第8話「ポンコツ腹黒令嬢は脱出を試みる」




 エリーダがマティアスの屋敷に閉じこめられて数日。

 その生活は、思った以上に快適であった。

 手錠と首輪は外れ、ベッドやソファーは最高級。

 気の利くメイドが適宜飲み物を用意し、壁には様々な本が揃えられている本棚。

 勿論、書き物をする机も完備。

 衣服やアクセサリーも当然のように最高級。


(私、ここの子になるわ。マティアス様もあまり来ないし)


(ご飯も美味しいしねぇ……、仕事だの外出だのでこっちがほぼ放置ってのは美味しいわ。まぁ、庭ぐらい歩きたいものだけど。あ、ちょいまち、まだそこ読んでる)


(早く読んでくださいよ……。早く次の挿し絵を見たいんですから)


 今二人が読んでいるのは、薔薇の聖女エイダルク。

 知らぬ間に勝手に出版された、かの日記に印されし黒歴史。

 エイダとしては、自分の記憶と照らし合わせて爆笑したり、事実との違いを指摘してマウントとったり。

 エリーダは作者として、装丁や挿し絵を一つ一つ楽しんでいるのである。


(――――ふぅ、刊行してる部分はこれで終わりですか)


(ケケケ、愉しかったわぁ、アンタの妄想!)


「……けど」


 二人の意見が一致する。

 けど、けど、けど、である。

 衣食住が揃ってるのは嬉しい、マティアスからの接触が皆無なのも同様に。

 しかし。


(――そろそろ、動きましょうかエイダ)


(ええ、エリーダ。屋敷の構造も見えてきたし)


 二人はただ、軟禁生活をエンジョイしていた訳では無い。

 屋敷に馴染むためと称して、屋敷の住人の配置を把握したり、この屋敷の住所やストリーの屋敷までの移動ルートを構築したり。

 着々と脱出の計画を練っていたのだ。


(今の時間、メイドは交代の時間。花嫁修業と称した料理の練習の名目でメイド服は入手済み)


(本棚に屋敷の見取り図まであって助かったわ、まさか隠し通路まで載ってるなんてねぇ、迂闊よ黒ちび)


 問題は、通路の出入り口に陣取る女騎士である。

 彼女さえ、何とかしてしまえばすぐにでもメイド服に着替え、悠々と屋敷から脱出が出来るのだが。


(身体能力では叶わない、強行突破は下策。あの人達は余りお喋りしてくれないけど――)


(ええ、エリーダ。アンタも気付いてるわね? 今いる女騎士さんならば、突破口はある)


 エイダだけでは、行動にすぐボロが出ただろう。

 エリーダだけでは、情報を集めた所でそもそも行動を起こす意志がなかっただろう。

 だが二人ならば、一人では不可能な事もエリーダとエイダの二人が揃えば可能となる。


(先ずは先制パンチを食らわすわよエリーダ!)


(私達にかかれば、彼女一人ぐらいなら!)


 メイドが部屋から退出したのを見計らって、エリーダは立ち上がって、先ずは彼女に微笑んだ。


「…………何か、ご用でしょうか薔薇の方?」


「ふふっ、いやだわエリーダと呼んでくださいな」


 厳しい視線を送る女騎士に、エリーダは優雅な足取りで近づく。


「一度、誰も居ないときに貴女と話がしたかったの。少しの間でいいわ、付き合ってくださらない?(さぁ食いつけっ、メイドならすぐ来るからと、アンタなら頷く筈だわ!)」


「…………、ワタシで宜しければ」


 エイダの予想通り、女騎士は渋い顔で頷く。

 何かに備えて、彼女たち護衛はエリーダとの会話を避けるように言い含められていると二人は結論を出したが。

 たった一人、この人物だけはエリーダの言葉を無視できない。

 何故ならば――。


「ねぇ、お名前を何と言ったかしら? ――いえ、いいわ無理して言わなくて」


 震え、怯えたフリをして彼女の手を両手で握る。


「好きなのでしょう? ――――伯爵様は」


「――っ!? い、いえっ! そんな……何を言うかと思えば、個人の話にはつき合えませんっ!」


 動揺し、振り払おうとする騎士に密着しエリーダは青い瞳を覗かせて縋る様に言う。


「と、取引をしませんか? 少し、少しの間でいいのです。目を閉じて、頂けませんか?」


「何故そのような事をっ、逃げるというのですか!」


 言外に伯爵に選ばれたのに何故、と悔しそうに滲ませる彼女に、エリーダ達はほくそ笑む。


(ほーらやっぱりぃ、コイツ黒ちびの事好きなんじゃない!)


(主に叶わぬ恋を抱く女騎士、嗚呼、応援したくなりますわよねっ)


 名付けて、違う女を唆して当てがおう大作戦である。

 なお、エイダが生前において散々繰り返した手でもある。


「どうか助けてください騎士様。私には婚約者が居るのです(婚約破棄されましたけど)、あの人を、忘れられないのです……(金蔓として)」


 瞳を潤ませ、婚約者と引き離された悲劇の少女を演じる。


「……駄目だ。貴女は伯爵様に選ばれたのだからっ」


「お願いです。せめて一言でいいのです、あの人に直接あってお別れだけでも(ま、うっかり遭遇したら嫌みの一つでも?)」


 どうか、どうか、と耐えきれない感情を爆発させている、様に見せているエリーダに。

 華奢な肩を震わせ、今まで気丈に振る舞ってましたと言わんばかりの彼女に。

 内面を知るはずも無い騎士は、コロリと騙される。


「貴女の気持ちは分かるが……、いや、しかし……」


「わ、悪い話では、無い筈です。私が居なくなれば、貴女は今まで通り伯爵様に仕えられる。もし途中で捕まったとしても、伯爵様の私への印象は下がらざるおえない。私が目的を果たしたら、貴女が捕まえた事にすればいいのです」


「ぐ、うう、それは……」


(そーれ揺れろ揺れろぉ! アタシ達を全力で見逃せぇ!)


(そして、最後の一押しっと……)


 苦悩を見せる騎士に、エリーダはそっと体を離し、隠し持ったペーパーナイフを己の喉へ突きつける。

 葛藤を続け、答えを出させる暇など与えやしない。

 交代のメイドが来て、うやむやにさせやしない。

 エリーダ達が、答えを選ばせるのである。


「協力してください、同じ恋する女性として。――でなければ死にます(これで理由が出来たわよ? さぁどうするの? お綺麗な騎士さん)」


「ばッ、は、早まるんじゃないっ!? ~~~~っ!? ……くっ、分かった。……分かった。…………協力、する。だからそのナイフを下ろしてくれ……」


 エリーダはにっこり笑うと、ペーパーナイフを落とした。


「では早速、こちらでカバーストーリーは用意しておりますわ、覚えてくださいね。ああ、約束通り目をつむっていてください」


 女騎士が正気に戻る前にと、エリーダは手早く下着の猿轡と、同じく下着で手を足を拘束。

 それが終わると、メイド服に着替えにかかる。


「貴女は私に本棚の上の図鑑をとって欲しいと言われ、その通りにしたが背後から襲われて昏倒した。気付けば私は居なかった。その様に仰ってください。後頭部を痛がるのも忘れずに」


「むー? むー……?」


「ではご機嫌よう。ご縁がありましたら、またお会いしましょう。伯爵様にちゃんと想いを伝えてくださいね」


 そしてエリーダは悠々と部屋から出て、堂々と従僕の自転車を盗み逃走。

 その日から、蒸気自動車を運転していると、メイドが自転車で爆走し追い越すという都市伝説が産まれたが、それはまた別の話。


「来ちゃったわ、ストリー。今度こそお世話になるわね」


「君はまた……、――――もしもし伯爵? エリーダが此処に逃げ出してきてるんだけど?」


「ちょっ!? ストリー!? ああっ、執事さん離してくださいっ、私にはあの電話を止める使命がっ!(ぬおおおおおおっ!? 裏切ったなストリー!?)」


 ストリー邸に無事たどり着いたエリーダであったが。

 彼女の逃走劇は即座に終了した。

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