第5話「ポンコツ腹黒令嬢と三つの話」





 令嬢エリーダの朝は、優雅に始まる。

 メイドがカーテンを開け、日が射し込み。

 ピンクのネグリジェに包まれた体を眠たげに起こし、用意してある熱い紅茶を啜る。

 静謐に包まれた部屋、体を中から暖めると同時に徐々にエリーダの意識が浮上。

 飲み終わる頃に、意識がはっきりと。


「――あれは、夢だったのね」


 開口一番、エリーダはそう呟いた。

 昨日、どうやって帰ってきたかは記憶に無いが。

 こうして、着替えてベッドで寝ていたし。

 メイドも心配する素振りを見せなかった。

 つまり。


「ええ、きっと夢だったんだわ。とんでもない前世が蘇ったのも、修羅場に巻き込まれて刺されそうになったのも、婚約破棄されたのも、きっと、きっと悪い夢だったのよ」


 うふふ、と朗らかに笑うエリーダの口はその直後、勝手に言葉を紡いだ。


「そんな訳ないでしょうが、アンタ馬鹿なの?」


「ですわよねぇえええええええ…………。うう、夢であって欲しかったぁ…………」


「アンタに素敵な前世が蘇ったのも、後輩の悩みをズバっと解決したのも、男にフられたのも、全部現実よ、ハハッ、ざまぁないわねっ! これが学園で評判の薔薇の乙女だとか、薔薇に謝りなさいな」


「全ては貴女の所為じゃないですかっ!? 何他人のフリしてホザいてるんです!? 現状を解っているんですか!」


「はいはい、大変でございますね。それより、アタシが苦労して家まで帰ったんだから感謝しなさいよね」


 エリーダは乱暴にティーカップを置くと、ぐぬぬぬと頭を抱える。


「どうするんですか……、エディ様の実家から援助を打ち切られたら、ウチは立ち行かなくなるんですよぉ…………うー、あぁーー」


「あの盆暗の事だったら、遅かれ早かれでしょ。辛うじて釣り合ってたのは爵位だけ。性格も才覚も違いすぎるし、キスすらまだでしょう。ま、あのヘタレもこの極上の体に手を出さなかった事だけは、良く弁えているわね」


「それは……、まぁ、そうですけど……」


 エイダの言葉に、躊躇いつつも肯定したエリーダ。

 否定しなかった辺り、同じ穴の狢だと自覚しているのだろうか?

 項垂れるエリーダに替わり、体の主導権を握ったエイダはベッドを降り机に向かう。


「…………? 着替えないのですか?」


「そんな事よりも、よ。――アンタ、良い趣味してるじゃない、ケケケっ」


 下品に笑うエイダに眉を潜めながら、エリーダとしては彼女の言っている意味が解らない。


「趣味? 気に入った小物でもありました? あ、今は貴女との共用物だからと言って、勝手に売らないでくださいませ」


「だれがそんなセコい小遣い稼ぎするってぇのよ。そん・な・コ・ト・よりも! ――――ジャーン!」


「あああああああああっ! どうしてそれをっ!?」


 エイダが右手で、机に置いてあった鍵付きの日記帳を掲げる。

 エリーダが左手で慌てて取り返そうとするも、所詮は一人の体。

 自分のしっぽを追いかける犬の様に、くるくると回るばかり。


「何故っ! それをっ! 返しなさいったらっ!」


「ほほー、良い趣味してるわねぇ。学園一美しい令嬢が実は実家の借金に困っており? 年上の格好いい男のお金で買われ、夜な夜な抱かれる内に愛が芽生え?」


「わーっ!? わーっ!? わーーっ!? 読んだんですかっ!? 読んだんですねっ!? くそうっ!? 私を殺して貴女も殺すっ!」


「ええい、死ぬ程恥ずかしがるなら最初から書くんじゃないわよ! 二十冊も書いててまだ続けてる癖にっ!」


 誰が想像しただろうか、エリーダの密かな趣味。

 自分をヒロインにし理想の男性像をヒーローに据えた、ちょっと過激で波瀾万丈な恋物語。

 寝る前の一時、手慰みに書いていたそれが他人にバレてしまうなんて。


「ぐぬおおお、殺して、いっそ殺してぇ…………」


「ウケケケ。ご愁傷様。いやぁ、何かアンタに親近感沸いてきたわぁ。自分をヒロインにしたエロ小説なんて、そうそう書けるもんじゃないわよ。っぷ。ぷぷぷぷぷぷぷーー!!」


「絶対、ぜぇっったいにっ! 誰にも言わないでくださいよっ!」


 誰にも見せる事を考えていない、妄想全開の代物。

 バレたのがエイダで、もう一人の自分でよかった。


「ああ、もう……。貴女が来てからこんなのばっかりですか……」


「そう落ち込まないの、アタシは幸運の女神なんだから! この家の借金もなんとかなるし、あの盆暗よりイイ男が見つかるってものよ!」


「だから、どっから来るんですかその自信…………。はぁ、もういいです。着替えて朝食にしましょう」


 エリーダで遊ぶだけ遊んで、お腹空いたから任せたと脳内で引っ込んだエイダにため息を付きながら、着替えようとして。


「…………制服ではありませんね。間違えたのかしら?」


 半裸で普段着を手に首を傾げる。

 この屋敷のメイドは勤務歴が誰も長くベテランだ、こんな風な間違いをしない筈なのだが。


「あー、そういえば。アンタを数日休ませるとかなんとか、執事が言ってたわよ?」


「…………昨日のこと、伝わっているのでしょうね」


「イイじゃない、高嶺の花過ぎて婚約者が婚約解消。しかし、それで傷つかない筈がなく、アタシ達は晴れて突然の悲劇に傷心の美少女! これは学校行った時が楽しみだわぁ、男がぞろぞろ寄ってくるわよぉ」


 よりどりみどりだと喜ぶエイダに、エリーダは深いため息一つ。

 エディを愛していたとは言わない、だが好感の持てる人物で、派手さは無いが堅実で平穏な普通の家庭が持てると思っていたのだ。


「人生設計が崩れた、嘆く方向がそちらなのは、エディ様の事を友人以上に思えなかった証拠なのですね……、貴族令嬢として不甲斐ない」


「将来の旦那が好みの男じゃなくてよかったじゃない、前向きに行きましょ」


「…………貴女が居て初めて良かったと思える気がします」


 ふふん、と脳内で偉そうにするエイダに苦笑して、エリーダは着替えを終える。

 これが制服なら、薄く化粧を施すのだが、今日ばかりは手抜きでいいだろう。

 部屋を出て保護者である叔父と朝食を取る中、エイダが思い出した様に質問した。


(そういや昨日、薔薇の刻印がどうとか言ってなかった?)


(ああ、その事ですね。それは――)


 エリーダは要点を掻い摘んで説明した。

 エイダの終わりは、今では「薔薇の乙女」という美談として語り継がれている。

 それは彼女が死に際に、薔薇の刻印を持って生まれ変わる、という言葉に起因しているのだが。


(アタシ、そんな事言ったっけ? いや、言ったか…………?)


(どうせ、今際の際でも格好つけて適当言ったんじゃないですか? その所為かどうか知りませんが、私の体にある刻印は薔薇の紋様ですし)


 小さな頃は、それっぽい痣だと思っていた。

 ある程度成長した後に薔薇だと気づいたが、前世の記憶など一向に戻らない。

 だから、まさか本当に薔薇の刻印だったなんて、思いもしていなかったのだ。


(貴女のシンパとでも言うのですか? 結構いるんですよ薔薇の刻印を探している人が。その最たる人物が――、悪名高き黒狼伯爵)


(誰よそれ?)


(きっと、貴女が誑かした人の一人ですよ。十年ほど前に伯爵家を継いだ人物なんですが、噂では何人も刻印持ちを殺しているとか、その風貌は狼の様だとか、屋敷が薔薇だらけだとか)


 国を跨ぐ大きな組織が保護を謳う刻印持ちを殺して、何故伯爵になれるのか。

 伯爵なのに、顔が解らないのか。

 屋敷が薔薇だらけとは、只の薔薇好きなだけでは?

 等々、エイダは疑問を感じたが。

 ともあれ情報源はもう一人の自分、頭の隅に追いやって憤慨する。


(アタシに執着する危険人物って事ね! 美しさって罪だわぁ……、アンタ絶対に近づくんじゃ無いわよ! そんな男、面倒くさいし金蔓探す邪魔にしかならないんだからねっ!)


(言われなくても、そんな人に近づきませんよ……。それに、私の刻印は右太股の付け根。おいそれと他人が確認出来る場所ではありませんし。協会の記録は幼い頃のだけな筈ですので、そっちからもバレる心配もありません)


 昨日の今日で、傷心の彼女を慮ってか静かな朝食の光景をこれ幸いと、エイダを会話を弾ませるエリーダに。

 そうとは知らない叔父ダリル(五十路の独身・愛人アリ)は、食後の珈琲を飲みながらおずおずと切り出した。


「その、なんだ? エリーダよ。オジサン、お前に話があるから、この後、執務室まで来て欲しいかなーって?」


「叔父様……、私は大丈夫ですから。そんな心配そうな顔しないでください。叔父様の笑顔が私の活力なのですから(よっ、年上好き!)(肉親に対するリップサービスですっ)」


 エリーダの言葉に、ふくよかな体を縮こまらせていたダリルは、うるうると瞳を潤ませながら、自慢のカイゼル髭を撫でた。


「おお、エリーダよ。そなたは亡き兄様に似て強く、そして亡きレティシア様に似てなんと心優しい淑女に育ったものか…………! このダリル、感激であるっ!」


「ふふっ、叔父様はいつも大仰なのですから……」


 物心付く前に両親をなくしたエリーダにとって、彼らの記憶は遠い彼方だが、似てると言われて悪い気はしない。


(まったく、エディ様もこれぐらい表情豊かに解りやすく言ってくれれば、私ももっと心を寄せられたでしょうに……)


(盆暗が盆暗だった事は確かだけど、アンタそれ、ブーメランだって事解ってる? くくくっ、自分で自分を刺すなんて器用な女ねアンタ)


(黙らっしゃい! 自業自得で死んだ貴女にだけは言われたくありませんっ!)


 もはや恒例になりつつある、脳内言い争いを笑顔でひた隠し。

 エリーダはダリルと共に執務室へ。

 中には先に、老執事のギブソンが待っていた。


「おお、待たせたなギブソン」


「いえ、旦那様。覚悟は出来ております」


「う、うむ。そうだな…………」


 どこか申し訳なさそうな顔と、怖々と覚悟を決める二人に。

 エリーダとしては、困惑を隠せない。

 婚約破棄、の事もあるかもしれないが、他に重大な何かがあるのだろうと覚悟を決めた。

 ダリルとエリーダが来客用のソファーに対面で座り、ギブソンは定位置であるダリルの後ろに。


「さてだな、エリーダよ。とても良い話と、残念な話、お前にとってはもしかすると、とても悪い話の三つがある。――どれから聞くか?」


「三つ、ですか?(良い話からにしましょう。悪い話は場合により逃走で)(……同意します。うう、何だか嫌な予感が)」


 重々しく神妙な声色を前に、エリーダは良い話からと選択した。


「うむ、その良い話なんだが。…………喜べエリーダ! 我が一族の借金が全てなくなり、ここ数十年無かった黒字! それも大きな商会を買収出来る程の黒字が出たのだ!」


「まぁ! いったいどんな魔法を使ったのです!(しめしめ、これで盆暗は本当にお役御免ね。もしかすると、知ってて言い出したのかもねぇ)(ああ、ありえそうです……)」


「魔法というかなぁ……」「ゴホン、旦那様」


「すまないありがとうギブソン。――では次に、残念な話といこう」


 長年一族を苦しめてきた借金を返す金銭の出所をボカされ、エリーダの第六感が不穏を告げる。

 もしかして、今度は他国の王族の婚約者にでもなるのだろうか。


(あ、それ良いわね! 異国の金持ち男を誑かしてウハウハな人生送りましょうよ!)


(黙ってなさい、この口と外面だけの自堕落女)


 一瞬だけ、ころころと表情を変えるエリーダだったが、男二人はとある事での罪悪感で気付く余裕が無い。

 故に自然と、次の話題に写る。


「でが残念な話題だが。……これはお前も知ってのと通り、マーソン子爵家令息エディとの婚約解消の事だ」


「彼の心を捕らえられなかった事、大変心苦しく思いますわ叔父様……(そうそう、アタシ達は傷ついた薔薇の乙女……!)(いちいち五月蠅いですよエイダ)


 冷静になってみると、こんな残念な前世だがもし居ないとなると、エリーダは数日寝込む精神的ダメージを負っていただろう。

 それだけは、感謝である。


「お前が気負う事はないエリーダ。今回の事は残念であったが、元々、家格以外は合わない取り合わせだったのだ。これからは、お前が愛するものを見つけるも良し、そうでなければ、今度こそ相応しい相手を見つけてみせようぞ!」


「ありがとうございます叔父様。父と母を亡くし十年以上。私が健やかに育ったのは叔父様のお陰に他なりませんわ(けっ、麗しい家族愛で結構結構)(貴女の境遇には同情しますが、鬱陶しいので拗ねないでくださいまし?)」


 そして最後の話題である。


「気持ちを強く持って聞いて欲しい我が最愛の娘エリーダよ。そしてどうかギブソンだけを責めて欲しい……」


「裏切ったなクソ野郎!? お嬢様! コイツが悪いんです! 私は一度は止めました、止めたんですよ!」


「ええい、往生際の悪いっ! ノリノリで出版社を探したのはお前じゃないか!」


「それを言うなら、ウチのメイドと従僕も全員同罪ですぞ髭野郎! 彼らもやれ世紀の名作だの騒いでいたじゃないですか!」


「ええと、叔父様? ギブソン? 話が見えないのですが……?(ここの家、貴族の癖にずいぶんフランクなのね)(意外と何処もこんなモノですよ。庶民の考えてる貴族像なんて、時代遅れの代物ですって)」


 エリーダの言葉に、ピタリと争いを止めると。

 何やら眼で会話しあった後、渋々とダリルが口を開いた。


「その、エリーダ。怒らないで聞いてほしいのだ。お前がな、長年綴ってきたものが、ほら。あるだろう?」


「……何です、その持って回った言い方?(ちょいちょい、エリーダ。それってもしかして――)」


「日記では無く、物語が書いてあったのは驚いたがな? それが…………」


 その瞬間、さぁっとエリーダの顔が青ざめた。

 だらだらと冷や汗と共に、赤面し始める。


(血の気が引いたり、恥ずかしがったり、忙しいわねアンタ。クククっ)


 エイダに言い返す余裕も無く、わなわなと震えながら質問する。


「そ、それはそのぉ、十歳の時に叔父様から送られた鍵付きの?」


「…………うむ」


「今年で二十冊目になる、私の?」


「……………………うむ」


 嫌だ、聞きたくないと顔を盛大にひきつらせながら、エリーダはまっすぐに聞く。

 見られてしまった、しかもこの口振りなら屋敷の人々全員に。

 そして恐らく、それだけでは無い。


(なぁーんで、さっき。オジサマは黒字の魔法を言わなかったのかしらねぇ…………ご・愁傷・様! ざーまーぁー!)


「……………………どうなさったので?」


 沈黙が流れる。

 そして黙りきったダリルに替わり、執事のギブソンが言った。


「結果だけ言いますと………………。大ベストセラー、だそうです。瞬く間に他国にも評判が広がり、今では四カ国語に翻訳されているとか」


「すまないエリーダよ。出来心だったのだ…………、まさか王女様の目に止まり、評判が評判を読んで印税ががっぽがっぽだなんて」


「今年の、サプライズプレゼントでこの世に一つしかない豪華装丁の、という趣向の筈だったのですが…………。世の中解らないですなぁ……」


 明後日の方向に顔を向け、盛大に目を泳がせる叔父と老執事。


「――――いっそ殺せ」


 エリーダは顔を両手で覆いながら、盛大に項垂れた。


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