第10話 屠竜の技
雪が解け始めて春が近づいてきたある日の事、自室で書類仕事をしていた真一の元に、深刻な表情の魔王が訪ねてきた。
「シンイチよ、我の相談に乗ってくれぬか」
「どうした。リノちゃんが『もうパパとはお風呂に入らないのです』とでも言い出したか?」
「何……だと……っ!?」
「すまん、嘘だから落ち着いてくれ」
今にも首を吊りそうな顔で崩れ落ちた魔王を、真一は慌てて励ます。
「で、相談っていうのは?」
「それが、どれだけ鍛えても、この身がもう強くならぬのだ!」
魔王は血が滲むほど拳を握りしめ、口惜しさに歯噛みする。
「今までの何倍も厳しい特訓を行い、死の淵まで我が身を痛めつけ、禁足地で何千という魔物を倒したというのに……っ!」
娘には激甘だが己には厳しい魔王の事だ、本当に死ぬほどの修行をこなしたのだろう。
だが、肉体も魔力も以前と比べて、誤差と呼べる程度しか成長していなかった。
「このままでは赤き竜殿に挑むどころか、エレゾニアと同等の敵が現れたら負けてしまう」
そして、大切な愛娘や部下達を危険に晒してしまう。それが王として許せぬのだ。
己の不甲斐なさに憤慨する魔王に、真一は同情しながらも残酷な現実を突きつける。
「筋肉も魔力も成長の限界に達したのだろう。魔王様がどれだけ才能に溢れていようとも、生物には物理的な壁がある」
だからこそ、竜を滅ぼすために肉体を捨てて幽霊になった女がいたのだ。
「やはり、そうなのか……」
薄々気がついていたのだろう。魔王は自分の限界に失望し、力なく項垂れてしまう。
そんな主に対して、ゲスな参謀はいつもの不敵な笑みで告げた。
「肉体は限界に達した。だから、技を鍛えて強くなろうか」
「むっ、技だと!」
まだ強くなれる余地があるのかと、驚いて顔を上げる魔王に、真一は深く頷き返す。
「前から思っていたんだが、魔王様の魔法って強力で多彩だが、一つ一つの技が雑なんだよ。非効率的と言ってもいい」
「我の技が雑だと?」
「例えば魔王様の代名詞たる『
「むっ……」
己の最強技を貶されて魔王は気色ばむものの、真一の指摘が一理あるために口を噤む。
「もちろん、『蒼き灼熱の太陽』の全てが無駄とは言わない。大軍相手になら有効だし、範囲が広いから避けられ難いという長所もある。だが、自分より格上に通用するとは思えない」
「痛い所ばかりを突いてくれる」
自分を恐れない的確な発言を嬉しく思いつつも、魔王は苦い表情を浮かべた。
「己より強い者とは、もう何十年も戦っていなかったからな……」
「それが全ての原因だよな」
魔王は強すぎたのだ。魔界でも同格の相手は妻であるレギーナ一人しか居らず、地上で襲ってきた勇者達も格下ばかりで、ようやく出会った強者があの女神である。
「虎は兎を狩るために拳法を編み出したりはしない。何故か? 必要ないからだ」
そもそも技とは、小さくて軽い肉体的な弱者が、大きくて重い強者を倒すために生み出すものだ。
ただ速く走り、鋭い爪を振り下ろすだけで得物を狩れる虎には技など無用。技を身に付けようという発想自体が生まれない。
「魔王様も同じだ。強すぎて敵がいないから、技を磨く必要がなかった」
「鍛え続けていたつもりでも、知らぬ間に驕っておったか」
猛省して深い溜息を吐く魔王に、真一は苦笑を返す。
「レギーナさんがいたお陰か、あの強さを維持していただけでも十分凄いと思うがな」
「世辞はいい。それよりも、我はどう技を磨けばいい?」
「そうだな……」
魔王に勢いよく迫られながら、真一は顎に手を当てて考え込む。
「技と一口に言っても、視線の誘導によるフェイントとか色々あるが、魔王様には不要だろう」
そういった小手先の技では、赤き竜のような遙か格上には通用しない。
「必要なのはもっとシンプルに『力の集中』だな」
真一はそう言いつつ、掌で机を思い切り叩く。
バンッと大きな音が鳴り響き、机がガタガタと揺れるものの、それだけで傷一つ付いていない。
「大きな攻撃は派手で強そうに見えるが、実際は力が拡散してダメージは少ない。だが――」
真一は羽ペンを手にとって、叩いた時と同じ力で机に振り下ろす。
すると、ペンの鋭い先は机に深々と突き刺さった。
「この通り、一点に集中すれば同じ力でも大きなダメージを与えられる」
「ふむ……」
魔王は納得しながらも、難しい顔で考え込む。
「『蒼き灼熱の太陽』を一点に集中か……駄目だ、イメージがまとまらん」
「まぁ、力は生み出すよりもコントロールする方が大変だからな」
小型核爆弾級のエネルギーを針の先に集中できたなら、惑星だって貫けるだろうが、それがどれほど困難かは言うまでもない。
「口惜しい、ようやく道が見えたというのに」
また歯噛みする魔王を見て、真一も必死に頭を捻り、そしてふと思いついた。
「そうだ。魔王様、ちょっと俺と感覚を繋げてくれないか?」
「ふむ、構わぬが」
魔王は首を傾げつつ、『
そうして二人の感覚が繋がったのを確認してから、真一は自分の頭に手を当てて呟いた。
「『
記憶の底から探し出すのは、今までに見てきた数多のバトル漫画やアニメ達。
地球では荒唐無稽にすぎなかった必殺技も、魔法が存在するこの世界ならば実現できる。
「これはっ!?」
「どうだ、少しは参考になったかな?」
想像した事もなかった技の数々が、映像や文章で流れ込んできて、驚愕の声を上げる魔王に、真一は頭痛を堪えて得意げな笑みを浮かべる。
しかし、そんな彼の声も耳に入らない様子で、魔王は思索に没頭していた。
「そうか、これで己を……うむ」
魔王は長い時間をかけて情報の吟味を終えると、真一の肩を掴んで『瞬間移動』を唱える。
一瞬の目眩の後、真一達は魔王城の近くにそびえ立つ山の前に現れた。
「おっ、さっそく実験か」
「暫し離れておれ」
魔王はそう言うと、自ら山の方に歩いて真一と距離を取る。
そして、左手を前に出して右手を腰に当てた、空手のような構えを取った。
「空気は邪魔になる」
まずは左手から光を放ち、自分と山の間に真空のトンネルを作り出す。
これで宇宙空間と同じように、空気の壁にエネルギーを奪われず、どこまでも加速できる。
「信じるものは我が肉体」
次に『
攻撃とは詰まるところ、己の強い部分を、相手の弱い部分にぶつける行為だ。
ならば最強の肉体を、最高の魔力によって、最硬の砲弾に変えて叩き込むのが一番強い。
「おい、まさか……」
何をする気か悟り、冷や汗を浮かべる真一の前で、魔王は練り上げた全魔力を開放し、山に体当たりをかます勢いで正拳突きを放った。
「ぬおぉぉぉ――――っ!!」
雄叫びと共に魔王の体が閃光と化し、一拍遅れて爆風が吹き荒れる。
「うわっ!?」
真一が悲鳴を上げて地面を転がり、ようやく顔を上げた時、目の前にそびえ立つ巨大な山には、人型の長大なトンネルが空いていた。
「…………」
驚愕のあまり言葉も出ない真一の前に、山の反対側まで突き抜けていた魔王が瞬間移動で戻ってくる。
その体はあちこちが裂けて血塗れになっていたが、厳つい顔には晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「名付けるならば『
「衝撃的すぎんだろ……」
もう呆れ果てるしかない真一に、魔王は深く頭を下げると、体の怪我も忘れた様子で再び拳を構えた。
「今のままでは技の出が遅く、容易く対処されてしまう。瞬きの間に放てるほど研鑽せねばな!」
「おい止めろ。迷惑にならない所でやってくれ!」
これ以上、魔王城の周辺を穴だらけにされては堪らないと、真一は慌てて魔王の腕を掴み止める。
思った以上に消耗していたのか、魔王の巨体はそれだけで蹌踉けてしまった。
「むっ、残念だが仕方あるまい」
万全の状態でなければ正しい技が身につかないと、魔王は構えを解きながらも、好奇心に満ちた顔で尋ねてくる。
「ところでシンイチよ、先程の情報にあった反物質パンチとは――」
「この星ごとリノちゃんまで消滅させるつもりか?」
目を輝かせる魔王に最後まで言わせず、真一は真顔で釘を刺す。
確かにその技ならば、たとえ敵が五色の竜――星の代行者であろうとも、その大元たる惑星ごと破壊できるだろうが、後には何も残らない。
「だいたい、俺も反物質の概念は知っているが、具体的な生成方法や制御方法なんぞ知らん」
「そうか。御しきれぬ力など害悪にしかならぬし、仕方あるまい」
魔王は少しだけ残念そうに肩を落としつつも、自らが生み出したトンネルに背を向けて、魔王城へと歩いて行く。
真一もその後を追いながら、額に浮かんでいた冷や汗を拭った。
(俺も気をつけないとな)
先程、反物質の話題を出した瞬間、遙か遠くから何者かの視線を感じたような気がしたのだ。
(五体いる竜の誰かだろうが、本気で反物質の爆弾や魔法を実現させようとしたら、その瞬間に殺されかねない)
娘に甘い赤き竜や、人間を劇の役者として愛している青き竜であろうとも、星の破壊という一線を越えようとしたら、真一であろうとも命はあるまい。
(エレゾニアの真似なんて癪だが、反物質関連の情報だけ『
「どうした、シンイチ?」
深く考え込んでいた真一の表情を誤解したのか、魔王は力強く己の胸を叩いてみせる。
「安心せよ。必ずや先程の技を完成させて、たとえエレゾニア以上の敵が現れようとも、我が拳で粉砕してみせよう!」
「期待してるよ」
自信満々の笑みを浮かべる魔王に、真一は微笑を返しつつも、また仕事が増えた事に胸の内で溜息を吐くのだった。
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