第6話 もう一つの追憶・06
フェイがエレンの助手になってから二ヶ月後。
「エ、エレン先輩、こちらの書類をお願い致します」
本人の確認やサインが必要な書類をまとめて、フェイが差し出す。
エレンは無言でそれを受け取ると、素早く目を通していったのだが、不意に椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「せ、先輩?」
「あの無能がっ!」
驚くフェイを余所に、エレンは激しく悪態を吐くと、いくつかの書類を掴んで研究室から飛び出していった。
「きゅ、急にどうしたんだろう?」
いつも不機嫌そうな顔をしているものの、怒鳴ったりはしないエレンがあれほど激昂するなんて、いったい何があったのか。
フェイは暫く迷ったものの、結局は気になってエレンの後を追う。
そして、局長室で激しく言い争っている彼女を見つけた。
「あいつらは人間なんかじゃありません! 魔力に魅入られ、人間である事を捨てた別の種族、『魔族』なんです!」
「確かに、そう主張している者達もいるが――」
「あいつら魔族を根絶やしにして、魔族を生み出す竜も滅ぼす。それだけが人類を救う道なのです!」
「それはあまりに極論だ!」
大声で怒鳴り散らすエレンに、局長もムキになって言い返している。
(ど、どうしようっ!?)
エレンは帝国一の魔法使いであり、局長も上から数えた方が早い実力者だ。
この二人が口ではなく手を出し始めたら、魔導科学局が吹き飛んでしまう。
フェイは誰か止めてくれないかと周囲を見回すが、危険を察知した他の局員達はとっくに逃げ去った後であった。
(自分が止めるしかないっ!)
母親にすら逆らえない臆病な彼女が、震えながらも一歩を踏み出せたのは、それが自分の事ではなく、敬愛する先輩のためだったからだろう。
「エ、エレン先輩、ちょっといいですか?」
「……何?」
突然、局長室に響いたフェイの声に、エレンはピタリと怒鳴るのを止めて、普段の五倍は不機嫌そうな顔で振り返ってくる。
肌が震えるような魔力を浴びせられ、フェイは漏らしそうなほど怯えながらも、何とか口を開いた。
「あ、新しい面心立方格子構造の魔導体について報告書を書きたいので、情報を頂きたいのですが……」
「そんな事?」
下らない用件で邪魔をするなと、エレンは激しく舌打ちしながらも、フェイの元に歩み寄って魔法を唱える。
「『記憶注入』」
「あ、ありがとうございます!」
フェイは研究成果の記憶を貰うと、頑張って満面の笑みを浮かべた。
「はぁ……」
もう口喧嘩を再開するような空気ではなくなってしまい、エレンは大きな溜息を吐く。
それから、後ろで密かに胸を撫で下ろしていた局長を睨みつけた。
「未来エネルギーのためとでも偽って、核融合の研究予算と実験場を確保してください。でなければ今までの研究成果ごと他国に亡命します」
「なっ!?」
絶句する局長の顔を見て少しは溜飲が下がったのか、エレンは不機嫌顔を三倍くらいにまで薄めながら、床を踏み鳴らして去っていった。
「あ、あのー……」
「助かったよ、フェイ君」
恐る恐る声をかけてくるフェイに、局長は深く感謝しながら椅子に座り直した。
「エレン君が魔力波被害者と竜を滅ぼすために、核融合爆弾の研究をさせろなどと言い出しね、本当に参ったよ」
「お、お疲れ様です」
疲れ果てて肩を落とす局長を慰めてから、フェイは先程から気になっていた疑問を口にした。
「せ、先輩は何であんなに魔族の事が嫌いなんですか?」
「さぁ、私にもさっぱりだよ」
局長は「魔族ではなく魔力波被害者と呼びなさい」と注意する気力も残っておらず、ただ首を横に振る。
富にも権力にも執着せず、ひたすら魔導科学の研究に没頭する天才エレン・キューネル博士。
彼女がたった一つだけ固執するのが『魔族と竜の殲滅』だが、その原因を知る者は誰もいなかった。
「ご、ご家族が魔族の被害に遭った、とかでしょうか?」
「かもしれんな」
フェイの推測に、局長は苦い顔で頷く。
エレンには両親がおらず、孤児院の出身という話は有名であった。
だからこそ余計に、高貴な貴族出身のエリート達から煙たがられている。
「く、苦労してきたんですね……」
悲しい過去を勝手に想像して悲しんでから、フェイはおずおずと口を開く。
「あ、あと一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何かね」
「きょ、局長はどうして、あんなに魔族を庇うのですか?」
「――っ!?」
何気ない質問で、局長の顔が驚愕に歪む。
エレンのように核融合爆弾で魔族を滅ぼせなんて意見は、流石に極端な差別主義者しか表だっては口にしない。
だが、大勢の一般的な市民も、心の底では似た思いを抱えていた。
獣を越える身体能力と、魔法の力を併せ持った魔族によって、年間何千人もの死傷者が出ている。
善良で無力な一般市民からすれば、魔族など魔物と変わらない危険生物であり、治安維持のために軍隊が滅ぼしてくれないかと、本心では願っているのだ。
そんな魔族を庇う者など、被害に遭った事のない善人気取りくらいだろう。
「…………」
「す、すみません、余計な事を言いました」
押し黙ってしまった局長を見て、フェイは慌てて駆け去ろうとする。
だが、局長は苦い表情を浮かべて彼女を呼び止めた。
「構わないよ、知っている者は知っているからね」
そう前置きした上で、先程の問いに答える。
「私の息子がね、自ら魔族になったんだ」
「えっ……」
予想もしなかった答えに、今度はフェイが言葉を失ってしまう。
「三十年前の世界大戦でゴタゴタしていた事もあって、私は結婚が遅くてね。子供を授かったのは四十歳も過ぎた頃だった」
妻は歳が離れた若い子で、同期には随分からかわれたと、局長は照れ臭そうに頬を掻く。
「念願の子供とあって、私も妻も甘やかしすぎなくらい大切に育てた。ただ、息子は魔力が乏しかったんだ」
「それは……」
自分も少しだけ似た境遇なために、フェイはその後に起こった事を察してしまった。
魔力のない無能者同士から、エレンのような稀代の天才が生まれるのとは逆に、魔法使い同士の子供が魔力を持たない事も稀に起きる。
「いっそ、全く魔力がなければ楽だったのかもしれない」
局長の息子は両親には遙かに及ばないが、微弱な魔力は持っていた。
そのせいで無能者達からは「高慢な魔法使いめ」と憎まれ、同じ魔法使い達からは「鷹から生まれたスズメ」と馬鹿にされた。
どこにも居場所がない孤独。偉大な両親を持った重圧と劣等感。
当の局長夫婦はそんな事など気にせず、深い愛情を注いでくれた事さえも、息子にとっては屈辱でしかなかったのかもしれない。
そうして追い詰められた彼は、強い力を手に入れるために人間の体を捨てた。
「反政府組織のような犯罪行為を働いていないのが救いかな」
局長は冗談めかして苦笑するが、フェイは笑い返せなかった。
「その事、エレン先輩は……」
「知らんだろう。彼女は他人に全く興味がない様子だからね」
「そ、そうですね」
フェイは少し残念そうに頷く。もう二ヶ月も助手をしているのに、エレンからプライベートな話をされた事が一度もなかったからだ。
「それに、息子が魔族だと知られてこれ以上嫌われたら、私の胃に穴が空いてしまう。悪いがエレン君には黙っていてくれるかね?」
「は、はい」
局長のお願いにフェイは深く頷き返す。
もしも、エレンがこの件を知ったなら、自ら魔族となった息子の方は激しく嫌悪しても、子供を庇い続けた局長夫婦には苦い羨望を抱くだけで、憎む事はなかっただろう。
もちろん、フェイ達がそれを知る由はなかった。
◇
翌日の朝、フェイは一人で研究室の机に向かいながら、まだ姿を見せないエレンの事を考えていた。
(先輩がいつも不機嫌そうなのは、やっぱり魔族のせいなのかな?)
だとしたら、それを何とか解決してあげたいと思う。
(けど、いくら怖い魔族だからって、皆殺しになんてできないし……)
ならばどうするべきか。いくら考えても名案が浮かんでくれない。
(自分ごときが先輩に何かをしてあげようなんて、思い上がりなのかな……)
そう諦めそうになりながら、お守りとして置いてある愛読書『ジーナと空の島』を手に取ったまさにその時。
「サボってないで仕事をしなさい」
いつの間にか研究室に来ていた、エレンの冷たい声が響いてきた。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
フェイは驚いて思わず立ち上がり、間抜けにも机の縁に腰を強打してしまう。
「痛っ!」
悲鳴を上げるフェイの手から、『ジーナと空の島』が飛び離れて床に落ちる。
そして、本の間に挟まれていた一枚の写真が、エレンの足下に滑っていった。
「何?」
「せ、先輩、それはっ!?」
慌てて止めようとするフェイの声も虚しく、エレンは足下の写真を拾い上げる。
そこに映っていたのは、まだ耳が短かった中等部時代のフェイだった。
「貴方の写真?」
ナルシストには到底見えないフェイが、どうして自分の写真を持ち歩いていたのか。
全く見当がつかず、珍しく困惑した顔をするエレンの前で、フェイは恥ずかしさに縮こまった。
「す、すみません。自分でも女々しいって分かっているんですけど……」
「何が?」
「な、『長耳』にされる前の写真を、いつまでも持ち歩いている事です」
「される?」
エレンは短い言葉で説明を促す。
期待しては裏切られる事に飽きて、他人に関心を示さなくなった彼女が、人の事情を尋ねるなど何年ぶりの事だろうか。
しかし、動揺していたフェイはそれに気づかず、ただ促されるままに答えた。
「じ、自分は『長耳』に『形状変化』をするのが怖くて嫌だったんです。まるで今までの自分が消えてしまうようで……」
両親や兄姉など、身近な人達がエルフ・スタイルになる事で、より無能者を見下すようになったのを見てきたから、自分も変わってしまいそうで恐ろしかったのが一つ。
そして何より、自分が人間ではなくなる――憧れた冒険少女・ジーナとかけ離れてしまうようで嫌だったのだ。
「け、けど、母親の命令に逆らえなくて……」
フェイは当時の悔しさと情けなさを思い出して、つい涙ぐんでしまう。
「だ、だから、せめて変わってしまう前の写真を、手元に残しておきたくて……」
いつかエルフ・スタイルなんて馬鹿げた流行が終わったら、元の自分に戻れるかもしれない。
そんな一縷の望みと母親への小さな反抗心から、『
「な、情けなくて本当にすみません……」
フェイは羞恥で真っ赤になった顔を見られたくなくて、深々と頭を下げた。
だからその時、エレンがどんな顔をしていたのかを知らない。
「子供は親を選べない、か」
「えっ!?」
どこか感傷的な声に、フェイは驚いて顔を上げる。
だが、エレンの顔はもう普段通りの不機嫌な表情に戻っており、手に持った写真をぶっきらぼうに返してきた。
「早く仕事にかかりなさい」
「は、はい!」
再びエレンに急かされて、フェイは急いで落とした本を拾って自分の机に戻る。
そして書類を片付けながら、頭の片隅でエレンの事を考えていた。
(さっきの言葉はどういう意味なんだろう?)
エレンは両親がいない孤児のはずだが、それにしては妙に実感がこもっていた。
(亡くなったご両親と確執があったとか?)
魔族を憎む事も含めて、彼女の生い立ちを聞いてみたい。
だが、無神経に踏み込んで嫌われてしまい、エレンの側に居られなくなるのが怖かった。
(やっぱり、自分は臆病者だ……)
エレンの苦しみを取り除いて笑顔が見たいのに、一歩を踏み出す勇気が持てない。
フェイは深い自己嫌悪に陥りながら、黙々と仕事をこなしていった。
もしも、彼女がここで勇気を出していたら、この後の歴史は大きく変わっていたのかもしれない。
そうでなくとも、あと十年も時を共にして、少しずつエレンの心を解きほぐしていれば、後の世に女神エレゾニアは誕生しなかっただろう。
だが運命は残酷であり、この二週間後には星を砕くほど巨大な小惑星の接近が、世界中に知れ渡るのだった。
◇
小惑星の衝突を前に、地下シェルターの建造に翻弄する記憶が流れるなか、リノは辛そうに顔を歪めた。
「フェイさんはあんなにエレンお姉さんの事を慕っていたのに、どうして……」
真一達を探るためにレプリカントとして利用し、用が済んだら惨たらしく殺したのか。
エレゾニアの気持ちが全く理解できず悲しむリノに、真一は静かに答える。
「警戒されずに接近できるような性格の人物を、フェイしか知らなかったのが理由の一つだろう。エレンは友人がいなかったようだからな」
「それでも、自分を慕ってくれた人を利用するなんてあんまりなのです」
エレゾニア本人が『紛い物の人形』と断じていたように、彼女の助手だった本物のフェイを殺したわけではない。
だが、まともな神経の持ち主ならば、親しい人物の記憶を流用した複製を生み出し、利用した上で殺す真似などしないだろう。つまり――
「エレンお姉さんはフェイさんの事を、何とも思っていなかったんですか?」
あんなに好いて尽くしてくれた相手に、友情の一欠片すら抱いていなかったのか。
それこそが悲しくて、目尻に涙を浮かべるリノの前で、真一は僅かに考え込む。
(まぁ、あの外道女神にはそっちの方が似合っている気もするが、馬鹿正直に言う必要はないな)
幸いエレゾニア本人はもうこの世にいないのだ。
死人に口なしとも言うし、真一は無粋を呑み込んで、優しい可能性を告げる。
「いや、友情や愛情とまではいかなくても、エレンはフェイに情を抱いていたんだろう。そうでなければ、わざわざ人工冬眠装置の設計図なんて残したりはしない」
彼らの脳内に流れる記憶の中ではまさに今、エレンから託された設計図を元に、フェイが必死に装置の組み立てを行っていた。
「懐いてくる子犬に気まぐれでエサをやった。その程度だったのかもしれないが」
「けど、情があったなら余計に何であんな酷い事をしたんですか?」
「情があったからこそ、だろうな」
「えっ?」
意味が分からず首を傾げるリノに、真一は苦笑を浮かべながら告げる。
「あいつが真の女神となるためには、人間らしい部分が邪魔だった」
実際、エレゾニアは最終的に、エレンとして生きてきた記憶すら全て消し去った。
「フェイに情を感じていたからこそ、非情な女神エレゾニアには邪魔で、俺達を陥れるついでに捨てた。そういう事だろうさ」
「……なるほどです」
リノは喜びと悲しみの交じった複雑な顔で頷いた。
「分かっていた事だけど、エレンさんって……」
「面倒臭い女ですね」
アリアンが濁した言葉を、セレスがズバリと言い切る。
それには真一も深く同意した。
「本当にな。どうして俺に――いや何でもない」
「俺に関わる女は面倒臭い奴ばかりなんだ、と思いましたね?」
「だから人の心を読まないでくれるっ!?」
とっさに黙った内心を暴露されて、真一は悲鳴交じりに訴える。
「うぅ、そりゃあ僕は面倒臭い女だけど……」
「いや、そういう所も可愛いと思っているからな?」
思い当たる節がありすぎて落ち込むアリアンを、真一は必死に慰める。
そんな彼の肩を、クラリッサが偉そうな顔で叩いた。
「やれやれ、厄介な女に囲まれてあんたも災難ね」
一番厄介で面倒臭い変態が言うな――とリノ以外の全員が心の中でツッコミを入れたが、それこそ面倒なので口に出す事はなかった。
「それより、フェイ様達が人工冬眠に入るみたいだよ」
「何千年も眠れる機械だなんて、流石は始祖様達だ」
ロージアとマレンの指摘を受けて、真一達も流れる記憶に意識を向ける。
巨大小惑星の衝突を地下シェルターで乗り切った魔法使いの面々は、持ち込んだ食料が続く限り改良を重ね、ついに六百台の人工冬眠装置を完成させた。
そうして、粉塵による長い冬が明けて星の環境が回復するまで、数千年もの眠りにつく。
だが、長い眠りから目を覚ました者が、たった十人しかいなかった事を、真一達は既に知っていた。
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