第4話

 放課後。


いつもより随分と軽い足を私は部室へと進めた。扉を開くと彼女が一人本を読んでいる。もう随分と見慣れた光景だ。挨拶はなく、私を一瞥だけして視線を戻す彼女に苦笑しながらも私は自分の定位置へと着席する。


スマホを弄りながら、何の気なしに私は眼鏡をかけて彼女をちらと見やる。


頭上には"5"の数字。期待していた訳ではないが改めてこの数値の低さに嫌気がさす。


しかし、目に見えるゴールがあるというのは意外にも人を強くするものである。ゴールが見えている距離であれば辛くともなんとか走り切れてしまうものなのだと誰かが言っていた。


そう、だから私は走る。他人にどう思われようと構わない。同性愛がどうした!"ボノボの性行動のおよそ60%は2頭以上のメスの間のものだ"とGoogleで検索した薄っぺらい知識を叩きつけてやる!




"ボノボ"は、ヒト科チンパンジー属に分類される霊長類である。━━Wikipedia参照。




そんな現代っ子特有のネットでちょっと調べただけの知識を盾に、私は立ち上がった。




「ねえ、白河さん。なに読んでるの?」




本に落としていた彼女の冷たげな視線が私へと移る。




「Sepia color」




本のタイトルだけを告げ、再び視線を落とす彼女は私と言葉のキャッチボールをするつもりはないらしい。


だが私はそんなことでは挫けない。彼方へと放り投げられたボールを急いで取りに行って会話を繋ぐ。




「へぇ、私その本読んだことないんだけどどういった話なの?」


「ドロドロのラブストーリー。誰も報われないし、誰も助からない。タイトル通りのイカ墨のような作品ね」




……一体何故、彼女はその本を買おうと思ったのだろうか━━。


今度は視線を本から外さずに答える彼女を前に、流石の私も言葉を詰まらせてしまう。




「あー、はは。恋愛ものって良いよね。こう、共感できる部分が多いっていうか、感情移入しやすいし」


「そう?私にはわからないけれど」




ハラリと捲られるページには一切の乱れは生じない。ただ淡々と彼女の視線は文字列を追っている。もう完全に私のことなど蚊帳の外。本を読む邪魔をしないでと言われている空気が痛い。


しかし、彼女が読んでいる本が恋愛物であったことは私にとって都合が良かった。




 昼休み、どうにか数字を上げることはできないかと試行錯誤して友人にジュースを奢ったり、欲しがっていたアクセサリーをプレゼントしてみたりと手を尽くしてみたのだが、一向に数字に変化はみられなかった……。成果を得られず手痛い出費をしてしまっていた私は途方に暮れていた。


しかし、光明は意外なところから射したのだ。少々不貞腐れ気味に友人たちの昼食の会話を右から左へと受け流していると、知恵の頭に浮かぶ"90"の数字が"93"へと変化した。




「えっ!?ごめん、もう一回言って」


「だから、彼氏がクリスマスは一緒に過ごそうって言ってきてて、プレゼント何にしようか悩んでるの」




惚気るように甘い声を出しながら頬を朱に染める知恵。付き合い初めて未だ一ヶ月ちょっとという短い期間ではあるがやはりカップルとしてはクリスマスを一緒に過ごすことは重要なことのようで、グループ内でも唯一彼氏が居ない私としては手帳のカレンダーを見てみても予定は未定であった。


別に羨ましくなどはないし、そんなことよりも今は知恵の数字の上昇のほうが気になった。確かに、知恵自身凄く幸せそうではあるのだが、それが私の好感度upに関わることではないように思える。ならば何故彼女の数字は上昇したのか……。いや、待てよ━━。そもそも私自身ジュースやプレゼントを貰ったとしても、その相手に対して好意的になるだろうか?確かに嬉しくはあるがそれだけでその相手への距離感が縮まることは無いのではなかろうか。そう、ゲーム内の女の子は現金過ぎる所がリアリティーに欠けているのは随分と前から思っていたことでもある。その点、今知恵が話しているのは恋バナである。恋バナとは親しい間柄でしか話せない部分も多くある。話すことで相手への好感度が上がるというのは"秘密の共有"をしたということになり得るのだ。




つまり、彼女と恋バナをすれば好感度も上がるということになる!━━はずではあるのだが、そもそも私と彼女は恋バナをする程の仲でもない。今日喋ったのを入れても彼女と会話を交わした数は右手だけで足りてしまうのだ。しかし、この好機を逃す手はない!決意を新たに私は彼女へ語り掛ける。




「白河さんはさ、恋愛ってしたことある?」




非常に不躾な質問。顔見知り以上友達未満な私が彼女の私情を詮索するのは関係を築く上ではマイナスになることは分かっている。それでも、この質問は私自身が気になる部分でもあり眼鏡を掛けている今だからこそ聞いてみたかった。




「……ないわ」




ほんの少しの間を空け、彼女は答えて頁を捲る。数字に変化は見られない。




「興味とかって━━ある?」




心臓の鼓動が早くなる。上気した顔は恐らく紅く染まっているだろう。




「そうね、興味はあるわ。さっきも言ったけれど登場人物の行動が私には理解できない点が多いし、正常な判断ができない程の恋というものはしてみたくはあるかしら」




彼女が今まさに言った通り、目の前に見えている女の子の頭上に映る数字が「5」であることなど関係ないと言わんばかりな勢いのまま、私は彼女へと告白する。




「その相手!私じゃ駄目かな?」




「━━えっ?」

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