力の規模と多彩さを変化させる。
"全方位全距離対応無動作光速殲滅攻撃"が奴のメイン武器で"一番弱い"攻撃手段。だがあくまで光。光の性質を操る事が奴の最大の能力であり、弱点だ。
『主を持たない人形だ。それほど強い能力は使えないと思いたいが。警戒はしておく』
『鏡とかで防げないのかな?』
『ああ。それも一つの手段。だが奴の攻撃は性質上無数の波状攻撃だ。最初の一波を反射したが最後、鏡面はズタズタになり切り裂かれ貫かれる』
『あ、一応こんなのもあるけど』
もそもそと懐から取り出したそれを見て、リオンは怪訝な顔をする。
『なんだこれは。一体どうした』
『手榴弾。さっきワルドからスってきた』
『……君は本当に多才だな」
『ひょっとしたらこう、自決用に使えるかなと思って。機獣化しそうで怖いけど』
『……」
『ひ、ひょっとしたら、だよ? ひょっとしたら』
『……これスタングレネードだぞ。心中しようとしたら二人でのた打ち回って終わりだから。そして光を嗅ぎ付けてそんな私達を見つけるカリヴァーンの心境たるや』
『ぶふっ』
その光景が脳裏に浮かんだらしく、ミコトは噴き出して肩を震わせる。じとりと緊張感のない妻を睨み付ける。
『……ご、ごほん。じゃあ、どうするの?』
『要は、奴を視認しないように工夫する事だ。常にその事を意識してくれ。とにかくミスは許されない。正面からは危険すぎる。裏をかき弱点を突き罠に嵌めて叩き潰すしかない』
立ち上がった。膝の裏、足首、足の付け根、腹に背中、首。体の節々からギチギチと嫌な音がした。筋肉とブリキの繊維が混じっているのだ。ブリキに劣る筋肉は耐え切れずちぎれていく。
不思議と恐怖が遠かった。小さくなった訳ではない。耳元で聞いていたそれが対岸の事となったのだ。対岸では必死に叫んでいるのに、こちらにはおおよそ届かない。
僅かに背筋が寒くなった気がした。しかしそれもどこか遠く、すぐに聞こえなくなった。
『……リオン?』
その事にミコトは違和感を感じ取ったが、リオンは大丈夫だと笑みを作った。
『大丈夫だよ。怖さは感じない』
ぞろりと足から這い上がってくる様な万能感は、少し仄暗くて何か含みがあったけれど。
『うん。私も、怖くないよ』
どちらにしろ最後は死だ。それもきっとそう遠くはない。ただ、いつ終わるのかと先が見えない徒労感がどこかに消えている。
何の決意をしたところで誰と思いを通じさせたところで起こった事は変えられない。視界はじわりじわりと無機質な部分が染み出していて、口の中では──。
『っ……』
眩暈がして吐きそうになるのを必死に堪えた。
恐る恐る〝それ〝を舌で確認する。間違いない。まとめて飲み下そうと舌で血を舐めとった時に、〝ゴロリと抜け落ちた〝。
『……リオン? どうか、した?』
『い、や……』
何でもないと返そうとして、言葉に詰まった。間が悪く胃からせり上がってきた血が気管に詰まって、耐える間もなく咳き込んだ。思っていたよりも多い血が地面にぶちまけられる。ミコトはその中に混じる〝リオンの奥歯〝を見て目を見開いた。
『これ……っ』
『……大丈夫だ』
『でも!』
実際に問題は無かった。既に傷はブリキで埋められ新しい奥歯が生えている。ぶり返してきた恐怖はそれを噛み締める事ですり潰す。大丈夫、動揺しただけだ。実際身体能力は格段に上がっているはずだ。痛みも戦闘が始まれば脳内麻薬が紛らわせてくれるだろう。
『でも……!』
『……頼むよ、ミコト。君とは楽しい話をしていたいんだ』
言いたい事はきっと千と万とあったのだろう。だが結局ミコトは口を噤んで俯いた。
『……リオン。あのさ、指切りしようか』
『え……?』
唐突なミコトの言葉に思わずその顔を覗き込む。ああまた、あの表情だ。色んな感情を飲み込んで、懸命に笑ってみせている。良くも悪くも彼女らしいその表情が大好きで、恐怖を忘れる。
言われるがままに手を差し出してぎくりとする。手が肌とブリキで斑になっていた。慌てて引っ込めようとした手をミコトが捕まえた。
『手を、手を離さないでね』
『……? ああ』
少々その物言いに違和感を覚えた。しかし彼女の必死な表情にそれを黙殺する。
『傍にいて』
『ああ』
『それだけ』
『努力するよ』
一度離してしまった身としては深く胸に突き刺さる言葉だったせいか、少し茶化すような言葉になってしまった。
『まあ、離したらまた私から握りに行くんだけど』
『重いぞ』
『うるさいな。リオンがちゃんと言ってくれないから──』
『離さないよ。死んでも、もう二度と』
それは果たしてミコトが望む言葉だったのか、ミコトはまた、幾つかの感情を綯い交ぜに笑った。
『じゃあ、指切りしよ』
それから指を絡ませたまま、リオンとミコトは豪快な指切りを済ませると、それが可笑しくてまた笑った。
『大丈夫』
ミコトは自分に言い聞かせるように、呟いた。しかしそれは力強く、きっと根拠はないながらも確信に満ちていた。
『一緒に、明日に行こう。大丈夫。私ね、君とならなんだってできる気がするんだ』
全くの同感だった。
◆
もうもうと煙が上がっている。木は根ごと掘り返されて上空まで吹き飛び地面に叩きつけられさらに砂塵を巻き上げている。本当に火山の噴火さながらだ。
「リオン……!」
足を攻撃され吹き飛ばされたリオンにミコトが駆け寄ってきた。
『助かった』『ありがとう』『頼りになるな』
かけたい言葉は山ほどあったが、どれも口にしない。今は必要な言葉だけがあるべきだ。
「ミコト。少し早い」
本来ならばもう少しカリヴァーンに降伏の意思有りと思わせるはずだった。
「うん。ごめん」
礼儀知らずともとれるリオンの言葉だったが、ミコトは速やかにその意味を飲み込んだ。きつい言い方になってしまったと気にしたのも馬鹿らしく思うほど、彼女は意に介していない。
(流石に、死線は初めてじゃないという訳か)
一秒ごとに彼女は没入していく。視線も意識もあるべき場所から一切ぶれない。体も心も全て目的のために研ぎ澄まされていく。シンプルで無駄がなく純粋だ。その冷静さは機械的でもあり、その直向きさは動物的でもあった。相反するその二つを矛盾なく内包する彼女の横顔は言いようもない美しさで──などと言うと、変な奴だと彼女は笑うだろうが。
「行くぞ」
「うん」
彼女を照れさせて遊ぶ時にとっておく。今は、言葉は端的に。打ち合わせ通りリオンはミコトの手を引き、森の中を疾走する。皮肉にもブリキが混じり始めた身体は以前より何倍も強靭に躍動している。
「次」
「うん」
リオンが指差した方向にすかさずミコトが魔術を放つ。小さな手のひらから嘘のような破壊の波が現れ森の一部を飲み込んで荒れ狂う。
「次」
もう一度、間髪入れずに魔法を叩き込む。
「大丈夫か?」
「私は大丈夫。リオンは?」
「私の事は気にするな」
「……でも」
「いいから」
「……うん」
10メートル程を本当に一息で駆け抜ける。次の指示。指で方向を示す為に腕を上げる。ミコトもほぼ同時に腕を上げた。指示を読み始めているのだろう。
不思議ではない。リオンも同じようにミコトの攻撃による余波が鮮明に感じ取れた。今ではその爆風を利用して進む事も出来るほど。
一歩地面を踏むたびに、風を頬に受ける度に、一体感を増していく。征く道は落下するように自然でよどみない。言葉も自然と無くなった。抱えた体の重みも感じない。
──突如、砂塵の壁が大きく揺らいだ。
致死の直感だけが背中を撫でる。
「ミコト!」
「うん!」
ナイフを二本。走りながら力任せに木に投擲して突き立てる。そして手を引いていたミコトを思い切り前に投げやった。ミコトは弾丸のような勢いで走ってナイフを足場に苦も無く木上に駆けあがり、上空に視線を向ける。
ほぼ同時、地面を這うように何かが一瞬で押し寄せ通り過ぎて行った。
カリヴァーンの攻撃だ。向う脛から上と下を分断しようというのだろう。間一髪でリオンも跳躍し、〝左足〝で空を踏み、更に上へと跳躍する。木の幹の下部を削ぎ落とされた森の一部が一斉に倒壊を始める。
「ミコト──!」
「あっちにいる──!」
崩れ落ちた木から飛び降り落下しながら背後を指さすミコトを正面から抱きつく様に回収する。無論、どちらとも勢いづいているので絵面ほどロマンチックではない。
「やれ!」
「:Blast!」
リオンの後方に放たれた暴風は二人を途轍もない勢いで射出した。息ができないほどの速度。目指す場所はカリヴァーンによって伐採された森の跡地の外。──の少し上。
横から風を起こすべく上空から降りて来ていたミミズクの機獣がそこにいた。
森の倒壊とミコトの出鱈目な魔術で視覚と聴覚が使い物にならなかったのだろう。上空へ戻るべく羽ばたき始めていたミミズクはこちらに気付いて巨大な鉤爪を振りかざす。
──それは、水面越しの月の加護。
だん、とリオンが空を蹴って弾丸のように直進していた二人の体は軌道を変え、ミミズクの大鎌のような鉤爪を避けて、無防備な頭上にふわりと舞う。そして既にミコトは魔術を使う準備を終えている。
「:Blast」
規格外の破壊の波をその身に受けて、ミミズクは吹き飛びながら墜落した。
「リオン、大丈夫……!?」
何とか地面に着地した後、ミコトが声を荒げた。
「……ノリノリだったじゃないか」
流石に肩で息をしていたが軽口を叩きながら軽く背中を叩くと、その気軽な仕草が安心させたのか、あからさまにミコトは安堵していた。
「だって、びっくりした。こんなに、何ていうか、い、息ぴったりっていうかさ」
「そうか? 私は意外だとは思わないが。君とならこれぐらいはできると思っていた」
「あ、ほ、ホントは私も思ってたんだけど……!」
「はいはい」
「リオンがすぐ重いって言うから……!」
「分かってる。いいから移動しよう。これはチャンスだ。もう煙幕もいらない」
ミミズクを使った先程の一手は明らかにあちらの失策だ。日が昇ればあちらの勝ちなのだ。焦っての失策ではないだろうが、ともかくまだカリヴァーンはこちらを侮っている。時間をギリギリまで使って慎重に誘導するつもりだったが、その手間も省けた。
(勝てる)
一人ではとても無理だが、ミコトがいれば勝ち目がある。こちらの手を引いて歩く目の前の少女が本当にありがたく思えて仕方がなかった。
「次だ、ミコト」
「うん」
リオンは気付かない。カリヴァーンの考えを思い違えている事に。
リオンは気付いている。先程の行動で己の全身が内出血で腫れ上がり、内臓が裂けている事に。
それなのに、リオンは気付かない。
◆
「上空から見張れ、と言ったはずだが」
体の6割ほどと片翼を吹き飛ばされたミミズクは地面に転がって、頼りなく喉を鳴らした。
「私が窮地だとでも思ったか」
大きな頭はカリヴァーンの全長より大きい。カリヴァーンは小さく息を吐きながらそれに手をかざした。
「ご苦労だった」
軽くたてがみを撫でて、手を離す。ざぁ、とミミズクは塵になって森に吹いた。
カリヴァーンはミミズクが撃墜されて一分もしないうちにここへ駆けつけた。まだ遠くへは行っていないはず。あれほど激しかった魔術砲もピタリと止んだ。ミミズクの独断に仕方なく行った〝足払い〝だったが、そうそう簡単に躱せるものでもない。何かしらの負傷をした可能性もある。流石に血を垂らしながら移動するほど間抜けではないだろうが、踏まれた草や蔦。早さを重視しなければ追跡は可能だ。
(こっちか)
その跡を追った。今度は無暗に走らない。あらゆる痕跡を見落とさず、またあらゆる攻撃にも対応できるように。
しかし数歩進んだところで一度カリヴァーンは歩みを止めた。
(何だ……?)
土煙は落ち着き始め月明かりも濃いため見通しは良い。だが警戒を強めさせる何かがあった。濃い気配。15mのその先。光の届かぬそこから先に間違いなくリオン達がいる。それはいい。しかし──。
(……そうだ)
ふと思い出す。ログレス近郊の森で竜狩りを行った時だ。これから踏み入る巣穴を覗き込んだ時を思い出す。あの時は末端の円卓騎士が何人か食われて死んだ。暗闇の中で殺意に濡れた視線がこちらを向いている、あの時の寒気だ。
冷静に辺りを一瞥して、カリヴァーンは進んだ。ぱしゃりと足が血溜まりに踏み込んだ。途中で尋問したあの傭兵の仲間達であろう人間と機構人形の死骸の山だ。
あの写真の少女がやったのだろうか。死体だけではなく、木は抉れ地面はめくれ上がっている。少なくとも、リオンが行える破壊の規模を超えているだろう。
ぞくりとする。
(何だ……?)
獣の巣穴の中と喩えたが少し足りない。あの少女が近い。それは判る。そして何かが警鐘を鳴らしている事ももはや否定できない。勘や経験則ではない。明らかにこれはもっと根幹の、人形として根源に備えられた恐怖だ。血溜まりを渡り終えた。その間何もなかったのは意外なような気も、知っていたような気もする。とにかく本命はまだ先にあるようだ。
また、少し深い茂みに入る。自分が狩人の気分ではなくなっている事に気付いた。
木々を抜け、景色が切り替わった。後ろ向きな考えを払拭し、同時に足を止めた。大きめの泉がある。どことは言えない違和感に眉を潜め、辺りを見渡した。この辺りまで燃え広がったのか、辺りの森はまだ炎が揺れている。そしてふいに気付く。
不自然に燃え残っている木々と、そして泉の岸に僅かに揺れる波紋の名残。
「そこか──」
瞬間、目の前に水面があった。
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