第8話


「っは、あ……」


荒く不規則に行われる自分の呼吸だけが聞こえていた。辺りにはもうもうと塵と煙が立ち込めている。


木だったもので、地面だったもので、岩だったもので、花だったもの。


全て砂粒より細かい塵に変えられて、色も形も全てを奪われている。リオンの前後左右10センチほどを空けて、周辺30mほどの景色が消え去った。

残ったのは塵で出来た巨大な砂場。


「動くな」


砂塵の向こうから声が聞こえると同時、頭上にも巨大な気配。それは"翼の一振り"で、舞っていた塵を全て吹き飛ばした。くるるるる、と喉を鳴らしている。目だけを動かしてそちらを見ると、こちらの頭ほどもある瞳を持つ"ミミズク"と目が合った。


「夜間戦闘機の機獣だ。蠅になってない物は珍しい。名はミーティア、だったか」


そのミミズクは凶暴な機獣らしさをまるで感じさせなかった。特別人懐こいというわけでも無いが、敵意もない。

"人形至上主義"の頭目が連れてくる機獣だけはこうやって従える事が出来る。これ故に、奴等はその存在をほとんど知られる事なく世界の国々を滅ぼし得たのだ。


「逃げたか。探せ。近くに何か残っている可能性がある」


"極光"の言葉にはっとする。上空からミミズクに偵察させていたのだ。


(何を?どうして……?)


そうだ。そもそもがおかしい、おかしいのだ。この化け物じみた人形がこんな所にいるはずがない。この男はいつも戦闘力と隠密性が必要な別の案件を追っていて、リオンを追うという単純な任務に使うような人形ではない。


「リオン。お前、こいつを知っているか」


──"極光"が取り出したそれを見た途端、全てが氷解した。

少女が映った似顔絵だった。

どこかの街で振り向いた所が転写された一枚。同じ物が懐に入っている。


「"ヒューマニズム"の連中がひた隠しにしていたものだ。組織の一部が独断専行した際にようやく尻尾を掴んだ」

「知、らな──」

「──知っているな?」


しかし、咄嗟に表情を隠せなかった。畳みかけられた言葉に喉が詰まり、ただ焦りだけが顔に浮かんでいたと思う。

"極光"は歪に口の端を曲げた。


「お前は、気の良い奴だよ。リオン」

「は……?」

「お前は本当に本当に臆病に出来ている。だが、それを踏まえて最善の行動は出来る。買っているんだ、皮肉じゃない」


過剰なようにも思える評価だ。だが、目の前の男がその気になれば一瞬で塵に変えられるのだとそんな事ばかりが頭を埋めて動けない臆病さはその通り。手足が思い。脳幹が握られているように鈍く熱く痛い。


「お前はきっとこの少女と仲良くなり、そして逃がした。ああきっと、少女もお前の事を憎からず思っている事だろう。お前はまあ、良い奴だから」

「適当な事を──」

「試してみるか。どのみち俺も周囲を調べるからお前にはここで待ってもらわねばならん」


そう言って、"極光"は袖を捲りながらこちらに歩み寄った。露出された腕から一瞬だけ眩むような紅い光が揺らぐ。総毛立った。まずい、あれは、とにかく致命的だ。


「動いて良いとは言っていないが」


だが、その言葉一つで動けない。こちらを覆うように"ミミズク"が翼を広げ、真上から夜目をこちらに向けている。


奴は何もしなかった。ただ、ふと奴が纏う赤い極光が揺れた。

その瞬間だった。体の奥で、何かが呻いた気がした。次いで悶えて、叫ぶように訴える。

痛みだ。細胞が、泣き叫んで──。


「──っあ、があ、ああああああああ!?」


段々と広がって、膨れ上がって、際限なく喚き散らす。止まらない。勢いも衰えない。


脳から皮膚を潜って蟲の大群が手足に行くようだ。

丹念に隙間なく焼き鏝で指先まで骨を押し潰されるようだ。

内臓も何も全て引きずり出されて代わりに縫い針をぱんぱんに詰められるようだ。


(あ、あ、待て、待て)


駄目だ。ダメだダメだダメだ。いくらなんでも、それ以上は──"痛すぎる"。


「痛いのか。普通の人間は症状が出るまで日数があるが。まあ活餌としては好都合だ」

「なに、を……っ」

「一部の放射線は光の一種だ」


気付けば地面に這いつくばって"極光"を見上げていた。冷たく見下ろして"極光"は続ける。


「有名なのは発癌だがな。高濃度のそれは遺伝子情報を損壊させる」

「……っ、あ、……ぃ、ッ!」


膨れ上がる。限界まで広げられた顎から涎が垂れるが気にする事も出来ない。


「そうなれば体は自然治癒を失う。垢となった後皮膚は再生されず、細胞は増殖できず、体液も分泌されない。穴と言う穴から血を拭き出しながら死に至る。音も匂いもない亜光速で打ち込む毒だ。よく使う。お前の体の仕組みにも、相性がいいな?」


言いながら"極光"はリオンの髪を掴んで引っ張り上げると顔を覗き込んだ。


「最初は痛みなど無いはずだが、それはお前の"体質"のせいか。だがまあ"変化"する前ならあの"杖"が治せるかもしれん」


興味を失ったかのようにリオンの髪を離すと、さっさと"極光"は踵を返した。


「せいぜい悲鳴を上げて、効率のいい活餌を演じろ。わざわざ説明した意味は分かるな? 大人しくここにいれば、夜明けまではもつだろう。当然だが、動けば傷は加速するぞ。抵抗も逃亡も〝己の体との決別〝と考えろ」

「夜、明け、まで…………?」


まだこの痛みが続く。その宣告に目の前が暗くなった。耐えられない、無理だ。だが声など出せない。いや、出てはいるが悲鳴と呻き声ばかりで言葉になっていない。ただ視線で訴えて、奴の足元に手を伸ばして縋りついた。


「……哀れだな。お前は、本当に」


肩越しに一瞥だけして、"極光"は去っていった。巨大な砂場を横切ってある場所に向かっていく。そちらに視線をやったのは、待ってくれ行かないでくれと縋っただけに過ぎない。


(あ……)


そして、見た。"極光"の向かう先、木々が薙ぎ倒され見通しが良くなった先にある小さなウッドハウスを。我に返る。わが身恋しさに敵に縋った己を唾棄し、歯を食いしばる。砂嵐のような痛みが思考を覆う中で、まずは意識を保つ事。そして考えろ。最悪は何だ。


(痛い。恐ろしい。痛い。死にたくない。痛い)


更に強く、歯を噛み締める。染みて広がる様な弱音を噛み潰せるように。


(──最、悪、は)


何より。

他の何よりも。ミコトが、"神の指先"だと知られてしまう事だ。


奴等は躍起になって彼女を追い求めるだろう。そうなれば彼女の敵が倍増する。何としても悟られてはならない。

あの小屋はどうだ。大丈夫、"神の指"の詳しい特徴などそもそも明らかじゃない。何しろ世界に未だ3人しかいないのだ。部屋の中や書斎を見た所で分かるものか。


ならば、発露する因子は一つ。


──ふわりと、目の前にリズが降り立った。


「ジョー、タロー……」


そして何故かいつもリズと一緒にいるミコトの人形が、具合を伺うようにこちらを見ていた。見た目はだいぶ古い型の機工人形。そう言えば、ミコトがどんな人形を作るのかも聞いていない。

こうして見ても違いはわからないが。おそらく詳しく調べられれば4人目の神の指の存在が明らかになる。


「……すまない。君が一番危険だ」


どうしてか、こちらの意図は全て伝わっているように見えた。それでもなお、彼は肩を貸してくれた


「今から、言う場所に……。時間がない、急いでくれ」


ふわりと今度はリズが先導した。どうしてか手を引かれるように思って、その後に続いた。



「リ──っ!」


ワルドの能力は本当に静かだ。"瞬間"移動の名に相応しく、一瞬で景色が切り替わる。かくん、と膝が折れる。立っている地面の形が変わるからだ。いきなりやられると、どうしてもバランスを崩す。


「ワルド」

「ああ。やべぇなありゃあ。どこの人形か知らねぇが、間違いなく壊滅級に最強の一体だ」

「変な言い回しね」

「ああ。日本語ってのは慣れねぇな。失語郷ももう少し単純な言語選んでくれりゃあ良かったのによ」


そこはどこかの家屋の中だった。いつもの凍てつくような視線で奏はこちらを見ていた。そこでようやく事態を悟る。問答無用で浚われたのだ。


「────ッ」


牢と言う訳ではない、金属の取っ手はきっと何処かに"歩いて行った"のだろうが、半開きのドアもある。普通のプレハブ小屋だ。一も二もなく駆け出した。


「おいおい、止めとけって──」

「……放っておきなさい」


奏達は追ってこようとしなかった。その瞬間だけは助かったとぐらいしか思えなかったが、すぐに理由が分かった。


「頭下げろ。"悪夢"の手先が飛んでる」


ワルドは開き切った扉に寄り掛かりながら呑気に言った。白み始めた空の中を何かが飛んでいる。随分高い所だが、耳障りなこの音は、おそらく羽音。


「知っての通り、蠅の機獣。んで、それが飛んでんのは巨大運搬飛行機AN225"悪夢"の支配下。つまりここはロシア、その放棄都市だ」

「あ……」

「行くなら行ってもいいってよ。ま、死にそうになったらまた拾ってやる」


言うだけ言って、ワルドはさっさと部屋の中に引っ込んだ。ミコトは、呆然と辺りを見渡す。苔生し始めた街並み、コンクリートを食い破って伸びる雑草、そして、東の地平線でほんの僅かに夜を染める暁色。

先程までの景色とはあまりにも違う。見覚えがある。ここは、確かハバフロスク。


人も車も鉄塔も信号も、すべて地面から剥ぎ取られどこかに消えている。人の住処であるはずの家やマンションは不自然に崩れているか、まるで雛に食い破られた卵の殻のようにポッカリと壁や天井と〝中身〝をなくしていた。


ああ、そうだ。逃亡生活の最初だ。ワルド達の存在を悟らせないために徒歩での移動だった。それから色々なことがあったが、今重要なのは一つだけ。


カザフスタンのあの場所までは直線距離で4000㎞以上。その事実。


(駄目だ。間に合わない)


心に一瞬で行き渡ったのは、絶望ではなかった。かちりかちりと、電卓を叩くみたいに答えを出す。

それでも、何を捨てるのかを決めたのは間違いのない事で、ミコトの表情が僅かに悲しみを帯びたのは、短い時間で決断したからといって捨てたものが小さい訳ではなかったから。


「──":Blast(ブラスト)"」


でも嘆く時間で人は死ぬ。速やかにミコトは魔術を行使しようとした。しかし呪文だけで、発動自体は取りやめた。既に家の中に二人はいないようだった。こんな雑な攻撃に当たるとも思っていない。


「驚いた。貴女、随分軽い女だったのね」


奏は先程と全く同じ姿勢で、反対の家の壁に背を預けていた。ワルドはその隣で煙を燻らせている。さして驚きもなくミコトはそちらを向いた。


「奏。あの場所に戻してくれ」

「戻って何をするの? あの男なら、もう捕まったわよ」

「戻りたいんだ」

「そう」

「駄目かな」

「そうね」

「いいんだ、聞いたのは義理だから。今までありがとう、奏」


ピクリと奏の眉が揺れた。基本的に無表情な奏の顔に僅かな不快感が滲む。


「〝ありがとう〝?」

「そんなつもりはなかったかもしれないけど、保護下にいたのは確かだ」

「保護下?ああ、そういう認識だったのね。違うわ、酷い勘違いね」

「……なら、管理下?」

「いいえ、それも違う」


瞬間、奏から奔流のような殺気が吹き荒れた。魔力が吹き出し、それだけで背後のプレハブが大きくしなる。


『wxlllllqlqqvvvvvvaaaakIkeaaa!!』


――響き渡った音は、例えようとするのなら金切り声だ。


その源は蝿の機獣。〝卵の殻〝を押し潰しながら着地し顔の前で前足を擦りながら、ぐるんぐるんと小首を傾げてこちらを伺う。その巨蝿は真っ赤な複眼で餌を捉え――


「――:Blast」

「――:Blast」


そんな言葉を最後に聞いてその〝巨大なコバエ〝は砕け散った。

自らが砕いた虫けらを一瞥すらせずに奏は前方に目をやる。目の前には火山と見間違うような巨大な砂塵が舞っている。それは二つの力がぶつかった余波であり、これに触れただけで吹き飛んぶような蠅に二人が意識を向けないのも無理はない。


「ワルド」

「あいよ」


ワルドは目の前の砂塵の粗方を吹き飛ばした。いや、というよりは地面ごと削り取るように転移させたのだ。転移先は、上空20m。

そこにミコトの姿はない。ミコトは奏の目の前にいた。ワルドが能力を使う一瞬前に砂塵から飛び出し、奏の懐に。

しかし繰り出した掌底はあっさりと弾かれ、しかし逆の腕が奏の服を掴む。そのまま背負い投げ地面に叩きつけようとするが、その感触はあまりに軽い。


まずいと思った時には、自ら跳んだ奏が目の前に着地しており、緩んだ掴み手を捩じりあげられ伸びきった肘に掌底をもらっていた。びきり、と骨に亀裂が入る音がする。


「──ッ、ぃ!」


痛みに呼吸が止まりそうになる中、何とか蹴りを放った。鼻先で見切られ、離れ際に腕を更に捻られて痛みが走る。目の前で火花が散り、ミコトはその場に膝をついた。


「ワルド」


奏は、手頃な岩に腰を下ろしていたワルドの名を呼び、上空を顎で指した。そこには魔力と音に誘われて集ってきた"蠅"達が飛び交っている。


「こっちは良いわ。機獣を処理して」

「あァ?キャットファイトはァ?」

「行きなさい。殺したのが"小蠅"でも、奴等は集まってくる」

「へーい」


音もなくワルドは消える。それを肩越しに確認してから悠々と奏は視線をミコトに戻した。


「──ッ」


ぎり、とミコトが歯を食いしばるのと同時、ミコトを中心に何かが広がった。生温い風の様なそれは魔力。奏にとっては久しい物。かたん、かたんとそこらに落ちていた頭蓋骨が身を揺すり出す。仄暗い眼窩に光が宿り、とうに絶命しているはずの骸たちが立ち上がり始め──。


「言ったわよね」


──そして同時に、ぱちんと奏はぞんざいに指を鳴らした。


「その力を、くだらない事に使うのは許さない」


ミコトが張り巡らせた魔力を染め直すようにその音は広がって、立ち上がらせる事も許さず屍達を爆散させた。殺意が肌にひり付く。いやそれは怒気といったほうが近い。視線は凍えそうなほど静かだ。


「……っは」


ミコトは笑った。勘違いも甚だしいと、ミコトは笑って見せた。

――ふざけるな。怒っているのはこちらの方だ。


「下らない事? お前にとってそうじゃない物がこの世にあるのか?」


小さく奏は息を吐いた。


「さあ」

「だったら何の目的で私を助ける」

「さあね」

「……そうやって何にでも無関心に振る舞えば、優位に立てている気がするのか?」


ぴくりと奏の眉が揺れた。挑発したつもりだったがそれ以上の反応はなく、奏はやはりその無機質な表情を向けるだけだ。


「いいえ、優位になんて立っていない」


いつも好きなものや失いたくないものは全て捨てられて、必要なものだけ目の前に放られた。ミコトの意思に尽く興味がない事にはずっと前から気付いている。


「貴女を警戒している。能力も認めている。心がある事も知っている。だから、保護下でもなく管理下でもなく、支配下に置いているの」

「……支配、下」


悟った。彼女とはとても分かり合えない。少なくとも今すぐ説き伏せる事などありえない。とは言え、これ以上闘ってもしょうがない。


奏を殺しても気絶させても、リオンの所には戻れない。

ワルドに運ばせるしか選択肢は無い。

泣いても縋っても、怒っても悔やんでも、叫んでも嘆いても、誰も聞いてはくれない。奏がこうして話しているのだって、暴れられるよりはいいと思うからだろう。


「──そっか。道理で、息苦しいと思った」


ふ、とミコトは身体の強張りを解いた。


「だから、誰かを守る権利も、傍にいる権利も、ないのか」

「貴女がそう願って行動して、それでも叶っていないのなら世界がそれを許さないのよ」

「……そのくせに、世界の為に身を捧げろなんて言う輩もいる。勝手な事ばかりだ」

「そうね」

「でも、奏」


ゆっくりと、ミコトは胸に手を当てた。格好悪い事に、緊張と恐怖で心臓は出鱈目に跳ねている。だけど焦りは無くて、後悔もしないと分かっていた。


「何が下らないかも、自分の命の使い方も、自分で選んでみせるよ」


初めて、奏が驚きに大きく目を見開いた。でも遅い。既に覚悟も準備も終えている。

“自分の胸に手を当てたまま”零すように、ミコトは言った。


「──:Brast」


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