第6話

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「セイジュっ! いやぁあああああっ! セイジュ、しっかりして!」

 エリザは飛び出すように走ると、横たわるセイジュの上半身を抱き上げた。

 こんな時までも弱みを見せないつもりなのか。セイジュは泣き叫ぶエリザに、

『大丈夫だから』

 と、でも言うように、わずかに口を動かして見せた。

 いくらインペリアルローズの中で最強の妖力者でも、大丈夫だとはとても思えない状態だった。自己治癒すらできないだろう。それはとめどなく流れる赤い血で明らかだった。

 血に染まる胸元。飛び散った鮮明な赤とは対照的な青白い顔。いつも強い意志を奥底に秘めていた瞳は虚ろで、力ない瞼に今にも閉ざされようとしていた。ぐったりとし、意識と共にその命を失いそうなセイジュの体を、エリザは必死になって抱きしめた。命を繋ぎとめるように。

「セイジュ! お願い。がんばって!」

 悲鳴のように叫びながら声をかけ続けるエリザの姿に、腰が抜けて動けなかった晴樹も触発された。

「病院、きゅ、救急車!」

 携帯を取り出し、ダイヤルを押そうとした時、晴樹のその手は掴まれた。

 その服の染みは、セイジュの返り血。セイジュを刺した、ルーク・サージェントの手だった。

 エリザは、ルークから庇おうと晴樹を引き寄せた。けれど、至近距離でいくら身を寄せようとも無意味に等しい。

 狙いは自分だと思い知らされている。そして、ルークがその手段を選ばないということも。

 晴樹は今度こそ殺されると、体を強張らせた。

 怖い。

 死にたくないという思いよりも何よりも、

ものすごい恐怖感だけが晴樹をのみこんでいた。

 耳の奥で打ち付ける鼓動しか聞こえていなかった。

 それでも目を閉じずにふんばれたのは、セイジュの時ように、エリザを盾にさせたくない。その一心だった。

 晴樹の決死の覚悟とは裏腹に、ルークの手はあっさりと離された。

「やめだ」

「え……?」

「元々、これは俺の任務ではない。それに、おまえに何かあったら、エリザ様が悲しむだけだからな」

 ルークは静かにセイジュの前に屈むと、そっと傷口に触れた。

 指先までピンと伸ばされたルークの手は、セイジュの体の上で血に染まる。

「出血はこれで止まる。だが、大量に流れてしまっているからどうなるかはわからん」

「そんな!」

「それって、やっぱ、オレ達と違うから輸血してもダメなのか?」

「いや。大量出血の方は、輸血すればなんとかなるだろう」

「だったら、早く輸血を! エリザさん!」

 晴樹は、懇願するようにエリザをせかしたが、エリザはただ悲しそうな顔で首を横に振るだけだった。

「ダメなの……」

「なんで! 血液型が違うのか?」

 晴樹がそうたずねると、ルークが割り込んだ。

「妖界人には血液型はない。妖界人は、何よりも血筋を重んじる。それは、血の繋がった者同士しかその血を受け入れることができないからだ」

「じゃあ、セイジュの場合はうちの母さんってこと?」

「だから、ダメだと言っている」

 ルークが首を横に振った。

「どうして? 妖力を失っているから?」

 エリザがたずねた。

「そうです。妖力を完全に失っている者は、いくら元妖魔人でも人間と同じです。妖界人に人間の血は入れられない」

 そのルークの言葉に、エリザがひらめいたかのように言った。

「指輪よ! セイジュが言ってたわ。あの指輪からはエマさんの妖力が感じるって。あの指輪を使って――」

「指輪とは、これのことですか?」

 ルークが、晴樹とエリザの前に指輪をちらつかせた。

 それはエリザにも見覚えがあった。人間界に来て、初めて晴樹に会った時に目にしていた。それをなぜルークの手に渡ってしまったのかは見当もつかなかったが、セイジュが姉のエマへ贈ったという、とても大切な指輪だということは知っていた。

「そうよ! ルーク、それを返して!」

 エマに記憶がなくても、セイジュにとっては宝物。エマはルークからひったくるように手をのばした。だが、ルークはそれをひらりとかわした。

「いくらエリザ嬢のお願いでも、それはきけません。エマ・カルヴァード妖力は、この指輪の中に封じ込められているのではないかと考えるのが妥当ですからね。そうならば、エマ・カルヴァードが行方をくらませられたのも納得がいく。しかし理論上は可能でも、かなりの妖術使いでなければそんなことはできないはず……」

「いいから早く返して――」

 エリザが手をのばした時、パンッとルークの手の中で指輪が破壊された。

 セイジュが妖力を放って、ルークの手のひらの指輪を壊したのだった。

「エマには……手を出すな……」

 セイジュは、最後の力を振り絞ったかのように牽制すると、力尽きてしまった。

「セイジュ……!」

 動かなくなってしまったセイジュを、エリザは抱きしめて、セイジュの名を叫んだ。死んではだめ! 戻ってきて! と、思いを込めて。

 徐々に色をなくしていくセイジュの顔には、エリザが流した大粒の涙がいくつも落ちた。

 エリザは、ふと思い出したように叫んだ。

「ルーク、お願い! なんとかして! このままではセイジュが死んじゃう!」

 ルークが、セイジュのために動くなどありえないことだとはわかっていたが、エリザにはルークしか頼る者がいなかった。

「お願いよ、ルーク。あなたの望みは必ず叶えるから……」

 ここでセイジュを失うくらいならば、ルークと結婚してもいい。そこまで思ったほど、エリザはルークに懇願した。

「エリザ様、そんなにその男が大事ですか?」

 ルークは、静かな声でそうエリザに言った。

 エリザは、無言で首を縦におろした。

 ルークには、エリザがあれほどまでに拒否していた自分と結婚してもいいと言っていることがわかったのだ。求愛しているエリザが手に入るのだから、願ったり叶ったりなのだが、セイジュを守るためというのがきにくわないのも確かだった。だが、ここでセイジュの命が消えれば、エリザは自分になどもう二度と見向きもしないだろう、とも思った。

「エリザ様、あなたの望みは承知しました」

 ルークは、エリザのもとにひざまずいた。

「ルーク! ありがとう!」

 エリザが涙でいっぱいにしていた顔を上げ、初めてルークに笑顔を見せた。

だが、そのエリザの笑顔もルークの発した一言ですぐに陰ることとなった。

「さきほども言いましたが、エマをここに連れてくることは容易ですが、それでは何の意味もありません。エマの妖力を封印した指輪も壊れてしまったので、妖力が取り戻せるかわかりませんし」

 そこまで言うと、ルークは、てのひらの中にあった指輪の残骸を、パラパラと地面へと落とした。

「エマさんが『人間』のままかもしれないってこと?」

「それはわかりかねますが、根本的な問題です。エマとセイジュは血縁者ではない」

 そのルークの言葉に、エリザは言葉では言い表せないほどの衝撃を受けた。

「え? 何それ? そんなわけないわ! エマさんはセイジュのお姉様よ!」

「エリザ様が知らないのは無理はありません。これは妖魔界ではトップシークレットなのですから」

「……」

 エリザは声を失った。

「確かに、エマはカルヴァート夫妻の実子だが、セイジュは養子です。セイジュは、十代前・亡きランベール王の御落胤の子孫なのです」

 ルークはたんたんと事実を伝えるが、エリザの耳には真実には聞こえなかった。

「警戒させないように表立ったことはしなかったが、ランベール王の代からずっと、サージェント家が奴らの監視を行ってきました。十年前の内乱で、セイジュの生みの両親を含めた一族の大半が死んだ時、孤児となったセイジュをカルヴァート家に引き取らせたのも我々です。そのまま秘密裏に両親と共に葬ることもできたが、当時はその案を見送りました。王の血を受け継ぐ者は、たとえどんなに年月が経ちその間に様々な血が交わろうとも、僅かに流れる王の血によって妖力は衰えることなく受け継がれていく。現王に匹敵する妖力を持つ者の使い道は、いくらでもあるからと」

 ルークはそこまでで口をつぐみ、あえて口には出さなかったが、仮にセイジュが王の妖力を使って現王に反旗を翻した時は、カルヴァート家を含む、多くの民や土地を統治する妖魔界最大の名家・ウォルフェンデール家諸共、失脚させる最強の隠し駒としていたのだった。

「セイジュの両親が亡き今、血縁者はまだ妖魔界で隠れ住んでいる内乱で生き残った数人の遠戚か、王族となる。王族は、血縁があるなどと絶対に認めたりなどしないでしょうが」

「そんな……」

 すべての希望を失ってしまったのかと、エリザはガクリと肩を落とした。もう言葉も出なくなってしまったのか。再びあふれた涙だけがこぼれおちていた。

「エマ・カルヴァードが、なぜ国家反逆犯といわれているか教えましょう。それは、あの女の逃亡には現王の第一王子の失踪が関係しているからです」

「え、失踪? そんな話、聞いたことないわよ。それにシュウレイ様は妖魔界にいらっしゃるわ。体調がすぐれないとのことでお顔は拝見できないけれど、年に一度は必ず宮殿からお言葉を発せられて――」

「声だけ、でしょう? あんなもの、どうにでもできます。第一王子は、三年前にエマ・カルヴァードが逃亡した後、すぐに失踪されました。静養中とされている王子の部屋も、実際は誰もいません。もぬけの殻です。トップシークレット扱いですから、毎日食事を運ぶメイドさえも、この事実は知らずにいることでしょう。王子には三年前、エマ・カルヴァードが王子のお心を乱さなければ、我がサージェント家か、ルモワーヌ家から花嫁をめとられることが内定していました。その直後です。エマ・カルヴァードが逃亡。その後を追うように王子の失踪。当時、エマ・カルヴァードは王宮のメイドではあったが、駆け落ちかどうかは定かではありませんでした。しかし、我々は二人は共にいるとみていました。その根拠は時空移動です。王族であられるシュウレイ様には造作なくとも、一般人で妖力もさほど高くないエマ・カルヴァードには、時空移動などできるわけがない。シュウレイ様ほどの妖力の持ち主が手助けでもしない限りは不可能だからです。まあ、結果としては、そこのセイジュの仕業だったわけですけど」

「では、シュウレイ様がセイジュの血縁者ということなの……?」

 エリザは、絞り出すような声でたずねた。

「ええ、そうなります。だが、妖力は残っていても、血を受け入れられるかは前例が無いからわかりません。それに、今はシュウレイ様を探している時間は残されていないでしょう」

「え……そんな」

 セイジュの顔色は、もうないに等しかった。

ルークも手立てはないと言う。エリザも絶望していて、晴樹はそばで見ていてもどかしく思った。だから、

「――じゃあ、オレは? 父さんも母さんも妖魔なら、オレだって妖魔なはずだし、父さんが王の子だったら、オレにも王の血が流れているってことだよね!」

 と、思ったことを口に出した。

 だが、

「ダメだ。おまえは妖力を失っている。多分、生まれる前から妖力は封印されていたのだろう。王族は、妖力を自在に操れる。王族の妖力は強大だ。そうでなければ、とっくの昔に我々に居所を知られていたはずだからな。今では人間と同然のおまえがいくら王の血を引き継いでいても、妖魔と人間では血のやり取りはできない。妖魔の血を分けるということは、その血にある妖力も与えるということなのだ」

 と、ルークに一瞬で切り捨てられてしまった。

「だったら、今すぐオレの妖力を戻して!」

 なんの躊躇いもせずそう言った晴樹に、ルークは面食らった。

 晴樹がどの程度妖魔界について知っているのかはわからないが、今までの話を聞いていれば、なぜ、妖魔人であるはずのエマと晴樹の妖力が封印されているのがわかるはずだ。

晴樹が妖力を取り戻したら、その身がどうなってしまうのかも。

「――それはいいが、おまえが妖力を取り戻したら、その瞬間から妖魔界ではおまえの妖力を感知し、探り当ててくるだろう。妖魔界の追撃からは逃れられない。反逆者の妖魔人として、確実に処刑される。たとえば、この俺に」

 あえてルークは極刑と強調したのいうのに晴樹は、

「わかってる。いいから、オレの妖力を戻して」

 と、少しも引かなかった。

「エマさんの場合はあのセイジュが贈った指輪だったように、ハルキくんにもあるってことね?」

 エリザがひらめいたように顔を明るくしてルークにたずねた。だが、

「……無理です」

 と、ルークは一蹴した。

「え? 何で!」

「王族は、妖力の格が違います。生まれながらの王族です。それゆえ、その血統を守るため、他の物にその妖力を封印することは不可能なのです」

「そんな……」

 エリザがまた落胆していたその時だった。晴樹がルークに切り出した。

「いいよ! 方法があるならやって! たとえセイジュが母さんと血がつながってなくても、母さんにとってセイジュは大切な人なんだ。セイジュは、オレに何かあったら母さんが悲しむって言ってくれたけど、セイジュだって同じだよ。前の記憶は無くても、今の記憶はあるんだ。悲しむに決まってるよ!」

 晴樹にもおそれがなかったわけではない。だが、それ以上に、母親や、エリザが悲しむ姿を見たくなかった。自分に、なんとかできる方法があるならば、試してもらおうと、心に決めたのだった。涙で濡れた晴樹の瞳は、真剣そのものだった。

「おまえの覚悟はわかった。よく聞け。王族の妖力は何物にも封印することはできない。

もし、可能だとするなら、己の中にのみだ」

「じゃあ、オレの中にあるってこと?」

「そうだ。おまえの中に眠る妖力のことだけに心を集中させろ。そして、奥深い場所に隠された封印をとき、力を解放するんだ」

ルークはそう告げると、トンと晴樹のおでこを指で押した。反動で、晴樹は後ろに倒れてしまった。だが、ルークが背中を抱きとめたため、しりもちはつかずにすんだ。

 ルークはそのまま晴樹を抱えたまま、晴樹の胸の上に手のひらをかざした。

 ルークが念を込めると、光を放つルークのてのひらに、晴樹の中の何かが徐々に共鳴しはじめた。

 小さかったそれは、どんどん大きくなっていき、晴樹の体からも光が放たれるようになった。

 ルークか、晴樹か、どちらから放たれる光かわからなくなった時、ルークは晴樹の背中から手を抜き、晴樹の身体を地面に寝かせた。

 見れば、晴樹の背中を支えていたルークの腕は、洋服が焼け焦げ、腕にも損傷を受けているように見えた。

「ここまでだったとは……。さすが王族だ」

 ルークは、負傷した片手をだらりとおろし、初めて目にする王族の妖力におののいていた。

だが、晴樹の妖力はこれでとどまったわけではなかった。

「うわぁあああああっ!」

 突然、絶叫のような晴樹のうなり声が響き渡る。

 バチっ、バチッと、空中で稲妻がセイジュの張ったシールドの中をところかまわず走る。エリザにも危害を加えてしまいそうになった時、ルークはとっさにエリザを抱きしめて守った。

「制御できないのか……」

 ルークは晴樹の右腕を掴んだ。体中から稲妻を発する晴樹。強引に触れるルークの手のひらも無事ではすまない。身を焼かれるような痛みがルークを襲った。

 セイジュの胸の傷跡を塞ぐように、晴樹の手のひらを置かせた。晴樹の妖力に、セイジュの体がビクンとはねた。

 晴樹の手のひらをセイジュの胸の傷に押しつけながら、ルークは叫んだ。 

「小僧、正気に戻れ! セイジュの命もおまえ次第だということを思い出すんだ!」

 ルークの声が晴樹に届くかどうかわからない。

 晴樹にとっては、初めての妖力。しかも、王族だけが持つ強大な力だ。コントロールできる方が奇跡だと思っていた。だが、今はその一か八かでもやるしかない。

 ルークは、晴樹の手首にナイフを入れた。

「あぁああああああっ!」

 我を忘れたかのように焦点のあわない瞳。晴樹は、ただ叫び声だけをあげていた。

 赤い血液がドクドクと溢れ出る。その鮮血は、晴樹の指先を伝ってセイジュの傷口へと流れた。

 晴樹は相変わらず叫び声を上げていたが、制御不能のように飛び交っていた妖力の稲妻が、徐々にその威力を落としてきていた。

「そうだ。おまえの妖力を、王家の血と一緒に流してセイジュへ送るんだ」

 手荒い態度とは裏腹に、ルークは穏やかな口調で晴樹を導いた。

 妖力の稲妻もその威力が衰え、晴樹の意識も朦朧としてきた頃、一人の男が結界内へと侵入してきた。

「貴方は……。シュウレイ様……!」

 ルークが思わずその名を口にした。セイジュが作りだした結界内への侵入は、妖力者でも容易ではない。けれど、驚きもしなかたのは、このシュウレイこそが第一王子であることを、ルークはよく知っていたからだった。地面に片膝をつき、かしこまるルークを一瞥したシュウレイは、晴樹とセイジュの体にそっと触れた。すると、それまで二人を取り巻いていた稲妻が一瞬のうちに消えてなくなった。

 それと同時に、晴樹の体がぐらりとよろけた。

 シュウレイは晴樹の体を抱きとめると、ルークがつけた手首の傷に手をあて、流れる血液を止めた。

「よく頑張ったな、晴樹」

 シュウレイは、晴樹の痛々しい手首の傷に目を細めながらもそっと晴樹の頭を撫でた。

 シュウレイが声をかけた時には、晴樹は失神していて言葉は届かなかったけれど。

「シュウレイ様」

「君は?」

「ルーク・サージェントと申します」

「サージェント家か。ここは僕もはらを決めねばならないのかな」

「畏れながら、何のことやら私にはわかりません。私はただ、不慮の出来事で人間界へ迷い込んでしまわれた、エリザ・ウォルフェンデール嬢を救出に来たまでです。エリザ嬢が無事なら、ここに用はありません。セイジュが仰せつかった特務隊の任務については隠密行動でしょうから、私にはわかりません。それに彼もインペリアルローズの一員なのですから、もし、仮に何かがあったとしても、彼の判断に任せます」

 セイジュの判断に任せるとは、黙認しますと言ったも同然だった。第一王子であるシュウレイを捕らえることなどできやしないというのもあったが、第一王子の座も妖魔界も捨てたシュウレイのエマへ対する愛情に感化されたのかもしれなかった。気づけば口から勝手に言葉が出ていた。

「そうか。礼を言うよ」

 シュウレイはそうルークに告げると、意識を失った晴樹とセイジュを連れて瞬間移動した。

「あ、セイジュ! 待って!」

 もう姿の見えなくなってしまった空中にエリザは手を伸ばした。こうしてはいられない。セイジュの容態が気にかかる。エリザはシュウレイが向かったであろう、森咲家へ行こうとした。だが、

「エリザ様、お気持ちはわかりますが、あなたは今すぐにでも妖魔界へ帰らなければならない」

 と、ルークがエリザの腕をとって止めた。

「どうして? 少しくらいいいじゃない!」

 ききわけのないエリザに、ルークは諭すように告げた。

「あなたが人間界にいることが、セイジュの身を危険にすることがおわかりにならないのですか?」

「セイジュのって……」

「あなたが私と一緒に妖魔界へ戻らなければ、セイジュはあなたを人質にして人間界へ逃亡した、国家反逆罪に問われる」

「そんな……」

 セイジュが国家反逆罪に問われれば、極刑は免れない。だが、このまま人間界にいても同じことではないのか。セイジュはそれを望んでいるようにも言っていた。

「そんなの、わたくしが妖魔界へ戻っても同じことではないの?」

「違います。エリザ様が私と妖魔界へ戻られれば、セイジュのエリザ様の誘拐容疑は晴れます。いえ、晴らしてみせます」

 ルークがセイジュのために動くと言っているのがエリザには信じられなかった。

「なぜ、ルークがそんなことをするの? 信じられないわ」

「さあ、私にもなぜだかわかりません。はっきり言って、今でもセイジュのことは大嫌いでどうでもいい存在です。ですが、シュウレイ様がお望みになるのなら、私は従わなければならない、と言えば満足ですか?」

 本当は、セイジュのその身を盾にして晴樹を守ったことに、ルークは自分の中でセイジュの存在がすっかり変わってしまったのを感じていた。セイジュが命を懸けても守りたいものは守らせてやりたい。そう思うようになっていた。そんなことを決して口に出さないのは、ルークのプライドだった。

「わかりました。あなたと妖魔界へ戻ります。ですが、約束はちゃんと守ってよね? セイジュを守ってくれるのよね?」

 念をおすエリザにルークは、

「男に二言はありません」

 と、言いながらエリザに向かって一礼をした。

「わかったわ。行きましょう。どうすればいいの?」

 先へ行こうとするエリザに、ルークは再びエリザの手を掴んで阻んだ。

「何?」

 あなたの言う通りにするんじゃないと、言わんばかりのエリザの額に、ルークは人差し指を軽く押し当てた。

 すると、エリザの両目から輝きがなくなり、その身体はだらりとルークの腕の中へと倒れ込んだ。

 ルークはエリザの背中を押さえて彼女の身体を支えると、仰向けになったエリザに向かって呟きを始めた。

「エリザ・ウォルフェンデール。あなたは人間界で目にしたこと、耳にしたこと、出会った者をすべて忘れること」

 すると、意識のないはずのエリザから、

「はい」

 という、力のない返事が返ってきた。

「よし」

 ルークは、万が一妖魔界でエリザの記憶がよまれてもいいように、記憶を消す暗示をかけたのだった。本当は自分との結婚の約束だけを忘れないようにもできたが、卑怯な手段を使うのは本来、正義を貫く性格であるルークの本意ではない。だから、その約束も一緒に、人間界での記憶はすべて奪ったのだった。

 エリザからセイジュが賜った国王の魔石を取りあげると、ルークはそれをセイジュのもとに瞬間移動させた。こんなものがなくてもセイジュは時空移動できるが、建前上、なければ困るだろうと、フッと笑みをうかべながら。

 エリザの膝のうらをすくい上げ、エリザを横抱きにすると、ルークは国王の魔石の力を使って妖魔界への扉を開いた。

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