第7話 最終話

     7


 晴樹の妖力がうまくとけあい、セイジュの傷はすっかり癒えた。

 セイジュが妖魔界へ帰ると言い出したある日のことだった。

「君がもし妖魔界へ戻ったら、ただでは済まないだろう。我が父上に処刑されるかもしれない。私も一緒に行こう」

 シュウレイが一緒に行ったところで、セイジュが罪に問われないとは限らない。ルークはセイジュに任せると言ったが、自分から志願した手前、なんの収穫もなしに戻ってただで済むわけがない。それにルークが口を割らなくても、晴樹とシュウレイの妖力が妖魔界で察知されたかもしれない。シュウレイは処刑されないだろうが、一生幽閉されるか、別の貴族の女性と結婚させられるかのどちらかで、もう二度と人間界へは戻ってこられないのは、セイジュもシュウレイもわかっていることだった。

「お言葉だけ頂戴いたします。あなたはエマのそばにいてやってください。エマにはあなたが必要なのですから」

「セイジュくん、でも、君は――」

「私のことは、どうぞ忘れてください」

 シュウレイの言葉をさえぎるように、セイジュはそう言った。

 それほどまで、今もエマを愛しているのかと悟ったシュウレイは、もう何も言えなかった。


 エマにはパリへ戻ると言った手前、シュウレイは晴樹とセイジュを車に乗せ、あたかも空港へ向かうようにつくろった。

 手を振るエマの姿が見えなくなったところで、セイジュは車を降りた。

「それでは」

 もう二度と会うことはないと決別の言葉を口にしたセイジュの後を追うように、晴樹が車から飛びだした。

 追いかけてみたものの、どう切り出していいかわからない晴樹は、モジモジとしながら地面を見つめていた。

「何か用か? 用がないなら車に戻れ」

 冷たく言い放ったセイジュに、晴樹はあわてて

「あのさ……」

 と、切り出した。

「父さんが言ってたけど、その胸の傷、無かったみたいにキレイになるって」

「ああ。シュウレイ様から聞いた」

 聞き慣れない名前に一瞬、晴樹は戸惑うように瞬きを見せたが、聞き返すような真似はしなかった。

 自分の両親が妖魔人などと信じられないと、嘘だと思っていたが、昨日、晴樹自身の身で感じた妖力の余韻に思い知らされる。

 父親の秋世は、妖魔界で最も高い妖力を持つ王族の第一王子・シュウレイであり、その息子である晴樹もまた、人間とは違うのだと。

「あとさ。おまえ、これからどうするの?」

「関係ないだろ」

「関係なくないだろ? その、妖魔界に居場所ねぇっていうんなら、うちに居たっていいんだぞ。記憶は……ないみたいけど。ともかく、母さんだっておまえのこと気に入ってるし、父さんとはその、だから、このままうちにいろよ」

「……ああ、そうだな」

「……え?」

 てっきり、「お断りだ」と即答されるものだと思っていたから、晴樹は驚いて目をまるくした。

「何ていう顔してんだ、おまえは。心配しなくても帰る」

「そういう意味じゃなくって! ただちょっとキャラ違くてびっくりしたってだけで」

 慌てて訂正しようと思ったら、余計に変なことを口走ってしまった。

 セイジュは、クククッと手で口元を押さえながら笑っていた。思えば、セイジュが笑うところを見るのは初めてかもしれない。

「居場所が無かろうが、居心地が悪かろうが、向こうにも世話になっている人がいるからな。このまま失踪するわけにはいかないんだよ」

 セイジュは晴樹の頭に手を乗せると、

「それに、俺はもう子どもでもないからな。何もかも投げ出すわけにはいかない。色々と責任っていうのもあるんだよ」

グリグリと髪をかきまわした。

「やめろって!」

 セイジュのするガキ扱いに、晴樹は怒ってセイジュの手をふりはらった。

「ところでさ、セイジュ。これ、父さんからのプレゼントだって」

 晴樹はズボンのポケットから取り出すと、軽くと握った拳をセイジュに向けた。そうして、反射的にセイジュがてのひらを差し出してくると、拳の中のものを乗せた。

「鍵?」

 セイジュのてのひらに渡ったのは、銀色の鍵だった。

「首から下げられるように加工したみたい。なんか父さんってば張り切っちゃって、オレと母さんにも、みんなお揃いだって言ってくれたんだ。中学にもなって鍵っ子なんて嫌なんだけど、これならチェーンつければ普通に家の鍵っぽくないしまだマシかなーなんて。前は普通の鍵だったんだよ? それがまさかこんなに大変身するとはねー。父さんもなかなかいい仕事するよな!」

 晴樹はかなり気に入った様子で、さっそくネックレスのように首から下げていた鍵をいじっては嬉しそうに遊んでいた。

「シュウレイ様が――」

 セイジュもてのひらの中の鍵を見つめた。

 クラシカルなデザインのそれは、キーヘッドに王冠をあしらった紋章のようなものが模られていた。その紋章は、王家のものだった。 王冠の中央には、小さな緑色の石が一つ埋め込まれていた。

 デザインは同じでも、晴樹の鍵についているのは、青い石だった。

「これは……」

「ああ、その石? なんでも、オレと父さんが青で、母さんとセイジュは緑なんだって。姉弟だから一緒の方がいいだろ? だって」

 一カラットもない、本当に小さな粒のような石だったが、セイジュにはとても大きく意味のある存在だった。なぜなら、それは一目でわかる、妖魔界の天然石。いや、それだけではない。数多くある妖魔界の石の中でセイジュにとって思い出深いのは、昔、セイジュがエマに贈った手作りの指輪に使った石だったからだ。

 指輪はセイジュ自ら、粉々に叩き壊してしまったが、それは愛するエマを想ってのこと。

 エマに記憶がなくとも、唯一セイジュがエマのためにしてあげられたもの。しかし、それがエマの平穏な生活を脅かすものであるなら、迷うことなどない。何一つ形には残らなくても、セイジュは変わらぬ愛をエマに誓っていたのだから。

 記憶を喪失する前に、エマが指輪のこと話したのだろうか? 唯一、妖魔界から持って行ってくれたのだから、エマは大切に思ってくれていたのだろう。 

 なぜ、シュウレイがこの石を特別なものだと知っていたのかはわからないが、なくしてしまったはずのものが欠片として再生されていたことに驚きと、うれしさが胸にこみあげてきていた。

 他人との関わりを諦め、自分の生にさえも執着を忘れたセイジュ。

 インペリアルローズの証である指輪や、国王より授与されたラペルピンは、大切にしなければならない物だとはわかっている。

 その与えられた名誉のために。

 かつて、エマや両親と暮らしていたカルヴァード家は、強引な家宅捜索で散らかったのか、それとも近隣住人からの容赦ない非難の爪痕なのか。その両方なのか。まるで廃墟のように変わり果ててしまっていた。

 割られたガラス。ユラユラと揺れる、今にも落下しそうな窓枠の残骸。残酷な言葉での落書きと、妖力が使われたのだろう、炎の焦げ跡や、大小とさまざまな穴が無数に開いていた。

 ウォルフェンデール卿に連れられて家まで行った時、何か持っていく物があれば取って来ても構わないと言われたが、セイジュは何もいらないと言って、家の中へさえ入らなかった。

 壊れた窓ガラスから中をのぞくと、壊され、無残に床で破片が散らばっている家族の写真立て。中の写真も土足で踏みつけられていて、家族の顔すら判別がつかないありさまだった。荒らしまわされ、この家に、セイジュたちが住んでいた時の幸せなぬくもりは、もうどこにもなかった。

 だから、純粋に宝物といえる物などなかった。

「セイジュッ!」

 晴樹はセイジュの背に向かって叫んだ。振り返られはしなかったけれど、その声にセイジュの足は止まった。

「その鍵の意味わかるよな! オレたち、シンセキだろ!? いつでも帰ってきていいんだからな!」

 晴樹は、自分でもかなりクサイことを言ったと思った。少しでもセイジュに振り返られていたら言えなかっただろう。

 セイジュが振り返ることはなかった。

 けれど、声にならない言葉がセイジュの口から、まるでひとりごとのようなとても小さな声で一言だけもれた。

――ありがとう、と。

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セイジュ 伯岡 美沙 @misa_takaoka

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