冬から春のお話-2

12/16

今朝は冷えますね。何もかも凍ってしまって、氷のはった水溜まりの上で転んだ天使もつるつると滑っていきました。天使が一匹、天使が二匹。地上での暮らしに慣れるには、幾つの冬を越えればいいのかなあ。


12/27

きみの嘘をどこまで愛そう。デスクライト一本だけ点けてぼくは座っている。白い光が目に刺さって涙が出る。まだしばらくはここに居よう。明るいだけで暖かくもないライトを見つめる。白い針が踊っている。放射線の真ん中に、天使が現れるのをぼくは待っている。


1/13

ないしょのお話をしよう。このお話をあげるから、きみは遠くへ、ずっと遠くへと、ぼくの秘密を持って行って。


1/17

雪を渡る。いつもよりも高い目線。りんごの木のうえを行く。小鳥の目線。小鳥はもういない。雪を渡る。川も雪に埋もれて、窪みに足を取られないように渡る。雪にはまってしまったら、春まで抜け出せない。街は平原になる。みな雪の中。眠る街の上を歩く。静かな空。


1/18

うつむいて歩いている。きみの目にはさざなみやコンクリートに埋まって光るガラス、獣の足跡が写っている。きみは空を見ないけれど、鉱石の光を瞳に宿す。七色に輝く地底の鼓動がきみを動かしている。


鳥飼いと鳥は仲良しだ。つかず離れず、毎日野原を散歩する。鳥は鎖で繋がれることはない。行こうと思えばどこにでも行ける。平らで光り輝く翼を広げて、風もないのにどこまでも上昇し、羽ばたきもせず空中に浮揚する。鳥は目を持たないが、いつも鳥飼いを見つめている。


雲を渡る靴を履く。カツカツと音をたてて高度を上げる。建物の窓がきらめく。空の獣に挨拶する。片足が雲を突き抜けて地上に梯子が降りる。地上から藍色の空は見えるだろうか。南天色の靴が空に染まっていく。ぼくはもう戻らない。森の獣たちによろしく。


1/21

並べた石の平均台を上手く渡れたら、足が早くなるのだよ。お姉さんが教えてくれたので、ぼくは石の橋から落ちないように気をつけて渡る。ぼくの足は少しずつ早くなって、お姉さんも追い越したけれど、まだ石の橋を渡り続けている。


1/25

ぼくの命、幾つあればあの子を助けられますか


2/7

きみに届くかわからないけれど、ぼくはこの森に伝言を残そう。いつかきみが読むだろうから、少し背伸びした目線の位置に、きみへの言葉を刻もう。きみの灯火となりますように。きみが迷いませんように。


きみに言葉が届けばいいのにね。ぼくたちが同じ言葉を話すことはないけれど、きみの夢に遊びに行けますように。眠りの淵から落っこちそうになったなら、支えてあげるくらいは出来る。見つめあっても、ぼくたちはそれぞれ一人。


獣たちよ、空を渡る獣たちよ。どこへでも行けるというのに、降り立つ地を持たず、冷たい空を駆けるだけ。奔流に揉まれる鬣。雹が頬に穴を空ける。血のにおいすら知らず、空の青しか知らず。高空に在る獣の尾だけ、雲の隙間から覗き輝く。


悲しみを背負ってついたちの山を登る。日付が変わる鐘の代わりに懺悔をうたう。木々に道を教わって、岩を伝い、登りの他には無い道を。神さまに実りを返しに行くのだ。頂きに着く前に、月が落ちたよな泉で喉を潤したなら、黄泉の小さな花咲く斜面を進むだけ。神さまにお返しするのだ。


朝を待つ。夜さえ明ければきっと無事。日々を乗り越える度に夜は長くなる。春を待つ。雪に寒さに耐えたなら、あと一年は保つだろう。救いはないが、救いはないが、次の冬までは耐えるだろう。終わらない冬は、雪を鳴らしてやって来る。明るい夜が降り積もり、目覚めを忘れて白銀の野に遊べば永遠の地。


2/8

きみは眠っている。箪笥とテレビの隙間は暗くて風もなく、きみの夢になまぬるい上昇気流を送り込むこともない。きみはただ飛ぶ夢を見ている。世界の上空を、音もなく飛んでいる。


森に天使がいるという噂を掴んで、忘れ去ってしまうほど掠れた頃に裏の森に入った。カラコロと木々が鳴り、天使の後ろ姿を隠してしまう。もうひと吹き風が来れば忘れてしまうだろう。


夜な夜なぼくの様子を見に来る足音。ぼくは知っているけれど、眠ったふりをする。机の上から覗きこんだり、布団を踏んづけてからいなくなる。雪明かりの晩、内窓に影を浮かべていたこともある。明るいところで会えたなら、缶蹴りして遊ぼう。


2/11

熊も鳥もみな眠っている。糸が途切れた死骸が夜の底に落ちている。地は呼吸もままならず、川は暗く溜まっていき、星はあらゆるものを連れて集束していく。天使もやがて力尽き、諦めて地に足を下ろすだろう。


3/7

鳥が運んだ季節の変わり目、霞む空から花、山並みが朝焼けに染まり消える。風が吹き飛ばし、間もなくぼくも空に放り投げられる。漂白された雪をわり、山や人や建物が顔を出す。


擦り切れた手袋にさよなら。手放す前にもう一度踊りましょう。カーテンの隙間から差し込む光だけにして、机の上は片付けて、靴は履かずに。


公園でブランコが揺れていた。風もない日に一席だけ。一日中光が当たらないその席は、見えない誰かの席にして、ぼくたちはお日さまが当たる席を代わるがわる使う。


小瓶を並べて野草を生けた。赤い草、青い草、紫の草。みんなきちんと息をしている。窓のある場所に置くと草刈り屋さんに持って行かれてしまうから、光から遠ざけてね。青空色のライトを点けるから、空を忘れはしない。


小瓶の中の水泡が生まれてから割れるまでを見届ける。水泡に世界が映る。月と太陽が互いの尻尾を追いかける。涙の粒が落ちて川を作る。人が祈り、小さな星は砕けて、草の香りだけが残った。


3/8

燃える青い炎を映した猫の毛が、踠きながら抜け出した。雪の轍に隠れて進み、氷柱が刺さった塀を越え、サーチライトを掻い潜る。雪で埋まった川を渡る。走って鳴いて、春を探し出せ。


3/10

ひとはいろんなことを忘れていくけれど、過ぎ去り、川を流れていった小石の一つ一つを、天使が見つめる。星を満たす祈りとともに、もう少しだけ続けと願う。


3/28

朝が来るよ。鳥より少し早く起きて、暗い空を撫でる。星を一つずつ掻き消して空白を撒く。波が寄せる。まもなく夢が覚め、泡となり消えていく。目覚めの準備は出来たかい。ぼくは踏み出せない。朝など知らないふりをして、まだ眠っていよう。


3/30

光が半分だけ当たる席に座っていたひとの顔を思い出せない。雑踏の中に揺れている、見たことはあるのに呼びとめられなかった背中。夕暮れの辻ですれ違ったひとの行く先を確かめることはない。名前を知らない生き物のことを、ひとは忘れていく。


4/12

半分の光をきみに差し出す。きみが半分だけ見える。あとは闇に沈んで、世界も闇に沈んで、夕暮れの少し前の斜陽がナイフのように光っている。半分だけのきみが、黄金色に笑う。


4/24

歌なき音、這うノイズ、吐息混じりのピアノ。聞いているうちに眠ってしまった。眠りの狭間で聞くこの音を、天使も高く寂しい空で聞いている。


5/5

茫漠たる草の海を渡る。今や色を失った草が囁く星の記憶はどれも聞き覚えがある。みなこの草原を通り鏡池を目指す。飛び込むとあたたかな海に抱かれるのだという。


5/6

空を歩く天使を見た。雲を踏んだり、探偵のように神妙な足取りで獣の足跡を追っている。空はこちらと何も変わらない。体がふわふわして、我々もいつかどこかの雲を踏み、果てへと向かう。今日は晴れ。

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