第18話「ポンコツ腹黒令嬢は(今更)悪女になる事を覚悟する」



 本当にろくな事がなかった。

 エリーダはそう感じていた。

 小さな承認欲求を満たすだけの代わり映えのない日々、平凡だが心優しい婚約者。

 だが、だがどうだろうか。


(――本当に、ろくでもないっ!)


 確かに歯車を回した元凶は、エリーダの日記にあるのかもしれない。

 もう一人の自分が、心清らかな逸話とは裏腹に破天荒なのは驚いたし失望した。


 でも、でも、でも。

 彼女はとても自分に素直で、一緒に居て楽しかった。

 両親を失って久しいエリーダにとって、あっという間に叔父達より安心できる人物になった。


 勿論、多くの男性達を騙し、自由気ままに生きてきた彼女に罪が無いとは言わない。

 

(嗚呼、嗚呼、嗚呼――、マティアス様はお優しかった。エイダさえ良ければ身を任せてもいいぐらいには)


 彼の変態的な愛執は、しかしてエイダは勿論、エリーダもその範囲に入っていた。

 だが、この男はどうだろうか?


(ああ、知らなかったわ。こんなにも、こんなにも私を否定される事に怒りを覚えるなんて――)


 ゲイリーは何と言ったか。

 この躰を偽りと、脳を引きずり出して移植するといった。

 その言葉の何処に、エイダへの愛を感じればいいのか。

 死体を弄びエイダの躰を作ったという、その行為の何処に愛を見いだせばいいのか。


 これまで、立て続けに起こった不運。

 急に変わった環境、マティアスからの想い。

 彼への生理的嫌悪、エイダへの友情。

 そして、否定された自分。

 それら一つ一つは些細な事かもしれない。――だが、小さな火も合わさればが炎となって。

 今、エイダの内側にとぐろを巻いて、衝動を巻き起こした。


(エリーダ? エリーダさん? しっかり? 正気に戻ってっ!?)


(ふふっ、何を変な事を。私はとても頭が澄み渡って良い気分ですのに……)


(それ変なスイッチ入ってるだけでしょうがっ!? 取りあえず時間を稼いで――)


(――生ぬるい)


(生ぬるいってっ!? アンタ何を――ああっ!? 躰の主導権取られたっ!?)


 一方その頃、時間にしては十秒ぐらいの間であったが、俯いて黙り込んだエリーダにゲイリーは首を傾げて。


「……エイダ? どうかしまし――!?」


 直後、硬直する。

 顔を上げたエリーダが涙を流していたからだ。


「ふふっ、すみません私のウサギちゃん。貴方の心遣いがとても、ええ。本当に嬉しくて(え、何その薄ら寒いクソ台詞!? ……あー、コイツに一つも本当の言葉を言いたくないって腹ね)」


 碧眼をうっすらと開け、まるで透き通るような微笑み。

 頬を伝う滴はまるで宝石の様にきらめき、この上ない幸せな女性であると。

 ――なお、すべて演技である。


「ありがとうゲイリー。私の残した言葉を理解してくれて。ええ、これでやっと、本当に貴方と二人で」


「おお、おおおおおおっ!? エイダっ! なんと嬉しい言葉でしょうかっ! ああ、これまでの苦労が報われるようです…………」


「叶うなら、今すぐ貴方の用意した躰に移りたいわ。――でも、その前に一つだけお願いを聞いてもらえないかしら?」


「ええ、何でもいってくださいエイダ。貴女のお願いを私が断るわけありませんよ」


 エリーダの涙を優しく拭うその男の指先に、最大級の嫌悪を抱きながら。

 マティアスと比べると貧弱な胸板に、頬を染めて顔を埋める。


「どうか、……はしたない女と思わないでくださいまし。――キスを。この躰の最後に、貴方と。その、初めての口づけをしたいのです(あー、そういえば、アタシ達の初キスって黒ちびだったけ。堅かったし苦しかったわ……)」


「――――ぁ。~~~~~~~~っ! も、勿論ですとも可愛い方! 貴方がそう願うなんて、幸せの幸せで、私はっ!」


 驚喜のあまり踊り出しそうなゲイリーに、エリーダは顔を上げ、そっと瞳を閉じる。

 そして両腕を背中に回し――、足はポジション調整。


「――エイダ」「ゲイリー……」


 彼も瞳を閉じながら顔を近づけ、お互いの息合いが感じられるまでに接近して。

 次の瞬間、ぐいとエリーダが両腕に力を込めて、右膝を勢いよく突き出して――――。




「っ!? !?!?!?!?!?!?!?!?!?」




 ――――ゴールデンボールに直撃。

 悶絶して床に転がる彼に、エリーダは靴のヒールで何度も猛追撃ボールクラッシュを。


「あら! あらあら!! ごめんなさいゲイリー! この躰が! 今の私の躰が勝手に! ええ! 貴方が! この! 躰を捨てて! あの躰に移そうとしたこと! 間違い! では! なさそうねっ!(エリーダっ!? やりすぎぃ! 泡吹いてるって! オーバーキルだからっ!)」


 はぁ、はぁ。と肩で息をするエリーダは、それから更に二十回踏みつけた後、不満そうな顔で彼の服を漁り始める。


「ええと……ありました。この時計は厄介ですので貰っていきますわね」


「あ、はい。お疲れさまですエリーダ様」


「うん? 何を畏まっているのですかエイダ? 貴女らしくないですよ?」


「いえっ! 他意はゴザイマセン!」


「ふふっ、おかしなエイダ。さぁ今から脱出……の前に」


 脱出より先にすることがあると、エリーダは周囲を見渡す。


「ねぇエイダ。貴女は見なかった? どこかに火でもあるといいのだけど」


「え、マジ? そこまでするのアンタっ!?」


「当然でしょう。こんな人、私達に、そして全人類にとって不要なかた。全部燃やして灰にするのが世にとって最善というものですよ?」


 もはや狂気すら感じる笑顔で言われては、エイダとしても反対できない。


「ま、アタシを殺したのはコイツだしね。これで釣り合いがとれるってもんか」


「出来れば、この方だけに止めておきたいのですが……何か良い方法はないものでしょうか」


 部屋の光源は、ランプではなく最近流行の電気仕掛け。


「蛍光灯って言いましたっけ? 外せても燃えそうにないですよね……」


「んー。じゃあさ、これ。使ってみる?」


 躰の主導権が半分戻った事に気づいたエイダは、ポケットからモノリスを出す。

 エリーダも、試すだけならと同意して画面に触れた。


『――起動終了。ご用件をお話くださいマスター』


「あら? この子、意志があるのかしら?」


「何でもいいわよ。ね、アンタ、この部屋の中で火を着けられるものとか分かる?」


『はい、該当一件。当端末は量子マテリアライズ機能により、幅広い方法をご用意できます』


 量子マテリアライズが何を意味するか、二人には理解できなかったが。

 ともあれ、この変な板を信じる事にした。


『同意を確認。では範囲を指定してください』


「この部屋と奥の部屋を、跡形もなく灰にできますか?」


『警告、範囲内に生命反応』


「そいつは無視していいわ。最低でもあそこにあるアタシの躰とやらを灰に出来ればいいわ」


『了解。最終同意の後、三十秒後に延焼開始。この場からの退去をお願いします。――施設の地図をダウンロード。……完了、道案内を開始しますか?』


 思った以上に便利なモノリスに、エリーダ達はにんまり。

 鋼鉄の怪物を従えるマティアスが渡したものだ、まず間違いはないだろう。


「何でも出来ますのね貴方。では、他の人達に被害が及ばないように」


「でもこの施設は跡形もなく燃やし尽くしなさいっ!」


 そして、――――全ては灰になった。

 だが、二人は知らない。

 モノリスが優秀過ぎて、きっちり命令通りにゲイリーを無視して『例の躰と建物だけ』を燃やし尽くした事に。

 ゲイリーという男がベスという女、エリーダ達の記憶に残らなかったかの女によって助けられ、生き延びている事を。


「ひゃっほう! 燃えろ燃えろぉ!」


「ふふふっ、燃えなさい。何もかも燃えなさい…………!!」


 燃えさかる建物の前ではしゃぐ二人は、知る由もなかったのである。


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