手と手を繋いで

 蔵の裏口からこっそり抜け出した俺と香奈は神社へ向かった。

 仮にこの先で封印のステッキを見つけられたとして、俺と香奈のどちらが魔法少女になるのか。疑問はあったがひとまず頭のはしに置いておく。今はただ向かうしかない。


 月明かりの下、長い石段を昇る。

 素足のまま飛び出してきたので、小石を踏む度に痛みで足が止まる。ただでさえ何十段もある階段。エスカレーターを逆走しているみたいだ。

「キモにぃ、遅い!何してんの!早くっ!」

「はぁ、はぁ、ま、待ってくれ…」

 同じように息を弾ませて汗だくなのに、香奈はぐんぐんと先に進む。カモシカみたいな細い足のどこにあんな運動神経が宿っているんだ。

 俺は魔法少女に全力を傾ける生活を送ってきたせいで運動の方はからっきし。ついていくのに必死だった。学内マラソンで550位というハイスコアを叩き出したほどだ。俺の他に550以上を出せたのは全校生徒の中でも20人未満だったはず。



 やっとの思いで登りきり、本殿に足を踏み入れる。携帯を小さい懐中電灯にして二人で暗闇の中を探すと、うちの家紋が彫ってある柱があった。爺ちゃんの部屋で見たカラクリが脳裏に浮かぶ。


 家紋を押すと天井板の一部がギィと音を立てながらゆっくり降りてくる。何やら十字架のようにまっすぐ立てられているものが見える。

 円筒形の棒の先に大きめの丸みを帯びたハートマーク。一切塗装のない木でできた棒だが、デザインはまず間違い無く魔法少女のステッキ。これだ、見つけた。



 急いでそれを掴もうとしたが、直前で手が固まる。もう俺の辞書の『魔法少女のステッキ』の項には『触ったらやばいもの』という文言が追記されていた。


 香奈が俺を盾にするようにまわりこみ、背中をつついてきた。

「キモにぃ、行け!」

「俺かよ!」

「他に誰がいんのよ!お爺ちゃんが変身できたんだから、性別関係ないじゃん。こういうのはキモにぃの専門分野でしょ!」

「俺は自分が魔法少女になりたいタイプじゃなくて、見守り応援タイプなの!」

「何それ…意味わかんない…」


 こんな所で口げんかしてる場合じゃない。ああ、こうなったら背に腹は変えられねえ。まさか自分が魔法少女になる日が来るなんてな。

 恐る恐るステッキを掴む。しんとしたまま何も起こらない。触っただけじゃ何も起こらない、ということはやっぱりあれが必要ということか。魔法少女ステッキを手にして、まず最初にやるべきこと。そう、変身のための呪文の詠唱えいしょう



 本殿の外に出る。少し強い風が吹いて木々を揺らした。

 爺ちゃんがやったあれを俺もやらなきゃいけないってことか。あの時見た光景、聞こえた呪文を思い出す。あまりの衝撃映像のために脳にしっかりと録画されていた。同時に変身後の姿も一緒にリプレイされてしまう。目をつぶって心の抵抗を飲み下す。

 やるしかねえ。俺は掴んだステッキを夜空に向かって掲げ、そして叫んだ。


「フィーレ…」

「マジカ…」

「ノアーーーーー!!!」


 沈黙。

 あれ?

 もう一回。


「フィーレ…」

「マジカ…」

「ノアーーーーー!!!」


 無音。

 あれ?



「…香奈…頼む」

「わたしぃ!?」

「俺が変身できなかったんだから、もう香奈がやるしかない…」

「えええ!うそ!ちょっと待ってよ!」

「このまま何もしなかったら、どっちにしろ爺ちゃんの攻撃で魔法少女にされちまう…」

「魔法少女なんて、絶対嫌!!」

「もう香奈しかいないんだ。それに爺ちゃん達をあのままにしておく訳にはいかないだろ…世間的にも…」

「ぬぅ~…」


 騒ぎが大きくなれば、田園風景をバックに魔法少女姿をした老夫婦と犬一匹を捉えた写真が、新聞の一面もしくはネットの面白ニュースのトップを飾る事になる。運が悪ければ俺と香奈もお揃いのコスプレ姿でその仲間に…。香奈の頭にもその光景がイメージされているようだ。



「分かったわよ!やればいいんでしょ!やれば!!」


 香奈がステッキを引ったくる。そして両手で掴み、まじまじと見つめる。

 少しの間を置いた後、目をぎゅっと閉じて先端のハート型のエンブレムに唇を近づける。


「ま、魔法少女に、なれぇ…」

 ヒソヒソ電話のような呪文の詠唱。

 沈黙。


「いや…爺ちゃんや俺がやったみたいに」

「う、うるさい…」

「恥ずかしいなら、耳ふさいであっち向いててやるから…」

「うるさいーーー!んぎぃ…もうしらない!!」


 今度は火のついたロケット花火でも持ったかのようなビクビク加減でステッキを突き上げた。

「フィーレ…」

「マジカ…」

「ノアーーーーー!!!」


 沈黙。

 あれ?

 もう一回。


「フィーレ…」

「マジカ…」

「ノアーーーーー!!!」


 無音。

 あれ?


 半泣きに近い二回目にもステッキは何の反応も示さなかった。



「だ…だめじゃん!これ壊れてるんじゃないの!!」

「古すぎて…もう力が残ってないとか…」

「どうすんのよ!キモにぃ、もう一回やれ!!」

「いや、待て。呪文が違う、とか…」

「これ以外知らないじゃん!」

「だよな…」


 その後の、俺の渾身こんしんの叫びをもってしても、香奈の泣きの一回をもってしても、木製のステッキはうんともすんとも言わなかった。もう打つ手が無いという空気が俺たちの間に流れ始めた。


 その時。



「一人では力が足りん。二人の力を合わせるのじゃ」


 沈黙を破って、女の子の声が聞こえた。顔を見合わせ、声の主を探して周囲を見回すが、誰もいない。確かに俺たち以外の声が聞こえた。


「変身の言葉は間違っておらん。問題は魔法少女りょくじゃ」

 また聞こえた。すぐ近くに。少し幼さの混じる声。


「ここじゃここ」

 香奈の胸元のあたりから声がする。発信源はステッキだった。


「一人では封印どころか変身することもできんぞ」

「うわっ、喋った!」

 毛虫でも付いていたような動きで香奈がステッキを俺に向かって放り投げる。落とす寸前の所でなんとかキャッチした。


「これ!投げるでない!!」

「お、お前が、喋ってるのか?」

「お前などではない。わしの名はカレンじゃ。それよりおぬしら、九条家の人間じゃな?」

「そうだけど、なんでそれを…」


 本当にステッキから声が聞こえている。こいつ一体何者だ。



「細かいことはいい。わしが目を覚ましたということは、非常事態という事じゃ」

「そうなんだよ。爺ちゃんが、魔法少女になっちまって…」

「星の印の付いておるステッキか?」

「知ってるのか!?」

「うむ、あれは厄介じゃ。放っておいたら大変な事になる」

「それでお前を探してたんだ。なあ、どうすればいい?」

「目には目を歯には歯をじゃ。魔法少女に対抗できるのは魔法少女しかおらん」

「でも、俺たち変身できなかったし…」


 こくこくとうなずく香奈と目が合う。それは今失敗したばかりだ。


「だから言うたじゃろ。お前たち二人の力を合わせるのじゃ」

「力を合わせるって…」

「二人一緒にわしを掴む。そして肉体的にくたいてき接触せっしょくをしながら同時に変身を願うのじゃ」



「肉体的っ…」

 言葉を聞いた香奈がビクっとして縮こまっりながら後ずさった。待て、今すけべえな話題は駄目だ!例の蔵を飛び出して、せっかく忘れていた頃合なのに!


「ん?香奈といったかおぬし。なんじゃ、その年頃になって手を繋いだこともないのか?」

「え?」

 首をかしげた香奈の口から気が抜けたような声が漏れる。

「何を破廉恥はれんちな妄想をしとるか知らんが。肌と肌が触れ合っておればよいのじゃぞ。まあ、わしもお前たちぐらいの年の頃は頭の中はそれはもう桃色のお花畑で…」


「紛らわしい言い方するなー!」

 思わず俺までステッキをぶん投げそうになった。

 こいつを持ってるせいで、俺が香奈を責めてるみたいになってるし。



「まあ、とにかく早よせい!すぐそこまで気配が近づいておる!」

「ああ、分かったよ!いくぞ香奈」


 何だか分からないけど、ひとまずこいつの言ってる事を試してみるしかない。


 まだあたふたしている香奈の右手を掴む。焦りと恥ずかしさで、お互い手の平が汗ばんでいる。俺は指と指を交差し、固く、きゅっと手を結び直した。

 香奈はまだ覚悟を決めかねた表情のままだったが、やがてゆっくりと繋いだ側と反対の手でステッキを握った。


 俺たちは息を合わせ、星空に向かって変身の呪文を叫んだ。今度は二人同時に。

「フィーレ…」

「マジカ…」

「ノアーーーーー!!!」



 玉砂利がカタカタと小刻みに音を立て始めた。地面の揺れが次第に大きくなる。

 俺たちの体を暖かな光がおおった。

 

 狛犬、鳥居、周囲の物体全てがすぅっと地面に沈んでいく。違う、俺たちが浮いているんだ。

 息をのんだ次の瞬間、足元に生まれていた緩やかな風が、力強い竜巻になって俺たちを包んだ。髪や服がバサバサと激しく揺れる。

 そして、風に沿って虹色の光の粒がキラキラと薄いガラスを割ったような音を立てて、夜空に向かって駆け抜けていく。世界中の全ての宝石が今、ここに集まってきたような光景だった。


 体を包んでいた光が強さを増し、眩しさに目を閉じる。同時に体の内側から重たい水の濁流だくりゅうのような力が外に向かってあふれてくる。繋いだ手に力が入った。


 風が次第に落ち着きを取り戻していき、俺たちは羽が舞い降りるほどの速度で着地した。



 やったか?

 自分の体を見る。さっきと同じ寝ていた時の格好のまま。嘘だろ…失敗したのか?繋いだ手の先を見ると。


 魔法少女になった香奈がいた。

 ふっくらつま先の真っ赤なローファー。かぼちゃ型をしたピンク色のスカート。きゅっと締まった腰周り。控えめな大きさの胸元にあしらわれた空色のリボン。ハートマークの髪留めから伸びるツインテール。

 全身を輝くオーラが包んでいる。


 この衣装、どこか見覚えがある、いや、描き覚えがある。

 俺がキモにいと呼ばれるようになった元凶、あの魔法少女のイラスト。香奈がその衣装を身に纏っていた。

 見た目の設定も完璧なら中の設定も…あっ………全身から血の気が引いた。


 香奈は頬を真っ赤に染めている。繋いだ手から震えが伝わってきた。



「キモにぃ…妄想したら…ころす!!」

「痛ててててて」

 香奈が繋いだ手の爪を鷲のようにガシッと立てきた。怒っているのか、それとも恥ずかしいのか、多分両方だろうな。いや、今回は恥ずかしさの方が百倍上か…。


 高校一年まで生きてきて、兄に「恥ずかしいものを見られる」という経験を香奈もそれなりに積んできたと、思う。でも今回はレベルが違う。ただの衣装じゃない、頭てっぺんからつま先、おまけに下着まで兄がデザイン、もとい妄想した魔法少女コスチュームの強制着用。


 両手が塞がっていて助かった。この状況、ガチ殴りが飛んできてもおかしくなかった。


 スネ蹴りが飛んできた。


「キモにぃのバカ!ヘンタイ!えっち!!!」

「痛っ、、悪い。すまん。痛っ、、」

 謝るしかなかった。今度は俺のせいじゃないと言えなかった。妹のキックを甘んじて受けるしかなかった。



 ふいに香奈の蹴りが止んだ。誰かが石段を上がってくる気配がする。


 星空をバックに月明かりに照らされた魔法少女姿の爺ちゃんがゆっくりと姿を表した。続いてその両脇をクロと婆ちゃんが固めている。全員お揃いの可愛らしい衣装に身を包んでいた。


 現れた…。御多分ごたぶんれず婆ちゃんも魔法少女化されている。


 爺ちゃんの周りを流れるオーラは弱まるどころか、さっきよりも力強く輝き、脈動みゃくどうしている。まずい、明らかにさっきよりもパワーアップしている。



「おい!これからどうすればいいんだ!?」

「…」

 木のステッキに聞くが一切返事ない。こいつ肝心な時に何にも言わなくなっちまった。さっきのおしゃべりはどうしたんだ。



「おにいちゃん!!」

 香奈が叫ぶ。キラキラの光の粒子が目の前に迫っていた。避けられない。咄嗟とっさにステッキを前に出す。鋭いガラスの破片同士がぶつかり合うような音。透明な膜を挟むように、飛んできた光が紙一重で周囲に拡散した。

 間髪かんぱつ置かず、爺ちゃんがステッキを振って第二波、第三波を飛ばしてくる。

 両手を繋いでいるせいで、二人三脚をしているみたいに思い通りに動けない。集中砲火を浴びてその場に釘付けになる。


 足元を狙った一撃が飛んできた。ステッキが届かない。咄嗟に避けようと二人同時にジャンプした次の瞬間、見えない力でぐんっと押し上げられるように、俺たちは空に舞い上がった。



 景色が一変した。はるか先に米粒みたいな街の灯がぽつぽつと見える。下にはさっきまで見上げていた鳥居や本殿。ミニチュアみたいだ。少し涼しい風が頬を撫でた。

 一瞬の静寂の後、早回しのようなスピードで本殿の屋根に向かって落下する。まずい!足折れる!死ぬ!!


「うおおおおおおお!!!」

「きゃあああ!!!」


 ぼわん。

 ベッドの上で少し跳ねた程度の衝撃で着地した。

 なんともない。


 心臓がバクバクいってる。二人とも言葉が出ない。繋いだ左手からも香奈の驚きと鼓動が伝わってきた。

 今、物理法則を完全に無視した。



 すげえ、これが魔法少女の力なのか…。


 でもどうする?この先どうしたらいい?

 防御はできた、回避もできた、でも攻撃ができなければジリ貧だ。


 爺ちゃん達を見ると、こっちをじっと見上げている。飛び移ってくる気配はない。


「香奈覚えてるか…」

「何を?」

「この魔法少女の設定」

「なっ!い、いまそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!へんたい!!」

 香奈が内股になって俺から離れようとする。


「ち、違う!そっちじゃなくて!必殺技の方だ!」

「必殺技ぁ!?」

「香奈がその、、格好ってことは、必殺技の名前も俺が考えた設定の、はずだ」

「お、憶えてる、けど…」

 封印のステッキが頼りにならない以上、俺たちでなんとかするしかない。



「ぬおおおおおおお!!!」

 爺ちゃんが雄叫おたけびをあげだした。足を開き腹の下に力を貯めるポーズをとっている。婆ちゃんも同じ姿勢、クロも威嚇体勢をとりはじめた。

 全員の身に纏ったオーラが一つに重なり、力強い奔流ほんりゅうを作りはじめている。

 どう見てもとどめの一発。


 いや、好都合だ。俺は香奈に作戦を伝えた。



 爺ちゃんが呪文の詠唱を開始する。来た、予想通りだ。

「フィーレ…」

「マジカ…」


「今だ!!」

 爺ちゃんの体が動いた瞬間、俺と香奈は全力で飛び上がった。


 はるか下、俺たちが立っていた場所を貫いて光りの帯が一直線に伸びている。

 二発目三発目は飛んでこない。やっぱり大技。それはつまり、俺たちに呪文を唱える時間があるってことだ。

 俺と香奈は繋いだ手を握りしめ、自由落下しながら叫んだ。あの超恥ずかしい魔法少女イラストに書いた必殺技名を。

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