夏から秋のお話-2

6/29

ライオンが音も無く駆けて行く。雷雲を散らし、轟きをひょいひょい捕まえながら駆けて行く。鬣はつややかな夜色。紫水晶の瞳は空からの捧げもの。荒れる天で、雨水を飲み干す。


8/10

青空で人影が泳いでいる。鮫がいたならば噛みついただろう。深海で出会ったならば息をつめてやり過ごしただろう。ぼくの手では届かない。明日ぼくが話したところで誰が信じるだろう。平泳ぎしながら雲に隠れてしまった。遊泳する影の進行方向をいつまでも見ていて、日が暮れた。


もう取り戻せない日々があると気付いて躓いた。もう前に進みたくもない。倒れ伏して砂に絵を描く。風がさらっていく。草が生えてぼくは埋もれた。雨に打たれて体が火照った。蟻が目の前を歩いていく。過去は去るのに、ぼくの体はこんなに重い。


庭の花の首を落としていくのは誰だ。盛りの花が美しいまま土に落ち、命のやり場に困って輝いている。落ちる花は流星のように一瞬燃えたのだろう。私は受け止めることも出来ない。朝に犯行を知るだけ。冷たい花の首を拾い集める。


ぼくの海はもう瓶に詰め込まれてしまった。割って取り出そうか。泣いて水たまりを作ろうか。海の声は聞こえないし、波が描く模様に触れることも出来ない。ぼくと海は隔たれてしまった。夏は見向きもしないで行ってしまった。熱砂を掘って、海が入った瓶を埋める。


待ち望んだ雨は、深夜に少しだけ降った。眠れぬ夜と引き換えに、冷たい風が頰を撫で、人々は薄い眠りの中で雨音を聞いた。雨が降ったことを覚えている者は少ないが、夜の訪問者が纏う秋の気配に、目覚めたなら気付くだろう。


8/14

街角の崩れかけた塀が取り壊されずに残っているのは、そこに影が腰掛けているからだ。晴れた日にはいつも現れる。落ちた影に目を向ける者も、隣に座る者もいないけれど、時々補修されている。それから季節の花が咲く。影が居着いた日から、街の一角の景色は変わらない。


8/28

部屋の片隅に置き忘れていたボールを、忘れん坊のおばあちゃんがみつけた。みつけて貰いたかったのさ。おばあちゃんは一呼吸するとすっかり忘れてしまうけれども。また置いておくから、次も探してね。


昨日まで元気に咲いていた花はどこへ行ったんだろう。あんなにたくさん咲いていて、小さな日陰を作っていた。香りはしないけれども眩しい黄色をしていて、風にふわふわ揺れていた。揃って海に遊びに行ったのかな。ぼくの日陰は夕方になっても帰って来なかった。

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