第7話 もう一つの追憶・07
真っ暗な無の世界で眠り続けていたフェイの意識がふと目覚めて、知らない映像と音が流れ込んでくる。
(これは誰かの記憶?)
共に冬眠した六百人の誰かだろう。生憎と名前は思い出せないが、若い男性が人工冬眠装置に向かって悪態を吐くのが聞こえてくる。
「くそっ、あんな女が設計した物など信用できるか!」
彼は装置の開発者であるエレンの才能を妬んでいたのだろう。
流れ込んでくるどす黒い感情に、フェイは必死で抗った。
「こんな物が数千年も後に動くはずがない。何かもっと完璧な方法が……そうだ、肉体を冷凍保存しながらも、意識だけを不死の魔力エネルギー体に変えればいい!」
男が嬉々として作り始めた装置に、フェイは見覚えがあった。
(これってエレン先輩が研究していた、人工幽霊の作成装置?)
別の実験中に偶然発見された物だが、幽霊の具体的な発生メカニズムを解明できれば、悪霊による被害を減らせるからと研究されていたのだ。
その裏に『自らが神となる』という真の目的が隠されていた事は誰も知らない。
ただ、エレンが研究してフェイが書いたその報告書を、この男はどこかで目にしていたのだろう。
(どっちも先輩が作った物なのに……)
人工冬眠装置を唾棄しながらも、人工幽霊作成装置にはすがりつくなんて、何とも滑稽だった。
とはいえ、流石は六百人の中に選ばれたエリートらしく、男は幽霊となる装置を完成させる。
そして、フェイを含む他の五百九十九人が冬眠に入るなか、一人だけ幽霊となって起き上がった。
「成功だ! あとは粉塵による冬が終わるのを待って、肉体を蘇生すればいい」
幽霊は自ら魔力を生み出せないため、そのままではエネルギーが減り続けて消滅してしまう。
だが、地下シェルターの最下層には巨大な魔導体が設置されており、いくらか魔力も溜め込まれていた。
その中で静かにしていれば、数千年程度は存在し続けられる。
実際、男の幽体が滅びる事はなかった。
誤算だったのは、地上の環境が回復するまでの何百年間、たった一人で存在し続ける苦痛に、精神の方が耐えられなかった事である。
「一人はもう嫌だ……誰か声を聞かせてくれ、俺に触れてくれぇぇぇ―――っ!」
男が悲鳴を上げながら人工冬眠装置を叩いても、中で眠り続ける仲間達が目覚めるのは、まだ千年以上も先であった。
地上の環境は回復しつつあったが、まだ人間の姿はない。
遠く離れた別の大陸では、生物コレクターこと緑の竜に守られて災厄を乗り越えた人類が、少しずつ数を増やし始めていたのだが、彼らが船でこのエウロペ大陸に渡ってくるには、まだ長い年限が必要だった。
消滅を恐れて最下層の魔導体からあまり離れられない男にとって、無限にも等しいその時間は地獄でしかなかった。
そもそも、憎しみのために他の全てを捨てられるような、逸脱した精神力の持ち主でもない限り、人間は何百年もの時間に耐えられないのだろう。
「ア、アァ……」
千年以上の月日が経った頃、男の精神はもはや崩壊して、人の意思など残っていない悪霊と化していた。
悪霊はロウソクの光に群がる羽虫のように、魔力エネルギーの塊――人工冬眠装置の魔導体に近づいていく。そして――
『ヒトツニナロウ?』
感情のない不気味な声が、フェイの意識にこだました。
(ひっ!?)
悲鳴を上げる彼女に向かって、真っ青な霧状の物体が這い寄ってくる。
『一人ハ怖イ、一人ハ寂シイ』
それは孤独のあまり精神崩壊した男の、僅かな残滓だったのだろう。
青い霧の表面に男の顔が浮かび、そして悪霊に取り込まれた何百という人間の顔が浮かび上がる。
それはフェイを取り囲み、一斉に甲高い合唱を上げた。
『『『ダカラ、ヒトツニナロォォォ―――ッ!』』』
(い、嫌ぁぁぁ―――っ!)
自分を呑み込もうと絡みついてくる悪霊の群れに、フェイは必死に抵抗する。そして――
「『火炎球』ッ!」
魔法を唱える声、炸裂する爆発音、漂う焦げ臭い煙。
そんな五感の刺激と共に、フェイは長い眠りから目を覚ました。
「はっ!? ……げほっ、うげぇっ!」
悪霊に呑み込まれる悪夢から解放され、慌てて身を起こした途端、胃がひっくり返ったような激痛が走って咳き込んでしまう。
人工冬眠から解凍・蘇生を終えた肉体が、まだ完全ではないのだ。
だが、ゆっくり休んでいる暇はなかった。
「逃げろ、早く!」
誰か若い青年の大声が響いてきて、フェイは痛みに涙を浮かべながら周囲を見回す。
そして、今にも自分を呑み込もうと迫る、何百もの青白い顔と腕の塊――
『『『オアアアァァァ―――ッ!』』』
「きゃあぁぁぁ―――っ!」
「くっ、『火炎球』ッ!」
フェイに迫るレギオンの手を、再び放たれた火炎球が吹き飛ばす。
「早くこっちに来るんだ!」
魔法を唱えた青年が駆け寄ってきて、フェイを人工冬眠装置から引っ張り出した。
「は、はい!」
フェイは状況が分からず混乱しながらも、今はとにかくレギオンから逃れるため、青年に手を引かれるまま走り出す。
「こっちだ、急げ!」
広いフロアの出入り口で待っていてくれた、他の生き残りらしき八人と合流し、蘇生したばかりの肉体に鞭を打って、必死に階段を駆け上る。
そうして何とか、木漏れ日が降りそそぐ地上に出る事ができた。
「はぁ、はぁ……」
「あの化け物は?」
「追ってこないみたいだが、入り口は塞いでおこう」
フェイが荒い息を吐く横で、比較的元気な者達が地下シェルターの出入り口を魔法で厳重に塞ぐ。
「あれはいったい何だったんだ?」
「悪霊の群れ、だろうか……」
真っ青な顔で話し合う他の九人は、フェイと違って悪霊となった男の意識には触れなかったらしい。
その事を話すべきか迷っているうちに、彼らは別の話題に移ってしまった。
「ともあれ、人工冬眠は成功したみたいだな」
「私達以外はあの悪霊に食われてしまったようだけどね」
たった十人しか生き残れなかった事を悔やみながらも、周囲の青々とした樹海を見回して安堵の息を吐く。
「俺達以外の生き残りがいるかは分からないが、生物の住める環境には戻ったらしい」
「まずは一休みしよう。体中がだるくて仕方がない」
丁度その時、フェイの腹がグーと可愛らしい音を立てて、他の九人は揃って笑い声を上げた。
「す、すみません!」
「はははっ、構わないさ。まずは何か食べてゆっくり休もう」
彼女を助け出してくれた青年――後に夫となる男・マルセルはそう言って笑い、獲物を探しに樹海へと分け入っていった。
幸い、魔物のような危険生物もおらず、全員が優れた魔法使いであったため、野生動物を捕まえるのも、丸太で小屋を建てるのもすぐに終わった。
そうして、一日休んで心と体を回復してから、彼らは今後の方針を話し合う。
「まずは森を切り開いて生活環境を整えよう」
「生き残りを探すにしても、俺達が死んだら無意味だからな」
「それで、シェルターの悪霊はどうするの?」
話題がレギオンの事に移った途端、全員が暗い表情でうつむいた。
「できれば滅ぼしたいが、俺達だけでは無理だろう」
「あれは私達以外の全員、五百九十人分もの魔力を喰らった化け物だもの。残念ながら勝ち目はないわ」
こうして逃げられただけでも幸運であり、再び地下に戻って戦うなど、どう考えても無謀であった。
「悔しいな。あれは皆の仇だってのに……」
「それと、シェルターに残した諸々を回収できないのも痛い」
特に地下四階の書庫には、古代文明となってしまったアンテクム帝国の資料が沢山保存されている。
数千年前の歴史を繋ぐ者として、何としても回収したかった。
「だが、勝てない敵に挑むなんて無謀でしかない。今は閉じ込めておくしかないだろう」
「そうね、悪霊ならいずれ魔力が尽きて消滅するだろうし」
他の九人は揃って頷くが、フェイだけは首を傾げていた。
(最下層の魔導体に取り憑いていたから、放置しているだけじゃそう簡単に弱らないんじゃ……)
ただ、その意見を口にすれば、何でそんな事が分かるのだと問い詰められ、下手をすれば有らぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。
臆病風に吹かれて口を閉ざすフェイを余所に、九人は話をまとめる。
「生活基盤を整えながら、悪霊が這い出てこないように監視を続ける。それでいいか?」
「賛成。では早速始めましょう」
「は、はい」
フェイも慌てて立ち上がり、一番年長の中年男性――後の村長を中心として動き出す。
やはり魔法の力は偉大で、たった一週間で衣食住を安定させると、村長を含めた三人が森の外を探りに向かった。
ただ、二週間ほどして帰ってきた彼らの顔には、深い落胆が浮かんでいた。
「まずは朗報からだ。人類は滅んでいなかった」
「ほ、本当ですかっ!? 良かった……」
フェイは大喜びで胸を撫で下ろすが、村長達の暗い表情に気づいて声を落とす。
「あ、あの、何か問題があったんですか?」
「人類はいた。だが、我々がいた次代の技術は全て失われ、中世に逆戻りしていた」
「そして、俺達のような『長耳』の優れた魔法使いは一人も残っていなかった」
「そんな……」
村長達の報告を聞いて、他の皆が絶望の表情を浮かべるのを、フェイは不思議に思って首を傾げる。
「い、生きてる人達がいたなら、それだけでも十分では?」
人類が絶滅してもおかしくない大災厄だったのだ。文明が失われ、帝国の名を覚えている者達が消えても、生きているだけで万々歳だろう。
だが、そう無邪気に喜ぶフェイを、他の者達は鋭く睨んでくる。
「歴史ある帝国貴族の血が途絶えてしまったのよ。いいわけないでしょ!」
「魔法使いも少しはいたが、我々から見れば無能者と変わらん未熟者ばかり。これを嘆かずにいられるか」
「あそこまで知能も魔力も低下しては、もう俺達とは別の劣等種だ」
今の人類を蔑む仲間達の姿に、フェイは言葉を失ってしまう。
(みんな貴族出身のエリートだから、元から普通の人達を見下してたんだ……)
自分を助けてくれたマルセルに視線を向けるが、あしざまに罵倒する事こそないものの、彼も渋い表情を浮かべていた。
帝国貴族としてはそれが普通の感性であり、名家のお嬢様でありながら無能者の冒険少女に憧れていた、フェイの方が異常なのだろう。
「私達と奴らは別の種族……それこそ『
「そうだな。冬眠する前から思っていたが、俺達はただの人間なんて超越した優良種族なんだ。これからはいっそエルフを名乗ろうぜ」
「いいわね。私達は偉大なる帝国の血を今に引き継ぐエルフ族!」
ワイワイと盛り上がり増長する仲間達を、間違っていると叱りつけるべきだったのだろう。
しかし、フェイにはやはりその力も勇気もなかった。
(こんな時、先輩がいてくれたら)
そのエレンが数日後に冬眠から目覚め、女神エレゾニアとなってエウロペ大陸を支配していく事を、彼女が知る由もない。
(せめて局長がいてくれたら、皆を止めてくれたのに……)
魔導科学局の局長は衝突の寸前まで己の職務を全うすると、妻と共に魔族の息子を追って、黒き竜が生み出した巨大な穴の中に消えてしまった。
その子孫が今も黒エルフとして地下世界――魔界で生き残っている事も、やはり知る由はない。
他にも家族の消息などを考えるフェイを余所に、村長は勢いよく宣言する。
「では、我らはこれからエルフ族として、偉大なる帝国の血を後世に残すと共に、あの忌まわしき悪霊をいつか滅ぼすため、力を合わせて邁進していこう!」
「「「おぉーっ!」」」
「お、おぉ……」
拳を突き上げる皆に睨まれないよう、フェイも弱々しくそれに応じた。
そこから先の記憶は瞬く間に過ぎ去った。
森を切り開いて畑を作り、農作業をゴーレムに一任して生活が安定してしまうと、あとは同じ日常の繰り返しでしかない。
記憶に残る大きな出来事といえば、帝国貴族の血を絶やすわけにはいかないと、他の者達に急かされた事もあり、マルセルと結婚して四人の子を成した事くらいであろう。
そうして、子供達が成長して孫を生み、第三世代が揃ってきた頃になってようやく、エルフ達は己の欠陥に気がついた。
ただの偶然では片付けられないほどに、男子が生まれ難いと。
「このままでは帝国の正当後継者たる、我らエルフの血が絶えてしまう!」
「やっぱり、遺伝子まで『形状変化』で弄ったのがマズかったの?」
「しっ、それを口にするな、子供達に聞かれたらどうする」
「そうよ、子供達は生まれながらに高貴なエルフだと信じ込んでいる。それが魔法で体を弄っただけで、しかも欠陥があったなんて知られたら、私達を憎んで何をするか分からないわっ!?」
揃って五十歳を越えた最初の十人――始祖が村長の屋敷に集まって、淀んだ表情で村の行く末を話し合う。
フェイはその密談に加わる事もなく、黙って見守っていた。
(罰が当たったのかな……)
生命さえ自由に操れると慢心した魔法使い達に、神が天罰を下したのか。
信仰心などないくせに、そんな考えが浮かんでしまう。
「とにかく、この事は子供達には教えられない。我々が墓場まで持っていくんだ」
「墓場といえばあのシェルターも、暴かれないようにしないといけないわ」
「そうだな、書庫の資料から真実に勘づくかもしれない」
「幸い、悪霊を閉じ込めておくという大義名分はあるんだ。誰も入り込まないように徹底させればいい」
保身のために真実を隠匿しようとする仲間達を、フェイは責める事ができない。
彼女とて自分の子供や孫達に恨まれるのは怖かったのだ。
(結局、自分は最後まで強くなれなかった)
さらに十数年が経ち、寿命が尽きる目前に至りながらも、フェイは己の臆病さを嘆く。
だから、せめてもの罪滅ぼしとして、自分の記憶の中から印象的な出来事を、一つの魔導体に刻み込んだ。
(これを見る事で知って欲しい)
エルフの真実と、情けない自分の生涯を反面教師として、何が大切なのかを。
(自分にはできなかったけれど、どうか貴方は勇気を持って、未知の世界に飛び出して欲しい)
そんな切なる願いと共に、魔導体に刻まれた記憶は終了した。
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