第5話 もう一つの追憶・05

 探検家の夢は諦めたフェイだが、腐って無気力になるような事はなく、勉学に励み大学を卒業すると、魔導科学局に入局した。

 国内のトップエリートが集う魔導科学局は狭き門であり、魔力が中の上でしかない彼女には厳しい道だったが、真面目で学業の成績が良かったため、科学方面の活躍を期待されて抜擢されたのである。

 ただ、そこまで頑張って入局した理由は、『魔導科学の発展』やら『帝国への貢献』なんて殊勝なものではなかった。


(こ、これで政略結婚から逃れられる)


 ――より優れた魔法使いの子孫を残す事こそが、帝国貴族の女が果たすべき義務なのです。


 そう言って憚らない母親に、望まぬ結婚を押しつけられそうだったフェイだが、トップエリートである魔導科学局の局員ともなれば、すぐに寿退職しろとは言われない。

 そんな母親への小さな反抗心から入局したとはいえ、根が真面目なフェイは一生懸命に魔導科学の研究に努めた。

 そんなある日の昼休み、フェイは食堂でお喋り好きの同僚に絡まれていた。


「ねぇ、フェイも私みたいなパッチリ目に『形状変化シェイプ・チェンジ』しなって。そうしたらもっとモテるよ?」

「べ、別にモテたいとは……」

「あとそのダサい眼鏡も捨てな。自分の視力も治せない奴だって舐められるよ?」

「し、神経系を弄るのは怖いし……」

「耳だってもっと長くして、肌も真っ白に――っ!?」


 立て板に水のごとく喋っていた同僚が、不意に顔を強張らせて黙り込む。

 周囲の者達も同じような表情を浮かべており、フェイは不審に思いながら彼女達の視線の先を追う。

 そこに立っていたのは、目つきの鋭い黒髪の女性だった。

 容姿を全く弄っていないのだろう。耳は短く、美形ばかりの局員達と比べると、顔や体型も劣っている。

 だが、彼女を『短耳』と嘲る者は一人もいない。

 エリートである局員達ですら震えを覚えるほど、凄まじい魔力を放っていたからだ。


「博士、今日は一段と不機嫌そうね」


 しかめ面で料理を注文する女性を横目で窺いながら、同僚が小声で呟く。

 それを聞いて、フェイはようやく彼女が誰か理解した。


「あ、あれがキューネル博士」


 いつも研究室に一人でこもっているため、直に姿を見たのは始めてだが、彼女の噂はよく耳にしていた。むしろ魔導科学局で彼女を知らない者はいない。

 エレン・キューネル。アンテクム帝国において最強の魔法使いであり、最高の科学者であり、至高の魔導科学者。

 空軍の空戦魔法師十二人を五分で撃墜したとか、A級魔法使いが二十人は必要な『核分裂爆発ニュークリア・ブラスト』を単独で成功させたとか、数々の伝説を持つ若き天才である。

 そして、気難しい変人としても有名であった。


「何で『長耳』にしないのかしらね?」


 不機嫌顔でカレーパスタをすするエレンを見ながら、同僚が迷惑そうに呟く。

 帝国で最強の魔法使いである彼女が、無能者と同じ『短耳』のままでいるせいで、自分達の価値観を否定されたような気分になっているのだ。

 周りの迷惑を考えろと、自分勝手な事を呟く同僚に、フェイは愛想笑いを返しながらも、胸の奥では感動に打ち震えていた。


(凄い……)


 周囲の陰口などそよ風ほどにも気にせず、食事を終えて立ち去るエレン。

 その白衣をまとった背中が、フェイの憧れた勇敢な冒険少女と重なった。


(本当に強い人なんだ)


 自分は持つ事ができなかった、他者に左右されず己を貫き通す、自由で強靱な精神。

 そんなエレンの輝きに目が眩み、まるで恋する乙女のように憧れてしまったために、彼女は生涯気がつかなかった。

『心の強さ』と『人格の善さ』は別物である。『個人の自由』と『大多数の正義』は両立しない。

 一人で自由に生きられるほど強すぎたために、エレンが道を違えていると、フェイは思いもよらなかったのだ。




 食堂で見かけた日から数週間後、フェイは魔導科学局のトップである長官の元に呼び出され、直々に命令を下された。


「急な話で申し訳ないが、今日からエレン・キューネル博士の手伝いに回ってくれたまえ」

「え、えぇぇぇ―――っ!?」


 寝耳に水で、フェイは上司の前という事も忘れて叫んでしまう。


「な、何故ですか?」

「エレン君の研究室で欠員が出てしまってね、補充人員が必要なのだよ」


 長官はそう告げながら、頭痛を堪えるように顔をしかめた。

 エレンは天才であり、魔導科学の研究そのものは一人で行っている。

 ただ、自分の時間を全て研究に注ぎ込むために、報告書の作成や資材の取り寄せなど、様々な雑務を処理する助手を使っていた。

 問題はエリートとして入局したプライドの高い局員達が、つまらない小間使いに耐えられず、すぐに辞めてしまう事だった。


「君は貴族の出身とは思えない、とても謙虚な人柄だと小耳に挟んでね、適任だと思ったのだよ」

「は、はぁ……」


 それは褒め言葉なのだろうかと疑問に思いつつも、フェイは大人しく頷いた。

 長官の命令に背いて魔導科学局を追い出されたら、せっかく流れた政略結婚の話が再燃してしまう。

 そして何より、他者にとっては地獄のようなエレンの助手も、彼女にとっては天国だったからだ。


「キュ、キューネル博士と一緒に働けるなんて!」


 強く気高い憧れの女性と共にいられる。そう思うと心が弾み、廊下を歩くフェイの足は自然とスキップをしてしまう。

 そうして、一度元の研究室に戻ると、筆記用具や愛読書などの荷物をまとめ、事情を聞いた同僚達から慰めの言葉を贈られつつ、エレンの元に向かった。


「し、失礼します」


 緊張しながら扉を開けて、エレンの研究室に足を踏み入れる。

 意外にも部屋の中は他の所と大差なく、大きな机がいつくも並び、無数の魔導体や電気ケーブル、電子回路などが散乱していた。

 ただ、肝心なエレンの姿が見当たらない。


「あ、あのキューネル博士?」

「退いて」


 戸惑うフェイの背後から、急にエレンの声が響いてくる。


「ひゃ、ひゃい!?」

「…………」


 奇声を上げて飛び退く彼女には目もくれず、エレンは機材の山に向かって座り込む。

 その不機嫌そうな背中に、フェイは恐る恐る声をかけた。


「あ、あの、今日からお世話になるフェイという者ですが……」

「書類、片付けといて」


 エレンは振り返りもせずにそう告げて、パーテーションで区切られた部屋の奥を指さす。

 これ以上の無駄口は叩くな、という無言の圧力に負けて、フェイは仕方なくそちらに向かった。


「う、うわぁ……」


 パーテーションの奥は床が見えないほど、未整理の書類で埋まっていた。


「は、博士って、お掃除ができない人なのかな?」


 思わず呟いてから、フェイは慌てて口を手で塞ぐ。

 幸い、エレンは研究に没頭しており、こちらの声など聞こえていなかったらしい。


「と、とにかく頑張ろう!」


 憧れの人の手助けができる。それだけでも十分だと気合いを入れて、フェイは床に散らばった書類を拾い始めた。


「の、納品書は一つにまとめて、予算の申請書と一緒に――」


 そうして、溜まりに溜まった書類を片付けて一息吐いていると、研究を終えたエレンが現れた。


「お、お帰りですか?」

「えぇ」

「お、お疲れ様です」


 白衣を脱いでコートに着替えるエレンに、フェイは勢いよく頭を下げる。

 それから、遠慮がちに問いかけた。


「と、ところで、研究の報告書はどうしましょうか?」


 ここが帝国のために魔導科学を研究する場所である以上、たとえ天才であろうとも成果を書類にまとめて提出する義務がある。

 しかし、エレンの研究成果も、そもそも何の研究をしているのかもまだ知らされていないフェイでは、報告書の書きようがない。


「や、やっぱり、キューネル博士に書いて頂かないと……」


 フェイが怖ず怖ずとそう申し出ると、エレンは面倒臭さそうに溜息を吐いてから、彼女の前に歩み寄ってきた。

 そして、フェイの額に掌をかざして魔法を唱える。


「『記憶注入インストール』」


 瞬間、フェイの知らない実験の記憶が、雪崩のごとく頭の中に流れこんできた。


「えっ、えぇっ!?」


 まるで自分が実際に実験を行ったような、生々しく濃密な情報の渦に、フェイは船酔いのような頭痛を覚えて座り込んでしまう。

 エレンはそんな彼女を見下ろして、こともなげに告げた。


「これで書けるでしょう」


 確かに、これなら本人でなくとも詳しい報告書を書き上げられるだろう。

 だが、自分の研究成果を他人の脳内に直接流し込むなんて――


「す、凄いです! 強いだけじゃなく無欲で献身的だなんて、尊敬しちゃいますっ!」

「……はぁ?」


 感動して目を輝かせるフェイの姿に、流石のエレンも呆気に取られて間抜けな声を漏らした。


「貴方、何を言ってるの?」

「だ、だって、こんな凄い研究成果を惜しげもなく人に与えるなんて、普通の人にはできませんよ!」


 嫌そうに顔をしかめるエレンとは裏腹に、フェイは興奮して頬を赤らめる。

 上に報告する義務がある以上、研究成果を秘匿する事はできない。

 しかし、詳細な設計図があろうとも、誰もが自動車を組み立てる事はできないように、魔導科学の実験で得られた貴重な技術や経験は、他人に渡せないし渡さない。

 そんなプライドと欲が突っ張った他の局員達と違って、エレンは自らの記憶を惜しげもなく差し出したのだ。


「す、素敵です。まるで無欲な聖女様か、人々に知恵を授ける女神様のようですっ!」

「…………」


 興奮して大はしゃぎするフェイの姿に、エレンは驚きのあまり言葉を失ってしまう。

 今まで研究成果を『記憶注入』されてきた助手達は、人の記憶を弄る行為に嫌悪感を抱くか、才能の差を知って心を折られるかして、すぐに彼女の元を去っていった。

 なのに全く気にせず、むしろ絶賛する者が現れるなど、流石のエレンも想像していなかったのだ。


「……適当な所で切り上げて、貴方も帰りなさい」

「は、はい!」


 キラキラとしたフェイの瞳がむず痒くて、エレンは素早く立ち去ろうとする。

 ただ、一つ言い忘れていた事を思い出して、扉を開けたところで振り返った。


「いちいち博士ってつけなくていいわ。あと、苗字で呼ぶのもやめて。嫌いなのよ」


 記憶を消してもう顔すら思い出せなくなった両親の事が、頭を過ぎって不快だから――とまでは口にしない。


「じゃ、じゃあ……エレン先輩?」

「それでいいわ」


 エレンは素っ気なく答えると、今度こそ研究室から去っていった。

 その背中を、フェイは熱い瞳で見送る。


「強くて無欲で気さくだなんて、本当にジーナみたい……」


 夢見がちな彼女の目が曇っていたのは確かだが、その評価が全て間違いだったわけでもない。

 エレンには富や名声が欲しいといった、普通の世俗的な欲望が存在しなかった。

 あるのは魔族と、それを生み出す竜をこの世から滅ぼしたいという、純粋な憎悪だけ。

 だから、研究成果を惜しげもなく他人に与えるし、自分の邪魔をしない限りは敵意を向ける事もない。

 それは見る角度さえ変えれば、聖女や女神と賞するに相応しい資質であった。


「せ、先輩に喜んで貰えるよう、一生懸命に頑張ろう!」


 フェイは幸か不幸か、エレンが抱えた憎悪には気がつく事もなく、報告書の作成に打ち込むのだった。

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