第6話 「ポンコツ腹黒令嬢は病気療養を申し出る」
エイダとの会話に気を取られて、思えば見過ごしてなかっただろうか。
朝食に向かう中、すれ違うメイド達は、どこか余所余所しかったのではないか?
配膳してくれた従僕は、どこか誇らしげな目をしてなかったか?
(そこで誇らしげって言う辺り、アンタもアタシの事を言えないわね……)
(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼――――)
激しい羞恥と怒りに苛まれながら、エリーダの心に炎が渦巻き始める。
一歩、否。百億歩譲って、誰にも秘密だった小説を本にした事は許そう。
――――憎しみは、何も生まない。
だが、だが、だが。
(世界股に掛ける大ベストセラーって何なのよおおおおおおおおおおおおおおおおお!?)
こんなの絶対におかしい。
世の中間違ってる。
よりにもよって、自分の性癖が全世界に暴露されたのだ。
そんな感じでぷるぷると震えるエリーダに、慰めるように叔父ダリルは言った。
「そ、そんなに気に病む事は無いぞ! 勝手だが、ペンネームを付けておいた! その名もエイダ・ローゼス! うむ、ぴったりだと思わないか? ………………駄目?」
「ちなみに、屋敷のアンケートでも満場一致でしたお嬢様。これで文壇デビューを果たした事ですし、将来は旦那様の様に独り身であっても、食べていけますな?」
「…………私の顔を見て、言ってくださいまし?(オジサマ、ネーミングセンスだけはあるわね。エイダ・ローゼス、気に入ったわ!)」
よりにもよってエイダ。
事欠いてエイダ・ローゼス!
エリーダはもう、ノックアウト寸前だった。
(叔父様ぁああああああああ!? 何処まで読み込んでいらっしゃるんですかっ!? エイダ! エイダ・ローゼス! ええ、ええ! そうでしょうとも! ぴったり来るでしょうとも!)
あの妄想は、伝え聞くエイダの事を下敷きにしているのだ。
もしエイダ(エリーダ)が理想の殿方と、運命のラブロマンスをハッピーエンド迎えられたら。
そんな気持ちで書いたのだ。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼。こんな、こんな事って――)
これでは、かの悪名高き黒狼伯爵に目を付けてくれと言っているようなものである。
もし彼女が刻印持ちでなければ、妄想の産物、史実を下に大きく脚色を加えた時代小説と言い訳出来たかもしれない。
――だが。
(なんと間が悪いっ!! 今の私は薔薇の刻印持ちなんですよっ! 厄介な事になる事は明白ではありませんぁっ!)
(ああっ!? そうだったわ!? なんて事してくれてるのよ、この糞ジジイ!!)
今ここに、二人の気持ちがぴったりと一致した。
怒り。
盛大なる怒りを胸に、二人の気持ちは同じだ。
エリーダ/エイダは、幽鬼の様な表情でゆらりと立ち上がると、叔父に立つ様に言った。
「…………怒ってる、かい?」
「これが、怒りを覚えていない顔に見えますか? 親愛なる叔父様」
「僭越ながらお嬢様。何故、堅く拳を握って振り上げているのでしょうか?」
「叔父様の次はギブソンです。――――お覚悟はよろしくて?」
聖母の様に安心感のある笑み、その後ろで燃え上がる地獄の如き炎。
ダリルとギブソンは顔を青ざめて。
次の瞬間、ドカッ、バキッと鈍い音が。
「私は心優しいので? これでケジメと致しますわ」
「ぐおおおぉ…………がくぅ」
「ぬっ、ぬぅううううん。あ、ありがとうございますお嬢、様……」
腹部にいいモノを食らった叔父はその場で倒れ、同じギブソンは辛うじて意識が。
そんな二人をエリーダは冷たい目で見下ろしながら言った。
「私、暫く病気療養致しますわ。ストリーの家にお世話になりますので、ご安心くださいまし」
事実上の家出発言である。
そんなこんなで自室に戻ったエリーダは、当座の着替えと資金を用意させ外出着へと。
お抱え運転手にガーニー(蒸気自動車)を回させて、いざ行かんストリー邸であった。
□
「いやぁ、今話題のエイダ・ローゼスが君だったとわ。流石のボクでも見抜けなかったなぁ。大変だったね」
「よく言うわよ。顔が笑ってるわストリー」
「君も小説に負けず劣らず波瀾万丈な人生を送ってるねぇ。まさか刻印持ちに覚醒までするなんてさ」
アポ無しに訪ねたエリーダを、ストリーは快く向かい入れ。
現在は愚痴ついでに二人でお茶会である。
事情を聞いても軽々しく笑い飛ばす親友に、エリーダはある種の安堵を覚えていた。
「しかし、これは珍しいケースだよエリーダ」
「小説の事?」
「違う違う、刻印の事さ。今までの学説なら、幼少期に発現しなければ、一生発現しないと言われている。仮に発現しても、前世の人格に飲み込まれるか融合するかで、一つの体で同居してるなんて、聞いたことが無い。ボクが学者なら、君の事を放っておかないだろうさ」
「怖いことと言わないでストリー。まさか私を売るつもり?)」
「売るなら、高く値を付けて頂戴ね」
「お、今のは前世の君だね? 名前は覚えているのかい?」
眼鏡をキラめかせて笑うストリーに、エリーダは返答を躊躇った。
(どうしましょう? ストリーには本当の事を言いたいですけれど、万が一迷惑があってはいけませんし)
(コイツ、何があっても絶対に逞しく利益にするタイプよ。アタシ達の見方みたいだし、話しておいて損は無いと思うわ)
(そうですよね。ストリーは親友ですもの、隠し事はしたくありませんわ!)
おーいアタシの話聞いてた? と損得勘定で動く馬鹿女は無視し、エリーダは口を開いた。
「その、驚かないでくださいましね」
「ああ、ボクらの友情に誓って、他言無用だとも」
「では自己紹介しますわ。私の名はエイダ。少し恥ずかしいですけど。今の世で言う薔薇の乙女、その人ですわ(少し恥ずかしい? どの口が言うんです?)」
照れながら言うエイダに、ストリーはポカンと大口を開いてしばし硬直した。
「…………成る程、いやまさか。こんな偶然? いや必然なのか――、いや、すまない。思ったよりビッグネームが出てきて驚いたよ」
「ええ、気持ちは解ります。私も最初はとても驚きましたから(ええ、そうでしょうとも!)(あの美談の持ち主が残念な性格をしていた事にですっ!)」
「しかし、これで腑に落ちた。昨日の修羅場騒ぎ、君のやり方と少し違うと思ってたんだ」
「ふふっ、分かってくれてて嬉しいわ。エイダったら意外と奇抜で、流石は薔薇の乙女ですわね(おお! もっと誉めて称えなさい!)」
楽しげに笑いあう二人だったが、ストリーはふと真顔になって言う。
「となると、君は薔薇の刻印を持っているのかい?」
「ええ、右足の太股の付け根に。見ます?」
「では遠慮なく。……体育の着替えの時、いつも思うけど君ってばかなり良い体してる上に、下着が派手だよね」
「お馬鹿、どこ見てるんですか……」
「おお、あったあった。これは本当に――エロい!」
「注目すべきはそこじゃありませんっ!(愉快な奴ね、ストリーは。いい手下になりそうだわ)(だから親友だって言ってるでしょうがっ!)」
エリーダのスカートの中から出てきたストリーは、眼福眼福と嘯きながら、思案気な顔をする。
「となると、だ。今の状況は少し悪い感じか。噂のエイダ・ローゼスにはかの薔薇の乙女の生まれ変わりの噂が出ているし。計らずともそれは、真実になってしまった訳だし」
「自分で言うのもなんだけど、婚約の話も後押しするでしょうね……」
「ボクの予想では、あと数日もしたら学院のどころか、国中の噂って感じだ。さて、どうしたものか――」
ストリーが考え始めた瞬間、ノックと共に外から彼女の従者の声がした。
「ストリー様。お客様がお見えです」
「分かった。応接室で待たせておきたまえ」
「あら、お客様? 私の事はいいから、どうぞ行って来て?」
「…………いや、そうだな。君にも来て貰いたい」
その言葉に、エリーダは目をぱちくりと不思議そうに瞬きする。
そんな姿を見せて、ストリーはチシャ猫の様に笑った。
「君は姿を隠す必要がある、強力な後ろ盾もだ。――それを一度に解決する方法があるのさ。ま、気を隠すなら森の中ってね」
「貴女がそう言うなら、私は構わないわ(え、受けるのその話? もうちょっと詳しく話を聞きなさいなアンタ!? ちょっと! ちょっとぉ!?)」
唯一無二の親友の言葉ならば、とエイダの言葉を一蹴し、その後に続く。
そして応接間に入り、迫力のある筋肉質の背の大きな貴族の男。
年齢は三十代半ばだろうか。
「待たせたね伯爵」
「いえ、ストリー様の命とあらば」
「紹介するよ、こちらボクの親友。エリーダ嬢」
「初めまして、エリーダですわ(――あ、この人好みの顔と体してます)(あら? どっかで見たような…………まぁいいわ、顔良し体良しの金蔓……じゃないわね、面倒そうな匂いがするわ!)」
伯爵と呼ばれた大男は、エリーダを値踏みするような目で見ながら言った。
「初めましてエリーダ嬢。お噂はかねがね。貴女の事はストリー様からよく聞いています」
応接用の豪華なソファーから立ち上がった彼と、エリーダは共に歩み寄り握手。
何の躊躇いもなく握られたその手に、婦女子に怖がられる事の多い彼は軽く方眉を上げて驚き。
エリーダは、そのゴツゴツとした大きな手の感触にときめきそうになった。
「彼はねエリーダ。かの有名な――――黒狼伯爵さ!」
「――――っ!?(はいいいいいっ!? ストリー!? ストリー!?)(ほら言わんこっちゃないっ!? どーすんのよアンタっ!? バレたら絶対に面倒な事なるんだからねっ!)」
硬直するエリーダをニマニマと笑いながら、ストリーは伯爵に告げた。
「呼び出した話にも関係するんだがね、伯爵。ボクの親友エリーダを、暫くの間預かって欲しいんだ。そうだな……行儀見習いのメイドという名目にしておいてくれ」
「っ!? っっっ!?!?!?!?!?!?」
一難さってまた一難。
エリーダ/エイダに新たな試練が降りかかろうとしていた。
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