第3話私の盲目 2-1
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何かを探していたり、不要なものを片付けていたりすると、普段では見つからないものを見つけることがある。それを手に取ると懐かして、嬉しい気持ちになったりすることが私にはあったの。
だけど、それは不実で自己中心的なものだった。だって、たまたま見つかったもので、人は感情に浸ってしまう。
私は、それが“何か”を見えなくしているのだと最近気がついた。
あの日からあたしはどうしたらいいのかわからなかった。いや、もともと何もわかっていなかったんだから、それは違うか……。あたしの遺伝子には欠陥があり、螺旋階段がうまくできていない。だから、普通の人みたいにうまく人間の階段を登れない。
それがコンプレックスであり、あたしが嫌いな唯一のパーソナリティーだった。それを大切にしたいと思うと、心の穴が大きく広がってしまう。
あたしはその穴を必死で埋め尽くそうとするんだけど、あたしにもどうやったらそれを埋められるのかわからなかった。だから、大きな穴の前で立ち尽くしてた。そんな気分だった。最悪の気分。ずっとそこから動けなかった。
どういうわけか、このままじゃダメだと思ったあたしのイドは、何かで埋めようと目に見える男を手当たり次第に誘っていた。それはきっと、赤ちゃんが握ったものを口に運んで安堵するような感覚と似ているし、それそのものだと思う。そして、その行為があたしがこれまでに考えていたことの証明をしようということだったのだろう。
「ねえ? 今日暇? ホテルいかない?」
「あたしなんだか寂しいんだ。あたしを楽しませてよ」
「ちゅーって気持ち良い?」
あたしは手当たり次第に誘った男と交わった。この気持ちを埋めるためにはきっとそれしかないのだと思って代替物でそれを埋めようとした。体を重ねるたびにあたしの穴は覆われていくのを感じたけど、それで塞がっているのだと自己暗示的に思っていた。
でも、何も変わらなかった。何も感じなかった。
それどころかあたしの穴を塞いでいたのは、不安だとか虚しさだとか惨めさだとかそんな安っぽいものでしかなかった。そんなものであたしの穴は埋め尽くされてしまった。そんなもので埋め尽くされたあたしは、これまで以上に最悪だ。
あたしはいつも気づくのが遅い。何かに気付いた時には、なんとなく取り返しのつかないような気がした。もう、この道しかないのだと思えた。だから、同じように何回も繰り返した。
今回もそうだ。たった一時期の洗脳的な安心感しか得られず、それが過ぎた後はその行為自体が間違いであったと自己嫌悪にさえ陥ってしまう。そんなサイクルを何度も、何度も繰り返していた。
毎日のように池袋の街をふらふらする。それは目的のないただの航海のようなものだった。それはただ目的のないあたしの縮図のようなものだった。
『意識になくても、もういい加減わかってる。わかっているから!! 少し黙っててよ』
こんなことをしてもあたしは何も変わることがないなんてことくらい……わかっているから、代替物なんて求めてもあたしは変わらないことくらい。
人通りの多い大通りをあたしは覚束ない足取りのため、とっても危ない存在なんだろうか。後ろから右腕を掴まれた。正されるように支えられた。
後ろから腕を掴まれたので、あたしは首だけ回して視線を後ろに回した。視線を右後ろに向ける。景色が流動物であるかのように、流れ出し、溶け出した。
あいつじゃない、とあたしは思ってしまった。あれ以来あっていないはずなのに、最初に思い浮かぶのは一体どうゆうことなのか。その感情に身を任せて狂ってしまいたくなる。
あたしとすれ違う人たち、あたしを追い越していく人たちの喧騒の中でそのことだけであたしの頭はいっぱいになった。
あたしを引き止めた男に見覚えはない。ヒールを履いているあたしよりも頭ひとつ分大きい男の力は強いが、それに怯えることはなかった。
男があたしを下からねっとりとした目線で縛り上げると首筋でその視線を止める。そして、また首筋から今度はにんまりとした笑顔をして、あたしの胸部と陰部に視線を集中させた。男は、あたしをすでに丸裸にしてしまっているようだ。
このしょうもない男の考えなら手に取るようにわかる。どんなことをして楽しんでやろうか。どんなことをしてあたしに羞恥を感じさせてやろうか。どうしたら、気持ちよくなれるのか。そう言った下郎の目だ。そして、あたしはその目線を初めて気味が悪い、気色悪いと感じるの。
この男はあたしをヤレる女と知っているよう。本当に虫唾が走る。地面に這い蹲れと思う。そうしたら、あたしのヒールで踏みつけてやる。そして、そんな目をしたことを永久に罵ってやりたい。
「ねえ。今日も俺とヤろうよ。今回は三人でもいいぜ」
見覚えのない男は、あたしを知っているようだった。
「同じ男とは二度と寝ないことにしてるの」
「そんなことどうでもいいよ。ホテル行こっ! な!」
「いい加減にして。それにあたし今生理なんだよね」
「生理でもいいから。風呂場ですりゃいいし、どうせホテルのベッドだからダイジョーブだって」
この男はしつこくあたしを誘ってくる。女が生理っていう時は、断っているっていい加減気づけ! と学習を促そうと思うけど、もうめんどうくさくなって、掴まれている手を振り払って、走って逃げた。後ろから男たちの悪態が聞こえてくるが無視した。
こんな男を見ているとつくづく思う。男なんてヤレれば、いいだけだ。ヤレればいいだけだ……、それだけでいいの。恋は偶像で恋は性欲でしょ? 男なんてただひたすらにその性欲に突き動かされていればいい。
そのことを思うとあたしはあたしをぶちのめしたくなる。だって、あたしは知ってしまった性欲に動かされない男の存在を。それを知ってしまうと今履いているヒールで頭を砕いてやりたくなる。そうしたら、あたしはもう少しマシな人間にでもなれるようなただ気の狂いを感じてしまうの。
なんであの男はあたしの誘いを断るの? なんであたしの思い通りに動かない。なんであたしはこんなに悲しくなるの。その問いがあたしにはわからなかった。
そんなことを考えていたら転んだ。盛大に転んでしまった。ヒールで走るものではない。まあヒールなんて走るためにできていないんだから、走ったら危険なのは折り紙付きなのだけど。幸いヒールは折れていなくて、それは良かったんだけど。
「痛い」
途方もなく痛かった。転んだからこんなに痛いなんて、忘れていた。
「痛い。痛い。痛い」
痛くてうずくまった。その様子を見て周りの人は、心配して、大丈夫ですか? と言ってくれるけど、あたしには聞こえなかった。痛さで聞こえなかったの。
心配の声ですら無視していたら、とうとうあたしの周りには誰もいなくなった。
奇しくもここはあの男と出会った場所だ。右足を引きずりながら、ベンチに座って傷を見ると盛大に転んだだけはある。転んだ時に手をついた手のひらや同時に擦りむいた膝小僧にたくさんのかすり傷が出来ていて、血が垂れていた。
傷が残らなければいいんだけど……、そう思い、転んでビリビリに破けたタイツを手頃なサイズに丸めて、それで傷口を拭いたの。
そうか。あたしは、ずっと傷ついていたんだ。ずっと自分を傷つけることをし続けていた。心は、体みたいに“痛い”なんて言わないからわからなかった。自分の弱さをずっと抉り続けていた。それは、きっと、かさぶたを剥がして、傷をまじまじと作る行為と似ていた。
「はあ」
ため息を吐きながら、情けない自分に嫌になって空を見た。
「そういえば、あいつも空見てたけど、晴れてても星なんて全然見えないじゃん」
今日の空は雲ひとつない快晴。だけど、都会の空は、何も見えない空。それでも目が離せなかった。
あたしはあいつみたいに長い時間上を見ていることはできないみたいだ。10分やそこらで、首が痛くなった。
空を見ているとあいつの顔ばかりが思い描かれる。真っ暗なキャンバスであいつだけがあたしの描けるものだった。
「もう、わけわかんない。だから、聞きたいな……」
あの男のことを知りたいと思った。でも、どうやって聞いたらいいのかわからない。あたしはあの時のホテルで振られてしまったものも同然なんだから、またひょうひょうとあの男に会うことなんてできないと思った。これはあたしの気持ちの問題。そして譲れないプライドなの。
だから、あたしはまずはあの男について知ることから始めた。調べだしたら、男はすぐに当たりをつけることができた。それもそうだ。あたしは以前にあの男と話をしていて、ある程度の見当をつけてから調べているのだから、すぐに男の高校とかを探し当てることができた。
ここからそう遠くない高校だった。埼玉よりの高校だ。そこがあの男が通っている高校。
試しにあたしは高校がわかった次の日、男に会いに行くと言っても遠くからその影を確認しに行ったの。
校門近くの電信柱の陰に隠れてあいつの顔を探してた。その様子は想像するにとても怪しいものだったと思うけれど、バカなあたしには隠れて顔を見る方法はありきたりなものしか思いつかなかった。双眼鏡なんて使ったら、不審者も同然だしね。
男の高校は、公立高校の共学だが、元男子校だということもあり、男女比は男子の方が圧倒的に多い。ここら辺の高校では、少し名高い進学校でその学生の多くが、有名私立大学や国公立大学に進学をする。
校舎は、最近新しく建て替えられているらしく、近代的なデザインが所々に見受けられた。しかし、校門に関して言えば、古いまま残していた。
放課後のチャイムが辺りに響いてから、少しすると、一番初めに一人で男が出てきた。男は、どうやら、部活というものをしていないらしく、一直線に駅の方向に向けて歩いて行く。
「やっぱりいた。なんなのあいつ。あの顔……」
男は、気の抜けた顔をしている。退屈そうに自分の中だけで完結しているように感じた。周りに一切の興味がないという顔。あの日はあんな顔をしてなんていなかった、だとするとあの日は少し期待してくれていたのかなとも思ったんだけど、あたしはその楽しんでいたかもしれない日を一瞬で粉々にしてしまったんだとも思った。それはきっとあの男からしたら、許すことなんてできない最悪の日。
罪悪感でいっぱいになった。
男の顔を見た瞬間に、あたしがあの日以来感じていた最悪なんてどうってことないことなのかもって悟ってしまった。自分の最悪があの男からしたら手に取るほどのものですらないのだとその顔からわかった。その顔を見たら、あたしは自分の穴が少し小さくなっていくのを感じた。それは、気のせいとかじゃなくて、きっと本当に小さくなっていったんだと思う。
あたしが大きいと思っていた心の穴なんて小さすぎるんだと思ってしまった。自分よりも大きな穴を見たときなんて自分の小ささを思い知る。自分よりも不幸な人を見るとあたしは幸せなんだと感じることは、とっても失礼なことだと思うんだけれど、ちょっとだけ嬉しかったの。
それと同時にあたしは小さいながらもその気持ちを知っている。あの男が抱え込んでいる気持ちを知っているの。あの男の心の腐敗部分をあたしもいつも感じてたんだから。
あたしはあの男を本当に一瞬見ただけで、もうそこから歩いていた。やることはたくさんある。あたしがまたあの男と面と向かって会えるようになるためには、本当にたくさんあるんだ。
「よし。まずは学校をやめようかな」
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