第7話:ノートンの捜査と、予期せぬ来訪者
それからの数か月間、ロゼッタとアヴァンは様々な富豪の家で盗みを働いた。
最初こそ、自身の存在意義に疑問を抱いていたアヴァンだったが、様々な富豪の家を回る中で、その答えを見つけていた。
エビルは、ロゼッタの探し物にとって邪魔となるハーツを解放するためだけに、アヴァンが同行させられていると言っていたが、それだけではなかったのだ。
初めて二人で侵入したルッソー家は、安全な地下室に宝物を隠していた為に、屋敷の中には危険な物が一切なかったのだが、他の富豪の屋敷には必ずと言っていいほど、様々な仕掛けが隠されていた。
急に現れる落とし穴や、触れてもいないのに倒れてくるクローゼットに、勝手に巻き付いてくるカーテン。
壁から弓が飛んできたり、天井から無数の槍が降り注いできたり、廊下の先から大岩が転がってきたりと、数えきれないほどの恐ろしい罠が仕掛けられていた。
そして、なぜかその全てに、ロゼッタは引っかかってしまうのだ。
当然アヴァンはそのトロ臭さに驚いた。
あんなに高等な魔法を使えるというのに、注意力が散漫過ぎやしないか……、と。
アヴァンは、持って生まれた魔族の身体能力の高さ故に、それらの罠には引っかからなかった。
そして、ロゼッタがアヴァンと手を組んだ本当の理由は、ロゼッタが自らのトロ臭さを補うために自分を頼ったのではないか、とアヴァンは考えた。
誰にも頼られたことのなかったアヴァンは、嬉しくもあり、楽しくもあり、少なからずも人生で初めて優越感というものを得ていた。
ただ残念なことに、アヴァンは気付いていないだけだった。
ロゼッタが全ての罠に引っかかるのは、アヴァンがどれほどの身体能力を秘めているのか、ロゼッタがアヴァンを試していたからなのだ。
そんな事とはつゆ知らず、アヴァンは見事に全ての罠からロゼッタを救い出し、ロゼッタはそんなアヴァンに満足していた。
腕力、脚力、瞬発力、どれをとっても、アヴァンの身体能力はロゼッタの求めていた理想にピッタリと当てはまっていた。
加えて、アヴァンはロゼッタの言いつけをしっかりと守り、誰かを傷つけることはなくなった。
そのことに関しても、ロゼッタは大いに満足していた。
怪我人が出なくなったことにより、町では「真紅の悪魔は去った」とまで噂されるほどだった。
とはいうものの、窃盗を行った事実が消えたわけではない。
ロゼッタの完全犯罪には期限があるからだ。
ロゼッタがかけた魔法のうち、盗んだ物のカモフラージュとして置いてきた偽物の品は一週間ほど経つと消えてしまう。
そこで初めて、富豪たちは盗みに気付くのだった。
だが、時既に遅しとはまさにこのこと。
泥棒が屋敷に侵入した形跡などもはや残っていないために、宝を盗まれた富豪たちは警察に頼ろうとも成果は全くなかった。
警察署内では、姿の見えない新たな窃盗犯として「ぬすっと透明人間」という言葉が飛び交っていたが、それを聞いたロゼッタは陰でこっそりと笑っていた。
ロゼッタが選ぶ富豪の家は割と小さな屋敷ばかりだったが、必ずハーツが隠されていた。
最初のルッソー家ほどの手応えはないにしろ、少なくとも一度に十個は必ず手に入った。
しかし、そのどれにもアヴァンの求めるハーツは含まれていなかった。
ロゼッタはというと、あの日以来、例の黒い玉は見つかっていなかった。
けれどロゼッタは、様々な金銀財宝を初めとし、金になりそうな物なら全て盗んでいた。
アヴァンが見る限りでは、ロゼッタは相当なお金好きだ。
いつも違う服を着ているし、そのどれもがミニドレスのようなデザインの、流行やファッションに全く興味のないアヴァンにもわかるほどの高価な物なのだ。
事実、アヴァンの推測は当たっていた。
ロゼッタは、盗みを働いて手に入れた品を、裏ルートを使って他国の質屋に入れていた。
もちろん、気に入った物は手元に置いてあるわけだが、それでも、莫大な金を有していることは明らかだ。
ロゼッタは自他共に認める金の亡者なのだ。
よって、本来の目的であるあの黒い玉が見つからずとも、どの富豪の家でも、盗みはきっちりと働くのだった。
ただ妙な事に、新月の夜だけは決まって、ロゼッタはアヴァンの前に姿を現さずにいた。
そんなある日のこと。
ロゼッタはいつものように、警察署内にある資料室の一角にいた。
無数の棚が並ぶ、迷路のように入り組んだ資料室の中で、熱心に資料を読むロゼッタ。
その手にあるのは、この町の住民登録票が保管されている資料の一冊だ。
住民登録票とは、この国で暮らす全ての人間に与えられる、個人情報の全てが記されている書類のことだ。
生まれてから死ぬまでの全ての情報が、そこには記されている。
この町で生まれてこの町で死んだ者の場合、書類は一枚だけだが、出身地が違う者たちは、町に移住してきた時に住民登録票がもう一枚作成され、加えられる。
また、この町からほかの町へ移住する際にも、その住民登録票が必要不可欠だ。
つまり住民登録票とは、簡単に言えば、この国における戸籍のような物なのだ。
代々この町に暮らす家系の者たちに関しては、その家系図および歴史までもがここに記し残されているため、様々な情報が一挙に手に入る。
実のところロゼッタは、この場所で盗みの計画を立てていたのだ。
資料室にある資料など、今までさほど興味がなかったのだが、それを有効活用すべきだと考えたのが、ちょうどアヴァンと出会う少し前のことだった。
最初の標的をルッソー家に決めたのも、この資料室でルッソー家の家系図と代々の生業を知ったからだった。
ロゼッタの求める物は、魔族に関する品を集めている富豪の元に存在する確率が高い。
アヴァンの求めるハーツもしかり。
そのためロゼッタは、この資料室で、町の富豪たちの中に魔族と関係のありそうな者を絞り出していた。
この数か月間、闇雲に富豪の屋敷を襲っていたわけではなかったのだ。
ロゼッタは先ほどから、同じページを開いたままで手を止めていた。
開かれたページにあるのは、ある大富豪の家系図と、その歴史が記された住民登録票だ。
その大富豪の名はデトワール。
この町で一番長く続く、由緒ある家系の一族だ。
その歴史は長く、最初の祖先は今から三百年以上前に遡る。
その大豪邸は町の最北端に位置し、所有する土地の面積はどの富豪よりも広い。
そして、現当主であるナリッサ・デトワールは、この町の町長でもある。
ロゼッタは、その名前を指でなぞったままのポーズで固まっていた。
閉じ込めていたはずの古い記憶が、甦っていたのだった。
「そこで何をしているんだ?」
聞き覚えのある低い声にドキッとして、ロゼッタは振り返る。
背後にいるのはノートンだ。
「あら~、ノートン長官。少しばかり勉強を……。捜査官たる者、この町の住人のことくらい、少しは知っておかなければと思いましてね」
驚いた素振りなど全く見せず、いつもと変わらない艶のある声で返答するロゼッタ。
「そうか……。お前が勉強などと、珍しいこともあるもんだな」
ノートンの目が、鋭くロゼッタを観察している。
怪しまれていることを瞬時に察したロゼッタは、サッと資料を棚に戻す。
「ま、さほど頭に入っていないんですけれどね。うふふ。では、通常勤務に戻ります~」
甘い声で語尾を伸ばし、ロゼッタはその場を去った。
ノートンは、棚に戻されたロゼッタの見ていた資料に目をやる。
他の警察官から、最近ロゼッタがよく資料室に出入りしているという事を聞きつけ、この一か月間、ノートンはロゼッタを注意深く見ていたのだった。
長年の警察官の勘とでも呼ぶべき何かが、ノートンには備わっていた。
住民登録票の資料など、現場の捜査官がそう何度も見る必要はないはずだと、ノートンは考えている。
「おい、ブルータス。そこにいるんだろ?」
ノートンが声をかけると、棚の影からブルータスが姿を現した。
「お前さん、見かけによらず鼻が利くな」
褒めているのかいないのかわからないブルータスの物言いに、ノートンはふんっと鼻をならす。
「ブルータスよ。お前とロゼッタが組んで何年になる?」
「ん? そうだな……。三年と少しじゃねぇか? それがどうかしたか?」
「三年、か……。妙なことにな、わしの頭の中に、ロゼッタとの出会いの記憶が一切ないのだよ。昔からそこにいたはずなのに、記憶の中にあいつが存在しない。なぜかな?」
「……何が言いたい?」
「ここ最近、お前の相方は様子がおかしい。もしかしたら……。いや、まさかとは思うが、万に一つということもある……。グレーシア捜査官を見張っておけ。いつか尻尾を出すはずだ」
「ロゼが? おいおい、冗談はよせ。あいつは警察官だ、捜査官なんだぞ? 何か犯罪に関わっているとでも?」
「万に一つと言ったろう? わしの思い違いであればそれで良し。そうでなければ……。まぁいい。中央区の城下町から強力な助っ人を頼んでおいた。これで、影も形も残さない、奇妙な窃盗犯も捕まるといいのだが……。ブルータス、いいか? あいつをよく見とけよ。警察署内に犯罪者がいるなんぞ、町の住人に知れてみろ。今までの全て、信頼も、尊厳も、何もかもが水の泡だ。もしあいつが、一連の窃盗事件の犯人ならば、外部に漏れることなく事を済ませねばならん。その時の手柄はお前にくれてやる」
そう言って、ノートンはくるりと踵を返す。
「あぁ、そうだ。つい先日、長年不治の病に侵されていたルッソー家の奥方が、奇跡的に病を克服したそうだ。偶然にも、地下の宝物庫に泥棒が入り込んだ数日後のことだとか。他にも、物が盗まれた後に、家内が安泰しているという家もちらほら耳にする……。なぜだろうな? 噂じゃあ、ロゼッタがこの資料室に出入りするようになってしばらく経った頃から、らしいがな……。ふん。ふふふ」
ノートンは妙な笑いを浮かべながら、ブルータスの元を離れていった。
ブルータスはふ~んと鼻で息を吐き、気晴らしに葉巻を吸おうと取り出したが、資料室は禁煙のために諦めて外に出て行った。
その頃、アヴァンはというと……。
時計塔の部屋のベッドの上で、ぐーすかと昼寝をしていた。
赤獅子という魔物は夜行性の生物であるために、その血を引くアヴァンも昼は苦手だ。
盗人となるには持って来いの習性なのだが、今日ばかりはまずかった。
ベッドで眠るアヴァンを見下ろす人物が一人。
背中の曲がったその人物は、手にバケツとモップを持ち、長く伸びた白髪の間から見える小さな目を最大限にまで大きくして、驚きのあまり小刻みに震えている。
先に気付いたのはエビルだった。
『おい。おい、アヴァン。起きろ。起きろって! おいっ! アヴァン!!』
怒鳴る様なエビルの声に、アヴァンはようやく目を覚ます。
「ん、んぁあ? なんだべぇ?」
その目に映るのは、驚愕の表情を浮かべた一人の老父。
「あ、あ、あく、悪魔ぁっ!?」
震える体でアヴァンを指さし、声を上げた老父は逃げようと勢いよく走り出す。
しまった! と、心の中で思ったアヴァンは、殺気で髪の毛を逆立たせて、すぐさま飛びかかって息の根を止めてやろうと起き上がったのだが……。
ドタンッ!
「うぎゃっ!?」
目の前で倒れて、起き上がれずにもがく老父を見て、アヴァンはスッといつもの様子に戻った。
老父は、なんとか立ち上がろうと手で体を支えているのだが、腰が抜けてしまったのか、足の力が抜けてしまったのかわからないが、座り込んだまま動けそうもない。
アヴァンは、どうしたものかと戸惑ったが、ゆっくりと老父に近付いていき、その体を持ち上げて椅子に座らせた。
老父はというと、アヴァンに触れられた直後から体が硬直し、思考も停止してしまっているのか、声も発せずにただただアヴァンを見ている。
「おめぇさこの時計塔の管理人だべ?」
アヴァンの問い掛けに、一瞬何を言っているのか理解出来なかった老父は、首を縦へ横へと変に動かした。
しかしアヴァンは、それをイエスと受け取ったようで。
「んだ。おいら、しばらくここに住みてぇんだが、他のもんには秘密さしてくれねぇべか? んだば、おめぇさに手は出さねぇだ」
笑顔でそう言ったアヴァンに、少しばかり安心したかのような表情の老父は、今度はしっかりと縦に首を振って頷いた。
「よし。くぁ~、よく寝たべ。ところで、今何時だべや?」
『もう昼の三時だ。ぐーすか寝やがって、ったく』
エビルがやれやれといった様子でそう言った。
「お、お前……。あの、手配書の? く、真紅の悪魔、なのか?」
椅子に座ったまま、まだ動けずにいる老父が、アヴァンをじっと見つめてそう言った。
「ん? あぁ、そうだべ。まぁ、そう呼ばれているようだべな。けんど、おいらはそう名乗った覚えはねぇんだが……」
ベッドにボスッと腰を下ろしたアヴァン。
「お前……、この町に何しに来た? 富豪の家に盗みに入って、警備のもんを傷つけて……。けど何も盗んでいかねぇって……。最近は、目撃情報がねぇから、てっきり町を出て行ったと思っとったのに……。こんなところに隠れてやがったのか。いったい、何が目的なんだ?」
怯えながらも、問いかける老父。
「何が目的って……。んなもんおめぇさに話す義理はねぇ。それに、話したところでおめぇさには理解できるもんじゃねぇべ。おめぇさは、おいらがここにいることを誰にも話さずに、普段通りに生活してくれりゃいいべよ。そうすりゃ、おめぇさに迷惑はかけねぇべ」
笑いながらそう言ったアヴァンに、老父は怒りの目を向ける。
「普段通りに生活だと? 人の気も知らねぇで、悪魔なら何でも許されるとでも思ってるのか?」
老父の表情の変化に気付いたアヴァンは、笑うことをやめた。
老父は、わなわなと体を震わせて、下唇をきつく噛みしめている。
すると次の瞬間、老父はバッと立ち上がり、傍に倒れていたモップを手にとった。
そして、アヴァン目がけて勢いよくモップを振り下ろした。
がしかし、アヴァンがそれを避けられないはずもなく、人並み外れた魔族の反射神経でそれを交わし、モップはアヴァンが座っていたベッドにぶち当たった。
鈍い音を立てて折れたモップの柄を、老父は震える手で握り締めている。
その目は憎しみに溢れ、アヴァンを逃がすまいと睨みつけている。
「何なんだべ、いったい。おいらがおめぇさに何したべ?」
戸惑うアヴァンを他所に、老父は手に持ったままの折れたモップを、今度は力いっぱい投げつけた。
しかしそれもまた、壁に当たった後にカラカラと音を立てて床を転がるのみだ。
「おめぇさ、何をそんな怒ってるべ? いい加減にしねぇと、おいらも怒るぞ?」
怒る気配など全くない様子で、アヴァンは一応そう言った。
老父はよほど興奮しているのか、息が上がっている。
「はぁ、迷惑は、かけてねぇだと? はぁ、はぁ……。お前は、傷つけた者の事など、その家族の者たちの事など、何も考えてねぇんだ。はぁ、はぁ、はぁ……。この、心ない悪魔めっ!」
そう叫んだ老父は、今度は部屋の出口に向かって走り出す。
急いで町に戻って、真紅の悪魔がここにいることを警察官に知らせるつもりなのだ。
しかし、アヴァンも馬鹿ではない。
瞬時にそれを察して、部屋の出口の前に仁王立ちし、老父の行く手を阻んだ。
「くっ……。どけぇっ! 悪魔めっ! 地獄に落としてやるっ!」
老父は、断末魔のような叫び声を上げながら、素手でアヴァンに殴り掛かった。
アヴァンは、いつも通り、左手で頭を力強くはたいて動けないようにしてやろうと考えたが、脳裏にロゼッタの顔が浮かび上がり、溝内に手加減したパンチを入れることにした。
アヴァンの拳は見事に老父の溝内に入り、老父は気を失ってその場に倒れた。
『珍しいな、アヴァン。お前が手加減するなんてよぉ。けど、この爺さん、どうすんだ?』
エビルが問い掛ける。
「ん~……。椅子にでも縛っとくべ。今夜当たりロゼッタがここに来るはずだべや。記憶を消す魔法でもかけてもらうべ」
そう言って、先ほどと同じように老父を抱え、椅子に座らせるアヴァン。
部屋の隅に落ちている縄で老父を椅子に縛り付けた。
ふ~っと息を吐いて、またしてもベッドに横になるアヴァン。
先ほどロゼッタの顔が脳裏を過ったことが妙に気になってはいたが、いつしか目を閉じてまた眠りについていた。
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