第20話「ポンコツ伯爵令嬢は今すぐ逃げ出したい」



 途端、エリーダとエイダは混乱に陥った。


「ちょ、ちょっと待ってっ!? ああもうっ!? ブラ外さないでくださいますっ!? 一瞬だけっ、五分だけっ!? 一時間でもっ!?」


「一時間も待てるか馬鹿、五分待つけどその代わり下着は脱がすからな」


 マティアスは有無を言わさずエリーダをベッドに運ぶと、抱き抱えながら谷間の匂いを嗅いだり揉んだり色々と。

 本来ならば抵抗するか、言葉巧みにじらすか対応を取るべきだが。

 今はそんな事をしている場合ではない。


(エイダっ!? どういう事なのよっ!? 話が違うじゃないっ!?)


(アタシが知るかっ!? 初耳だってーのっ!! くっそぅ、よくもアタシらを謀ってくれたわね黒ちびの癖にっ!?)


(このままじゃ、マティアスに抱かれちゃいます…………、あー、抱かれに来たんですから。このままでも?)


(目標を見失ってるんじゃないわよっ、アタシ達はその上で主導権を握りに来たんでしょうがっ! 何とかしてやり返すわよ!)


(何とかって、具体的には?)


(えーと、その…………出たとこ勝負……?)


(この状態でどう出たとこ勝負するんですかっ!? もうゲームセット秒読みだというのにっ!)


 喧々囂々、双方わめき散らすが解決策など出るはずがない。

 今のエリーダはまな板の鯉、しかも調理が始まってる状態。

 更に悪いことに、先日の時間稼ぎがはったりだとバレている。


(この前の嘘を押し通しますか? 舌をかみ切ってみるとか)


(駄目。そんな自殺行為したくないし、そもそも指つっこまれるか、口輪されるか。最悪、顎が疲れるまで口の中を貪られるだけね)


(泣く――のもすぐバレそうですねぇ。ううっ、これが八方塞がり。いえ、あの死体男より格段にマシですが)


(何だかんだ言って、黒ちびの好意はマジみたいだしねぇ。一回ヤったら花嫁行きでしょうよ、……はぁ。ったくさぁ、何でまた本性バレてて好き…………うん?)


(本性がバレてて、まだ私、というか貴女が好きなんです? え、何それ怖い)


 脳内できょとんと顔を見合わせる二人、この状況を覆す手がかりにはなりそうにないが。

 乙女として。

 超絶美人な乙女の純潔が、今まさに美味しく頂かれようとしているのだ、聞いても罰はあたらないだろう。


「……マティアス。聞きたいことがあるので、手を止めて貰っても? というか胸元にキスマーク付けないでくださいませんか? 着る服の幅が狭くなりますので」


「お前、ちょっとは恥じらって言えよ……。で、なんだ?」


「私の、エリーダの事を好き? 愛してる?」


 押し倒されて、下着が外れかけてはいるも澄まし顔のエリーダ。

 マティアスは眉根を寄せると、面倒そうにデコピンを一発。


「…………外見は好みだ、エイダの件がなくても口説いてたかもしれない。性格は……うん、それなり?」


「じゃあアタシは? 本性知ってて好きなんてアンタ変人ね。外見以外の何処が好きだったのよ?」


 エイダの言葉に、とても渋面をしたマティアスは躰を起こしあぐらをかいた。

 そのとても嫌そうな表情が気になって、エリーダもえっちらおっちら躰を起こす。


「……そういえばさ。エイダには面と向かって話したことなかったよな」


「あら、素直に聞かせてくれるのです?」

「聞いてあげるわ、アタシの黒ちび」


「ああ、エリーダ。お前にも聞いてて貰いたい、勿論エイダにも」


 男は黙り込んだ後、エリーダを引き寄せ抱きしめて。

 とくん、とくん、彼の性的興奮は収まり心音は穏やか。

 重く、静かな空気が寝室を浸す。

 どこか甘やかで、どこか切なさが隠れていて。

 エリーダ/エイダは、マティアスが心をさらけ出そうとしているのだと感じた。


「――俺の母さんはな。このヴィランドン伯爵家のメイドをしていたんだ、そして父、メイガスと出会った」


 穏やかな語りの中、しかし言葉は震えて。

 エリーダは後ろ手に拘束されている事を、何故かもどかしく思った。


「ああ、よくある話さ。父には既に母が居て、子供が居て。邪魔だったんだろうな。……あっけなく捨てられたって聞いてる」


 懐かしそうに、悲しそうに。

 マティアスは瞳を細める。


「んで、行く宛がなかった母さんは貧民街でその日暮らし。何とか俺を産んで、物心ついた辺りで死んじまった。残されたのは生前にメイガスが贈った家紋入りの短剣一つ」


 何でもない、そんな口振りだった。

 でも、空虚さまでは隠せない。


「――暖かかった事を覚えてる」


「――優しかった事を覚えてる」


「でも、――もう顔も思い出せない。あんなに大切だったのに、あんなに愛していたのに」


「母さんの顔が、思い出せないんだ……」


 ぎゅっと強く抱きしめられ、エリーダからその顔は見えない。

 けれど、頬に振る雨が彼の表情を物語って。


「一人になった俺は、生きるためになんでもやった。スリに追い剥ぎ、酔っぱらいを殺した時もある。――人生で、最低の時間だった」


「同じ様な境遇のガキ達と組んで、でも結局は大人の言いなりで搾取の日々さ」


 でも、と彼は声を弾ませた。


「そんな時だった。――エイダ、お前を見たのは」


「アタシを?」


「ああ、お前は同じ子供とは思えないぐらい綺麗で、でも貴族でも平民にも見えなくて。見る度に違う男に連れられてさ、たぶん、憧れだった」


「……アタシがこの街に来たのは十歳になるかどうか、でも、出会ったのは十三歳の頃よ?」


「それまでずっと、偶に見るお前の姿が唯一の楽しみだったんだ。スリに失敗して捕まりそうになった時も、同じガキ達の縄張り争いに負けて落ち込んだ時も、お前という美しさが俺を再び立たせた」


「会って話そうとは思わなかった?」


「その時の俺は、お前が天使にみえていたからな。話せばお前が汚れてしまうって本気で思いこんでた」


 でも、出会ってしまった。

 エイダが十三歳の時、大熊の伍長から巣立った後、ゲイリーのご機嫌取りに、貧民街の炊き出しを手伝ったとき――。


「――アタシは、アンタと出会った」


「隅の方に隠れてさ。ボロボロの服で、ドロドロに汚れた俺を、……お前は見つけて、躊躇いなく手を握って笑いかけてくれた」


 エイダの行った事はそれだけじゃない。


「気に入ったって、アンタは此処にいる人間じゃない。もっと大きな事が出来る人だって連れ出して。お前自ら俺を洗って、綺麗な服と、そして学問を教わる場をくれた――なぁ、あの時の言葉はどこまで本気だったんだ?」


 どこか縋るような言葉に、エイダは躊躇なく本音を出した。


「馬鹿ね、全部本気だったわよ。根拠なんてないわ、けどあの時はそう思ったから。コイツならアタシの役に立つって、恩を売っておこうってね」


「ははっ、安心した。やっぱりお前は俺の天使で女神だよ」


 エリーダの首筋に顔を埋め、優しく髪を梳くマティアス。

 その子供の様な無邪気な手つきに、エイダとエリーダの心も暖かくなった。


「……それで、エイダと出会った後はどうしたんです?」


「神殿の騎士候補と共に勉学と訓練に励みながら、エイダの付き人もしてたんだ。忙しかったけど、凄く充実していた」


「アタシが、アンタの思うような女神じゃないって気づいた時は何時よ?」


「一年も経たないくらいだ。お前だけを見てたからな……最初はな、誰からも好かれ愛されるお前を見て、本当に天使だったんだって思ってた。けど」


 そこで、マティアスはため息を一つ。

 何やら残念エピソードの匂いを察し、エリーダは興味津々だ。


「何があったのです?」


「……いや、それがな? エイダが自分から近づくのは男だけだし、それも顔の良いやつ、成績が良いやつ、地位の高いやつ」


「それはまた分かり易い……」


「んで、悪い噂が流れそうになると敏感に反応して、さも誰にでも公平な心清らかな女だとアピールする。誰もが騙された。けど、ある時。気性の激しい恋人がいる男にコナをかけたんだ」


「どうなったんです?」


「その時は相手の女にも取り入って修羅場を回避したんだが、誰も居なくなった瞬間。舌打ちして地団駄踏んで悪口だ。……百年の恋が冷めるってああいう時を言うんだな」


「でも、まだ好きなんですよね?」


 エリーダの問いに、マティアスは優しい声色で答えた。


「何かの間違いかと思って、俺はもっとエイダの側で観察した。それで分かったんだ、――コイツは感情のまま素直に生きてるんだって。言わない事はあっても、その言葉に嘘はない。行動に打算は混じっても、嘘じゃない」


「それで、再び好きになったと」


「笑ってくれていい。……好きを通り越してさ、愛を覚えたんだ。そして、エイダに心の底から愛されたいって」


 その言葉に、エイダは喉がカラカラに乾く感覚を覚えた。

 周囲の男から愛され、チヤホヤされるのは当然だ。

 それだけの外見と、その為の言葉を囁いてきた。

 自分を偽る事は当たり前で、素の自分を愛する者は出てくるなんて、――考えてもいない。


「……理解出来ないわね、アタシには」


「はぁ……、お前ならそう言うと思ってたよ。だから今まで話さなかったんだ」


「ああ、エイダ一人なら笑って受け入れて、次の日には遠い場所に逃げますものね」


「当たり前でしょうっ!? アタシはねぇ、裕福な家で大切に飼われてる犬ぐらいの距離感でいいの! 豪華な食事と好きなときに好きな事が出来る生活が欲しいのよっ! 恋人や妻なんて面倒な事を誰がするってぇのよぉっ!!」


 言い切ったエイダに、エリーダとマティアスは苦笑する。

 その駄目な考えこそが彼女の欠点であり。

 その小市民的な願望こそが、彼女の美点の一つでもあると思ったからだ。


「ああもうっ、何で笑うのよ二人ともっ!? ええい、頭を撫でるんじゃないっ!」


 しばらく、くすくすと楽しげな笑い声が響いていたが。

 次の瞬間、マティアスは悲しげに俯いた。


「エイダ、お前と過ごした時間は宝石の様に輝いていて、俺の宝物で……ずっと、ずっとそうしていたいと。いつか俺の女にするって、そう思ってたんだ」


 重苦しいため息。

 ああ、そうだ。彼の望みは叶わなかったのだ。



「――――でも、アタシは死んだ」



「ああ、お前は死んだ」



 エイダの死について、話題は移行しようとしていた。


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